樹里ちゃん、ホラー映画のクライマックスシーンの撮影に挑む(後編)
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドで、ホラー映画の幽霊役が何故かどはまりのママ女優でもあります。
樹里はホラー映画のクライマックスシーンの撮影に望もうとしています。
(今日が貴女の女優生命の終焉の日よ)
子役からコツコツと演技力を磨き、今や大女優への階段を駆け上がろうとしている楼年エリナは、特殊メイクの最終チェックを受けている樹里を見てニヤリとしました。
(大学受験のために一時女優を休業し、形の上では新人扱いだけど、キャリアは貴女になんか絶対に負けていないのよ)
更に闘志を燃やすエリナです。目の中に炎が見える昭和の演出が似合いそうだと思う地の文です。
「樹里さん、スタンバイ完了です」
幽霊みたいなメイクさんがボソッと告げました。
「ひっ!」
思わず小さく悲鳴をあげてしまう助監督です。
「それでは、最後の対決シーン、本番始めます!」
気を取り直して大声で言う助監督です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
(樹里、頑張れ!)
知らないおじさんがスタジオの隅で応援していました。
「知らないおじさんじゃねえよ、樹里の夫の杉下左京だよ!」
地の文にぞんざいに扱われたので切れる左京です。新しい入り方を開発したようです。
「本番に入りますので、お静かに願います」
スタッフに真顔で注意される騒々しい左京です。
「誰のせいだよ」
しつこい地の文に小声で切れる左京です。
長女の瑠里と次女の冴里は現場の緊張を察したのか、固唾を飲んで見守っています。
クズの父親より余程しっかりしていると思う地の文です。
「ううう……」
真実をズバッと告げられたので項垂れるしかない左京です。
「本番、用意、スタート!」
監督の岩清水信男の号令で遂に本番の撮影が始まりました。
さすがの左京もおとなしく見ています。
樹里が青白いライトの中にスウッと浮かび上がるように現れます。
スタッフの幾人かがビクッとしました。
左京は必死で叫んでしまうそうになるのを堪えました。
(樹里、怖過ぎるよ……)
涙ぐんでしまう左京です。瑠里と冴里もママの変わりように驚いて固まっています。
そこへ登場するエリナ演じる主人公の女性です。
「壇野浦美代さん、もうこれ以上人を殺すのはやめて。こんな事を続けても、貴女は成仏できないわ」
エリナは大声で言いました。樹里の演じる幽霊は微動だにしません。
それをよい事に、エリナは樹里がカメラにほとんど映らない位置に動き、
「貴女は今や、只の悪霊です。このままでは、霊界に行けば、地獄に堕とされ、無限の責め苦に苛まれるのよ」
監督はエリナのアドリブの動きにハッとしましたが、カットをかけずに撮影を続けます。
助監督が思わず監督を見ますが、監督は首を横に振り、撮影を続行させました。
別のカメラが撮影を開始し、樹里の顔を上から映します。
樹里の顔はメイクと照明の複合技で更に怖くなりました。
左京は失神寸前です。瑠里と冴里は冷静な表情でジッとママの演技を見つめています。
(瑠里と冴里が大丈夫なのに父親の俺が気絶する訳にはいかない)
左京は必死になって自分を鼓舞しました。
早く意識を失って父親をやめればいいのにと思う地の文です。
左京はどこから持ってきたのか、半紙に「うるさい!」と書いて、誰もいない空間に向かって掲げました。
もうすぐ入院生活が始まると思う地の文です。
すると左京は、「更にうるさい!」と書いた半紙を見せました。無視する地の文です。
「壇野浦さん、お願い。もうやめて!」
エリナは演出にはない涙を流し、上から撮影しているカメラの方を見ました。
「もうこれ以上貴女が人を殺すのを見たくないの! お願い!」
髪を掻きむしって叫ぶエリナです。その表情には鬼気迫るものがありました。
するとそれに呼応したように樹里の顔が更に怖くなりました。
ライトもメイクも変えていないのにです。
(何、今の?)
エリナは樹里の表情の変化にビクッとしてしまいました。
(私は負けない!)
エリナは再び樹里を見て、
「そこまで恨みが深いなら、私の命をあげるから、それと引き換えに鎮まって、壇野浦さん!」
目を血走らせて迫力のある顔で樹里に叫ぶエリナです。
「貴女がそこまでする必要はありません」
そこへ現れる霊能者役の松下なぎさです。滅多に見られないなぎさの真顔に惚れてしまいそうになるミーハーな地の文です。
「鳥越先生!」
エリナは普段のなぎさからは想像もつかない程の真剣な表情に一瞬驚きました。
(この二人、本物の女優だというの?)
焦りそうになるエリナですが、
(違う! この映画の主役は私! そして、スターになるのも私よ!)
エリナはなぎさに近づき、
「先生には壇野浦さんを鎮める手段があるのですか?」
またしても、なぎさを正面から狙っているカメラにかぶさるように立ちました。
助監督が動きそうになるのを監督が止めます。
「もちろんです。何も備えなくここに来た訳ではありません」
凛々しい顔で言うなぎさです。落ちてしまいそうな地の文です。
なぎさの演技にハッとなってしまったエリナですが、
(私の方が上よ!)
気合を入れ直して、なぎさを見ました。なぎさは今度は菩薩様のような笑みを浮かべて、
「美代、私よ、マリアよ。貴女の親友の」
ゆっくりと樹里に近づきます。それに合わせて、樹里は表情を和らげていきます。
「もういいの、美代。もう大丈夫。貴女が護ろうとしたものは私が護るから。もう逝くべき所に逝って」
なぎさは涙を浮かべて訴えました。樹里の表情が更に和らぎ、スーッとライティングが青から黄色に変わり、怨霊感が薄まります。
「私が護るから」
なぎさがそう言って樹里に示したのは、瑠里と冴里でした。ちょい役なのでこれだけです。
すると樹里は泣きながらフウッと消えてしまいました。
「カット!」
監督が号令しました。ライティングが切り替わり、スタジオの中が明るくなりました。
「お疲れ様でした」
助監督が樹里とエリナとなぎさに言い、スタッフ達がそれぞれに花束を渡しました。
(勝てたわよね、私は)
エリナは手にした花束を見て思いました。
「そうなんですか」
樹里はそれでも笑顔全開です。
めでたし、めでたし。