20 公爵家の妻
今日アイラは、一人でアンブロス公爵家に挨拶に来ていた。なぜかアイラ一人で来て欲しいという指定があったので、父親とは共に来られなかったのだ。
「本当に大丈夫だろうか? 本来なら、私もご挨拶に行くべきなんだが」
「向こうがそう仰っているんですもの。大丈夫ですわ、失礼のないようにします」
「……私はアイラ自身の心配をしているんだ。条件が良すぎて、少し不安なんだ。何か変なことがあれば、すぐに報告するんだよ」
「わかっておりますわ」
アイラの父親はとても心配そうに、屋敷から送り出してくれた。アイラも正直少し不安だったが、ファビアンの家族とも関わる機会が増える以上きちんと接しないといけないと思っていた。
「お嬢様、ではまた後でお迎えに参ります」
「ええ、ありがとう」
侍女のリラとも門の前で別れ、一人でアンブロス公爵家に来たアイラはその屋敷の豪華さに驚いた。
ロッシュ子爵家もあの火事以前は貧しくはなかったが、比にならないほどアンブロス公爵家は煌びやかで広かった。
「……すごいお家だわ」
改めてとんでもない場所に嫁ぐのだと思い、アイラは不安な気持ちになっていた。
「アイラ様、お待ちしておりました。こちらでございます」
恭しい使用人に案内されて、豪華絢爛な廊下を歩いているとところどころで厳しい視線が送られてくる。
その視線は『この家に相応しくない』というものだろう。アイラはどうやら歓迎はされていなさそうだと思いながら、何食わぬ顔を作った。
客間に着くと、ファビアンとその両親が待ってくれていた。
「噂は知っていたが、近くで見ると本当に可愛らしい方だ。息子をよろしく頼むよ」
「は、はい。こちらこそよろしくお願い致します」
ファビアンの父親は穏やかな表情と口調だが、とても威圧感を感じた。とても一筋縄ではいかぬ人物だと、アイラはすぐにわかった。
「私はまだ認めていませんわ! こんな子爵家の小娘など」
とても妖艶な美しさの母親は、ぎりっと唇を噛んでアイラを睨みつけた。
「母上っ!」
「我が家に相応しくないと申しているのです。私は認めませんからね!」
失礼するわとツンとそっぽを向いて、母親は部屋を出て行った。
「……アイラ嬢に不愉快な思いをさせてすまないね。あいつは息子が取られるようで嫌なのだ。私から後でちゃんと言い聞かせるので、どうか許して欲しい」
「許すだなんてそんな。お義母様の仰ることは……事実ですから。家格が合いませんもの」
アイラは素直にそう思っていた。言い方は失礼だなとは思うが、母親の気持ちもわからなくはない。公爵家ならば王族と結婚することも可能な程の家格なのだから。
「アイラ、すまない。母上のことは私に任せて欲しい。勝手なことはさせないから」
「いえ、私もお義母様に認めてもらえるように頑張りますわ」
「ありがとう」
ファビアンは嬉しそうにニコリと微笑んだ。
「そう言えば、アイラ嬢は優秀らしいね。ロッシュ領では平民の教育にも力を入れているとか?」
「あ……はい。そうなのです」
「実は君が作った平民向けの教科書を取り寄せて、見せてもらった。とても素晴らしい出来だったよ」
「そんなものまで見ていただいたとは。恐縮です」
子どもたちに教えるためのものを、まさか見られているとは思わなかった。
「今度、アンブロス領内でも教育に力を入れようと思っていてね。協力してくれると嬉しいのだが、どうかな?」
「よ、よろしいのですか?」
きっとファビアンの両親には仕事をすることを反対されると思っていたので、アイラは父親のその好意的な言葉に胸を弾ませた。
「ああ、もちろんだ。あの教科書の版権は君が持っているのかな?」
「そうです。実は結婚前に、弟に譲ろうかと思っていたのですが……」
「アイラ嬢、それを我が家に譲ってくれないか? そうすればロッシュ領内の平民への支援も、我が家が費用を出して積極的に行おう。わが領民も助かるし、とてもいい話だと思うのだがどうかな?」
