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樹里ちゃん、瑠里を左京に預ける

 御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドにして、警察も一目置くほどの優秀な探偵でもあります。


 樹里はいつものように瑠里をベビースリングで抱き、出勤します。


 夫の杉下左京はそれを見送りながら、


「樹里」


と何かを思いついたように樹里を呼び止めました。


「なんですか、左京さん?」


 樹里は笑顔全開で振り返りました。


「瑠里を俺が預かるの、ダメかな?」


 左京は照れ臭そうに尋ねます。


「いいですよ。瑠里もパパと一緒にいられれば、喜びます」


 樹里は早速左京に瑠里を託します。


「泣かないかな」


 左京はおっかなびっくり眠っている瑠里を抱きました。


「大丈夫ですよ。パパですから」


 樹里が笑顔全開で言ったので、左京は涙ぐんで、


「そうだな。そうだよな」


 左京と樹里は久しぶりにお出かけのキスをして別れました。


(瑠里が成人するまで、俺も頑張らないと)


 左京はスヤスヤ眠る瑠里を嬉しそうに見て思いました。


 


 事務所に着くと、樹里の姉の璃里が来ていました。


 宮部ありさが突然別の探偵事務所に行ってしまったので、璃里が以前より頻繁に来てくれるようになったのです。


「おはようございます。あら、今日はパパと一緒なのね、瑠里」


 璃里が瑠里を覗き込んでいいました。


「はい。ご迷惑をおかけするかも知れません」


「平気ですよ。私の姪ですから」


 璃里は樹里と寸分違わぬ笑顔で応じました。


 左京はコツコツと稼いだお金でベビーベッドを購入し、事務所のフロアの隅に置いていました。


 オムツその他の必需品も、璃里や由里に尋ねて揃えました。


 ずっと眠ったままの瑠里をそっとベビーベッドに寝かせて、左京は自分の席に着きました。


 


 その頃、樹里が一人で邸に来たので、住み込みメイドの赤城はるなは仰天しました。


「瑠里ちゃん、どうしたんですか?」


「左京さんに預けました」


 樹里は笑顔全開で言いました。


「大丈夫なんですか?」


 はるなは大泣きしている瑠里を想像して言います。


「大丈夫ですよ。パパですから」


 樹里はそれでも笑顔全開です。


「そうなんですか」


 思わず樹里の口癖で応じてしまうはるなです。


 


 杉下探偵事務所は、事件の調査の依頼はありませんが、小さな依頼が増え始めました。


 左京はまた近所の猫の捜索とある会社の社長の奥さんからの浮気調査をするために出かけました。


「行ってらっしゃい」


 瑠里を抱いた璃里に見送られ、妙な気分の左京です。


(本当は璃里さんが樹里なのが本来の姿だよなあ)


 樹里に仕事を辞めろと言えるほどの安定した収入がない左京は、また落ち込みそうです。


「でも、今日は瑠里に泣かれなかった。笑顔も見られた!」


 瑠里の笑顔を見て、元気が湧きます。


「頑張るぞ!」


 左京は気合を入れて、ビルを出ました。


 


 左京がビルを出たのを向かいのビルの窓からありさが見ています。


「左京が出かけたわよ」


 ありさは黒川真理沙ことヌートに言いました。


「では、尾行します」


 真理沙は探偵七つ道具(本当は泥棒七つ道具)が入っているバッグを肩にかけて事務所を出ました。


「頼んだわよ」


 所長の水無月葵ことドロントが言いました。


「あ、今度は蘭が来たわ」


 ありさが言いました。葵は、


「宮部さん、神戸警部に張り付いてください」


「了解!」


 ありさは何故か警官の敬礼をして事務所を出ました。


「さてと。何か面白い情報が入らないかしら?」


 葵はニヤッとして椅子に座りました。


 


 左京は、路地に入った時、後ろから真理沙がつけて来ているのに気づきました。


(あの子、貧乳ドロントのところの子だな。何だろう?)


 左京は不審に思いながらも、そのままにします。


 そして、猫の捜索依頼をしたおばあさんのところに着きました。


「杉下です。猫ちゃんはいつからいないのですか?」


 左京はおばあさんの家に入りました。


 真理沙はそれを見届けると、携帯を取り出し、


「杉下さんは猫を探すようです」


「了解。戻って。そっちはもういいわ。事務所のほうが面白い事になって来たから、そっちに行って」


「わかりました」


 真理沙はそのまま元来た道を戻りました。


「あれ?」


 左京はおばあさんに事情を訊いて出て来ましたが、真理沙がいなくなっているのでがっかりしました。


「がっかりはしてねえよ!」


 左京は地の文に突っ込みます。


(五反田邸にいる子も貧乳の手下だったんだよな。さっきのあの子も更生させてあげたいんだが)


 正義感ぶる左京です。本当は真理沙が可愛いからお近づきになりたいのです。


「違うよ!」


 左京は地の文に切れました。


 


 一方、杉下探偵事務所は、神戸かんべらんと宮部ありさの睨み合いが続いていました。


「ここに何の用なの、あんたは?」


 ありさが尋ねました。


「あんたこそ、ここを辞めたくせに、何しに来たのよ?」


 蘭も負けていません。


「あの、取り敢えず、座ってください」


 璃里は二人の迫力に苦笑いしながら、ソファを勧めます。


 ありさと蘭はにらみ合ったままでソファに座りました。


(左京さん、早く戻って来てください)


