樹里ちゃん、代理をする
御徒町樹里はメイドです。
先日、一週間の有給休暇をもらい、実家でマッタリしました。
途中、変な人に攫われそうになったり、杉下左京の車で居眠りしたりしました。
また、幼い妹達を連れてファミレスに行ったりしました。
亀島も樹里が休みなのを知り、実家に顔を出しましたが、あいにく樹里が出かけていた時で、その直後緊急指令が入り、彼は泣く泣く去りました。
そして、休暇を終えて樹里が五反田六郎氏の邸に戻った日の事です。
「御徒町さん、悪いんだが、今日一日、会社に来て私の秘書の代わりをしてほしいのだが」
五反田氏の秘書が、インフルエンザで休んでしまったのです。
「かしこまりました、旦那様」
樹里はこうして、いつものメイド服を脱ぎ、OLの制服に着替えたのです。
「今日は税理士事務所の人が、監査に見える日なのだ。秘書に全部任せていて、私には何もわからない。対応してくれたまえ」
どこかの政治家みたいな事を言う五反田氏です。
普通、五反田氏の会社くらいになると、税理士ではなく公認会計士を頼むはずなのですが、今回は子会社の監査ですので、税理士事務所のようです。
五反田氏の秘書は優秀で、子会社の経理をいくつも掛け持ちしていました。
でも、経理の経験が全くない樹里に、そんな仕事が勤まるのでしょうか?
そんな心配をしているうちに、税理士事務所の人がやって来ました。
「小宮山税理士事務所の者です。会計監査に参りました」
その人の名は福山雅夫。誰かの名前に似ています。長崎繋がりなのでしょうか?
「いらっしゃいませ。臨時秘書の御徒町樹里と申します」
樹里は深々とお辞儀をしました。
「どうもご丁寧に」
福山さんも深々とお辞儀をしました。
「それでは早速、帳簿の方を見せて頂けますか」
福山さんは仕事熱心なので、お茶を飲んだりとかしません。すぐに監査に入ります。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で、
「こちらになります」
と山のような書類を福山さんに渡しました。
「おお」
福山さんは、そんなにいっぺんに渡されるとは思わず、抱え切れずに落としてしまいました。
「ああ、すみません」
樹里は帳簿を拾いました。
「机をお借りできますか?」
福山さんは取り敢えず場所を決めないといけないと思い、お願いしました。
「はい。後で返して下さいね」
樹里が型通りのボケをかましました。福山さんは苦笑いです。
「さてと」
福山さんは机の上に帳簿を広げ、中身を確認し始めました。
「証憑書類を見せて下さい」
「はい」
樹里はスクラップブックの束をドスンと机の上に置きます。
「請求書、領収書、納品書を見せて下さい」
「はい」
段ボールが一つ、ズンと福山さんの足下に置かれました。
「この会社は、電子帳簿で処理されていますか?」
福山さんが尋ねます。樹里はニコッとして、
「パソコンに全部入力しています」
と応じます。福山さんは頷き、
「財務処理をしているパソコンはどれですか?」
「こちらです」
福山さんは、パソコンがある机に行き、
「起動させて下さい」
と言いました。
「はい」
樹里はパソコンの電源を入れました。
「ありがとうございます」
福山さんはモニターを見て、財務ソフトを開きました。
「現金を確認させて下さい」
「はい」
樹里は金庫のダイヤルを回し、扉を開きました。
「いくらありますか?」
「二千五百九十九万五千七百五十五円です」
「はい」
現金出納は一円単位まで正確でした。
「先月、仮払金七百万円を持ち出していますが、摘要に何も書かれていません。何の支出ですか?」
「土地の代金の手付けです」
樹里は笑顔で答えます。
「わかりました」
福山さんは請求書と領収書、そして証憑書類をチェックし終えました。
「毎月棚卸しをされているようですが、棚卸しの原簿はありますか?」
「はい、こちらです」
福山さんは仕入れの請求書と付き合わせながら、在庫の確認をしています。
「通帳を見せて下さい」
「はい」
樹里は金庫から通帳の束を出し、福山さんに渡します。
福山さんは通帳と財務ソフトに入力された金額を付き合わせます。
「先月は乗用車を入れ替えたようですが、その契約書はありますか?」
「はい、こちらです」
樹里は金庫から自動車の売買契約書を出し、福山さんに渡しました。
「下取車がありますが、前期の決算書のどれを下取りにだしたのでしょうか?」
福山さんは事務所から持参した前期の決算報告書を取り出し、樹里に見せます。
「こちらです」
樹里は減価償却資産の中に載っている乗用車の一台を示しました。
「はい」
福山さんは、財務ソフトの処理内容が契約書通りか確認します。
こうして、税理士事務所の監査は終了し、福山さんはようやく樹里の出したお茶を口にしました。
「貴女は今までどちらかの税理士事務所にいらしたのですか?」
福山さんは、お世辞ではなく、樹里の対応が素晴らしかったので、そう尋ねました。
「いえ、私はメイドですので」
「そ、そうなんですか……」
経験がないのにあれほどの対応ができるとは、と福山さんは感心しました。
そして、彼は不覚にも、樹里に惚れてしまったようです。
「またお会いできると嬉しいです」
「ありがとうございます」
樹里は福山さんのさり気ない口説きにも気づかず、彼を送り出しました。
こうして、樹里は無事に会計監査に対応できたのでした。
「何故メイドにそんな事を任せたのですか?」
五反田氏に、子会社の社長が尋ねました。彼は入室を禁じられ、別の部屋で監査が終わるのを待っていたのです。ですから、樹里の待遇には怒りを感じていました。
「彼女は、一回秘書に電話で手順を確認しただけで、全部覚えたのだ。お前よりずっと優秀だよ」
五反田氏は、不満そうな顔の子会社の社長に言いました。社長はシュンとしてしまいました。
「彼女は手放したくないな」
五反田氏は、ニヤリとして呟きました。