第1話 義兄の婚約者は、空腹令嬢だそうです。
「よぉ、相っ変わらず……貴族にしては変わってますなぁルイスくんは」
「……カウロス兄さん」
そして、それからさらに半年……僕が七歳。カウロス兄さんが十二歳になった頃の事。
そのカウロス兄さんが、調理場から出てきた僕を見るなり、冷笑を浮かべながらそう言った。
小さい頃は、そこまで仲は悪くなかったハズなのに。僕が転びそうになったら、手を貸して支えてくれる……そのくらいの事はしてくれたハズのカウロス兄さんは……いつの間にやら、たとえ弟ではなくとも……従弟ではある僕に対して、冷笑を向けるようになっていた。
「フン、相っ変わらず反応薄いな、お前は。面白味がねぇ」
「……ゴメン」
僕は、つい謝ってしまった。
カウロス兄さんの方が年上だから、というのも、もちろんあるけれど、それ以上に……彼が強圧的な声色を、時々、半年くらい前から僕にかけてきたせいもあるかもしれない。そしてそのせいで、いつの間にやら僕の中では……カウロス兄さんは恐怖の対象になっていた。
「……まぁいいや。そんなシケたヤツだろうと、俺の弟だからな。一応伝えなきゃと思ったから言うわ。
俺、婚約したから」
「…………そ、そうなんだ。おめでとう」
「…………はぁ。マジつまんねぇなオマエ」
強圧的な声を、カウロス兄さんはまた僕にかけてきた。
「ここはさぁ、いったい誰と? とかどんな人? とかの質問をする場面じゃないカナぁ?」
いや、それどころか。カウロス兄さんは僕の左頬に右拳を押し付け、グリグリと動かしてきた。少なくとも、嫌われていなかったと思っていたカウロス兄さんからされて、心身共に、それなりに痛みを感じる……彼なりの挨拶の一種だ。
「……あ、相手は……誰なのですか?」
強圧的な声だけでなく、グリグリまでされて……僕は恐怖のあまり、足だけじゃなく声まで震えそうになるけど……なんとか声を出した。声を出すまで、この挨拶を彼はやめないから、絶対に何かは口にしなくちゃいけない……そうは思うけど、それでもやっぱり…………カウロス兄さんは怖い……。
「おう、よくぞ訊いてくれた!」
カウロス兄さんは僕から拳を離し、再び冷笑を向けながら話し出す。
「相手はイーファ・レイクス男爵令嬢だ。巷じゃ空腹令嬢だとかいう、オマエ並みに変わった令嬢でな……おそらくその二つ名からして、淑女らしからぬ大食漢なのかもしれねぇな。今まで会った事ないから分からんけど」
イーファ・レイクス。
僕でさえも、聞いた事がある……ちょっと前から、王侯貴族の世界で有名になり始めている男爵令嬢だ。
カウロス兄さんの言う通り、空腹令嬢と呼ばれていて、そのせいで彼女の家は家計的に危機を迎えているとかいないとか。さらには、そんな淑女らしからぬ体質のせいで、今まで多くの婚約が破棄されたとか……とにかくそんな令嬢らしい、と。
「ま、でも……大食漢程度、俺は気にしないけどな。
というか写真を見た限りじゃ……別にブスとかデブってワケじゃあない。むしろ美少女だ。クククッ、楽しくなるなぁ……これから」
そしてカウロス兄さんは、どことも知れない場所へと冷笑を向けると……勝手に僕から離れていった。ただ単に、僕に自慢したかったんだろう。弟よりも先に婚約者が決まったから、弟に悔しい思いをさせたかったのだ。
※
「カウロス様、本日はお招きいただき……誠にありがとうございます」
そして、カウロス兄さんが僕に婚約した事を告げてから……一週間後。
そのカウロス兄さんと婚約したイーファ・レイクス男爵令嬢が、カウロス兄さん主催のお茶会……というより、巷ではおうちデートと呼ばれるモノに参加した。
イーファ嬢は、カウロス兄さんの言う通り……確かに綺麗な人だった。
目鼻立ちが整っている……だけじゃない。腰まで伸びた金色の髪に、まるで海のように碧い瞳、という、目立つ特徴も合わさって……まるで、神話に登場する妖精や女神の類ではないかと…………少なくとも、僕は思った。
しかし僕は、そんな彼女を……窓越しでしかお目にかかれない。
あくまでも今回のお茶会は……カウロス兄さんとイーファ嬢が主役のお茶会だ。
僕は……イーファ嬢が噂通りな方だった場合に備えた……調理場における助っ人の一人に過ぎない。
「いいかお前ら、それにルイス様も!!」
レンゲル家の料理長である、フレイ・ヴェントレーさんが、調理場にいる料理人全員に声をかける。
「俺が知り合いの料理人から聞いた、イーファ様の噂が本当ならば、彼女は調子が良い時は五人分の料理をペロリと食べてしまうような方だ!! 油断すると彼女が不機嫌になるような展開になりかねない!! そしてそんな状況になったら旦那様から何を言われるか分からん!! 今の内に、フルーツ系や菓子類系を始めとする料理の準備を始めるんだ!!」
ッ!? ええっ!? そ、そんな噂があるんですかフレイさん!?
