樹里ちゃん、殺人事件に巻き込まれる(検証編)
俺は杉下左京。五反田駅の前に事務所を構える探偵だ。
大学時代の友人である石動新次郎の誘いで、妻の樹里と共に長野県の軽井沢にやって来た。
そこで俺は図らずも、新次郎の父親である泰蔵氏の変死に遭遇した。
そうだ。変死。まだ、検視した訳ではないので、殺人と断定された訳ではない。
これは明らかに作者の失策だ。頭が悪いからなので、許して欲しい。
「奥さん、しっかりして下さい」
俺は現場である瞑想部屋の入口で倒れていた泰蔵氏の妻の美奈子さんを抱き起こし、声をかけた。
「左京さん」
樹里が言った。俺は思わずギクッとする。
「な、何かな、樹里?」
恐る恐る樹里を見ると、樹里は、
「テーブルの上に鍵がありますよ」
「うん?」
この部屋は、泰蔵氏が中から鍵をかけていた。それは俺と美奈子さんで確認済みだ。
美奈子さんは、泰蔵氏が眠ってしまったと思い、合鍵がある書斎へ行った。
そして、合鍵を持って来て、ドアを開いて、泰蔵氏の変わり果てた姿を見たのだろう。
美奈子さんの持って来た合鍵はドアに挿されたままだ。
「う、うん……」
美奈子さんが意識を回復した。
「奥さん、大丈夫ですか?」
俺は美奈子さんを床の上に座らせる格好で起こした。
「主人が、主人が……」
美奈子さんは途端に泰蔵氏の事を思い出したのか、泣き出して俺に抱きついて来た。
この状況はまずい。
俺はまた樹里を見た。すると樹里は泰蔵氏の遺体に近づいて、あちこち観察している。
俺はホッとすると同時に、あっと思い、
「樹里、入っちゃダメだ」
すると樹里は、泰蔵氏の頸部を指差し、
「左京さん、こんなところに索溝が」
と言った。その専門用語に俺はギョッとしたが、俺も美奈子さんから離れ、遺体に近づいた。
どうやら、泰蔵氏は絞殺(ひも状のもので首を絞めて殺す事)されたようだ。
「防御創がないな。どういう事だ?」
一般的に絞殺の場合、被害者は首を絞めているものを外そうともがき、自分の爪で傷を作るものなのだ。泰蔵氏の遺体の首には、それがない。不自然なのだ。
「俺は美奈子さんを休ませて来る。樹里は部屋に誰も入らないように見張っていてくれ」
「はい、左京さん」
樹里は真剣な表情で応じた。何だか、璃里さんみたいだが、まさかな。
俺はフラフラしている美奈子さんを抱きかかえるようにして、廊下を歩く。
「美奈子さんのお部屋はどこですか?」
「突き当たりの右手です」
俺は面倒臭くなり、
「失礼します」
と美奈子さんを抱きかかえた。
「きゃ!」
美奈子さんはビックリして叫んだ。誤解されそうな状態だが、彼女を歩かせていたら、時間がかかり過ぎるのだ。
俺は早足で廊下を進み、突き当りの右手の部屋のドアノブを回し、中に入った。
そこは夫妻の寝室だった。客間のベッドよりも大きいベッドがある。しかも、天蓋付だ。
俺はそれに美奈子さんを寝かせた。
「待って」
部屋を出ようとする俺を美奈子さんが引きとめた。
「どうしましたか?」
「一人にしないで、杉下さん。怖いの」
樹里に出会う以前の俺だったら、間違いなくフォーリンラブな台詞だ。しかも、美奈子さんは目を潤ませている。最強形態だ。
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
俺は美奈子さんの手を振り払うようにして寝室を出た。
これ以上美奈子さんと接していたら、いくら温厚な樹里でも怒るだろうから。
俺は階段を駆け下りて、キッチンに行った。
そこには、外から戻った新次郎の奥さんの今日子さんがいた。
「どうしたんですか、杉下さん? そんなに息を切らせて?」
今日子さんは俺の呼吸が大袈裟だと思っているのか、微笑んでいる。
「泰蔵さんが亡くなっています」
「え?」
今日子さんはキョトンとした。
「義父がどうしたのですか?」
今日子さんが聞き返す。俺は息を落ち着かせて、
「泰蔵さんが殺されています」
「ええ!?」
今度は通じたようだ。目を見開き、口をポカンと開いている。
「何だ、今日子、大声を出して」
そこへ新次郎が戻って来た。
俺は改めて新次郎に状況を説明し、一緒に二階の瞑想部屋に行った。
始めは怖がっていた今日子さんも、キッチンに一人で残される方が嫌だと思ったのか、同行した。
「今日子さん、寝室で休んでいる美奈子さんについていてもらえますか。遺体を見て、動揺しているので」
部屋に近づくにつれ、今日子さんが震え出したのに気づき、そう言った。
「はい」
今日子さんはややホッとした顔で応じ、美奈子さんのいる寝室へと歩き出した。
俺は新次郎と顔を見合わせて頷き、樹里の待つ瞑想部屋に行った。
「左京さん」
樹里は一人で残されて不安がっていないかと心配したのだが、全然そんな事はなく、
「窓には内側から鍵がかかっています」
と冷静な声で報告して来た。
「何?」
俺はビクッとした。という事は?
