樹里ちゃん、久しぶりにドロントの挑戦を受ける
御徒町樹里は、日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
愛娘の瑠里を連れ、仕事をこなす傍ら、二ヶ月遅れて出産した母親の由里の手伝いもしています。
由里は高齢出産の上、三つ子を産んだのでてんてこ舞いです。
「悪いわねえ、樹里。あんたも大変なのに」
由里は全然そんな事を思っていないような作り笑顔で言いました。
「誰が黒柳○子だ!」
由里は地の文に切れました。問題発言なので、伏字にしてください。
「そうなんですか」
でも樹里は全然気にしていません。
「そう思うのなら、もう少し部屋を片づけなさいよ、お母さん」
樹里の姉の璃里は、もう歩くようになった娘の実里を連れて来ています。
「はいはい。樹里は素直なのに、璃里はうるさいんだから。ねー」
由里は授乳中の三つ子に言いました。
「もう、お母さんたら!」
璃里はムッとしました。
今、その部屋にはほとんど見分けがつかない人間が八人います。
とりわけ、璃里と樹里は、璃里の夫の竹之内一豊氏も、樹里の不甲斐ない夫の杉下左京も見分けるのが困難です。
喋ればすぐにわかるのですが。
「そうなんですか」
樹里は璃里が怒っているのに笑顔全開です。
その時でした。
「オーホッホッホ!」
誰かが笑いました。
セールスマンでしょうか?
「誰が藤子不二雄Aだ!」
声が地の文に切れました。
「その声は、ドロントね?」
璃里が実里を抱き上げて言いました。
「さすが元警察庁のキャリア官僚ね、竹之内璃里さん。そうよ、私は世界的大泥棒のドロント」
ドロントのようです。でも、現れるのは東京界隈だけです。
「うるさわね、いちいち!」
ドロントは地の文に突っ込みました。
今日はさんざんな地の文です。
「何の用ですか?」
璃里は鋭い目になって尋ねました。
「久しぶりに犯行予告よ。十日後の十二月十日午後十一時、大東京博物館にある金のスカイツリーをいただきに参上するわ」
「金のスカイツリー?」
璃里は眉をひそめました。
「じゃあねえ」
ドロントは去ってしまいました。
「それにしても、ここまでドロントに知られているなんて……。対策を左京さんと考えないと」
璃里が思案顔でそう言うと、樹里がジッと璃里を見ます。
「え、どうしたの、樹里?」
璃里が尋ねました。すると樹里は、
「璃里お姉さんは最近左京さんと仲がいいですよね」
「え?」
何故かドキッとしてしまう璃里です。
(樹里、そんな風に思っていたの? 確かに最近、実里を保育所に預かってもらえるようになったから、左京さんの事務所に行く事が多くなったけど……)
「良かったです。左京さん、お姉さんとあまり話さないので、仲が悪いのかと心配していました」
樹里は笑顔全開で危険球を投げて来ました。
「そ、そうなんですか」
思わず樹里の口癖で応じてしまう璃里です。
(何だ、そういう事……)
内心、ホッとする璃里でした。
そして、樹里はアパートに帰ると、左京にドロントの話をしました。
「あの貧乳、亀島が逮捕されるのを待っていたかのように動き出したな」
左京は顎に手を当てて言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「そう言えば、向かいの探偵事務所、いつの間にかなくなっていた。やっぱり、あの水無月葵がドロントだったんだな」
いつになく勘が冴える左京です。
「今度こそ捕まえてやるぞ」
ギュッと右拳を握りしめる左京です。
「瑠里の勝ちですよ、パパ」
ふと見ると、笑顔の瑠里が小さな楓のような右手を差し出しています。
「ああ、パパ、負けちゃったよお、瑠里たん」
左京はデレデレの顔で言いました。瑠里は嬉しそうに笑いました。
左京パパの顔が気持ち悪いです。
「うるせえ!」
左京は地の文に切れました。
そして、犯行予告の日。
港区青山にある大東京博物館は臨時休業になり、館内と周辺には、数え切れない程の機動隊員が詰めています。
「ドロント特捜班班長の神戸蘭です」
神戸警部は身分証を見せて館長に言いました。その後ろに平井拓司警部補がいます。
「ご苦労様です」
館長は深刻な表情で言いました。
「早速ですが、ドロントが盗むと言った金のスカイツリーを見せていただけますか」
「こちらです」
館長は奥の展示コーナーに蘭と平井警部補を案内します。
「遅かったな」
そこには左京と璃里が来ていました。蘭はムッとします。
「館長さん、部外者を立ち入らせないでほしいのですが?」
その言葉に左京が、
「何だと、蘭!?」
といきり立ちましたが、館長は、
「ドロントからの指示なのです。杉下さんと竹之内さんを呼ばないと、スカイツリーは盗まずに爆破すると脅迫されまして」
蘭はその言葉に更にムッとしましたが、
「わかりました。邪魔しなければ、それでいいです」
蘭はそう応じると、平井警部補と一緒に立ち去りました。
「てめえ!」
左京が掴みかかろうとすると、
「左京さん、ダメです」
樹里そっくりな声で璃里が言うので、左京はドキッとして思い止まりました。
「蘭め、何なんだよ、あれは?」
左京は蘭がいつもより荒れているのに気づきましたが、その理由まではわかりません。
蘭は、一度別れた平井警部補から、
「水無月さんに遊ばれてしまいました。また付き合ってもらえませんか?」
と言われ、それに素直に応じてしまった自分が情けないのです。
(水無月葵がドロントなのは間違いない。今日こそ捕まえて、あの時の屈辱を晴らしてやるんだから!)
