樹里ちゃん、亀島馨を説得する
俺は杉下左京。五反田駅前に探偵事務所を構えているが、主な仕事は迷い猫の捜索と浮気調査。
浮気調査の場合、結果に満足しないクライアントが、報酬を支払うのを渋ったりする事がある。
労力換算だと安いと思うのだが、自分の予想と違うと金が惜しくなる傾向があるらしい。
おっと。今日はそんな話をしている場合ではない。
元同僚で、ある時は敵同士でもあった亀島馨。
何を考えているのかわからない男だ。
怪盗ドロントの部下になっていたかと思うと、次はおバカ泥棒のベロトカゲの元にいた。
しかも更に驚いた事に、奴はそのベロトカゲこと六本木厚子と結婚するという。
呆れてものが言えないとはこの事だ。
警視庁に残った神戸蘭は、もし亀島が六本木厚子と結婚式をするのなら、その時に逮捕すると言った。
蘭も、亀島を逮捕したくはないのだろうが、このままでは奴がボロボロになってしまうと思ったのかも知れない。
確かにそうだ。
一時期は、俺の妻である樹里を巡って、亀島とは憎しみ合った事さえあったが、今は心の底から、奴の事を心配している。
亀島をこの地獄のような人生から救ってあげたい。本気でそう思っている。
「行って来ます」
そんな事があったが、樹里はいつものように五反田邸に出勤だ。
俺も探偵事務所に出かける。
向かいのビルの水無月探偵事務所に勤めたはずの宮部ありさは、いつの間にか、あのバ加藤と付き合うようになって、警視庁に復帰するつもりらしい。
「亀島君てさ、加藤君から聞いたんだけど、警視庁に入った切っ掛け、蘭らしいよ。蘭を見かけて、蘭と一緒に仕事をしたくて、警察官を志したんだって」
事務所に遊びに来たありさが言った。
「初耳だな」
俺は驚いてもたれかかっていた椅子から身を起こしてありさを見た。
ありさはソファに座って、
「亀島君の同僚から聞いたんだってさ。蘭、それを知ってますますショックだよ」
そう言えば、付き合っていた平井拓司警部補はどうなったんだ? 蘭も苦労が絶えないな。
「それでも、あいつを逮捕するのか?」
俺は言ってみた。すると、
「ええ、逮捕するわ。それが亀島君にできる一番の事よ」
蘭が入って来て言った。俺とありさは驚いて蘭を見た。
「亀島君は、今まで何度も人の好意で自首を勧められたにも関わらず、自分の弱さのせいで、逃げていたわ。今度こそ、きっちり落とし前をつけさせないと、彼はおかしくなってしまう」
蘭は悲しそうだ。自分に憧れて警察官を志した男を逮捕するのは辛いのだろう。
「もう十分おかしいと思うぞ」
俺は言った。
「左京」
蘭とありさが俺を睨む。確かにタイミングの悪い冗談だった。
「悪かったよ」
俺は肩を竦めて言った。
そして、結婚式当日。
場所は都内の高級ホテル。
本当にこんなところで式を挙げるのか?
