樹里ちゃん、左京に浮気される?
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日もまた、大きな邸の掃除をしています。
先日、図らずも難事件を解決した樹里は、名探偵として長野県全体に知られる存在になりました。
樹里フリークの人が、樹里が軽井沢にいるのをキャッチし、その理由を探り当てたのです。
その人こそ、相当な名探偵だと思われます。
しかし、そんな事を全然知らない樹里は、不甲斐ない夫である杉下左京のために身重の身体をものともせずに働いています。
「今日は洗濯日和ですね」
樹里はギラギラと照りつける太陽を見上げて言いました。
一方、不甲斐ない夫の左京は、今日も事務所で暇を持て余しています。
「今日も依頼がないの?」
グウタラ所員の宮部ありさが尋ねます。
「ない」
机に突っ伏したまま答える左京です。落ち込んでいます。
「どうするのよ、私の夏のボーナスは?」
それに追い討ちをかけるありさです。
「ボーナスが欲しかったら、仕事取って来い!」
左京はありさを睨みつけました。
「はいな!」
何故か素直に返事をし、事務所を出て行くありさです。
「妙だな……」
その様子を見て、左京は不安になりました。
午後になって、ありさが帰って来ました。
「左京、クライアントを連れて来たよお」
ありさの後ろにいるのは、警視庁捜査一課の加藤真澄警部です。
「何でそんな奴連れて来たんだよ!?」
左京は怒りました。するとありさは、
「ボロい仕事よ。加藤君と一緒にキャバクラに行くだけで十万円」
「何!?」
左京は色めき立ちました。そして加藤警部を見て、
「本当か?」
加藤警部はフッと笑い、
「本当だ。但し、閉店までいてくれたらという条件付きだ」
「閉店まで?」
左京はギクッとしました。
キャバクラの閉店までいれば、確実に樹里は一人で寝る事になります。
そして左京は、前回のキャバクラ騒動の時、二度とキャバクラには行かないと誓ったのです。
(しかし、十万円の収入は魅力だ。どうしたらいいんだ?)
左京は悩みました。そして、樹里に電話をします。
「樹里か? 相談があるんだけど」
左京は加藤警部の依頼の話を樹里にしました。
樹里は言いました。
「いいですよ。お仕事頑張って下さいね、左京さん」
その言葉に左京は号泣しました。でも、全米は泣きません。
「すまない、樹里」
左京は電話の向こうの樹里に何度も頭を下げました。
「悪いが、前金でもらえないか?」
左京は恥を忍んで言います。
「構わないよ」
顔は凶悪犯ですが、心は優しい加藤警部は、左京に依頼料を渡します。
「あれ? 九万円しかないけど?」
左京が言うと、
「一万円は、宮部に払ったぞ」
加藤警部は言いました。
左京がハッとしてありさを見ると、すでに逃亡した後です。
「あの女……」
ありさと一度きっちり話をしようと思う左京です。
こうして、左京は加藤警部と共にキャバクラに行く事になりました。
「七時に五反田駅前のキャバクラセイントの前に集合だ」
加藤警部は嬉しそうに帰って行きました。
(何を企んでいるんだ、あのバ加藤は?)
左京はいろいろ考えましたが、何もわかりません。
仕方がないので、アパートに帰り、夕ご飯の支度をします。
米を研ぎ、炊飯器に入れてタイマーセットします。
みそ汁を作り、冷まして冷蔵庫に入れます。
樹里がすぐに休めるように布団も敷きました。
そして思います。
(そう言えば、いつ以来だろう?)