蘭はドロントに弄ばれたのが許せないのです。
左京は展示ケースの中にある十八金の金でできたスカイツリーのレプリカを見上げました。
全長が六メートル三十四センチです。
「凄いもんだなあ。これ、百分の一ですか?」
左京は館長に尋ねました。館長は何故か残念そうに、
「はい。本当は実物大で造りたかったのですが、予算が足りませんでした」
左京は唖然としました。
(実物大の金のスカイツリーなんて、本物より金がかかるだろ? バカなのか、この人?)
多分バカでしょうね。
そして、予告の時間が近づきました。
蘭と平井警部補はスカイツリーの前に陣取り、左京と璃里はその反対側に立ちます。
「どこから来るんだ、ドロント?」
その時、いきなり館内の明かりが消えてしまいました。
「ドロントね!?」
蘭が叫びました。
「その通りよ、お一人様の神戸警部」
ドロントの毒舌が炸裂しました。
「うるさいわね!」
蘭はムッとして銃を出しました。
「暗くしたからって、安心しないでよね、残念な胸さん!」
蘭も負けずに言い返し、銃を撃ちました。
「きゃっ!」
ドロントの悲鳴が聞こえます。
「危ないじゃないの、当てずっぽうに撃つなんて!」
ドロントが怒りました。
「当てずっぽうじゃないわよ。ちゃんと貴方が見えてるのよ、貧乳さん」
蘭はニヤリとしました。蘭は暗闇の中を駆けるドロントを確実に捉えていました。
「ヌート、あの女、本当に私が見えてるみたい。作戦変更よ」
「了解です」
ヌートの声が答えました。
「部下の女はどこ?」
蘭が辺りを見回した時でした。
「神戸警部、許してください」
平井警部補が蘭をグッと抱き寄せ、口づけしました。
蘭は目を見開きましたが、舌を忍ばせて来た平井警部補のテクニックに失神寸前です。
「ああ……」
平井警部補の突然の熱い口づけに蘭は腰が抜けてしまい、戦闘意欲ゼロです。
「どうした、何があったんだ?」
ライターの火を掲げて、左京が璃里と近づいて来たので、平井警部補は蘭を置いて逃げてしまいました。
「ああ、いくら口の中も変装のゴムが貼られているにしても、女の人とキスするの、もう嫌ですよ、首領」
平井警部補の変装を解きながら、ヌートが言いました。顔が真っ赤です。
「でも凄いじゃない、ヌート? 神戸警部、腰が抜けてたわよ」
ドロントがからかいます。ヌートはムッとして、
「首領!」
「まあ、サッサと盗むもの盗んで、逃げるわよ」
ドロントはニヤッとして言いました。
「もう!」
二人は展示ケースを蹴り壊すと、金のスカイツリーにロープをかけます。
その時、電源が復旧しました。
「あ、ドロント!」
左京がドロント達に気づきました。
「ヘボ探偵さん、スカイツリーはいただくわね」
ドロントとヌートはそのまま天井へと上がって行きます。
「バカめ、それは偽物だ、貧乳!」
左京は勝ち誇ったように言いました。
「左京さん、それは言ってはいけません」
璃里に窘められ、あっとなる左京です。
「知ってるわよ。平井警部補から聞き出したから」
ドロントはニコッとして言いました。
「何ですって!?」
璃里がドロントを睨みました。
「これも記念にいただくわね、ヘボ探偵さん」
ドロントとヌートはスカイツリーを吊り下げた状態で、ハンググライダーで逃げて行きます。
機動隊員は蘭からの指示がないため、動けません。オロオロしていました。
「役立たずが!」
左京は腑抜けたように床に座り込んでいる蘭を一瞥すると、外へと走ります。
「蘭さん……」
璃里は蘭の様子が気になりましたが、左京を追いました。
「さて、別働隊、本物は見つかった?」
ドロントが仮面に仕込まれた無線で訊きました。
「はい。館長宅にありました。館長が一人だったので、簡単でした」
「そう。ご苦労様。アジトで落ち合いましょうか」
ドロントはニヤリとして言いました。
二人のハンググライダーは夜の闇に消えてしまいました。
「くそう!」
左京は地団駄踏んで悔しがりました。
「左京さん、実は一つ言い忘れていた事があるんですよ」
璃里がニコニコして言いました。
「え?」
キョトンとする左京です。
ドロント達は、八王子の山の中のアジトにいました。
「これも偽物じゃないのよ! どういう事なの!? あの警部補、騙したのね!?」
ドロントは怒り心頭です。
「騙したのではなく、彼も本当の事を聞かされていなかったのではないでしょうか? 何しろ、催眠術で聞き出したのですから」
ヌートが言いました。
「竹之内璃里の仕業ね。手強いわね、やっぱり」
ドロントは歯軋りしました。
「そうみたいですね」
ヌートは溜息を吐いて応じました。
その頃、左京の事務所で電話番をしていた樹里は、瑠里が目を覚ましたので、授乳中です。
「璃里お姉さんに言われたのに、詰める箱を間違えてしまいました。ダメなママですね、瑠里」
樹里は事務所の床にある長い木箱を見て言いました。
瑠里は嬉しそうにキャッキャと笑いました。
めでたし、めでたし。