樹里ちゃん、一大決心をする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドで、某デミー賞の候補にも名を連ねる女優です。
今日は上から目線作家の大村美紗原作の「メイド探偵は見た ご主人様、お別れの時です 後編」の撮影も終了しました。
今日は普段通りの出勤です。
「樹里様にはご機嫌麗しく」
いつものように昭和眼鏡男と愉快な仲間達が迎えに現れました。
「おはようございます」
樹里は笑顔全開で応じました。
「おはよ、たいちょ」
瑠里も笑顔全開で応じました。毎日挨拶されているのに毎日感極まっている眼鏡男達です。
(何だかわからないが、嫌な予感がする)
眼鏡男達は樹里の表情の微妙な変化に気づいていました。
樹里はある決意を胸に秘めているのです。
ようやくあの不甲斐ない夫の杉下左京と離婚するのでしょうか?
「何だと!?」
またしても、声の出演だけで終わる左京です。
そして樹里はずっと好きだった人と再婚するのですね。
「そんな事、やめてくれ!」
地の文の勝手な妄想に本気で焦るバカな左京です。
「おはようございます」
保育所の男性職員の皆さんも、樹里の様子がいつもと違うのを感じているようです。
もはやストーカーと表現するのでは間に合わないくらいの変態です。
「違います!」
男性職員の皆さんは地の文の気ままな想像に抗議しました。
(こいつら、本当に何者なんだ?)
眼鏡男達と男性職員の皆さんが互いを見て思いました。
甲乙付け難い病人だと思う地の文です。
樹里は瑠里を保育所に預けると、JR水道橋駅に向かいました。
そこからは何もハプニングもなく、樹里は五反田邸に到着しました。
「では樹里様、またお帰りの時に」
眼鏡男達は敬礼をして立ち去りました。
「樹里さん!」
そこへドエロ弥生が来ました。
「ロしか合ってないわよ!」
弥生は地の文に切れました。妊娠したせいか、いつものキレがありません。
「うるさいわよ!」
更に切れる弥生です。
「おはようございます、弥生さん」
今日はボケない樹里です。弥生は心なしか寂しそうです。
「そんな事ありません!」
もう一度地の文に切れる弥生です。
警備員さんも、樹里がボケて弥生が転けてパンツを見せる展開を期待していたので、溜息を吐いています。
「断じて違います!」
地の文の鋭い指摘に動揺を禁じ得ない警備員さん達です。
「大村先生がお見えですよ」
弥生は深呼吸をしてから告げました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
応接間に行くと、美紗がソファにふんぞり返っていました。
その方が身体が辛いのではないかと思う地の文です。
「おはようございます、大村様」
樹里は深々と頭を下げて言いました。
「おはよう、樹里さん。今まで、メイド探偵を盛り立ててくれてありがとう」
美紗はお礼を言っているつもりのようですが、のけ反っているので全然そうは見えません。
相変わらず高慢ちきで鼻持ちならないおばさんです。
「樹里さん、聞いたでしょ、今私の悪口を言った人がいるわよね?」
必死の形相で樹里に尋ねる美紗ですが、
「いえ、聞こえておりません」
樹里はあっさりと笑顔全開で否定しました。
美紗は挫けそうになりましたが、何とか堪えました。
「それから、メイド探偵が終わったので、次は海女探偵を始めるつもりなのよ。それにも出演させてあげますからね」
また上から目線で言う美紗です。一度豆腐の角に頭をぶつけた方がいいと思う地の文です。
それにもう海女ブームは去ってしまったとも思う地の文です。
「申し訳ありません、大村様。その映画には出られません」
樹里は真顔で応じました。唖然としてしばらく動かなくなった美紗です。
その間に樹里は紅茶を淹れて戻って来ました。
「どういう事、樹里さん? ギャランティが少ないの? だったら、倍、いえ、十倍返しにするわよ」
美紗が慌てて言いますが、その使い方は間違っていると思う地の文です。
「そうではありません」
樹里は笑顔全開で否定しました。
「もしかして、なぎさの小説の映画に出るの? だから私の映画には出られないのね?」
美紗はムッとして立ち上がりました。妄想劇場が開幕するようです。
「そういう事? よくわかったわ。ここまで育ててあげた恩も忘れて、そういう事をするの? よくわかったわ」
樹里は貴女には育てられていないと思う地の文です。
美紗はプイと顔を背けると、応接間を出て行きました。
「大村様、お待ちください」
樹里は美紗を呼び止めようとしましたが、美紗はそのまま玄関を出て、上から目線のリムジンに乗り、邸を去ってしまいました。
「二度と来るな!」
弥生が一升枡いっぱいの塩を撒きました。
樹里は悲しそうな顔になり、携帯を取り出しました。
その様子にハッとする弥生です。
「旦那様、少しよろしいでしょうか?」
樹里は五反田氏に連絡しました。心配そうに樹里を見る弥生です。
そして、翌日の夜です。
テレビ夕焼にある記者会見場は大勢のメディアの人間でごった返していました。
雨後の筍のように配置されたたくさんのマイクが長いテーブルの上にあります。
その向こうに並んで座っているのは、高速揉み手のプロデューサーと五反田氏と樹里の所属事務所の社長の山村豪氏と樹里です。
何故か魂の抜け殻のような顔のプロデューサーです。山村氏も憂鬱そうです。
「軽井沢の別荘のローンが子だくさん……」
焦点の合わない目で、意味不明な事を呟いています。
「今日はどんな会見ですか?」
某新聞社の記者が尋ねました。すると五反田氏が、
「御徒町樹里本人から話しますので、ご静粛に」
ざわついていた場内がまさに水を打ったように静まり返りました。
樹里はスッと立ち上がり、
「本日をもって、女優を辞めて、普通のメイドに戻らせていただきます」
場内は再び騒然となりました。五反田氏も立ち上がり、
「お静かに! これはもう我々で話し合った結果なので、覆される事はありません」
週刊誌の記者が興奮気味に、
「では、今後一切芸能活動はされないという事ですか?」
「そういう事です」
山村社長が応じました。プロデューサーはまだブツブツ呟いています。
「但し、現時点で販売されている商品に関しましては引き続き契約を続行し、完売次第打ち切りに致します」
五反田氏は有無を言わせない鋭い目つきで記者達を見渡しました。
「以上です。口頭の質問は受け付けません。文書で事務所宛にお願い致します」
山村社長が言いました。それを合図のように樹里は五反田氏に促され、会場を後にしました。
「燃え尽きたよお……」
誰もいなくなった会場でまだブツブツ言っているプロデューサーです。
樹里は五反田氏の車でアパートまで送ってもらいました。
「お帰り、樹里。本当にいいのか? 俺は構わないんだぞ」
辛うじてもう一度出られた左京です。眠そうな瑠里を抱いています。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。そして、
「でも、私にはもっと大事な事があるんですよ、左京さん」
左京は樹里の謎めいた言葉にキョトンとしました。
「もっと大事な事?」
樹里はスッと左京にキスをして、
「赤ちゃんができました」
その言葉に号泣する左京です。
めでたし、めでたし。