樹里ちゃん、左京を叱咤する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
先日、五反田氏を逆恨みするあまり、拘置所の中から部下に命じて五反田氏の爆殺を目論んだガマガエル似の元大富豪の渋谷栄一でしたが、樹里の愛娘の瑠里の無意識の活躍で失敗に終わりました。
「必ず復讐してやるぞ!」
拘置所で不毛な叫び声を上げる渋谷ガマガエルです。
「誰が両生類だ!」
渋谷は地の文に切れました。
五反田氏は樹里の行動に非常に感銘を受けました。
奥さんの澄子さんと娘の麻耶は涙を流して樹里に感謝しました。
「樹里さん、貴女の命は貴女だけのものではないのよ。瑠里ちゃんのためにも、もうこんな無茶はしないでね」
澄子さんが涙を拭いながら言いました。
「承知致しました」
樹里は笑顔全開で頭を下げました。決してあの人の台詞を真似た訳ではありません。
「瑠里ちゃんも良かったね、ママが無事で」
ベッドではしゃぐ瑠里をあやしながら、麻耶が言いました。
「今後このような事態に陥らないように邸の警護態勢を強化する事にした。だから安心して仕事を続けて欲しい」
五反田氏は使用人をロビーに集めて言いました。
「樹里さん、何かあったら、すぐに私に連絡してくださいね」
住み込みメイドの赤城はるなは、爆弾騒ぎがあった当日、呑気に恋人の目黒祐樹と横浜のデートスポットでいちゃついていたのを恥じていました。
「い、いちゃついてなんかいないわよ!」
はるなは地の文の鋭い指摘に酷く狼狽して反論しました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「私達も旦那様に申し出て、常駐する事にしたわ」
有栖川倫子こと怪盗ドロント、黒川真理沙ことヌートも五反田邸に住み込む事にしたようです。
それを知って、麻耶は大喜びです。
「わーい、有栖川先生と一緒に寝たい、お母さん」
麻耶は早速無理なお願いを澄子さんにしています。
倫子はそれを苦笑いして聞いています。
「首領は歯軋りが酷いから、一緒に寝ない方が麻耶様のためですよね」
はるながこそっと真理沙に言います。
「そ、そうかしら?」
真理沙は倫子が睨んでいるのを見て顔を引きつらせて言いました。
はるなは深夜に鞭でしばかれるでしょう。
「そんな事するか!」
地の文の勝手な妄想に倫子が切れました。
五反田氏は、警備員の数を現在の十倍に増やし、邸の周囲の塀を五メートルから十メートルに改修し、監視カメラの数を増やし、性能をアップさせる予定です。
そして玄関には金属探知機を設置し、不用意に不審物が持ち込まれないようにするようです。
「もう金融機関並みの警備ね」
倫子が溜息混じりに言います。
「ええ。でも、今までがあまりに緩慢過ぎたのだと思いますよ。何しろ、五反田グループは日本の経済の一翼を担っているのですから」
真理沙が難しい言葉で話したので、はるなは理解できませんでしたが、頷いています。
「うるさいわよ!」
地の文の独善的な判断にはるなは切れました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。しかも授乳中なので、倫子と真理沙が驚きます。
(樹里ちゃんに慣れてないお二人は、驚くわね)
元キャビーのはるなは苦笑いしました。
やがて、樹里は仕事を終え、帰宅する事になりました。
「お送りします、樹里さん」
樹里と瑠里が心配なはるなが申し出ましたが、
「夫が迎えに来ているので大丈夫ですよ」
樹里は笑顔全開で断わりました。
「そうなんですか」
思わず樹里の口癖で応じるはるなです。
(杉下左京さんでは、余計心配なんだけど)
はるなは思いました。
「樹里」
はるなに心配されているとも知らず、左京は邸の前に車を乗りつけて樹里を待っていました。
「左京さん」
樹里と瑠里は同じ笑顔で左京に近づきます。左京は車を降りて辺りを警戒します。
「どうしたんですか、左京さん?」
キョロキョロする左京を樹里が不思議そうに見つめます。
「不審者がいないかと思ってさ」
左京は暗くなりかけた通りの路地裏を懐中電灯で照らしています。
どちらかと言うと、左京が不審者に見えます。
「うるせえ!」
左京は地の文の的確な表現に切れました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じながら、瑠里を後部座席のベビーシートに寝かせます。
「よし、大丈夫だ」
左京は指差し確認をして運転席に乗り込みます。
「準備はいいか、樹里?」
アクセルに足をかけて、左京が尋ねます。
「いいですよ」
後部座席でシートベルトを着け、樹里が笑顔全開で応じます。
左京はルームミラー越しに樹里を見て、車をスタートさせました。
「樹里、すまないな」
左京が急に謝りました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開です。左京は項垂れかけますが、
(こいつはそういう奴なんだよな)
何とか踏み止まり、
「俺が不甲斐ないばかりに、樹里を危険な目に遭わせてしまってすまない」
「そうなんですか?」
樹里は首を傾げています。左京はそれでもめげずに、
「これからはもっと努力して、お前の負担を少しでも減らすから、もうしばらく辛抱してくれ」
すると樹里はニコッとして、
「何を言っているんですか、左京さん。私は辛抱なんてしていませんよ」
「え?」
左京はミラー越しに見える樹里の笑顔にドキッとしてしまいます。
中学生みたいに赤くなる左京です。
「何だよ、その例えは!?」
左京はまた切れました。
「左京さんと結婚して、一日も辛い日なんてありませんでしたよ。私は毎日幸せです」
樹里の言葉に左京は涙ぐみそうになります。
「ですから、自分の事を不甲斐ないとか言ってはダメですよ、左京さん」
「樹里……」
左京はもう泣きそうです。
「頑張ってくださいね、パパ」
樹里は瑠里に顔を近づけ、二人でミラー越しに「パパ」を見て言いました。
「うん」
左京はアパートに帰ってから、樹里に隠れて男泣きしました。
めでたし、めでたし。