樹里ちゃん、なぎさに事情を説明する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日も樹里は、次女の冴里をベビースリングで抱き、笑顔全開で出勤します。
「行って来ます、左京さん、瑠里」
樹里は不甲斐ない夫の杉下左京と長女の瑠里に言いました。
「いってらっしゃい、ママ、さり」
瑠里も笑顔全開で言いました。
「行ってらっしゃい、ママ、冴里」
左京も笑顔全開で言いました。
「あれ?」
いつもと違う展開に戸惑う左京です。
(もしかして、俺は死んでしまったのだろうか?)
しばらく前の話を走馬灯のように思い出す左京です。
「樹里様と瑠里様と冴里様と左京様にはご機嫌麗しく」
いつものように昭和眼鏡男と愉快な仲間達が登場し、何故か左京の名も忘れずに言いました。
(まずいぞ、これは……。俺は生死の境を彷徨っているのか?)
妙に自分に優しい展開に猜疑心MAXの左京です。
「パパ、ちこくしちゃうよ」
いつものように瑠里に服を引っ張られて、歩き出す左京です。
(どういう事だ? 絶対に何かあるぞ)
左京は周囲を見渡しながら、保育所へと向かいました。
端から見ると、誘拐犯にしか見えない左京ですが、今日はこのまま何もないという過酷なオチを用意した地の文です。
そして、いつも通りに、樹里は何事もなく、五反田邸に到着しました。
「では樹里様、お帰りの時、また」
眼鏡男達は今日も役立たずのまま、敬礼をして立ち去りました。
「ううう……」
地の文の狙い澄ましたような毒舌に背中で泣いている眼鏡男達です。
「ありがとうございました」
樹里は深々とお辞儀をして、眼鏡男達を見送りました。
「樹里さーん」
そこへいつものようにもう一人のメイドの目黒弥生がやって来ました。
「え?」
弥生も段取りが違うのを感じ取ったベテラン芸人のように不審そうな目をしました。
「おはようございます、弥生さん」
警戒していた樹里の名前ボケもなく、拍子抜した弥生です。
「松下なぎさ様がお見えです」
玄関に向かう途中、弥生が告げました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
樹里は育児室で冴里に授乳してベッドに寝かしつけると、メイド服に着替えて応接間に行きました。
「おはようございます、なぎささん」
樹里は部屋に入ると深々とお辞儀をしました。
「やっほー、樹里。元気だった?」
なぎさはソファから立ち上がって嬉しそうに手を振りましたが、昨日も樹里と会っていたのは内緒です。
「はい、元気です」
樹里は笑顔全開で応じました。
「でさ、今日は何? 大事な用事があるって聞いたけど、離婚するの?」
ここでいきなりなぎさが爆弾投下です。でも、左京には聞こえないので、不発だと思う地の文です。
「違いますよ。なぎささんと大村様との事です」
樹里は笑顔全開で紅茶を淹れたカップをテーブルに置きながら言いました。
「え? 私と叔母様は結婚していないから、離婚はできないよ」
真顔でボケるなぎさです。普通の人だったら、イラッとするところですが、
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開です。
「もみじさんに頼まれたのです。なぎささんと大村様の関係を修復して欲しいと」
樹里の言葉になぎさはビックリしたようです。
「え? 私と叔母様は昔から大の仲良しだよ。もみじったら、何を勘違いしてるんだろう」
勘違いしているのは貴女だと思う地の文です。
「なぎささんは大村様と仲良しだと思っているでしょうが、大村様はそうは思われていないのです」
樹里は向かいのソファに腰を下ろして説明しました。
「ええ? 勘違いしているのは叔母様なの?」
渚の危険球の鋭さに気絶しそうな地の文です。
「そうなんですか?」
樹里は笑顔全開で首を傾げました。なぎさは腕組みをして、
「もう、叔母様ったら、何を考えているのかしら? 私達が仲が悪い訳ないのに。ボケたのかしらね?」
半分正解かもしれないと思う地の文です。
「事情はわかったよ、樹里。叔母様には私からよく言って聞かせるから、樹里は心配しなくて大丈夫だよ」
なぎさは笑顔全開で樹里に言いました。
「そうなんですか」
あっさり納得してしまった樹里です。
「それより心配なのは、樹里の方だよ。森下さんと離婚しそうなの?」
火のないところに煙を立てるなぎさです。そもそも森下さんとは誰でしょうか?
「私達の名字は杉下ですよ、なぎささん」
樹里は笑顔全開で訂正しました。するとなぎさは首を傾げて、
「ええ? でも、樹里は御徒町樹里って名乗っているよね?」
触れてはいけないこのお話のタブーに切り込みました。
「便宜上、旧姓を名乗っています」
樹里は笑顔全開で事情を説明しました。
「ふうん。そうなんだ」
やはり、あっさり納得してしまうなぎさです。
「それに、私達は離婚しませんよ、なぎささん」
樹里は笑顔全開で言いました。左京が聞いたら泣いて喜ぶでしょうから、聞かせたくない地の文です。
「あれ、そうなの? じゃあ、誰が離婚しそうなの? 六ちゃんのところも違うよね?」
六ちゃんとは、五反田氏の事です。離婚話から離れられないなぎさです。
「あ、キャビーさんのところかな?」
いきなり自分に飛び火したので、ドアの向こうで聞き耳を立てていた元泥棒の弥生は転けてしまいました。
(どうしてそこで『キャビーさん』なのよ!)
人知れず切れる弥生です。
「またあの子、一人でブツブツ言っているわね。大丈夫かしら?」
それを柱の陰から見ていた有栖川倫子ことドロントが呟きました。
「どうでしょう?」
黒川真理沙ことヌートは苦笑いで応じました。
めでたし、めでたし。