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樹里ちゃん、危機一髪

 俺は杉下左京。五反田駅前に事務所を構える私立探偵だ。


 そんな一等地にあるにも関わらず、全く仕事はうまくいっていない。


 口さがない連中は俺の事を「ヒモ」と呼ぶ。


 確かに愛する妻の樹里に養われているのも同然なので、反論する事ができない。


 


 今日もまた、樹里は愛娘の瑠里をベビースリングで抱き、日本有数の大富豪である五反田氏の邸に出勤する。


 ここのところ、テレビドラマの撮影や映画の撮影で大忙しだった樹里に代わり、俺は家事全般をこなした。


 もう俺の事を「ヒモ」とは言わせたくないが、


「ますますヒモの人生に拍車がかかって来たね、左京」


 久しぶりに街で顔を合わせた腐れ縁の宮部ありさに言われてしまった。


 確かにありさの言う通りだ。


 家事全般をできるようになったからといって、俺が稼げるようになった訳ではない。


 結局、樹里が五反田邸からいただく給料に助けられている事には変わりはない。


 何とも情けない話だ。


 俺は気分が滅入って来たので、事務所に行くのをやめようかと思ったが、樹里のお姉さんの璃里さんが来てくれる事になっているので、そうもいかなかった。


「そんな事言って、樹里ちゃんがいないのをいい事に、璃里さんとお近づきになろうって思ってるんでしょ?」


 またしてもありさが俺の妄想に割り込んで来る。


「何でお前は俺が考えている事がわかるんだよ?」


 俺はムカついたので、ありさに詰め寄った。するとありさは、


「決まってるじゃない、地の文様に教えてもらったからよ」


とドヤ顔で意味不明な事を言い出した。


 こいつは普段から挙動不審な女だが、今日はそれに輪をかけておかしい。


 元同僚の脱獄囚顏のバ加藤と付き合うようになって、精神的に追いつめられたのだろうか?


 俺は尚も意味不明な事を言い続けるありさを放置して、事務所に向かった。


 


 事務所のドアを開くと、


「おはようございます、左京さん」


 璃里さんが樹里と寸分違わぬ笑顔で挨拶してくれる。


 確かに璃里さんは樹里と違ってそこはかとない色気もあり、素敵な女性だが、何にしても樹里のお姉さんだし、樹里と瓜二つだから、絶対に変な気にはならない。


「どうしたんですか、左京さん? 元気ないですね?」


 自分の机に着いて、深刻な顔でそんな事を考えていたら、璃里さんが俺の顔を覗き込んで来た。


「あ、いえ、そんな事はないです。大丈夫です」


 俺は作り笑顔で璃里さんに応じた。


 璃里さんの顔が目の前にあったので、鼓動がいつになく速くなったのは内緒だ。


「そうですか。それなら良かったです」


 璃里さんはまた樹里と全く同じ笑顔で言った。


 何だか余計気持ちが落ち着かない。


 その時、まるで俺の動揺を見透かすかのように電話が鳴った。


「お電話ありがとうございます、杉下左京探偵事務所です」


 目の前に電話がある俺より早く、璃里さんは自分の机の上の電話の受話器を取っていた。


(すごい……)


 俺が尊敬の眼差しで璃里さんを見ていると、


「どういう事ですか?」


 璃里さんが真顔になった。


 この顔は樹里は滅多に見せない顔だ。


 璃里さん、まさしく「凛々しい」顔だ。


 別に「うまい事言った」なんて思っていないからな!


「わかりました。情報提供、ありがとうございます」


 璃里さんは受話器を戻すとゆっくり俺を見た。


 思わず唾をゴクリと飲み込んでしまう。


「左京さん、今の電話は、樹里の親衛隊を自称する人からでした」


「親衛隊?」


 いや、そこには食いつかなくていいだろう。


 樹里には居酒屋時代から熱狂的なファンというより、ある意味信者と言った方が正解の連中がいる。


 その中でも取り分け異常なのが「樹里様親衛隊」なのだ。


 何しろ、樹里のためなら命も惜しくないというツワモノ達なのだ。


 俺以上に樹里を愛していると言っても過言ではないくらいだ。


 それを認めてしまう俺もどうかと思うが。


「彼ら独自の情報網に気になるワードがヒットしたそうなんです」


「気になるワード?」


 俺は鸚鵡返しにしか話していないのに気づき、軽く落ち込みそうだ。


「はい。五反田邸、爆弾、宅配、だそうです」


「爆弾!?」


 俺は驚愕した。今まで樹里は何度も渋谷栄一という欲と二人連れのジジイが雇った殺し屋に命を狙われた。


 またそいつなのか? しかし、渋谷は今裁判中でそんな事はできないはずだ。


「彼らの超絶的な情報網によると、先日逮捕された渋谷栄一の息のかかった者達が動き出したらしいのです」


 理理さんはすっかり警察キャリアの顔になっていた。


 俺もそれに触発されて、警視庁の刑事の顔に戻りつつあった。


「彼らの話によりますと、すでに渋谷の配下は五反田邸に爆弾の入った荷物の配達を完了させたようです」


 璃里さんの話が終わらないうちに、俺は事務所を飛び出していた。


「待って、左京さん」


 璃里さんが追いかけて来た。


 璃里さんにとっても、樹里は妹。


 いや、過ごして来た時間を勘案すれば、俺より璃里さんの方が心配なはずだ。


「左京さん、私が代わりに運転しますね」


 動揺し過ぎの俺は、車のエンジンのかけ方もわからなくなってしまっていて、璃里さんに迷惑をかけた。


 


 五反田邸に向かいながら、璃里さんは話を続けた。


 樹里親衛隊はすぐさま爆弾に詳しいメンバーを選定し、五反田邸に向かわせたという。


 どんな組織なんだ、そいつらは?


