樹里ちゃん、映画の舞台挨拶をする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
その上、テレビの推理ドラマや映画にも出演する女優でもあります。
そのせいで肩身の狭い思いに拍車がかかっている不甲斐ない夫の杉下左京です。
「樹里ー!」
台詞もそれしかありません。
「ううう……」
項垂れて退場の左京です。
このお話の本来の主人公は彼なのに活躍の場が少ないと思う地の文です。
「そう思うなら、もっと俺を出してくれ!」
左京は何の権限もない地の文にすがりました。
「惚けるなよ! 地の文て、作者なんだろ?」
それはお答えしかねます。
「ふざけるなー!」
左京は血の涙を流して地の文に切れました。
今日は「メイド探偵は見た ザ・ムービー」の初日舞台挨拶の日です。
樹里達出演者は、都心の大きな映画館で挨拶をする事になっています。
その情報をある筋から入手したあの昭和眼鏡男達ほか樹里親衛隊五名は、映画館の前に一週間前からテントを張って泊まり込み、映画館があるビルの管理者の通報であえなく前日に警察に連行されました。
「俺達死すとも樹里様は死せず!」
意味不明の雄叫びを上げて護送車に押し込まれる眼鏡男達です。
それでも警察の目を逃れた一部の樹里信者達は各所に潜み、ネットでライブ中継を続けました。
いよいよ樹里達が映画館に到着し、沿道のファン達はヒートアップします。
あまりにも熱くなり過ぎ、上から目線の原作者の大村美紗にまで声援を送ってしまったうっかりさんもいました。
上映後に予定されている反省会で追及される事でしょう。
樹里信者は樹里以外のファンになる事を厳禁されています。
それが嫌なら退会という厳しいペナルティが待っているのです。
かと言って、会に所属していても何もいい事はないのは内緒です。
彼らは純粋に樹里のファンなのです。
一部に「瑠里ファン」も現れ始め、
「それは犯罪になるからやめよう」
という呼びかけがあったそうです。
外もファン達で熱いですが、中も熱いです。
圧倒的と思われた樹里信者に対抗するように船越なぎさ信者が台頭して来たのです。
こちらも筋金入りのマニアです。
彼らは「平成の奇跡」と呼ばれたなぎさの運転免許証のコピーをかたどったファンクラブの会員証を持っています。
なぎさの個人情報の漏洩が心配な地の文です。
ちなみになぎさはペーパードライバーです。
二大勢力にすっかり気圧され、新人メイド役の稲垣琉衣のファンとごく少数の高瀬莉維乃ファンは隅っこの方で大人しくしていました。
そして特別席に陣取るのは、五反田グループが送り込んだ「麻耶ちゃんファン倶楽部」の面々です。
平均年齢が三十三歳というのが少し怖い感じがします。
一歩間違えるとロ○コン団体です。
麻耶の同級生達は警備の都合上入場できないのです。
それでは麻耶ちゃんが可哀想だという五反田グループの有志達が急遽結成したのが「麻耶ちゃんファン倶楽部」なのです。
当人の麻耶はそれを聞いて苦笑いしたそうです。ありがた迷惑なのでしょう。
上映三十分前になり、樹里達出演者と原作者の大村美紗が演壇に姿を見せると、ファン達のボルテージが最高潮になります。
「樹里ちゃーん!」
「なぎさちゃーん!」
「琉衣ちゃーん!」
「莉維乃さーん!」
「麻耶ちゃーん!」
「美紗さーん!」
何故か名前を叫ばれて、いつになくご機嫌な美紗です。
(今度は私も出演しようかしら?)
上から目線で手を振りながらよからぬ事を企む美紗です。
でも、近くにいるなぎさとは目を合わせていません。
美紗にとってなぎさは「蛇女メデューサ」と同じなのでしょう。
「おお!」
場内がどよめいたのは、樹里がいつの間にか授乳をしていたからでした。
「樹里さん、授乳は挨拶が終わってからにしてください」
司会の女性が慌てて言いました。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開で、信者達は雄叫び全開で、そのせいで幾人かが警備員さんにつまみ出されました。
「では、主演のお二人からメッセージをどうぞ」
司会の女性に言われ、樹里となぎさがマイクの前に待ちます。
「おお!」
また樹里が授乳中なので場内がどよめきます。
項垂れる司会者です。もう彼女には何も言う気力がありません。
「メイド探偵は見た ザ・ムービーは只のテレビドラマの延長ではありません」
なぎさが恋人の片平栄一郎が出すカンペを読みます。
「皆さんにお金を払って損をしたと思われない内容になっています。最後まで楽しんでください」
樹里はカンペなしで言いました。でも授乳中です。
場内が万雷の拍手で揺れます。
樹里となぎさはお辞儀をし、下がりました。
そして最後は全員で手を重ねて宣伝用の写真撮影です。
美紗はなぎさと手が重なって失神寸前ですが、見守る五反田氏の手前頑張りました。
自分で自分を誉めたい美紗です。
「映画、ヒットするといいね、樹里」
なぎさが言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
めでたし、めでたし。