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切腹歴

作者: 雉白書屋

「うん、君のことは話を聞いて、大体わかりましたっと。えー、それで……お父さんはご存命?」


「それは……」


 とある会社。就職面接にて、青年は口ごもった。必ず聞かれるとわかっていた。どう受け答えするか予習さえしていた。なのに言葉が出てこない。


「……はい」


「うん? それで、今何をされているのかな?」


「父は……今、無職です」


 嘘がつけない性格だった。それもあるが先程、口ごもったことで面接官に全て見透かされたと彼は感じ、正直に話すことに決めた。自分の誠実さをアピール。尤も、誠実そうな青年など珍しくもない。こと、就職面接の場では。彼もそれがわかっている。だからどこか縋るように声は震えていた。

 パイプ椅子に座る彼。膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。机を隔て、同じくパイプ椅子に座る三人の面接官。真ん中に座る男が「ふーむ」と声を漏らし、背もたれに体重を預ける。椅子が軋み、その背後の窓、シャッターのその一部歪んだ隙間から鋭い光が彼の目を刺し、彼は片目をつぶる。無意識のうちに身を丸めていたらしい、それに気づいた彼は背筋を伸ばす。まだ終わっていない。まだ……と己を奮い立たせる。


「まあ、そういうこともあるよね」

「そうですな」

「ええ、ええ」


 と、面接官三人が笑顔を見せる。が、それは彼の父を嘲笑うものではない。緊張の糸が解けたことによるもの。この空気の緩み。それは採否が決したことを意味している。彼は足先から冷えていく感覚がした。

 抗いたかった。まだ何か質問して欲しかった。話がしたかった。自分にどれだけこの会社に対する思いがあるか、役に立てる覚悟があるか、ミスをしない、してもそれを挽回する気概があるかを知って欲しかった。

 彼のその熱いまなざしに気づいたのか、それともただの時間潰しか、面接官の一人が口を開く。が……


「それで、お父さんは会社勤めだったんだよね」


「……はい」


「どうしてお辞めになられたのかな? 君の年齢からして、お父さんもまだお若いんじゃない? 引退にはまだ早いよね?」


「……はい。それは、その会社をクビに」


 言うしかなかった。調べればわかることだ。面接官らの反応は「ああ、やっぱりね」そして話題はこの社会のこと。彼の話題から徐々に遠ざかり、彼自身もまた椅子に座ったまま遠のく感覚がしていた。





「……ただいま」


「おー、おかえり。どこ行ってたんだ?」


「……就活だよ」


「おー、そりゃ大変だなぁ」


 彼は誠実であり、また優しい性格だった。ゆえに家のドアを開ける前、たとえこの苛立ちの原因が父にあろうとも決して当たり散らさないようにと、深呼吸していた。

 が、その許容量は容易く越えられた。廊下までに散乱したゴミ。リビングでテレビを見ながらの晩酌。そしてテレビに向いたまま、息子の顔を見ずに会話し始めたこと。どこ行ってたかなど少し考えればわかるはず。そして就活が大変なのは誰のせいかも。


「あんたのせいだろ!」


 彼がそう怒鳴ると、父親はビクッと体を震わせ、彼を見た。

 そのキョトンとした顔、さらにテレビから聞こえる『ワハハハハハ』という笑いもまた彼の神経を逆撫でした。そして父親のその笑顔も。


「どうしたんだよぉ、大きな声出してぇ。ほら、とりあえず座ったらどうだ? アドバイスしてやるからさ」


「アドバイス……? アドバイス、アドバイスアドバイス。あ、あ、あんた、働いていなくせに就活のアドバイス?」


「おいおい、親にさぁ、あんたって言い方はないだろぉ」


「バイトしても叱られたらすぐ辞めるんだってな。近所のおばさんがわざわざ教えてくれたよ! 情けないって母さんにも逃げられてさぁ……」


「はははは……お前も、父さんのこと情けないと思うか? そうだよなぁ……でもなぁ」


「あんたが! 最初! 会社でデカいミスをしたとき、ちゃんと対処しとけば誰も惨めな思いはしなくて済んだんだよ! わかってんのかよ!」


「うーん、それはわかってるけど、父さんは惨めだとは思わないなぁ。バイトだってまだ見つければいいし、人生、健康でそれに家族さえいればそれで幸せなんだと、父さんあの時、気づいたんだよなぁ」


「だから! そのバイトだってミスしたら逃げ出すんだろ!」


「ま、まあ、ちょっとそのトラウマみたいになっててな。でも徐々にだな、この社会に立ち向かっていこうとな」


「家族さえいればいいってさ……。俺はそうは思わないよ。あんたみたいのと一緒の暮らしじゃさ」


「お、おい……」


「ご先祖様みたいに切腹すればよかったんだよ! なんでそれができないんだよ! 俺ならやったね! 会社のために、家族のためにさ! 結局あんたは自分の身が一番かわいいんだよ!」


