第2話 食堂デートは、お忍びで。
『ねぇフェリスさん、お父様とお母様って……どんな人だったの?』
レンゲル家の養子になって、フェリスさんから料理を教わって……少しは孤独が薄れて……でも、時々は、寂しくて……夜に泣いてしまって……そんな時に、僕が眠るまで一緒にいてくれたフェリスさんに……そう訊ねた事がある。
お父様とお母様が亡くなったのは、まだ僕に物心がつく前で。そのせいか、二人には悪いけど……二人が亡くなって数日した頃に……お父様と、僕を抱いたお母様と……そしてフェリスさんが写っている集合写真を見せられるまで……僕は両親の顔を思い出せなくて……だからこそ、両親の事を知りたいと思ったんだ。
『それはそれは、とても立派な方々でしたよッ』
フェリスさんは、昔を懐かしむように、微笑みを浮かべて……それから、僕の両親の事を話してくれた。
『私は最初、ルイス様のお母様のレイナ様専属のメイドでした。ですが小さい頃は姉妹みたいに育ちましたから……ご主人様というよりお姉様、な感じですね。
とにかくそんなレイナ様は、最初はお嬢様だったんですが……なんとお家が没落しまして……でもそんな時、お家再興のための勉強の過程で、あなたのお父様……レイナ様とは違って、魔力が少なかったという理不尽な理由で家を追い出されて、貴族ではなくなったアラン様と出会いまして、そのご縁でお二人は結婚しました。
お二人は共に勉強熱心な方で、二人で協力して、この王国の将来のための研究をなさって……その功績が王様に認められ、男爵位を叙爵されて……本当にご立派でした。特に、アラン様……私の、お姉様を託せるような……本当に、立派な、方でした……』
最後の方は、少し……涙声がまじりながら。
それでもフェリスさんは……全てを話してくれた。
でも、その時……聞いた話は。
カウロス兄さんから、聞かされた話のせいで……僕の中で、今にも裏返りそうになっていた……。
※
お茶会が開催された日の、夜の事……。
カウロス兄さんから告げられた話に、衝撃を受け……僕は自室のベッドの上で、パジャマにも着替えず…………泣いていた。
信じたく、なかった。
でも、カウロス兄さんが……何の確証もなく、あの話をするとは……後々、自分が不利になるような嘘を吐くとは……到底思えない。
「おやすみ前に、申し訳ありませんが」
すると、その時だった。
僕以外、誰もいないハズの僕の部屋で…………聞いた事のある女性の声がした。
でも、いったい誰だったのか……思い出せなくて。思わず大声で、相手が誰なのかを訊こうとして…………意識が途絶えた。
※
「そろそろお目覚めになってくださいませんこと?」
またしても、聞き覚えのある声がして……僕の意識が、覚醒し始めた。
でも、その声は……僕の部屋で聞いた声じゃなくて……でもどっちにしろ、僕にとってはあり得ない声で……。
「そろそろ強引な事をしたお詫びをしたいと思ってるのですが……ッ! ようやくお目覚めですわね、ルイス様♪」
そして、訝しげに、おそるおそる目を開けて……僕は絶句した。
なんと、目の前に……なぜか庶民の格好をしたイーファ・レイクス男爵令嬢と、その護衛の、イーファ嬢と同じく金髪碧眼の男性……それから、イーファ嬢の専属メイドさんである、黒髪に鳶色の瞳の女性が……あっ、今、思い出した。僕の部屋で聞いた声、アレは……イーファ嬢の専属メイドさんの声だッ!?
って、いやいや、それより……なんでみなさん、僕の目の前に……しかも庶民の格好で…………というかここはいったい!?
すぐに周りを見回す。
するとそこは、見知らぬ……公園のベンチの上だった。
「いきなりごめんなさい」
そして、僕が……とりあえず、何が起こったかはともかく、今がいったい、どういう状況なのかを確認した……その時だった。
なんとイーファ嬢が、僕に……護衛の男性と、メイドさん共々頭を下げた。
「どうもあなたの住んでいるお屋敷は監視が厳しいようでして。ゆっくりと二人で話し合える場所に、あなたをご招待するには……もう、こっそり身代わりを置いた上で拉致するしかありませんでしたの」
そして、貴族の令嬢が吐くとは思えない、台詞を言われて……僕は、当然ながら困惑した。もしかして……夢じゃないかって、思えるくらいには。
でも彼女は……イーファ嬢はそんな僕の困惑など些細な事と思っているのか。
数時間前に……料理のお礼のために呼んでくださって……それで、その時に僕に向けてきた、あの笑顔を……もう一度僕に、向けてきて……。
「ルイス様、ほんの数時間でいいですから……お付き合いくださいませんこと?」
僕を……秘密の、デートへと誘った。
※
「いただきます」
そう言いつつ一度合掌し、イーファ嬢は……なんと庶民の服装の懐からマイ食器――ナイフとフォークを取り出し、構えた。
そして彼女は、目の前に出された料理……ハンバーグ定食を……見ているこちらまで蕩けてしまうような笑顔で、食べ始めた。
「んん~~ッ!! 美味しいですわ!!」
右頬に、右手を当てながら……彼女は言う。
この国の、同盟国である……東亞合衆国には『美味しい物を食べたらほっぺたが落ちる』という、言葉があるらしいけど……まさに、それなのだろうか。
というか、いったいここはどこなのか。
いや、店名は……さすがに分かってる。
【大衆食堂アナトリア】。
確か、隣国で『日の出』を意味する……そんな、名前を付けられた食堂だ。
だけど、そのアナトリアがある場所は……いったい、どこなのか。
屋敷から、一度も出た事ない僕には……まったく見当がつかない。もしかして、イーファ嬢の実家がある町の……中だったりするのかな?
