樹里ちゃん、左京と共にドロントと対決する
俺は杉下左京。
五反田駅の前に事務所を構える私立探偵だ。
所員には、俺の妻の御徒町樹里と高校時代からの腐れ縁の宮部ありさがいた。
ところが、樹里は大富豪の五反田六郎氏の邸に戻る事になり、代わりに樹里のお姉さんの璃里さんが来てくれる事になった。
「左京、なんだか嬉しそうね」
グウタラのくせに口だけは一人前のありさが言う。
「何がだよ?」
俺は所長の椅子にデンと座って尋ねた。
「璃里さんが樹里ちゃんにそっくりなだけじゃなくて、大人の女性だから、ウキウキしてるんでしょ?」
ありさはズバリ核心をついて来た。
俺は全身に嫌な汗をたくさん掻いてしまう。
「男が浮気しやすいのは、妻が妊娠している時だって、小○館の学習雑誌に書いてあったぞ」
得意満面で言うありさ。
「そんな事が書いてあるはずねえだろ!」
俺はハンカチで汗を拭いながら反論した。
そう言いながらも、璃里さんの可憐さにちょっとだけ心惹かれている俺がいた。
「オーホッホッホ!」
その時、奇妙な鳥が鳴いた。
「鳥じゃないわよ!」
鳥が突っ込みを入れる。
「だから鳥じゃないって言ってるの!」
床の一部を開き、変な女が現れた。
「誰だ、お前は?」
俺は真剣な顔で尋ねたが、その奇妙な女は俺を呆れて見ているし、ありさも冷たい視線を向けている。
「やっぱり、ここじゃなくて五反田邸に行くわ」
女はそう言うと、姿を消した。
「ありさ、あの女を知っているのか?」
俺は恥を忍んで尋ねた。
「一度入院しなさい、あんたは」
あの軽いノリのありさはどこへ行ったのか、非常にきつい返しをされてしまった。
「面倒臭いから、貴方に渡しとくわ、ヘボ探偵さん」
女が戻って来て、予告状と書かれた封書を置き、また消えた。
「これは……」
俺はそれを開き、中身を読んだ。
字が汚くて読み辛かったが、
「今日の午後十一時、東東京大学の研究所から、不老不死の薬を頂きます。世界的美人大泥棒ドロント」
と書かれているようだ。
「まあ、大変ですね」
いつの間に来たのか、璃里さんが俺の横に立ち、予告状を覗き込んでいた。
「あ、お、おはようございます」
何故か赤面してしまう俺。
「おはようございます。早速ドロントから予告状が届いたのですね」
璃里さんは相変わらず樹里そっくりの笑顔で言う。
「はい。しかし、不老不死の薬なんて、本当にあるのでしょうか?」
「とにかく、行ってみましょう」
という事で、俺と璃里さんとありさは、東東京大学の研究所に行く事にした。
「蘭に連絡した方がいいんじゃないの?」
ありさが余計な事を思いつく。
「そうですね。蘭さんには知らせておくべきでしょう」
璃里さんが同意したので、俺は仕方なく警視庁ドロント特捜班の神戸蘭に連絡し、研究所へと向かった。
東東京大学は、東京都の東の端にある。
もう少し行けば千葉県である。
東京湾の向こうには、例のネズミの国がある。
俺はあの国が大嫌いなので、一度も行った事がない。
俺は断然東京フレンドランド派なのだ。
「私が研究所の責任者の足立ひかるです」
研究所の所長と言うから、もっと年を取った人物かと思ったが、随分と若い女性だ。
どう見ても、璃里さんと同じくらいにしか見えない。
しかも、美人だ。ありさなんか、目じゃない。
「なるほど、所長さん自らが被験者なのですね?」
璃里さんが言った。え? どういう事だ?
