樹里ちゃん、大村美紗賞の授賞式に招待される
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドで、映画監督までこなすマルチな才能の持ち主でもあります。
今日も樹里は笑顔全開でベビーカーに次女の冴里を乗せ、出勤です。
「いってらっしゃい、ママ!」
犬を飼える事になった長女の瑠里は、笑顔全開で言いました。
「行ってらっしゃい……」
樹里に、メタボ対策として邸の周囲を歩くように言われた不甲斐ない夫の杉下左京は、ヘロヘロな状態で言いました。
広大な五反田邸の外周はおよそ十キロメートルです。中年の左京には酷な距離です。
もうすぐお迎えが来ると思う地の文です。
「うるせえ!」
それにも関わらず、元気に切れる左京です。「俺は頑張っている」アピールが鼻につくと思う地の文です。
「そ、そんなつもりはない!」
異様に焦って否定する左京です。バレバレだと思う地の文です。
「そうなんですか」
「そうなんですか」
「しょーなんですか」
樹里と瑠里と冴里の笑顔全開三重奏です。瑠里派の親衛隊員がいたら、即死しそうだと思う地の文です。
ですが、昭和眼鏡男と愉快な仲間達は降板が決定したので、その心配は要らないようです。
「嘘だー!」
地の文の軽い冗談を真に受けて、どこかで大声を張り上げている眼鏡男達です。
そして、左京は瑠里を乗せて保育所へと向かいました。樹里と冴里も五反田邸に向かいます。
「おはようございます、樹里さん」
そこへレッサーパンダの母親が来ました。
「レッサーパンダの母親じゃないわよ!」
最近、そのネタを気に入っている地の文に激ギレする目黒弥生です。
「レッサーパンダは風太で、私の息子は颯太よ!」
わざわざ半紙に毛筆で書いた名前を見せる母親ヅラがうざい弥生です。
「あんたが間違えるからでしょ!」
肩で息をしながら地の文に抗議する弥生です。
「そうなんですか」
「しょーなんですか」
それでも、樹里と冴里は笑顔全開です。
「樹里さん、今日は大村先生がお見えの予定ですので、よろしくお願いします」
弥生は顔を引きつらせて告げました。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
樹里が冴里に授乳をすませて、メイド服に着替え、庭の掃除に取りかかった頃、いつものように上から目線のリムジンが邸の玄関の車寄せに入って来ました。
樹里と弥生は掃除の手を止めて、素早く車寄せに駆け寄りました。
「ご機嫌よう、樹里さん、はるなさん」
そっくり返った態勢で、大村美紗がリムジンから出て来ました。
未だに古い朝ドラの物真似をしているバアさんです。
(今のがまさしく幻聴なのよ! 反応してはいけないわ、美紗!)
心の中で自分に言い聞かせる美紗です。病状は改善しているようです。
「いらっしゃいませ、大村様」
樹里と弥生は声を揃えて挨拶しました。
(このクソババア、また名前を間違えやがって!)
怒り心頭の弥生ですが、顔は笑っています。さすが元泥棒です。
「それは言わないでー!」
血の涙を流して、過去を暴露する地の文に懇願する弥生です。
樹里は美紗を応接間に通し、紅茶を出しました。
「今日は、私の名前がついた文学賞の授賞式に貴女を招待しに来ましたのよ。光栄でしょ?」
更にそっくり返り、もう少しでソファごと倒れそうになる美紗です。
「ありがとうございます」
樹里は笑顔全開で応じました。弥生は小さく舌打ちしました。
(そんな授賞式、招待されたら迷惑よ)
すると、
「ついでにはるなさんも招待してあげるわ。嬉しいでしょ?」
まるで魔女のような笑みを浮かべて告げる美紗を見て、全身総毛立つ弥生ですが、
「はい、身に余る光栄です」
歯の浮くような事を言ってのけました。さすが、元泥棒です。
「だから、やめてー!」
しつこい地の文に泣きながら切れる弥生です。
「今回は、新人発掘も兼ねての授賞式なの。ですから、高名な作家先生にはご遠慮いただいたの」
美紗はそう言いましたが、本当はベテラン作家の方々が全員、受賞を辞退したのは絶対に内緒です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。美紗は満足そうに微笑んで、
「授賞式は来週の火曜日よ。五反田さんにもお伝えしてあるから、一緒にいらしてくださいな」
上機嫌で帰って行きました。
弥生は美紗のリムジンが見えなくなると、大量の塩を撒きました。
(二度と来るな、クソババア!)
樹里に聞こえると叱られるので、心の中で叫ぶひねた性格の弥生です。
「大きなお世話よ!」
正しい表現をしたはずの地の文に切れる弥生です。
「弥生さん」
樹里は大量に撒かれた塩を指差しました。
「あ、すみません、樹里さん、きちんと片づけます」
弥生は苦笑いして言いましたが、樹里は、
「ちょっと湿気が多かったせいで、なめくじが大量発生していましたね」
よく見ると、塩の中をたくさんのなめくじがのたうち回っていました。
まるで地獄絵図のようです。
「……」
ヌメヌメした生き物全般が苦手な弥生は、そのまま卒倒しました。
「弥生さん、大丈夫ですか?」
樹里は七百八ある資格のうち、頻繁に使う事がある看護師の顔になりました。
そして、すばやく脈拍を計測し、瞳孔反応を診て、呼吸を確認しました。
「気を失っているだけです」
樹里は、弥生のパンチラ目当てで集まって来た警備員さん達に言いました。
「断じて違います!」
声を揃えて全面否定する警備員さん達です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
めでたし、めでたし。