樹里ちゃん、メイド探偵の撮影にゆく
御徒町樹里は世界に躍進する五反田グループの創業者である五反田六郎氏の邸の専属メイドで、今や映画の掛け持ちをする程の人気女優でもあります。
今日は、上から目線作家の大村美紗原作である「メイド探偵は見た ご主人様、お別れの時です 前編」の撮影の日です。
欲と二人連れの高速揉み手のプロデューサーが悔し涙を流したという事件の後、メイド探偵の劇場版は脚本を大幅に書き換えられ、前編という設定に変更になりました。
樹里が出ないはずだった最終話ですが、美紗の我が儘で急遽樹里が主役に復帰し、最後の推理を見せる展開になりました。
五反田氏の強力な推薦で、脚本は、今を時めく天才シナリオライターの工藤新太郎に依頼しました。
そのせいで、今までとは全く毛色の違う作風になってしまったのは内緒です。
「メイド探偵が滝に落ちて行方不明になって終了したら、もう二度と続きは書きません」
美紗は記者会見で公言しました。
「次の構想はもうできていますので」
悪い魔女のような顔の美紗が言いました。
「また悪口が聞こえるわ」
美紗がそう呟いたのを隣に座っているプロデューサーははっきり聞きましたが、無視しました。
「どんなお話か、少しだけ教えていただけませんか?」
芸能記者の一人が尋ねました。すると美紗は今年一番の上から目線で、
「今度は海が舞台になります。それ以上は言えません」
唖然とする記者達です。
(絶対あれに乗っかった話だろ……)
誰もが某公共放送の連続テレビ小説を思い浮かべていました。
確実にそうだと思う地の文です。
「そうなんですか」
記者会見にも出席した樹里は、それでも笑顔全開でした。
そして、お話は撮影現場に戻ります。
姪の船越なぎさが出演していないので、上機嫌で現場に来ている美紗です。
「どうですか、撮影は順調ですか?」
美紗は記録更新となる上から目線で監督に尋ねました。
「ええ、さすが皆さん、もう阿吽の呼吸で見事な演技なので、順調過ぎるくらいですよ」
監督はニコニコして美紗に言いました。
美紗のお陰でもう一作映画が撮れるので、もっと煽てて次も監督にしてもらおうという魂胆が見え見えだと思う地の文です。
「ばらすな!」
何でも喋ってしまう口の軽い地の文に監督が切れました。
「そうなんですか」
でも、聞いていたのは樹里だけなのでホッとする監督です。
既に美紗は、今回の敵役である女優の貝力奈津芽と話していました。
今、樹里の所属事務所「オッカー」が一押しの若手女優です。
「樹里さん、勉強させてもらいます」
早速樹里に媚を売る奈津芽です。若いのに賢しいと思う地の文です。
「そんなつもりはありません!」
奈津芽はつり目を更に吊り上げて地の文に切れました。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開です。
「樹里さん、奈津芽さん、本番、お願いします」
助監督が言いました。
「はい」
樹里と奈津芽はカメラの前に立ちます。
(次の大村先生の作品の主役は私よ、樹里さん)
奈津芽はまるで美紗のような顔でニヤリとしました。
「また私の悪口が聞こえた気がするわ」
美紗は不満そうに腕組みをして呟きました。
撮影は快調に進み、お昼休みになりました。
「監督、差し入れのお弁当が届きましたよ。上場園の焼き鳥弁当です」
スタッフが大きな段ボール箱を抱えて言いました。
「おお! 凄いね! 上場園の焼き鳥弁当と言えば、差し入れの横綱だよ」
監督ばかりではなく、美紗も奈津芽も嬉しそうです。
「どなたが差し入れしてくれたのかね?」
監督は段ボール箱の中を覗き込んで尋ねました。
「船越なぎささんですよ」
スタッフが答えると、
「ひいい!」
途端に引きつけを起こす美紗です。監督がギョッとして美紗を見ました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「へえ、船越先輩が」
奈津芽は美紗となぎさの事を知らないので美紗の異変に気づいていません。
「わ、私、ちょっと気分が悪いので、車で休んでいますわ」
なぎさの差し入れを食べたくない美紗は、そう告げると、撮影現場を離れようとしました。
「やっほー、樹里! 差し入れ、届いてる?」
そこへお約束通り、なぎさが登場しました。
「ひいいい!」
更に引きつける美紗です。なぎさは美紗に気づき、
「ああ、叔母様、今日は現場に来ているのね。珍しいね」
何の他意もなく声をかけました。
「ひいい! なぎさ、なぎさ……」
とうとう美紗は目眩を起こして倒れてしまいました。
「ああ、叔母様、どうしたの?」
「大村先生!」
「美紗様!」
一同が美紗に駆け寄りました。
「ひいい!」
美紗は更に引きつけています。
「叔母様、しっかりして!」
なぎさが折れ曲がった美紗の身体を伸ばし、仰向けに寝かせました。
「気道確保」
なぎさは人工呼吸をしました。
「はっ!」
美紗が意識を回復しました。
「良かった、叔母様」
視界になぎさの顔があったので、
「ひいい!」
また気を失ってしまう美紗です。それが三回繰り返されたのは内緒です。
「小説の主人公を書くために看護師の資格を取ったのよ」
なぎさは照れ臭そうに言いました。そんな簡単に取れるはずがないと思うフィクションを理解できない地の文です。
「なぎささん、すごいですね」
樹里は笑顔全開で感動していました。
めでたし、めでたし。