「はい。実は私は今年で六十五歳なのです」
足立所長の言葉に、俺とありさは驚愕した。
「養女にして下さい、所長さん」
ありさが思いっきり媚びた。
「残念ですが、私には五人の娘がおりますので」
足立所長の答えにありさはがっかりした。
すごい。もし、彼女の言葉が真実なら、ドロントが狙うのも頷ける。
あの貧乳はとんでもない若造りで、実は二十代の娘が二人いるのだ。
「私は独身だし、子供もいないわよ!」
いきなりドロントの声が聞こえた。何で俺の考えている事がわかるのかは、この際突っ込まない。
「む、貧乳め、まだ予告の時間まで間があるぞ。もう来たのか?」
俺は身構えて辺りを窺う。
「まだよ。今は下見。本番は午後十一時よ。じゃあね」
ドロントは去ったようだ。
そこへドヤドヤと機動隊員がやって来て、蘭が姿を見せた。
「警視庁ドロント特捜班の神戸蘭警部です」
蘭は所長に挨拶した。
「ご苦労様です。所長の足立です」
ありさの耳打ちに蘭が仰天した。
「所長さん、驚きました。実は男性なのですか?」
「誰がはるな愛だ!」
所長は切れた。シリーズが違うので、そのボケは慎んでもらいたい。
蘭は嘘を教えたありさを睨みつけた。
そして、俺達は対ドロントの策を練った。
「今度こそ、捕まえてやるぞ、貧乳め」
俺は拳を握りしめた。
そして、時刻は午後十一時五分前。
研究所の周囲を機動隊員が取り囲み、半径百メートル以内は立ち入り禁止になった。
蘭は徹底的にドロントの変装を封じるため、機動隊員達の制服を特殊なものにしていた。
全身ピンクなのだ。
これでは、ドロントも同じ衣装を用意できない。
蘭め、考えたな。
そして、俺達は合い言葉を考えた。
これも入れ替わりを防止するためである。
研究所の一番奥の一室に、厳重に金庫に保管された不老長寿の薬がある。
そしてその部屋には、所長の足立さんと俺と璃里さんと蘭がいた。
「あー、三日ぶりのお通じ」
妙に嬉しそうにありさが戻って来た。相変わらず品のない事を平気で言う女だ。
「ありさ、合い言葉を言え」
俺はすかさず言った。ありさは苦笑いして、
「やあねえ、左京。私、さっきまでトイレにいたんだよ。入れ替わる暇ないよ」
「ダメだ、例外は認めない。山と言ったら?」
俺は続けた。ありさは肩を竦めて、
「合い言葉は決めてないでしょ。ほら、本物よ」
その通りだった。合い言葉を決めているフリをして、ドロント一味を引っ掛ける作戦だ。
「警部、トイレで縛られている宮部さんを発見しました!」」
そこへ機動隊員が驚くべき報告を上げて来た。
「何!?」
俺達は一斉にありさを見た。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私は本物よ。偽者じゃないわ」
「容疑が晴れるまで、護送車に監禁しておきなさい」
蘭の命令で、ありさらしき女は機動隊員に連行された。
「蘭、あんたねえ、覚えときなさいよ!」
ありさらしき人物は捨て台詞を吐いた。
「危なかったわ。私に変装しているなんてね」
トイレで縛られていたありさが現れた。
「えい!」
璃里さんがいきなりありさの右腕を捻り上げる。
「いたた! 何するのよ、璃里さん!?」
ありさが痛みに顔を歪めて尋ねる。
「縛り上げられていたわりには、手首に何の痕跡もありませんよ、ドロントの部下さん」
璃里さんの言葉に俺と蘭はギクッとした。
「くう!」
ありさと思われた女は、璃里さんの腕を振り解いた。
「よく見抜いたわね。さすが樹里ちゃんのお姉さん」
その女は、ドロントの部下だった。
「私の名はキャビー。でも、あなた達には、私達の作戦を完全に見破る事はできないわ」
キャビーと名乗った女は、煙幕を張って逃げた。
「追う必要はありません。ドロントは混乱に乗じて薬を盗むつもりです」
璃里さんが叫んだ。
その時、プシューッと白い煙が充満し始めた。
「く……」
俺は璃里さんを庇いながら煙から離れる。
「私は放ったらかしかい!」
蘭が怒る。
「蘭は強い子だから、一人で生きられるよ」
俺はそう言って蘭を慰めた。
「やかましい!」
蘭は更に切れた。
「薬は頂くわよ、ヘボ探偵さん」
ドロントの声が、煙の向こうで聞こえた。
「待て!」
俺は璃里さんと共にドロントを追う。
ドロントはすでに金庫の扉を開いていた。
「くそ!」
俺と璃里さんが慌てて中に駆け込む。
「どうして貴女がそこにいるのよ!?」
ドロントは、広い金庫の中をほうきで掃除している樹里に言った。
俺も樹里がそこにいるのを見て驚いた。
「中に入れてもらったからです」
ドロントはその返答を聞き、項垂れた。いいぞ、樹里!
「ええい、今日はこの辺にしておいてあげるわ!」
ドロントは負け惜しみを言い、煙と共に消えた。
またしても俺は、樹里に助けられたのだった。
その後、足立所長に事情を訊いた。
東東京大学は五反田六郎氏の創立した大学で、研究所は本当にあるが、不老不死の薬はないと言う。
五反田氏は、ドロントに幾度か邸を脅かされているので、罠を仕掛けたのだ。
結果として、ドロントは捕まえられなかったが。
足立さんは六十五歳ではなく、二十代。所長なのは本当だそうだ。
樹里が金庫の中にいたのは、五反田氏の指示ではない。
たまたま、金庫の掃除をしていて、眠ってしまったらしいのだ。
それで、騒がしいので目を覚ましたら、ドロントが入って来たのだと言う。
「危ないぞ、樹里。今度からは気をつけないと」
俺は樹里に言った。すると樹里は決まりが悪そうに、
「申し訳ありません、左京さん」
と深々と頭を下げた。何故か、すごく悪い事をした心境になる。
そして俺達は事務所に帰った。
「あれ? 誰か、忘れているような気がするが?」
ありさはそのまま警視庁に連れて行かれ、一晩留置場に泊まったと言う。
めでたし、めでたし。