その提案を有難いなと思いながらも、アイラは少し悩んだ。今のところアイラが作った教科書の版権に特に大きな価値はないが、自分の考えたものを他人に譲ることに抵抗があったからだ。
元々は結婚前に『アイラの教育への思い』をわかってくれている弟に版権を譲ろうかと思っていた。
「……少し考えてもよろしいですか。父にも相談したので」
その瞬間、アイラはまるで刃物で刺されるような鋭い視線を感じた。驚いて固まっていると、父親は普段のファビアンと同じ笑顔を作った。
「もちろんだ。いい返事を期待しているよ」
「は、はい」
嫌な感じがして、アイラは背中に冷や汗をかいていたが必死に表情を取り繕った。
「アイラ、庭でお茶を飲もう」
「はい」
「父上、失礼いたします」
ファビアンの提案に、アイラはホッと胸を撫で下ろした。これ以上、この父親と相対するのが怖ったからだ。
「お庭、とっても素敵ですわね」
「気に入ってくれて良かったよ」
外に出てみると、庭は美しく整えられており花が咲き誇っていた。一目でアンブロス公爵家のレベルが、他の貴族とは違うことがよくわかった。
いつの間にか使用人たちにより、紅茶やお菓子のセッティングが整っておりファビアンはアイラのためにそっと椅子を引いてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
それからは向かい合って座り、他愛ない話を繰り返した。
「ああ、いいな。美しい風景に、可愛らしいアイラがいるとまた格別だ」
「こんな素敵なお花の前では、私など霞みますわ」
「そんなことはないさ。アイラはものすごく素敵だよ」
ファビアンは頬を染めながら、ジッとアイラを見つめた。あまりに見られるので、アイラは困って紅茶を飲む振りをした。
「お、美味しいですね。どこの紅茶なのですか?」
「これは隣国のものだよ。香りがいいよね」
「そうなのですか」
居た堪れなくなったアイラは、どうでもいいようなことをペラペラと話した。
「そういえば、あの建物はなんですか?」
庭の端にレトロな建物があったので、アイラはなんとなくファビアンに尋ねた。
「……」
急に黙ってしまったファビアンを不思議に思って、アイラは首を傾げた。
「ファビアン様?」
「……あそこは倉庫だよ。古いからもう使っていないんだ。危ないから絶対に近付いてはいけないよ」
「そうなのですね。わかりました」
お茶を飲み終わった時に、ちょうどロッシュ子爵家から迎えの馬車が来た。
「本日はお招きいただきありがとうございました」
アイラは丁寧に頭を下げ、ファビアンと父親に挨拶をした。母親は顔を見せてはくれなかったからだ。
「ああ、またおいで」
「ありがとうございます」
「父上、私は門まで送って参ります」
ファビアンにエスコートをされ、アイラは玄関から門までの道を歩いた。やっと終わったと、アイラは内心ホッとしていた。
「ふふ、安心した顔をしているね」
「え? あ、いえ。そんなことは」
「今日は来てくれてありがとう」
馬車の前に着くと、ファビアンはアイラの頬を細く長い指で包み込んだ。
だんだん近付いて来る顔に驚き、アイラは咄嗟に顔を背けた。
「……やっ!」
やってしまった後に、アイラは青ざめた。婚約者に対する態度ではなかったからだ。
「……」
「あ、あの。外は人の目がありますので……その……恥ずかしいですし」
アイラは必死に言い訳をした。キスが嫌だったなんて口が裂けても言えない。
「アイラは恥ずかしがり屋だね」
「……」
「そんなところも可愛いけどね。じゃあ、今度二人っきりの時にしよう」
美しい顔で笑ったファビアンは、アイラのおでこにキスをして手を振った。馬車に慌てて乗ったアイラの身体は、小さく震えていた。
「……お嬢様」
「ごめんなさい。なんか怖くなってしまって」
「お嬢様、今からでもやはり旦那様に相談しましょう。好きでもない方と結婚など無理です」
「大丈夫……大丈夫よ。お父様には絶対に言わないで」
ファビアンに触れられるたびに、アイラはオスカーのことを考えてしまう自分が嫌だった。