「…………ルイス様? 早く食べましょう? 料理が冷めてしまいますわ」
「ッ!? え、ぁ……い、いただきます」
でも、その思考は……すぐに、途切れた。
どういうワケなのか、僕が……イーファ嬢と、そのアナトリアで……一緒にで、デート……というか、食事……を……する事になったのを……改めて、思い出したのだ。
本当は、こういうのは……婚約者がいる方との、デートは……貴族として、してはいけない……事だと思うけど……でも、出された料理を冷ますのは……料理人として、看過、できなかった。
だから僕は……僕の前に出された、イーファ嬢が食べているのと、同じ……ハンバーグ定食を食べて…………既視感を、覚えた。
何だろう、この味は……。
とても、懐かしいけど……何か、違う……よう、な……?
「…………実はこの食堂、あなたの専属メイドであったフェリス・ハルヴィンさんがかつて勤めていた食堂ですの」
「……ぇ……?」
そして、僕が目の前の料理の味に……困惑している時だった。
その僕に、真っ直ぐな視線を向けて……イーファ嬢はそう言った。
「しかし、彼女は弟子を取る前にルイス様の屋敷へと異動する事になり、この食堂の近所の方々は……もうフェリスさんの味が忘れられなくて、それで彼らの中の、特に料理が得意な方々が、フェリスさんの味の再現と並行して、現在経営しているんですの」
「な、んだ……って…………?」
衝撃的な、さらなる……予想外の事実に、僕は気が動転して……目が回りそうになった。フェリスさんが……食堂を、経営? え、どういう……事なの? 時系列が……分からない……でも、この食堂の、味…………確かに、フェリスさんの味と……凄く、似てて……でも、何かが違って……。
「ッ!? ご、ごめんなさい、ルイス様」
すると、どうしたのだろうか。
突然イーファ嬢は……僕に、ハンカチを差し出して……目元を拭いてくれて……もしかして、僕……泣いてた…………?
「……今は、全ては話せません」
そして……僕の涙を拭い終えたのだろうか……イーファ嬢は、ハンカチを懐へと戻すと、悲しげに目を細めながら……いきなり、ワケが分からない事を言った。
「ですが、これだけは言わせてください。
私は、あなたの専属メイドであったフェリスさんを捜していますの。
もしも、彼女の行方をご存知なのであれば……どうか、教えてくださいませんでしょうか? 彼女の主であったあなただけが頼りなんですわ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいッ」
僕は、混乱のあまり……思わず大きめの声を上げて、その場で立ち上がった。他のお客さんの視線を感じて……さらに緊張して、膝が、震えそうになる……でも、どうしても、訊かなきゃ……!
「な、んで……フェリスさん、を…………僕の、本当のお母様を捜しているんですかッ? も、もしかして、あ、兄に……近付いたのは――」
「…………ぇ?」
『『『『『…………え、えぇえええええええ――――ッッッッ!?!?』』』』』
次の瞬間、僕はさらに驚愕した。
どういうワケだか……フェリスさんを…………僕のお母様の事を知っているハズの、イーファ嬢が……呆けた顔をして…………そして、周りのお客さんが、僕へと視線を向けつつ……驚いた声を出したからだ。
「オイ坊主! どういう事だ!?」
「お前、フェリスちゃんの息子だったのか!?」
途端に、食堂内は……混乱に見舞われた。
そしてその混乱の中心は……当たり前だけど、僕だ。
僕が、後先考えない発言をしたせいで……こんな事になっている。
でも、その混乱はすぐに収まった。
イーファ嬢の護衛の男性と、専属メイドさん――僕とイーファ嬢の近くで、飲食をしていた二人が立って、何かを呟いて……お客さん達にいったい何をしたのか、すぐにお客さんが席に戻ったのだ。
「…………詳しいお話を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
そして、そんな二人の主たるイーファ嬢は……僕へと、改めて質問をしてきた。