樹里ちゃん、神戸蘭を祝福する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
そして、日本でも有数のママタレでもあります。
タレが付いていても、「バカタレ」とか「あかんたれ」とかとは違います。
子育てしながら、テレビドラマもこなす人という意味です。
「そうなんですか」
樹里が地の文の説明に笑顔全開で応じます。
心なしか顔が赤い地の文です。変態でしょうか?
やめてください。
自分で自分に突っ込むというお笑いの高等技術を駆使する地の文です。
今日もまた、樹里はいつものように愛娘の瑠里を抱いて出勤します。
不甲斐ない夫の杉下左京は、ご近所の猫を探しに出かけて昨日から戻っていません。
ですから、今日は出番はない左京です。
「うるせえ!」
声だけ出演してもらいました。
「そうなんですか」
そんな声だけ出演の左京にも笑顔全開の樹里です。
そして、無事に樹里は五反田邸に着きました。
今日も陰ながら樹里を護衛していた親衛隊の皆さんですが、甲冑を着込んでいる隊長の昭和眼鏡男は、梅雨の晴れ間の暑さに堪え切れず、救急車で搬送されてしまいました。
「申し訳ありませんでしたと伝えて欲しいとの事でした」
隊員の一人が涙ながらに樹里に敬礼して報告しました。
「そうなんですか」
樹里はそれも笑顔全開で応じました。眼鏡男も浮かばれる事でしょう。
「樹里さん、おはようございます」
そこへ住み込みメイドで最近色気づいていると噂の赤城はるなが走って来ました。
「うるさいわね!」
何故か顔を赤らめて切れるはるなです。どうやら図星のようです。
「ち、違うわよ!」
更に慌てふためいて否定するはるなです。
「樹里さん、警視庁の神戸蘭警部がお見えです」
はるなは辺りを窺いながら小声で言いました。
「そうなんですか」
樹里はいつもと同じトーンで応じました。
元泥棒のキャビーであるはるなは、元怪盗ドロント特捜班の蘭が怖いのです。
「応接室にお通ししました。気をつけてくださいね」
はるなはまた小声で言うと、サッと駆け去りました。
「そうなんですか」
樹里はもう一度笑顔全開で応じると、邸の玄関に向かいました。
五反田氏の愛娘の麻耶の家庭教師である有栖川倫子は実は怪盗ドロントです。
最近はすっかり本業から手を引き、麻耶の家庭教師に専念しています。
部下の一人であったヌートも、医師の黒川真理沙として住み込みで働いています。
二人は倫子の部屋で円卓を囲んで会議中です。
「今、樹里さんが来ました!」
はるなが駆け込んで来ました。
「そう。神戸警部は樹里ちゃんに用があると言ったのね?」
倫子が真剣な眼差しで尋ねます。
「はい、そうです」
はるなは呼吸を整えながら応えました。
「もう少し様子を見ましょうか。こちらに仕掛けて来るつもりなら、それ相応の対処をしないといけないわ」
倫子は真理沙とはるなを見て言いました。
「はい」
真理沙とはるなは頷いて応じました。
「貴女は接客を装って神戸警部を監視しな……」
倫子ははるなにそう言いかけて、
「ごめん、はるな。足を洗いなさいと言いながら、また貴女を使おうとしてしまって……」
と詫びました。はるなは倫子が頭を下げたのを見て天変地異の前触れかと思いました。
「思わないわよ!」
その通りだったので、酷く動揺しながら否定するはるなです。
「そんな、気にしないでください。私にできる事はしますから」
はるなは微笑んで応じ、部屋を出て行きました。
「首領、考え過ぎかも知れませんよ」
真理沙が言いました。倫子は腕組みして、
「かも知れないけど、備えはしないとね」
「ええ……」
真理沙は悲しそうに応じました。彼女もまた泥棒稼業から足を洗いたいのです。
樹里は応接室で蘭と顔を合わせていました。
「瑠里ちゃん、大きくなったわね、樹里」
蘭は微笑んで瑠里を覗き込みますが、瑠里がいきなり泣き出したので、ビクッとして後退りました。
「お腹が空いたのですね」
樹里は素早く授乳を開始しました。その手際の良さに蘭は感動しました。
「いいわね、赤ん坊って……」
蘭はおっかなびっくり瑠里に近づいて言いました。
「蘭さんも赤ちゃんが欲しいのですか?」
樹里は笑顔全開で尋ねます。
「ええ、もちろん。貴女のお母さんが四十歳を過ぎて出産したのを聞いて、私にもまだ望みはあると思ったの」
蘭は自分を見て微笑んでくれた瑠里にホッとして樹里を見ます。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で蘭を見ました。
「それで、私もようやく身を固める事になったので、是非あなた達に式に出席してもらいたいの」
蘭はいつになく含羞んだ顔で言いました。
全然似合っていないのでやめて欲しいです。
「うるさいわね!」
思った事を正直に言ったまでの地の文に蘭は切れました。
「これが招待状よ。左京と二人、いえ、瑠里ちゃんと三人で出席してね」
蘭は樹里に金の縁取りがされた封筒を手渡しました。
「おめでとうございます。必ず出席しますね」
樹里は笑顔全開で応じました。
「ありがとう」
蘭は嬉しそうに笑い、帰って行きました。
蘭を見送ってから、樹里は招待状を開きました。
「樹里さん、神戸警部はどうされたのですか?」
様子を窺っていたはるなが玄関に来て尋ねます。
「大変な事がわかりました、はるなさん」
樹里が振り返って言いました。
「え?」
樹里が真顔なのでギクッとするはるなです。
(な、何、この緊張感は?)
嫌な汗があちこちからしこたま出るはるなです。
倫子と真理沙が廊下の角で二人の様子を見ています。
「どうしたのかしら?」
倫子は真理沙と顔を見合わせました。
「蘭さんの式とありささんの式が同じ日の同じ時間なのです」
樹里の言葉にはるなは思いきりコケました。
でもロビーなので警備員さんにはパンツは見られませんでした。
唖然とする倫子と真理沙です。
「どうすればいいと思いますか?」
樹里ははるなに尋ねましたが、すでにはるなは遠い世界に行ってしまっていて、樹里の声が聞こえていませんでした。
めでたし、めでたし。