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樹里ちゃん、推理作家に感想を聞かれる

 御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。


 五反田氏はようやくアメリカでの合併協議を終え、妻の澄子すみこさんと娘の麻耶まやさんと共に帰国しました。


 五反田氏は、樹里の身体を気遣い、もう一人メイドを雇う事を樹里に告げましたが、


「大丈夫ですよ」


と樹里に言われ、断念しました。無理にメイドを増やしたら、樹里の気分を害すると思ったからです。


 実際には、樹里は気分を害する事など、生まれて一度もないのですが。


「くれぐれも無理はしないようにね、御徒町さん」


 五反田氏は言いました。


「はい、旦那様。お心遣い、感謝致します」


 樹里は深々とお辞儀をしてお礼を言いました。


 五反田氏が樹里の身体を気遣うのは、樹里が得がたい優秀なメイドだという事もありますが、それ以上に五反田氏を心配させる原因は、五反田氏と澄子さんの過去にありました。


 五反田氏は澄子さんと結婚して二十年です。


 でも、娘の麻耶さんはまだ十歳です。


 実は、五反田氏と澄子さんの間には麻耶さんのお兄さんかお姉さんになるはずの子がいました。


 しかし、澄子さんは流産してしまったのです。


 だから、五反田氏は、樹里の身体の事を自分の身内のように心配するのです。


「あんな悲しい思いは、もう誰にもさせたくないし、見たくないよ」


 五反田氏は、樹里が仕事を終えて帰った後、澄子さんに言いました。


「ええ。樹里さんには、元気な赤ちゃんを産んで欲しいわね」


 澄子さんも寂しそうな顔をして言います。


「辛い事を思い出させてしまったかな?」


 五反田氏は澄子さんの肩を抱いて尋ねました。


「大丈夫よ。私達には、麻耶がいますから」


「そうだね」


 五反田氏のその時の顔を、合併の交渉相手が見れば、同じ人物とは思わないでしょう。


 それほど五反田氏の顔は、優しさに満ちていました。


 


 翌日の事です。


 五反田氏は澄子さんと会社に行きました。


 麻耶さんは小学校へ出かけました。


 樹里がいつものように庭掃除をしていると、リムジンが入って来ました。


 高名な推理作家の大村美紗のものです。


 リムジンは邸の車寄せの前で停まり、運転手さんが後部座席のドアを慌てて開きに走ります。


 すると彼が開く前に、せっかちな美紗が開いてしまいます。


「遅いのよ、貴方! クビにするわよ!」


「は、はい!」


 ドアを開くのが遅かっただけで仕事を奪われるのでは、運転手さんもたまりません。


 美紗は相変わらずの上から目線で登場です。


 今日は娘のもみじは学校なので、美紗一人です。


「いらっしゃいませ、大村様」


 樹里が素早く庭から駆けつけ、お辞儀をします。


「ご機嫌よう、樹里さん。私の小説、読んでいただけまして?」


 上から目線で尋ねる美紗です。


「申し訳ありません、まだ読んでおりません」


 樹里は笑顔全開で言いました。美紗はイラッとしましたが、


「そう。いつ頃読み終わるかしら?」


とまた上から目線で尋ねます。


「ここで立ち話では申し訳ありませんので、中へどうぞ」


 樹里は美紗を応接間に案内しました。


「紅茶で結構よ」


 美紗は樹里がまだ何も言っていないうちにそう言います。


 とても上から目線です。


かしこまりました」


 樹里は深々とお辞儀をして、応接間を出ます。


 美紗は部屋の中を見回しながら、


(私の小説を一体何日読まずに放置していたのよ。失礼にも程があるわ)


と上から目線で怒りを募らせます。


「お待たせ致しました」


 樹里が紅茶を淹れて戻って来ます。


「本日はウヴァです。世界三大銘茶の一つです」


 樹里がテーブルの上にカップを置くと、見栄っ張りの美紗は、


「そんな事、いちいち言われなくても、私にはわかるのよ、樹里さん」


と本当は全然わからないのに言いました。


「申し訳ありません」


 樹里は深々と頭を下げてお詫びしました。詫びる必要はないと思いますが。


「今何かおっしゃった、樹里さん?」


 美紗がムッとして尋ねます。地の文に少しだけ気づいたようです。


「いえ、何も申しておりません」


 樹里は笑顔全開で応じます。美紗はまたイラッとし、


「それより、いつになったら、私の傑作を読み終えてくださるのかしら?」


と嫌味を言います。


「では、確認してみます」


 樹里は妙な事を言いました。


「確認?」


 首を傾げる美紗です。樹里は携帯電話を取り出し、どこかにかけました。


「申し訳ありません。お仕事中ですか? お貸ししている大村様のご本なのですが」


 樹里のその言葉に、推理作家なのに他人の推理小説の犯人が全然わからない美紗がピクンとします。


(もしかして、五反田さんに貸しているのかしら?)


 長いものにはここぞとばかりに巻かれようとする性格の美紗は、五反田氏を急かしてしまうのはまずいと考えました。


「いいのよ、樹里さん。貸していたのなら、そう言ってくださいな。先方さんも、急かされてはお気の毒でしょう」


 美紗の営業スマイルが炸裂しますが、電話の相手には見えないので意味がありません。


「そうなんですか」


 樹里は笑顔全開で応じました。そして、


「では、ゆっくりお読み下さい。大丈夫ですから」


と告げると、携帯を切りました。そして、衝撃の言葉を述べました。


「なぎささんは、読み終わるのにあと一週間くらいかかるそうです」


 美紗は硬直しました。


「ひ、ひ、ひーっ!」


 美紗は雄叫びを上げ、ソファに倒れてしまいました。


「大村様、どうなさいましたか?」


 樹里が驚いて美紗に近づきます。


 美紗は白目を剥いて、


「なぎさ、なぎさ……」


と呟いていました。


 なぎさは、登場しなくても、美紗を気絶させるのでした。


 


 めでたし、めでたし。

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