 探偵は得意な璃里ですが、こういうのは苦手なようです。


「蘭、乗り込む場所が違うでしょ? 水無月探偵事務所に乗り込むべきじゃないの?」


 ありさは皮肉たっぷりに言います。


「余計なお世話よ。平井君とはもうじっくり話したわ」


 蘭は鬼の形相で言い返しました。


「あら。それで?」


 興味津々のありさです。


「別れる事にしたわ。どう、満足でしょ?」


 蘭が目を真っ赤にしてありさを睨んだので、ありさはギクッとしました。


「え、あの……」


 ありさは答えに困ります。


(そんなことになっちゃうなんて……)


 そして、


(アタックチャンスかも)


 悪い魔女の顔になる冷酷なありさです。


「あの、お二人共、左京さんに何かご用でしたら、呼び戻しますけど?」


 璃里が恐る恐る尋ねました。


「私は私物を取りに来ただけ。左京に用はないわ」


 ありさはニコッとして、自分の使っていた机から私物を取り出し、バッグに詰めると、


「じゃあねえ」


と出て行ってしまいました。


「あの……」


 璃里は蘭を見ます。蘭は立ち上がって、


「左京に伝えて。水無月葵はやっぱり怪盗ドロントだって。今、私達は全力を上げて水無月葵の素性を探っているところだと」


「はい」


 璃里は真顔で応じました。蘭はドアを開けながら、


「それから、あの水無月葵には気をつけるように言って」


と言い添え、事務所を出て行きました。


「何だか、怪しい雰囲気になって来たわね」


 璃里はスヤスヤとベビーベッドで眠っている瑠里を見て呟きました。


 


 蘭とありさが杉下探偵事務所を出て来てしまったので、真理沙も水無月探偵事務所に戻りました。


「ありささん、どうでしたか?」


 葵が尋ねました。するとありさは、


「蘭の奴、悔しがっていたわ。さすが、所長ね。これからどうするつもり?」


 葵はニヤリとして、


「平井警部補を通じて、私が怪盗ドロントだと神戸警部に思わせています」


「だってそうなんでしょ?」


 ありさが言いました。葵は苦笑いをして、


「それは違いますよ。私はドロントをおびき寄せるためにその情報を流したのですから」


 ありさはその話に仰天しました。


(えええ!? この人、ドロントじゃないの?)


 ありさは口では憎まれ口を叩きながら、実は本当にスパイとして水無月探偵事務所に乗り込んだのです。


「あれ、そうだっけ?」


 地の文に真相を知らされ、驚くありさと呆れる地の文です。


「そして貴女も、私を探るためにここに転職したんでしょ、宮部さん?」


 葵が微笑んで尋ねますが、その目の鋭さにありさは失禁しそうです。


「あ、はは、そ、そんな事はないですよ。ここの方が時給が良かったしィ、社保完備だったしィ」


 ありさは動揺しながらも必死に言い訳しました。


「まあ、いいでしょ。これからもよろしくお願いしますね」


 葵はニヤッとして言い添えました。


 葵の迫力にちょっぴり漏らしてしまったありさです。


 


 左京は一旦事務所に帰り、璃里から話を聞きました。


「蘭もあの女探偵がドロントだと睨んでいるのか」


 左京は腕組みして考え込みます。


「私も神戸警部の推理を支持します」


 璃里も同じ意見のようです。


「何を考えているんだ、あの女?」


 左京はブラインド越しに水無月探偵事務所があるビルを見ました。


 


 やがて、夜になりました。


「お疲れ様でした」


 璃里が帰り、とうとう左京は起きている瑠里と初めて二人きりになりました。


 緊張で全身から汗が噴き出しています。


「帰ろうか、瑠里」


 左京は瑠里をベビースリングで抱き、事務所を出ます。


 瑠里はジッと左京を見ていて、泣いたりはしませんが、笑ってもくれません。


(またあの笑顔が見たいな)


 左京は駅に向かいながら思いました。今日は瑠里がいるので、電車で来た左京です。


「お孫さんですか?」

 

 年配の女性にそう言われた時、


「娘です」


 すかさず訂正する左京です。そんな事が何度もあり、さすがに気が滅入ってしまいました。


 気が滅入りながらも、何とかアパートの近くまで来た左京です。


「さあ、瑠里、もうすぐママに会えるぞ」


 左京はすでにヘトヘトです。


(すごいなあ、樹里。これだけの運動量を毎日こなしていたなんて)


 樹里にますます頭が上がらなくなりそうな左京です。


「あ」


 その時、左京は、瑠里が自分を見て笑ったのに気づきました。


「おお!」


 嬉しくなって涙ぐんでしまいます。


「お帰りなさい、パパ」


 樹里がアパートの前で待っていてくれました。


「只今、樹里」


 左京は笑顔で応じます。


「どうしたんですか、左京さん? 泣いていたのですか?」


 樹里は左京の目が赤いのに気づいて尋ねました。


「いや、目にゴミが入ってさ」


 左京はすかさず誤魔化しました。


「そうなんですか」


 樹里は笑顔全開で応じました。


 


 これから何か起こりそうですが、本日はめでたし、めでたし。

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