何となく赤面する左京です。
そんな事をしているうちに樹里が帰って来ました。
「お帰り、樹里」
「只今帰りました、左京さん」
樹里は笑顔全開で言いました。
「樹里」
思わず樹里を抱きしめる左京です。
「どうしたんですか、左京さん?」
樹里は不思議そうな顔で左京を見上げます。
「何でもない。じゃあ、行って来るよ」
左京はドアを開きます。
「行ってらっしゃいませ」
樹里が深々と頭を下げるのを見て、左京は胸が張り裂けそうです。
「うん」
彼は振り返らずに部屋を出ました。
そして、左京はキャバクラセイントの前に着きました。
「時間に正確だな、杉下」
加藤警部が現れます。何故かタキシード姿です。
「どうした、仮装パーティの帰りか?」
左京は思わず言ってしまいました。
「依頼をキャンセルするぞ」
加藤警部がムッとします。左京は慌てて、
「冗談だよ」
と言い繕いました。
二人は開店間もない店内に入ります。
「こ、ここは……」
左京は眩暈がしそうです。
前回訪れたキャバクラでした。もう忘れていた左京です。
どの女の子も、際どいミニスカートとユルユルのタンクトップです。
太腿も胸の谷間も見放題です。
加藤警部は男性店員に、
「恋さんで」
と告げました。
「恋?」
何となく嫌な予感がする左京です。
「キャーッ、左京さん!」
予感的中です。
加藤警部が指名したのは、前回来た時に左京が猛アタックを受けたあかぎ恋でした。
「ど、どうも」
人の顔を忘れる名人の左京でも、この強烈な子の顔は覚えています。
(可愛いんだけど、あの強引さは退く)
左京は思いました。
「お久なので、ボトル入れちゃっていい、左京さん?」
恋が笑顔でお強請りです。
「いいって言えよ」
加藤警部が囁きます。左京は頷いて、
「どうぞ」
と答えました。
「キャーッ、嬉しい!」
恋は加藤警部と左京の間に割り込んで座り、左京に抱きつきます。
「お金を出すのは、そっちですから」
左京は加藤警部に抱きついてあげて欲しいと思いました。
「あーん、つれないのお、左京さんてば」
恋はニコニコしたままで言いました。
前回は加藤警部は恋に構ってもらおうと一生懸命でしたが、今回は何も言いませんし、して来ません。
探偵としての左京が、疑問を抱きます。
(今日の加藤は妙だ。何を考えているんだろう?)
加藤警部はほかの女の子と談笑しています。
ますます疑惑を深める左京です。
やがて、ワンタイムが終了し、加藤警部は延長を申し出ます。
「きゃあ、ありがとう、左京さん!」
また恋が抱きついて来ます。左京は困惑していました。
(これで十万ももらえるなんて、どう考えても変だ)
左京は加藤警部の横顔を見ますが、彼はほかの女の子との会話に夢中のようです。
そして、夜は更け、日付が変わります。
でも加藤警部は帰る気配を見せません。
お店は一時までです。
店内が暗くなりました。
ダンスタイムが始まり、左京は恋に強引に連れ出され、ホールでチークダンスを踊ります。
(昔、蘭と踊って以来だな)
神戸蘭との過去を思い出す左京です。
「左京さん、大好き」
いきなり恋が左京にキスして来ました。
「むぐ!」
左京は驚いて恋を突き放します。
「きゃは、左京さんとキスしちゃった」
恋が嬉しそうにはしゃぎます。左京は苦笑いしました。
そして、お店の閉店時間です。
「本日はありがとうございました」
恋が外まで見送ってくれます。
「これで、俺とデートしてくれるんだよな、恋ちゃん?」
去り際に加藤警部が言いました。
「え?」
左京は意味がわかりません。
「仕方ないわね。左京さんとキスできたから、してあげる、デート」
「やった!」
喜ぶ加藤警部、唖然とする左京です。
どうやら、加藤警部と恋は左京とのキスができるかどうかで賭けをしていたようです。
そして、賭けに勝った加藤警部は、念願の恋とのデートをできる事になったのでした。
「すまなかったな、杉下。許してくれ」
加藤警部は店から離れたところで左京に頭を下げます。
「まあ、いいさ。頑張れよ、加藤」
左京は呆れていましたが、加藤警部の一途さに免じて許す事にしました。
左京はそのままアパートまで帰りました。
すると驚いた事に明かりが点いています。
「ひいい!」
樹里が怒っていると思った左京は、慌てて部屋に入りました。
「樹里……」
しかし、樹里は明かりを点けたままで寝ていただけでした。
「ふう」
安心した左京でしたが、寿命は確実に縮んだと思いました。
めでたし、めでたし。