 そう言い切るか否や彼は父親に背を向けリビングから出て行った。熱くなった目頭。涙をこぼす前に部屋に戻りたかった。泣くなんてなさけない。俺は男だ。ああ、切腹だって必要に迫られればしてやったさ。

 彼は枕に顔をうずめ、いつしか眠りについていた。


 やがて、空腹に内から揺り起こされた彼。自室を出て、リビングに向かう。さすがに言いすぎただろうか、と思ったが惣菜パンの空袋を踏み、いや、あれくらい言ってやっていいんだと自分に言い聞かせる。

 が、それも点けっぱなしのテレビを目にすると顔を顰め、言い足りなかったかなと思い返した。

 まったくだらしない。……しかし、消そうとリモコンを向けた瞬間、その思いは消えた。



『包丁を持った男性が陸橋の屋根の上に乗り――』


 現場のアナウンサーが慌ただしく、確認するように説明しているが、彼の耳にはあまり入ってこなかった。

 彼の神経はその両目に集中していたのだ。次いで口に。


「父さん……?」


 映っていたのは彼の父親だった。カメラがズームアップした瞬間、父親の魂の叫び、その声が彼の耳に届く。


『なあ、み、見てるかぁ!? 息子よ! い、今み、見てなくても! 明日の朝のニュースで知るだろう! だ、だから、話すのはこれを最後にする! えー、あー、えー、さあさあ、ごらんくだせぇ! ここにおりますは、なんとも惨めな男! 会社でやらかし切腹を迫られるも逃げ出した男でござんす! これまで切腹して来た先祖に顔向けできねぇ、けれどけれども、こんな男にも子がおりやす! タイミングは逃したかもしれやせん、だけどチャンスを与えてはくださりませんかぁ!? この情けない父親に切腹の機会を! そして息子には、いい、いい人生を送るチャンスを! さあさあ、ごらんくだせぇ……ふぅー! ふぅー! うぅ! あああううぅぅぅぅぅあああああああ!』


『やった、やりました! 服を捲り上げた男性が今ついに! おなかに包丁を突き刺し、切腹! 切腹です!』



 気候の安定、平和な日々が続き、人口の増加は留まることを知らず各国、人が溢れんばかりの勢いであった。

 多種多様、人それぞれに個性はあるが、大きく分類されるのがこの世の常。顔が美しいか醜いか。頭が良いか悪いか。性格が明るいか暗いか。上出来不出来。有能無能。仕事ができるかそうでないか。会社の役に立てるか否か。会社に損害を与えたとき、詫びることができるか。そう、切腹を。

 溢れんばかりに人がいる世の中なら、溢れ落ちた人。その命をも軽んじられるのも無理はない話。ただ歩いているだけで踏み殺した蟻。交通事故も毎日、毎時間起きるようであればニュースにもならない。せいぜい、今週の死亡者数と題して発表されることがあるかないかその程度。尤もそれもまた目にはただの数字としか映らない。

 軽い命。希薄な個々。評価されるは卓越された能力。それがないものは生き様、それすなわち死に様なり。

 就職活動。掃いて捨てるほど来る就活生。父親が犯罪者とそうでない者。どちらを採用するか。父親が会社でミスをした者とそうでない者。どちらを採るか。当人には関係ないか。いや、遺伝子、その精巧な設計図は無視できるものではない。

 今よりその昔、クビを言い渡された社員がその場で腹を切った。これで何卒、何卒、我が子の未来にまで傷は……と、それが遺言。

 その話は人々の感動を呼び、感化される者が続出。なんとなんと不祥事を起こした政治家までも腹を切ってみせた。これは奇跡。やがてそれが誠意。強要。当然とばかりの世の中になった。


「父さん……父さん、すごいよ、ありがとう……」


 彼はついに堪えていた涙を流した。父の血と息子の涙。それは直接交わることはなかったが、この瞬間、彼は確かに受け取った気がしたのだった。脈々と受け継がれて来た、その何かを。


『現場では拍手が巻き起こっています! 見ていた方にちょっとお話を伺ってみましょう!』

『いやー、いい切腹だったねぇ!』

『恰幅が良いだけあっていい切腹! なんてね!』

『私、感動しちゃいましたぁ。うちも昔、お父さんが切腹してくれてぇ』

『うちは祖父がしましてねぇ。ちゃんとした作法でね。まあ、こういうのも悪くはないですね』

『ねえねぇ、おとーさんも切腹してよー』

『イヨッ! ナイスハラキリー!』



「こ、こんな……世の中……間違ってるぅ……う……ぅ…………」


 父親が最期に溢したその言葉は彼を賛美する声と拍手に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。

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