樹里ちゃん、変貌する?
御徒町樹里は、日本有数の大企業グループを率いる五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里のお腹は、知らない人にもはっきりそれとわかるくらいせり出してきました。
「双子ですかね?」
庭掃除をしている樹里を観察しながら、警備員さん達が囁き合います。
「いやあ、それじゃあ日下部先生のパクリでしょ?」
意味不明の事を言う人がいます。
「じゃあ、三つ子かも知れませんね」
「いや、そういう事じゃなくてね……」
警備員さんにも、天然の人がいるようです。
「樹里さーん」
いつものように赤城はるなが走って来ます。
「どうしましたか、はるなさん?」
樹里が普通にはるなの名前を呼んだので、はるなは勢い余って空中二回転をして転びました。
「大丈夫ですか、はるなさん?」
樹里がはるなに手を差し出します。
「すみません、私ってば、ドジで」
テヘッと笑ってみせて、はるなは樹里を見上げます。
「え?」
何故か樹里は笑顔ではなく、妙に凛々しい顔です。
(あれ、今日はお姉さんと入れ替わってるのかな?)
しかし、樹里の従妹の鴬谷翠と樹里の違いを見破ったはるなですから、璃里でない事はわかっています。
(どうしたの、樹里ちゃん?)
これは新しい悪阻かとも思いましたが、樹里はすでに出産間近です。
(むしろ、新しい陣痛?)
そんな事もないと打ち消すはるなです。
「樹里さん、また旦那さんが悪さをしたんですか?」
はるなはこっそり尋ねました。
「そんな事はありませんよ、はるなさん」
樹里は相変わらず凛々しい顔で応じます。
(ああ、何だか、いけない世界に足を踏み入れてしまいそう……)
はるなは樹里の顔に惚れてしまいそうです。
でも、GLにはなりません。
その頃、不甲斐ない夫の杉下左京は、はるなに言われた「旦那さんが悪さをしたんですか?」に反応し、くしゃみをしました。
「ばっちいなあ、左京ってば。ちゃんとマスクしてよ」
グウタラ所員の宮部ありさがあからさまに嫌そうな顔で言います。
「畜生、誰か俺の悪口を言ってるな」
左京は鼻を擦りながら呟きます。
「そんな迷信信じてるの? ホント、バカね、あんた」
ありさが更に追い討ちをかけます。
「うるせえ!」
左京はありさに切れ、椅子にふんぞり返りました。
その時、机の上の電話が鳴りました。
「おお!」
思わずハモって驚く左京とありさです。
「お電話ありがとうございます、杉下左京探偵事務所です」
左京は感涙に咽びながら受話器を取って言いました。
「え? 樹里の様子がおかしい!?」
左京は蒼ざめました。電話の相手ははるなです。
(働き過ぎだ)
別の涙が出て来る左京です。
「樹里ちゃんは基本的に様子がおかしいわよ、左京」
ありさが直接的な表現で言いました。
「お前に言われたくねえよ!」
左京は受話器を置いてからありさに言い返します。
ありさは何故か赤面しますが、左京はスルーしました。項垂れるありさです。
「取り敢えず、俺は五反田邸に行って来る。後は頼んだ」
左京は事務所を飛び出して行きました。
「ムフフ、しめしめ、これで私は悪さし放題と」
ありさが悪い魔女の顔になります。
「やっぱりお前も一緒に来い、ありさ!」
左京が戻って来て、ありさの首根っこを押さえて引き摺って行きます。
「えーん、酷いよお、左京う」
ありさは嘘泣きしましたが、左京は相手にしませんでした。
左京とありさが五反田邸に到着すると、すでに璃里も来ていて、樹里と話をしていました。
警備員さん達は離れて樹里達を心配そうに見ています。
「樹里、どこか痛いところとかない?」
璃里が不安そうに尋ねると、樹里は凛々しい顔のままで、
「いえ、ありません、お姉さん。ご心配をおかけして、すみません」
と頭を下げました。璃里は混乱しているようです。
「左京さん、こんな樹里、見た事ありません。今、母に連絡しましたから、もうすぐ来ると思います」
璃里は涙ぐんでいます。それを見て、左京の不安はMAXです。
(璃里さんにわからないなんて、どうしたらいいんだ?)
「樹里ちゃん、これ何本に見える?」
ありさが指を一本も立てずに尋ねます。
「一本も指を立てていないですよね、宮部さん」
樹里は凛々しい顔で応じました。ありさはゾッとしてしまいます。
「もしかして、妊娠中毒症?」
「アホか! 違うよ!」
左京はありさの突拍子もない推理を一蹴しました。
するとそこへ、居酒屋の店長の車で、由里がやって来ました。
「お母さん、樹里が……」
珍しく取り乱す璃里を優しく抱きしめてから、由里は樹里を見ます。
「樹里、何があったの?」
樹里は由里を見て、
「何もありませんよ、お母さん。私は至って健康です」
と凛々しい顔で言いました。
「ああ、そういう事か」
由里はホッとして言いました。
「樹里はどうしたの、お母さん?」
璃里が詰め寄って尋ねます。由里は苦笑いして、
「只の夏バテよ。この子、夏バテすると、性格が変わるのよね」
左京とありさと璃里、そして警備員さんは唖然としました。
璃里は五反田氏に連絡し、事情を話して樹里と交代しました。
樹里は左京とありさに付き添われ、そのまま帰宅です。
「左京ちゃん、次はちゃんと覚えていて、対応してね」
由里は左京にウィンクして去りました。左京は苦笑いして応じました。
左京はアパートに戻ると、布団を敷き、樹里を着替えさせて、寝かせました。
「樹里、すまない。俺が不甲斐ないばっかりに、お前にばかり苦労をかけてしまって」
左京は樹里に土下座しました。ところが樹里はすでに熟睡していました。
「樹里……」
左京は樹里の頬にソッと触れ、その口に軽くキスしました。
「さて、その次は?」
窓から覗いていたありさが言います。
「覗くな!」
左京は窓を閉じて鍵をかけます。
「ごめんな、樹里」
左京は目を潤ませて呟きました。
そして、翌日です。
「おはようございます、左京さん」
樹里が笑顔全開で左京を起こしてくれました。
「おお、樹里、元気になったんだな?」
「はい、お陰様で」
樹里は更に笑顔全開で応じます。
「左京さんにキスしてもらったので、治りました。ありがとうございます、左京さん」
今度は樹里が左京にキスをします。
あまりに嬉しい不意打ちに、左京は鼻血が出そうです。
「おうおう、続きはいつかな?」
また窓からありさが覗いています。
「てめえ、いい加減にしろ!」
左京は切れました。
めでたし、めでたし。