樹里ちゃん、休暇をもらう
御徒町樹里は、世界的な大企業である五反田グループの代表である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
「御徒町さん、見習いの赤城はるなさんも仕事に慣れてきたので、今日はご主人の仕事を手伝ってあげなさい」
五反田氏は、だんだんせり出して来た樹里のお腹を気遣って言いました。
「ありがとうございます、旦那様」
樹里は深々とお辞儀をしました。
「後の事は私に任せてください、樹里さん」
玄関で樹里を見送るはるなが言います。
「はい、キャビ……」
「私ははるなです!」
また素早く訂正するはるなです。
「キャビンアテンダントさんみたいですね、はるなさん」
樹里は笑顔全開で言いました。
「……」
意味不明なので、唖然とするはるなです。
その頃、樹里が休暇をもらって、事務所に来ると連絡をもらった不甲斐ない夫の杉下左京は、あちこち散らかっているのを片づけています。
「全く、左京ったら、だらしがないんだから」
グウタラ所員の宮部ありさは、ノホホンとした顔でソファで寛いでいます。
「お前も手伝えよ!」
左京は切れました。
「うう、持病の癪が……」
急に具合が悪いフリをするありさです。
「江戸時代か!」
左京がすかさず突っ込みます。
「おはようございます」
そこへ樹里の姉の璃里が来ました。
「わわ、璃里さん!」
左京は動揺し、ゴミ箱をひっくり返してしまいました。
「あらあら、しょうがないですね」
璃里はクスッと笑いながら、散らかったゴミをゴミ箱に戻します。
「……」
左京は璃里を恍惚とした表情で見つめます。
(璃里さん、可憐だ……)
ハッと我に返ると、そんな左京をデジカメで撮影しているありさがいます。
「てめえ、何撮ってるんだ!」
「樹里ちゃんに見せちゃおっと」
ありさは素早く動き、事務所から逃げ出しました。
「おい!」
左京はありさを追いかけようとしましたが、
「左京さん、それより片づけをしてください」
と璃里に小首を傾げて言われ、
「あ、はい」
頬を染めて頷く左京です。
「はーい、いい顔」
それもしっかり撮影するありさです。
「この!」
左京は今度こそ追いかけようとしますが、
「痛い」
璃里の悲鳴に近い声を聞き、振り返ります。
「どうしたんですか、璃里さん?」
璃里は何かで右手の人差し指を怪我したようです。血が出ています。
「ああ」
左京は自分の机の三段目の引き出しに入っている救急箱を取り出そうとしますが、
「左京さん」
と璃里に左手で腕を掴まれます。
「え?」
左京が振り返ると、璃里が瞳をウルウルさせて、
「舐めて」
と血が出ている指を左京に突き出します。
「ええええ!?」
左京は仰天しました。
(何だ、これは? 何なんだ、一体!?)
全身から変な汗が噴き出します。
「痛いの。早く舐めて治して、左京さん」
璃里がにじり寄って来ます。
その時、左京は何となくデジャヴを感じました。
(これって、前にも似たような事が……)
そしてある女の存在に思い至ります。
「わかったぞ!」
左京は璃里の髪を掴み、引っ張ります。
「きゃっ!」
すると髪が取れ、その下からショートカットの黒髪が現れます。
「てめえ、前にも変装して俺を騙そうとしただろう!?」
そこまで言って、左京はその女の名前を思い出せません。
女は不敵に笑い、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけました。
「さて、問題です。私は次のうちの誰? A、箕輪まどか。B、西園寺蘭子。C、都坂亜希。D、六本木厚子」
簡単な問題のはずですが、左京は眉間に皺を寄せています。
(全然わからない。箕輪まどかちゃんはこの前会ったし、中学生だから違うのはわかるんだが……)
箕輪まどかだけわかるとは、左京に少女趣味疑惑が浮上します。
「誰がロリコンだ!」
左京は地の文に切れました。
「Dの六本木厚子さんです」
そこに樹里が現れ、正解を言いました。
「樹里!」
左京は喜んで叫びました。
「あと一息だったのに……。私は諦めないわよ、杉下左京さん」
六本木厚子はそう捨て台詞を吐くと、窓を開けて飛び降りました。
「おーい、ここ、五階だぞ」
左京が下を覗き込んで言うと、
「わかってるわよ、左京さん」
厚子はハンググライダーで浮き上がって来て、分厚いレンズの向こうでウィンクしたようです。
「じゃあねえ」
カッコ良く飛び去ろうとした厚子ですが、道路標識に激突し、そのまま舗道にずり落ちました。
「何なんだ、あの女は?」
左京はすぐさま警察に連絡しました。
「樹里、助かったよ」
左京は微笑んで言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開でデジカメを差し出しました。
血の気が引く左京です。
(ありさめえ、覚えてろよお)
「璃里お姉さんの娘の実里の写真です。見てください」
「そ、そう……」
左京は顔を引きつらせたまま言いました。
(と、取り敢えず良かった……)
左京は実里の写真を見たので、心が和みました。
「それから、これは何ですか?」
樹里が別のデジカメを左京に渡します。
それにはあの六本木厚子が変装していた偽の璃里を恍惚とした表情で見ている左京が写っていました。
(終わった、何もかも……)
左京の血の気は北極点まで飛んで行ってしまいました。
「事務所はもっと普段から奇麗にしておいてくださいね、左京さん」
樹里は笑顔全開で全然違う事を指摘しました。
しかし、すでにイスカ○ダルまで旅立ってしまった左京には何も聞こえていませんでした。
めでたし、めでたし。