「その人、以前に左京さんに目覚まし時計を送った人らしいですよ(樹里ちゃん、左京を救う?参照)」


 璃里さんが教えてくれたが、俺には全く覚えがない。


 ある意味幸せなのだろう。


 


 間もなく車は五反田邸に到着した。


 邸の庭にはたくさんの警察車両があり、玄関前には元同僚の神戸かんべらんとその恋人の平井拓司警部補もいた。


 こんな時に限って、あの元泥棒のメイドはいないらしい。


「左京!」


 蘭が俺達に気づいて走って来た。


「どうなんだ、蘭?」


 俺は心臓が肋骨を打ち破って飛び出しそうなのを感じながら、勇気を振り絞って尋ねた。


「爆弾の処理はまだ完了していないわ。とにかく、現場に行って樹里を説得して」


 蘭の奇妙な言葉に俺は璃里さんと顔を見合わせた。


 


 爆弾があるのは、どうやら五反田氏の書斎らしい。


 宅配業者になりすました渋谷栄一の配下が樹里に爆弾入りの小包を渡した。


 何も知らない樹里はそれを持って五反田氏の書斎に行き、小包を書斎の机の上に置いた。


 するとそこへ俺を爆殺しようとした樹里信者の一人が駆けつけ、爆弾が入っている事を告げた。


「そうなんですか」


 聞かなくてもわかる樹里の反応だ。




 信者は樹里から小包を受け取り、爆弾の解体にかかった。


 ところがそれが複雑を窮めた造りになっており、解体は困難を窮めた。


 爆弾は時限爆弾でもあり、残りの時間がすでに五分を切っていると言う。


「その状況でどうして樹里が現場から離れられないんだ?」


 俺は書斎に向かいながら、蘭に尋ねた。


「どんな仕掛けなのかわからないんだけど、樹里が爆弾から離れようとするとタイマーの動きが加速するらしくて」


「じゃあ、取り敢えず離れちまえばいいだろう!?」


 何故その単純な事ができないんだ? 不思議で仕方がなかった。


「私もそう思って、樹里に書斎を離れるように言ったんだけど、『旦那様の書斎に私がお荷物を持ち込んだせいですから、離れる訳にはいきません』て言ってさ……」


 蘭は涙ぐんでいた。


「樹里!」


 それを聞き、俺は速度を上げ蘭と璃里さんともう一人の誰かを置いて書斎に向かった。


「左京、書斎はこっちよ」


 しかし、書斎の場所がわからない俺が先頭を走るとそんなものだった。


 


 五反田邸、いくら何でも広過ぎるぞ!


 書斎に到着した時、俺はもう息も絶え絶えだった。


「皆さん、もう離れてください。残り時間はあと一分を切りました!」


 俺を爆殺しようとしたらしい奴が顔中に汗を掻いて叫んだ。


「樹里!」


 俺は最後の瞬間まで樹里のそばにいると決めたので、躊躇ためらう事なく彼女に駆け寄った。


「左京さん!」


 樹里はいつものように笑顔で俺を迎えてくれた。


「もう三十秒ですよ、早く逃げてください!」


 信者が叫ぶが、誰も逃げようとしない。


 俺と樹里はもちろん、信者も璃里さんも蘭もそして誰だかわからなくなった一人の男も、微動だにしなかった。


「お前、何で逃げない?」


 俺は信者に愚問をぶつけた。すると信者は、


「樹里さんと一緒に死ねるのなら、本望です」


と言い、敬礼した。俺は不覚にも泣きそうになった。


「え?」


 今、見覚えのある姿が俺の前を横切って……。


「だあ!」


 視線を動かすと、そこには俺と樹里が何を犠牲にしても守りたい存在の瑠里がいた。


「瑠里!」


 俺は仰天して瑠里に近づいた。一体いつの間に?


 乳飲み子がどうしてここまで来られたんだ?


 それに手に持っているのは何だ?


 瑠里は爆弾から何かを外して、嬉しそうに振り回していた。


「あ、あ、あ!」


 信者が妙な声を発していた。


「と、止まっています! 爆弾が、止まっていますゥ!」


 信者はタイマーを覗き込んで絶叫した。


「瑠里!」


 俺と樹里はほぼ同時に瑠里に駆け寄り、抱き上げた。瑠里は嬉しそうに爆弾の部品を振っていた。


 俺も樹里もバカだ。可愛い瑠里を置いて、自己満足で一緒に死のうとした。


 親失格だ……。すまない、瑠里。


 


 しばらくして、警視庁の爆発物処理班が停止した爆弾を回収して行った。


 役に立たない連中だ。


 結局爆弾を止めたのは、零歳児の瑠里だぞ。


 とは言え、危機一髪だった。


 瑠里がたまたま引っこ抜いたのが、起爆装置を作動させるための信管の一部だったらしい。


「そう言えば、瑠里、はいはいができるようになったのね」


 落ち着きを取り戻した璃里さんが微笑んで言った。


「ああ、そう言えば……」


 俺は改めて瑠里を見た。


 瑠里は樹里のおっぱいを飲んでいた。


 って、おい! よくこの状況で授乳できるな、樹里?


「そうなんですか」


 樹里は笑顔全開で俺を見た。


 それにしても、本当に良かった、みんな無事で……。


 


 めでたし、めでたしだ。

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