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樹里ちゃん、左京と出かける

 俺は杉下左京。五反田駅の近くに事務所を構える私立探偵だ。


 とは言え、受ける依頼は犬と猫の捜索や、浮気調査。


 しばらく前に巻き込まれたような事件にはここ一年くらい遭遇していない。


 そんな面倒ごとに巻き込まれたくはないが、仕事に張り合いがないのも事実だ。


「左京さん、早くしてくださいね」


 妻の樹里がアパートの玄関を出たところで言った。


 今日は久しぶりに樹里と休みを合わせて出かける事にした。


 毎日が休みのような俺だから、樹里に休んでもらったというのが正しい表現だろう。


「おう」


 俺は長女の瑠里と手を繋いで、部屋を出た。


 瑠里も三歳になり、すっかり女の子らしくなって来た。


 しかも、母親の樹里にそっくりだから、もう十分美人だ。


 親バカと言われるだろうが、すでに同じ保育所の男児達が瑠里に近づいて来ている程なのだ。


 中でも、同じ組のあっちゃんというガキは、瑠里とよくキスをしているという。


 微笑ましそうに教えてくれた先生に愛想笑いをし、俺はそのあっちゃんがどの子なのかをしっかりと教えてもらった。


 現行犯で取り押さえて、二度とそんな事をしないように誓わせてやろうと思ったが、更に先生から事情を聞くと、積極的なのは瑠里だというのだ。


 樹里にはそんなところは微塵もない。


 これは、隔世遺伝だ。樹里の母親の由里さんのあの自由奔放な遺伝子を瑠里が受け継いでしまったのだろう。


 男と引き離したりしたら、瑠里に嫌われると思ったので、あっちゃん締め上げ作戦は無期延期にした。


「パパ、はやく」


 考え事をしていたら、瑠里にまで催促されてしまった。


「ああ、ごめんな」


 俺はもう一度瑠里と手を繋ぎ、ドアの鍵をかけると、樹里のそばに歩み寄った。


 樹里は相変わらずの笑顔全開で、抱っこ紐で次女の冴里を抱いている。


「行こうか、樹里」


「はい、左京さん」


 俺は樹里と並んで、車を停めている駐車場へと歩いた。


 


 車に乗り込み、大通りに出る。週末なので、混雑がそれ程でもない。


「大丈夫なのか、樹里? 週末の方が仕事が忙しいのだろう?」


 俺はハンドルを切りながら、後部座席の樹里にルームミラー越しに話しかけた。


 樹里はベビーシートの冴里をあやしながら、


「大丈夫ですよ。今日は特別な日ですから」


 笑顔全開でこちらを見たので、照れ臭くなってしまった。


 そう。今日は二月十四日。俺の誕生日なのだ。何回目なのかは内緒だ。


 特別な日、か。世のほとんどのお父さん達は、子供が二人できたら、もう自分の誕生日なんか祝ってもらえないだろう。


 そう考えたら、とても嬉しくなって来た。


 樹里が俺のために店を予約してくれたらしい。


 ああ、樹里と結婚できてよかった。


 どこかで間違って、今はもう人妻になった平井(旧姓:神戸かんべ)蘭や、加藤(旧姓:宮部)ありさと結婚していたら、どんな人生になっていたろうと想像し、身震いした。


 そんなバカな事を考えていると、目的地に着いたらしく、


「そこを入ってください」


 樹里に言われてそちらに目を向けると、尻込みしてしまいそうな高級レストランが鎮座していた。


 おいおい……。確かに樹里はまた女優に復帰し、その上映画監督までこなしているから、これくらいの店の支払いにビビる必要はないだろう。


 だが、夫の俺の立つ瀬がない。支払いは妻がするって、何だか屈辱的な気がしてしまう。


 それに、これほどの店だと、ドレスコードとかいうのがあるんじゃないのか?


 俺は入店拒否されちまいそうな格好をしているぞ。ネクタイもしていないし。


「さあ、行きましょう」


 店の奥にある駐車場に車を停めると、樹里は手際よく冴里をシートから下ろした。


 俺も助手席のチャイルドシートに座っている瑠里を下ろし、ドアをロックした。


「いらっしゃいませ、御徒町様。お待ちしておりました」


 支配人と書かれたネームプレートを胸に付けた男性が出迎えてくれた。


 どうやら、ドレスコードは気にしなくても大丈夫みたいだ。


 それにしても、「御徒町様」か。まあ、仕方ないか。


 店内に入り、またびっくりした。


 ドレスコードはあるんじゃないの? どちらを見ても、正装をしている男女しか着席していないのだ。


 俺は奇異の目で見られているのを感じ、苦笑いして俯き加減に進んだ。


 通されたのは個室だった。少しだけホッとした。


「では、後程」


 支配人は会釈をして部屋を出て行った。


「左京さん」


 樹里が椅子を引いてくれた。


「ありがとう」


 俺はドキドキしながら腰掛けた。


 瑠里は子供用の椅子に座り、冴里は樹里の膝の上にちょこんと座らされている。


 まもなく、食事が運ばれて来た。


 持って来た男性が微笑んでいろいろと説明してくれているが、俺には全くわからない。


 まあ、とにかく美味しそうなのと手間がかかっているのはわかった。


 テーブルマナーとは無縁の俺は、適当にナイフとフォークを手に持つと、ガツガツと食らった。


 樹里はお手本のような仕草で食事をしている。


 マナー講師の資格も取得したとか言ってたな。


 一体いつそんな勉強をしているのか、聞くのが怖い。


「わわ!」


 目の前の肉を食い終わり、ふと樹里を見ると、冴里に授乳していた。


 意表を突かれたので、ビクッとしてしまい、フォークを取り落としそうになった。


 一方、瑠里も樹里に負けないくらい上品に食事をしていた。


 ああ、瑠里、パパだけ恥ずかしいよ……。涙が出て来た。


 食事を終え、最後に香りが事務所でいつも飲んでいるのと全然違うコーヒーを堪能しながら、寛いでいると、


「左京さん、いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」


 樹里と瑠里が並んで脇に立ち、綺麗に包装され、派手なリボンを結ばれた箱を差し出した。


「あ、ありがとう」


 俺は慌てて立ち上がり、それを受け取った。樹里は何故か恥ずかしそうにして、


「今まで知らなくてすみませんでした。今日はバレンタインデーだったのですね」


 ああ、そう言えば、毎年樹里にボケられていたような気がする。まあ、それはそれで楽しかったけど。


「私と瑠里で一生懸命作ったチョコレートです」


 俺はそれを聞いて、涙が溢れて来た。瑠里も手伝ったのか……。


「おたんじょうびおめでとう。パパ、ぜーんぶたべてね」


 母親と全く同じ笑顔全開で言う瑠里。涙が止まらなくなった。




 しばらくぶりの、めでたし、めでたしだ。

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