何となく許せなくなって来た。
式はホテル内にある教会で行われ、披露宴は大広間で。
蘭はこの日のために六本木厚子と亀島の罪状を調べ上げ、逮捕状を請求していた。
これまでの二人の犯罪歴では、逮捕はできても起訴は無理程度の罪しかなかった。
蘭はそこを何とかうまく立ち回り、起訴できるだけの数を集めたらしい。
執念だな。
俺達は式には出席せず、披露宴会場で二人を確保する事にした。
「何故式に出ないんだ?」
俺は蘭に尋ねた。
ありさと加藤は出席しているからだ。俺が出ないのは、気に食わないからだが。
樹里は、
「そうなんですか」
と言いながら、瑠里を抱いて出席している。
「ブーケトスを見たくないからよ」
蘭はムスッとして言った。捜査上の事ではなく、あくまで個人的な事情のようだ。
「披露宴会場の招待客は、全員捜査関係者に入れ替えるわ。どこにも逃げ出せないようにして、確保する」
蘭はキッとした目で俺を睨んで言った。
「それと、マスコミに漏れないように、だろ?」
俺はニヤリとして指摘したが、
「違うわよ」
蘭はムッとして言うと、披露宴会場へと歩き出した。
やがて、式が終わり、しばしの休憩の後、披露宴が始まる時間になった。
「二人はこちらの動きを把握していないのか?」
俺は加藤に訊いてみた。すると加藤は、
「感づいていると思う。亀島の様子がおかしかった」
と答えた。
「そうなんですか」
樹里は相変わらず嬉しそうに言った。
「良かったなあ、瑠里ちゃん、お母さんに似て」
加藤がボソリと言った。
「うるせえ!」
俺は加藤のでかい頭を軽く小突いた。
「ありがとうございます、バ加藤さん」
樹里が無意識の仕返しをしてくれた。
「あはは、僕は加藤ですよ、樹里さん」
加藤は涙ぐんで言った。
俺達は会場に入り、それぞれ席に着いた。
蘭とありさと加藤は同じテーブル、俺と樹里は同じテーブル。
しかし、会場の全員が警察官なのだ。
どんな配置にしても意味がない。
「新郎新婦の入場です」
アナウンスがされ、結婚行進曲が流れる。
俺と樹里の披露宴の事を思い出し、ちょっとだけ胸が熱くなった。
ふと樹里を見ると、瑠里に授乳していたので焦った。
でも会場は暗いから大丈夫だろう。
入り口の一つにライトが当り、亀島と六本木厚子が入って来た。
白のタキシード姿の亀島、淡いピンクのウェディングドレス姿の六本木厚子。
不覚にもウルッと来てしまった。
いかん、いかん。同情してはいけない。
亀島は周囲の人々にお辞儀をしながら、六本木厚子と共に席に向かっている。
いつ確保する気だ、蘭? せめて席に着かせてからなのか?
そう思った時だった。
「確保!」
蘭が立ち上がって叫んだ。一斉に客のフリをしていた警官達が立ち上がり、亀島達に掴みかかる。
さすが蘭、容赦なかったな。
亀島、臭い飯を食って、しっかり反省しろ。
ところが、だ。
「わあ!」
飛びかかったはずの警官達は空振りに終わった。
亀島と六本木厚子は、ビュンと宙に舞い上がり、逃げてしまったのだ。
「何!?」
俺は仰天して立ち上がった。
「そう来ると思っていましたよ、神戸警部。残念でした」
亀島はニヤリとして言った。やはり感づいていたのか。
と言うより、俺達が遊ばれたのか?
二人は天井から伸びたワイヤーで吊り下げられていたのだ。
「いつの間に!?」
蘭が歯軋りして悔しがった。
「亀島、お前、神戸に憧れて、警視庁に入ったんだろう? ここは大人しく捕まれ」
加藤がアホな説得をした。亀島はせせら笑って、
「何言ってるんですか、加藤警部。私は神戸警部になんか憧れていませんよ」
「ええ? だって、志望動機にそう書いてあったって……」
ありさが言った。すると亀島は大笑いして、
「何だ、そういう事ですか。よく読んでくださいよ、宮部さん。神戸は神戸でも、神戸重蔵警視の事ですよ」
その言葉を聞いて、蘭は呆然としてしまった。神戸警視とは伝説の名刑事の名前だ。
ありさも加藤も呆気にとられていた。
「杉下さん、またどこかで対決しましょう。では!」
亀島は六本木厚子と天井裏に消えようとしたが、
「亀島さん、もう逃げないでください」
樹里が言った。
「はい」
途端に亀島は六本木厚子から離れて、床に飛び降りた。
「もう、これ以上悪い事をしてはダメですよ」
樹里が笑顔全開で言った。
「はい」
何故か亀島は泣き崩れてしまった。
「亀ちゃんの裏切り者!」
六本木厚子は一人で逃走した。
「確保!」
我に返った蘭が、鬼の形相で命じた。
「うおお!」
さっき騙された警官達も怒り心頭で亀島を取り押さえた。
「くう……」
亀島はこうして逮捕された。
結局最後は樹里のお手柄か。
まあ、いいか。