というか、僕以外の料理人も驚いている様子だった。
そして驚きながらも、僕を含めてみんな、主にイーファ嬢のための料理の準備を始めたのだった。
※
噂は、本当だった。
あれからすぐに、イーファ嬢の専属メイドさん経由で、この調理場に様々な料理の注文が来て、そしてその料理全てを……イーファ嬢はペロリと平らげた。
いや、実際にその場面を見てはいないけれど。
カウロス兄さんの専属執事のマーク・オーストさんが、それを間近で目撃したと言うのだから……本当だろう。
そしてその、数々の料理を作った、僕を含めたレンゲル家の全ての料理人は……疲労でグッタリしていた。
こんなに動いたのは、時々催される、レンゲル家のパーティーの時以来だ。
正直に言うと、皿洗いなどの後片付けをしないで自室に戻りたいくらいだけれど……さすがに、料理人として、そうも言ってはいられないので……僕達料理人は、最後の力を振り絞ろうとして……。
「この中で、フルーツゼリーを担当した者は?」
そんな中で、マークさんに声をかけられた。
しかも、彼が捜している人は……どういうワケなのか僕だった。
…………え、ちょっと待って?
まさかイーファ嬢が、フルーツゼリーをお気に召さなかったとか!?
そう考えた途端、思わず血の気が引いた。
そしてフルーツゼリーを作った者を……そんな顔色から察したのだろうか。すぐにマークさんは僕に近寄ると「ルイス様、イーファ様が、是非ともあなたに挨拶をしたいとおっしゃっています」と告げた。
※
「お初にお目にかかります。私、イーファ・レイクスと申します」
お茶会の会場であるレンゲル家の庭園に僕が赴くと、イーファ嬢は一瞬、なぜか目を見開くと……すぐに表情を引き締め直した上で立ち上がり、見事なカーテシーで僕を出迎えてくれた。
「こ、こちらこそ初めましてっ」
妖精や女神のように美しい人に自己紹介をされ、思わず緊張して、くぐもった声を出してしまったが……なんとか僕も、自己紹介した。
「る、ルイス・レンゲルといいます! ほ、本日は、我が家のお茶会にお越しくださり、誠にありがとうございます!」
緊張のあまり、後半は勢い任せで……ちょっと、大きい声で挨拶をしてしまったけれど……なんとか、失礼じゃない程度に言えたッ。
するとイーファ嬢は、なぜか「フフッ」と微笑みを浮かべ「そんなに固くならなくても大丈夫ですわ。別に、あなたまで取って食べようとは思いませんから」と、彼女なりの冗談なのか……そう告げると、
「今回あなたを呼んだのは、他でもありません。出された料理、全てが素晴らしいですが……特に、あなたの作った料理が素晴らしかったので、是非とも、その料理と私を巡り会わせてくださったお礼を言いたかったんですの♪」
とびっきりの笑顔を僕に向けて……そう言った。
※
イーファ嬢が僕を呼んだのは、どうやら、王国内にて売られている新聞の、片隅にて連載されている料理モノの小説の作中に登場する『この料理を作ったシェフを呼んでくださる?』という台詞と同じ意味合い、だったみたいだ。
ちなみにその小説、僕は読んだ事ないけど……フェリスさんが、連行される前にその存在は教えてくれた。だから僕は、イーファ嬢からその小説のネタも含めて、今回呼び出された経緯を知らされて……すぐに納得できた。
そしてその時……そのイーファ嬢から、笑顔まで向けられ……僕は思わず、失礼にも俯いて、恥ずかしくて「きょ、恐縮です……」と小声で言ってしまった。
妖精や女神のような方から笑みを向けられて……なんというか、心臓に悪いッ。
カウロス兄さんの婚約者だっていうのに……ぼ、僕に気があるかのように、か、勘違いしちゃうよ!!
か、彼女は僕の作った料理を気に入ってくれただけで、僕自身にはそういう感情は向けていないのに――。
「調子乗ってんじゃねぇぞルイスぅ?」
そしてその時の事を……イーファ嬢がお帰りになって、そして後片付けを終えて自室に戻ろうとする中で、思い返している時だった。
カウロス兄さんの声がしたかと思うと、突如、首元に衝撃を感じ……その直後に浮遊感を覚え……次に気付いた時、僕は……屋敷の壁に、叩き付けられていた。
もちろん、叩き付けたのはカルロス兄さんだ。
「アイツはなぁ、貴族である俺が狙っている女なんだよ。このレンゲル家の養子の分際で……いやそれどころか、本当の父親とその愛妾の子供のクセして……最下位とはいえ貴族の女に気に入られた程度で調子乗ってんじゃねぇ!」
そして、なぜ叩き付けられたのか……それを考える前に。
首だけでなく、後頭部や背中の痛みにも遅れて気付いた……まさにその時。
カウロス兄さんは……今まで僕が、誰からも……フェリスさんからも聞いた事がなかった……僕と僕の、両親の事を話し始めた。