樹里ちゃん、大物推理作家からドラマの台本を受け取る
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドにして、今や母親の由里の夫である西村夏彦氏の経営する居酒屋の厨房とフロアの係でもあります。
今日も樹里は、もうすぐ生後四ヶ月の瑠里をベビースリングで抱き、出勤です。
「おはようございます、樹里さん!」
恋人の目黒祐樹と順調の赤城はるなが元気よく挨拶しました。
「おはようございます、はるなさん」
樹里は笑顔全開で応じました。
「いい事があったみたいですね、はるなさん」
樹里が言いました。するとはるなは耳まで赤くなり、
「いえ、その、あの、えーと、そんな事ないです」
「そうなんですか」
樹里はそれでも笑顔全開で言いました。
(何がそうなの、樹里ちゃん?)
意味がわからないはるなです。
いつものように樹里は瑠里に授乳をすませてベビーベッドに寝かせ、仕事開始です。
朝食の片づけをし、邸中の掃除を始めます。
(何か胸騒ぎがするのは何故?)
はるなはふとそう思いました。
その時、インターフォンが鳴ります。
樹里はキッチンに設置された受話器に出ました。
「いらっしゃいませ、大村様」
キッチンのインターフォンのモニターに映ったのは、上から目線の推理作家の大村美紗です。
今日はまだ冬休み中の娘のもみじも一緒です。
「ご機嫌よう、樹里さん。今日は貴女を出演させてあげるドラマの台本ができ上がったので、お持ちしましたのよ」
美紗は相変わらずの上から目線で言いました。
「そうなんですか」
樹里はそれでも笑顔全開です。
玄関で美紗ともみじを出迎えた樹里は、応接間に二人を案内しました。
美紗が苦手なはるなは、紅茶の用意をしています。
「はるなさんも出番があるそうですよ」
あまりに意外な樹里の言葉にはるなは目を見開いて驚きました。
(何を企んでいるんだ、あのババアは?)
不審に思いながら、はるなは樹里について応接間に行きました。
「あら、愛さんもいらしたのね。ちょうど良かったわ」
はるなが入って行くと、美紗は早速名前を言い間違えます。
(このクソババア……)
はるなは顔で笑って心で罵りました。
「お母様、その方は赤城はるなさんよ。お名前を間違えたら失礼よ」
もみじが美紗に言いました。
「あらそうなの。ごめんなさいね、はるなさん」
美紗は上から目線で言いました。その顔は謝っているようには見えません。
「いえ、お気になさらず」
はるなは作り笑顔で応じました。
(早く帰れ、ババア!)
心の中では激怒しているはるなです。
美紗はもみじに持たせたバッグの中から、ドラマの台本を取り出します。
表紙には「メイド探偵は見た! 合点承知です、ご主人様」と書かれています。
三流のコメディドラマのようです。
「おかしいわね。ここに来ると、いつも悪口を言われているような気がするのよ、もみじ」
美紗は天井を見回しながら言いました。
「そんなはずないでしょ、お母様」
もみじは呆れ顔で言いました。
美紗は気を取り直し、台本を樹里に渡します。
「貴女の出演シーンは全部で二回です。犯人役の俳優さんに紅茶を出すシーンと、犯人の正体がわかって一同が集まるシーンです」
美紗の上から目線が今年最高を記録しました。
はるなは胸が悪くなりました。
(何なのよ!)
美紗は樹里を見て、
「台詞は『紅茶をお持ち致しました』と『誰が犯人なのですか?』だけです」
「そうなんですか」
樹里は相変わらず笑顔全開で言いました。
「それから、愛さん」
美紗はまた名前を間違えましたが、はるなは無視しました。
「はい」
「貴女は樹里さんの隣に立っているだけの誰にでもできる簡単な役で出演しますのよ。光栄でしょ?」
美紗は今年の上から目線記録を更新しました。
世界に通用する「上から目線度」です。
「ありがとうございます」
はるなは深々とお辞儀をし、舌を出します。
「探偵役は誰がするのですか?」
はるなは樹里が見ている台本を覗き込んで尋ねました。
「メイド探偵の役だけは、オーディションをするんですのよ。監督とプロデューサーが審査しますの」
美紗は不満そうに言いました。
「メイド探偵は、私が決めると主張したのですが、スポンサーさんのご意向を取り入れないといけないので、折れるしかありませんでしたわ」
長いものには自ら身を委ねて巻かれて行く美紗です。
スポンサーは五反田グループの系列会社なのです。
五反田氏に取り入りたい美紗が逆らえるはずがありません。
「今日、その審査結果が出るんです」
もみじが言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「そう言えば、オーディションの結果が、テレビで放送されるはずじゃなくて、もみじ?」
美紗が言います。もみじは、手帳をバッグから取り出して、
「ああ、そうね。もうすぐテレビ夕焼で放送されるわ」
「テレビを点けてくださらない、樹里さん?」
美紗はソファにふんぞり返って言いました。自分の家でもないのにです。
「畏まりました」
樹里はリモコンで百インチの液晶テレビを点けました。そしてチャンネルをテレビ夕焼に合わせます。
「あら、ちょうどオーディションの結果発表だわ」
美紗が身を乗り出して言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開でテレビを見ました。
「では、四月から放映される『メイド探偵は見た!』の主役の座を射止めた方を発表致します」
ドラマの監督が紙を見ながら言いました。
美紗ともみじは固唾を呑みます。
樹里は笑顔全開です。はるなはどうでもいい顔です。
「メイド探偵である市原菜々子役を射止めたのは……」
監督はそこで言葉を切って気を持たせます。
某テレビの「ゴチでござんす」のハトリさんみたいです。
美紗は息が止まってしまいそうです。
「船越なぎささんです」
監督の声は、美紗には地獄の門番の声のように聞こえました。
「な、なぎさ? なぎさ? なぎさ?」
美紗はテレビに近づきながら痙攣を起こし、倒れました。
「お母様!」
「大村様!」
もみじと樹里が美紗に駆け寄りました。
(ざまあ見ろ、ババア)
はるなはニヤリとして美紗を見下ろしました。
「やったああ! やったよ、叔母様! 私、頑張ったよ!」
画面の中で大はしゃぎのなぎさです。
「ど、どうしてなぎさが……」
美紗は気絶しながらも、その事が気になっていました。
めでたし、めでたし。