8.惚れられた(?)弟子
「元あったところに返してきなさい」
レオンは顔を合わせるや否や眉間にしわを寄せてミアに言った。薬の納品を終えてシノとティータイムを楽しみ、西の森の魔女の家に帰ってきたミアは何のことだかさっぱりわからない。
何を返すのだという目で見ると、レオンはミアの後ろを指さす。指し示す方向を振り返ったミアは、ただただ驚いた。
「うぇっ! 犬!? なんで!?」
白いモフモフの毛をした中型の犬は、お利口にお座りをしてしっぽをパタパタと振り小さく「わんっ」と返事をする。
そういえばシノと別れる間際に犬を見かけた。ミアとシノは「あ犬だー」「犬だねー」「かわいいねー」といった他愛もない会話をした。犬とはすれ違ったはずなのだが、なぜここにいるのか。
「ミアなにかエサでもやったか?」
「やってないよ! なんなら指一本触れてないし!」
持っていたトートバッグを壁のフックに引っ掛ける。ローブを掛けている横が定位置だ。
お座りしていた犬がトートバッグの下にとことこやってきて底をクンクンと嗅いだかと思えば、ミアの足元に擦り寄り「くぅ〜んくぅ〜ん」と切なく鳴く。
「……!! かわいいっっっ!!!」
懐かれる理由はさっぱり分からないが、人でも動物でも懐いてもらえる事は嬉しい。ミアは座り込み、犬と目線を合わせる。ミアの目尻は下がりに下がっていた。
「お犬ちゃ〜ん、かわいいでちゅね〜ナデナデ〜モフモフ〜」
「くぅ〜んくんく〜ん」
「お犬ちゃんて……ネーミングセンス無さすぎ」
「ふふっ、ひゃっ、お犬っ、っぷ」
犬にペロペロ顔を舐められ、ミアはしゃべられなくなった。やめてと言いたいのにベロンベロン舐められるので口が開けない。
「おい、犬よ、そこら辺でーー」
止めてやれ、とレオンはミアから犬を引き離そうと一歩近づいた時、犬は突然ミアから興味を失くしたように離れた。トコトコと歩いた先でふわぁ〜とあくびをして丸まった。
「……何? 急にどうしたの……」
ミアは犬を抱き抱えているポーズのまま固まり、呆気に取られていた。さっきのまでの懐きようは幻だったのかと思うほどに、犬はミアには一切の興味を見せず背を向けて丸まっている。
「あぁ、そういうことか」
レオンは何か閃いたようだが、ミアは犬の突然のツンぶりにまだ現実を受け入れられないでいる。
「え、どういうこと? わたし何かした?」
レオンはミアに問いかける。
「ミア、実習はどうだった?」
実習。それはミアが薬を説明する実習だ。
「うん、受け取ってもらえたよ。惚れ薬じゃないかって言われたけど、そんなに作用はなくて緊張をほぐす薬だよって渡した」
「希釈して小瓶に入れる時、少し外側に垂れてなかったか?」
「垂れた垂れた。でもちゃんと手は洗ったよ?」
もし触ってもすぐに洗い流せば問題は無い。
手は洗っても小瓶の外側は拭っただけで、洗ってはいない。その瓶を手に取りトートバッグに入れて持って行き、取り出し、シノに渡したのだが、ミアはまさかと立ち上がった。
「ほ、惚れ薬の効果でお犬ちゃんはわたしに着いてきたの!?」
垂れた惚れ薬(希釈済み)を拭ったあとの残存する作用なんて普通は人にはほとんど効果を示さない。
「犬の嗅覚ってすごいらしいからな。今まで処方した中でも、聞いたことはないけど、こういう現象が今までにもあった可能性あるなぁ」
小瓶の外に残ったごく僅かな惚れ薬を触ったミアの匂いをキャッチした犬は、ミアに惚れたというか懐いた。
惚れ薬の作用時間は永遠ではない。せいぜい数十分から1時間少しだ。惚れ薬の作用から抜けたために、犬はミアから未練なく離れたのだった。
「なんか、すっごく寂しい。惚れ薬で惚れられてもこんな寂しくなるなんて……つらい」
初めて会ったお犬ちゃんだけでもこんなに寂しいのに、もしシノが好きな人に優しくされた後よそよそしくされたら辛いだろうとミアは思った。
「だから続けて使うんだよ。初めはかりそめでも、続けてりゃ本物になる」
「シノに続けて使えって言ってない!」
「ミアが持って行ったのは惚れ薬までの効果はないだろ。大丈夫だよ。この犬の鼻が特別いいのかもしれないしな」
犬はおとなしくレオンに撫でられている。
「そうだ、ミア。この犬明日までここで預かろうか」
「え! 飼っていいの!?」
「ド阿呆、誰も飼うとは言ってない。こいつちゃんと首輪つけてるしどこかで飼われてるんだよ」
レオンが首の白い毛をめくると、青い首輪が見えた。
「飼い主に返してやる前に、ちょっと魔女の手伝いをしてもらう」
「手伝い? 手伝いならわたしがするのに」
「ミアじゃダメな理由があるんだよ。いいか、ミアは明日惚れ薬を作れ。それが成功したかどうか、この犬に判断してもらうんだ」
ミアの惚れ薬作りには若干の不安がある。主に魔女の力を込めるときの想いについてだ。
魔女の力が正しく込められているかどうかは、実際に使ってみないとわからないことの方が多い。意外とミアは優秀なので、普段なら何も気にならないところなのだが、如何せんこれは惚れ薬である。愛する人を想う、恋焦がれる、そういった想いが必要なのだ。もし成功すれば犬が懐く。成功しなければ、何も起こらない。
「なるほど! いいアイデア! ……ってそれわたし全然信用されてなくない!?」
「ミアの事は信用してるよ。それはもちろん」
「ただ色恋を除いてな」という余計な一言で、レオンはミアの回し蹴りをくらうことになった。




