樹里ちゃん、慰留する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里が女優業を辞めるというニュースはあらゆる人々に衝撃を与えました。
不甲斐ない夫の王様である杉下左京は樹里が妊娠している事を知り、仰天しました。
「そんな王様がいるか!」
左京はここぞとばかりに見事に切れ芸を見せてくれました。
(樹里が女優を辞めるのは反対しないが、もう一人扶養家族が増えるのか?)
ローン地獄が待っていると思う左京です。
今のうちに離婚をして、財産分与をしてもらおうと企んでいるようです。
「離婚しねえし、企んでもいねえ!」
根も葉もない事を事実のように語る地の文に左京は切れました。
相変わらず自立心の欠片もないろくでなしです。
「どうしてだよ!」
左京は理不尽な地の文に更に切れました。
でも、出番はここまでです。
「何でだよ!?」
切れる左京を華麗に無視する地の文です。
「樹里様が再び我らの樹里様に戻られるのだ」
昭和眼鏡男と愉快な仲間達で構成している親衛隊は狂喜乱舞しました。
「これでまた樹里様は我らの女神様になってくださる」
「樹里様!」
「樹里様!」
口々に叫び出す親衛隊員達です。
すでに危ない宗教一歩手前まで進んでいるのを危惧する地の文です。
「もう十分、稼がせてもらいました」
樹里が女優をしている時、ここぞとばかりに入所を募った瑠里が通う保育所は既にウハウハです。
国税庁に密告してやろうと思う地の文です。
「やめてください! 何も疾しい事はしていませんから!」
疾しくないのであれば、密告を恐れる事はないと思う地の文です。
「ううう」
図星を突かれ、オタオタする保育所の経営陣です。
あの指紋がなくなってしまった高速揉み手の有段者のプロデューサーは軽井沢に建築した別荘を売りに出したそうです。
「軽井沢の別荘で倍返し……」
ますます意味不明な事を呟いているプロデューサーです。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開です。
そして今日は、いきなり五反田邸からです。
「おはようございます、樹里さん」
樹里より少し早めに妊娠がわかった卯月弥生が挨拶しました。
「おはようございます、弥生さん」
樹里は笑顔全開で応じました。
「船越なぎさ様がお見えです」
弥生は引きつり気味に言いました。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開です。
樹里が応接間に行くと、ソファになぎさと婚約者の片平栄一郎がいました。
「おはようございます、なぎささん、栄一郎さん」
樹里は深々とお辞儀をしました。
「やっほー、樹里」
なぎさはいつものテンションで挨拶を返しましたが、
「どうして女優を辞めちゃうのよ。私が書く小説にもっと出て欲しかったのに」
涙ぐんで言いました。それを見て、樹里も笑顔封印です。
「なぎささん……」
すると栄一郎が、
「樹里さん、なぎささんを説得してくれませんか? なぎささんも、樹里さんが辞めるのなら、自分も女優を辞めると言い出しているんです」
困り顔で告げました。樹里はなぎさを見て、
「そうなんですか、なぎささん?」
なぎさは涙を拭って、
「だって、樹里が一緒じゃないと面白くないんだもん。だから、私も辞める」
口を尖らせて言うなぎさが可愛いので、栄一郎はポオッとしました。
「私は妊娠したので、女優を辞める事にしたのです。なぎささんは続けてください。その方が大村様の励みにもなりますよ」
樹里はなぎさの手を取って言いました。
なぎさが女優を続けても、上から目線作家の大村美紗の励みには全くならないと思う地の文です。
「そうなの?」
なぎさは目を見開きました。
「そうですよ。それになぎささんは、小説を書けるではないですか。小説を書いて、自分で演じる。それを続けてください」
樹里は笑顔全開で言いました。
そんな事をなぎさが続けると、確実に美紗の心を蝕んでいくと思う地の文です。
なぎさは栄一郎の顔を見ました。栄一郎は微笑んで大きく頷きました。
「わかったよ、樹里。私は女優を続けるよ。そして、小説も書きまくるよ」
なぎさは笑顔で樹里を見ました。
「なぎささん」
樹里はなぎさと抱き合いました。それを見て涙ぐむ栄一郎です。
(ええ話や)
そっと覗いていた弥生も涙を拭いました。
「じゃあさ」
なぎさは樹里から離れ、栄一郎を見ました。
「はい?」
栄一郎は何だろうと思ってなぎさを見ます。なぎさは栄一郎の手を取って、
「早く十八歳になってよ、栄一郎」
「は?」
なぎさの言葉の意味がわからず、首を傾げる栄一郎です。
「そうすれば、栄一郎と結婚して、赤ちゃん産んで、仕事休めるじゃん」
なぎさが笑顔全開で突拍子もない事を言い出したので、栄一郎は唖然としました。
「そうなんですか?」
樹里も思わず首を傾げてしまいました。
「早く赤ちゃんができるように頑張ろうね、栄一郎」
屈託のない笑顔で言うなぎさを見て、あれこれ妄想してしまった栄一郎は真っ赤になりました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
(ええ話、ぶち壊しや)
それを見ていて項垂れてしまった弥生です。
めでたし、めでたし。