「父さん!」
新次郎は変わり果てた父親を見て叫んだ。
「申し訳ないが、お父さんには触らないでくれ。警察を呼ばなければならないから」
「わかった」
新次郎は憤懣やるかたない表情で立ち止まった。
俺は携帯を取り出し、警察に連絡した。
「取り敢えず、ここはこのままにして、階下に行こうか」
俺は新次郎を促し、樹里を伴って部屋を出た。
程なく、近くの交番から警官が到着した。
「この先の交番勤務の柿崎巡査であります」
柿崎巡査はまだ警察官になったばかりのようだ。初々しい。
「現場はこちらです」
俺は新次郎と樹里を居間に残し、柿崎巡査を案内した。
「うわ」
柿崎巡査は、検死には立ち会ったことがあるらしいが、殺人現場は初めてだそうだ。
「まだ死後硬直も始まっていませんから、死後三十分から一時間程度でしょう」
俺が私見を述べると、
「そうですか」
柿崎巡査は、俺が元警視庁の警部だと知って、結構素直だ。
やがて、所轄である元軽井沢警察から黒塗りのセダンと大型バンがサイレンを鳴らす事なく訪れた。
新次郎の頼みでそうしてもらったのだ。世間体を気にしての事らしい。
担当は、刑事課一係の田野倉警部補だ。後から県警の刑事も来るらしい。
俺は事件の概略を田野倉警部補に話した。
「なるほど。密室殺人ですか」
田野倉警部補は、俺の話を聞き終わると、開口一番そう言った。
鑑識課員が現場検証を進める中、田野倉警部補は、
「杉下さんはどうごらんになっておいでですか?」
と唐突な質問をして来た。こいつ、俺を試しているのか?
「自分にはまだ何とも」
俺はそう言ってとぼけた。
「そうですか」
田野倉警部補は苦笑いしてから、
「部屋の壁も隈なく調べて下さいよ。密室なんて、絶対にあり得ないんだから」
と言ってから、俺を見てニヤリとした。感じの悪い奴だ。
俺が警視庁の元警部だというのがお気に召さないのかも知れない。
昔、東京でよく経験した事だ。
所轄と本部は反りが合わないのだ。
む? 今、何かを思い出したような気がした。
何だ? 俺は何か見落としているのか?
そんな事を考えているうちに、検証作業は終了し、遺体が運び出される。
「部屋には隠し扉はありませんでしたよ」
嬉しそうな顔で、田野倉警部補が言った。
「そうなんですか」
俺は嫌味を込めて、笑顔全開で応じた。田野倉警部補はムッとしたようだ。
しかし、だ。
この状況から判断すると、犯人は間違いなく家族の中にいる。
密室殺人の最大の欠点は、容疑者が絞り込まれる事にある。
新次郎と今日子さん、そして美奈子さんの中に犯人がいるのだ。
そこまでわかっていながら、俺はまだ犯人を特定できないでいる。
「そうなんですか」
「わ!」
俺はいきなり樹里に後ろから声をかけられて仰天してしまった。
「私はわかりましたよ」
樹里は笑顔全開で言った。
「え? な、何が?」
まさか犯人がわかったという訳ではないだろうと思いたい俺は、そう尋ねた。
「犯人がですよ」
樹里は更に笑顔で言った。
「何ーっ!?」
俺は思わず叫んでしまった。
「でも、それは次回で」
樹里がそう言ったので、俺は項垂れた。