3.見習い神官は学園に行く
入学しました。
皆さまごきげんよう。今日の良き日にお会いできて光栄です。
何て、機嫌なんて最悪で暗い日々を送っている、見習い神官のマルルです。
本日、神子様のお供で学園に入学しました。
ええ、新入生もとい戦場の一兵卒ですよ。肉食獣の群れに放り込まれた神子様を健気に守るか弱き乙女です。
ちょっと、笑いごとじゃありませんよ。もう。
神子様の御入学にお供することになったのは、不肖の私マルルと新しく側付きになったグリード先輩。
先輩は貴族の御子息だったんだけど、もう宣誓して神官になったので家名は捨てたんですって。神子様の側付きの中じゃ一番若くて、歳は二十三だそうです。
私の印象では穏やかでしっかりしている人って感じかな。そういう人は老成してるって言うんだって。いい意味らしいけど、まだ若いのに老人ぽいって……。若年寄?
私はそんな風に呼ばれたくないな。呟いてたら、マルルは有り得ないから大丈夫だって言われたの。なんか、貶されたような……。
それでグリード先輩には色々と教えてもらってる。物知りなのよ。
同期だったエドガーもそうだったけど、先輩は誠実そうな好青年で、あっちはグレーな部分というか、ううんチャコールグレーかな……。あれ、黒さが増した?なんとなくだけど、そんな所があるんだ。
まぁ、そういうトコもエドガーらしくていいと思うよ、うん。
話が逸れちゃった。
それからもう一人、護衛のハインツさん。なんとこの方、聖騎士さまです。いるのは知ってたけど初めて見たかも。
神殿で護衛の任についているのは神殿騎士です。主に教皇猊下のおられる、通称本宮で働いています。その中で、神様にお許しを受けた方だけが成れる特別な騎士様なんです。
私のいる神子宮は、神子様の御神力で国中のどこよりも安全な場所だから、騎士なんて入り口の所にいるだけ。神子宮全体が護られていて、悪意を持つものは入り込めないらしいよ。すごいよね。
だけど、台所の黒いヤツには効果ないの。害虫だけど悪意はないのね……。
だから、神子様が神殿外にお出かけの時だけ、護衛が付くの。神子様の側で危険なんてないけど一応ね。 なのにわざわざ聖騎士さまが来たんで、ちょっとビックリした。
そのハインツさんは伯爵家の御子息で歳は二十六だそう。背が高くって騎士様だから鍛えられたお身体をお持ちです。
そして番外というか、元同僚のエドガーが学園では御学友兼臨時側付きとして、神子様と同行することになったの。
思えば最初から大変だった。
朝から馬車に乗せられて、そう、神子様用の豪華馬車よ。座席なんてフカフカなのよ。私なんか乗合馬車でさえ月に一回乗るか乗らないかなのに……。
「ええっ、これに私も毎日乗るんですか?贅沢すぎるー」
畏れ多くて顔色が悪くなった私が、そんな事を言ったら神子様以外の二人に笑われた。
「贅沢って……プッ、フフフ」
「ハハハ、そんな大げさだな。そんなに驚く程のものじゃないだろう?女性を長時間歩かせるわけにはいかないからね」
「長時間って、歩いて十分ですよ?」
これだからお貴族様は……。男子たるものそんな軟弱でいいのか?胡乱な目を向けてしまう。
「まぁ、そうだね。でも神子様もいらっしゃるし、護衛の都合もあるから仕方ないね。ハイ、遅れるといけないよ。乗って乗って」
ハインツさんがごまかす様に急かすから、おこがましくも神子様と同乗させていただいた。もちろん、先輩も一緒です。護衛のハインツ様は騎馬でお供です。
神子様はいつも通りのほぼ無表情な極薄笑顔で、私たちのやり取りを眺めてたけど、なんとなく面白がってたみたいな気がする。
最近ちょっと表情を読めるようになってきたんだ。側付きとして成長してるよね。うんうん。
馬車だと五分もかからない学園についた。
ドアを開けてくれたハインツさんが私に向かって手を差し出した。なんだろう?首を傾げた私に微笑むと
「御手をどうぞ。お嬢様」
なんて言ってくれちゃった。もしかしてエスコートって言うやつですか?私に?ど、どうしましょ。
動揺して真っ赤になりながら、ハインツさんに手を取られて馬車から降りようとした途端、悲鳴のような甲高い声が響いて思わずドアの所で固まった。
何事?誰か曲者でも出た?そっと周りを窺う私に周りから視線が飛んできた。
えっ、私見られてる?何処か変?ちゃんと用意してもらった制服に着替えてきたよ。寝癖も直したはず。
ええと……。アッ、そうか神子様だと思ったのね。ごめんなさい私が先に出て、ハイハイ、直ぐどきますよ。
想定外の注目に挙動不審になりかけたけど、理由に思い当たって納得した。
ハインツさんに促されて何とか外に出ると、学園の玄関扉の前に不機嫌な顔したエドガーが立っていた。
「大丈夫か?お前」
「ええと、うん……。あっ、ご、ごきげんようエドガー様」
引きつっているであろう笑顔を浮かべて、習ったばかり淑女の礼をとる。
顔なじみのエドガーに声を掛けられて私もホッとしたんだけど、また視線が集まってきたのよ。何だか、身体がピリピリというかチクチクしてるんだけど。
だから、後から降りてきた神子様とグリード先輩の後ろにサっと隠れた。それで、やっと逃れることが出来たけど、視線って痛いものなんだね。初めて知ったよ。少し怖かった。
もう何なのかな?エスコートのされ方が変だったの?だって、初めてなんだもの。あれは習ってないから、見様見真似なんですよ。
私は孤児院育ちの庶民なんです。ちょっとくらい礼儀作法が拙くても御目溢しをお願いします。
心の中で言い訳して、びくびくしながら神子様達の後にくっついて講堂に移動した。
先導するのはエドガー。次いで護衛のハインツさん、神子様、先輩。殿が私の順で歩くのだけど、まるで街路樹みたいに廊下の両脇に生徒が並んで立っていて、私達が近づくと皆それぞれ礼をとる。
密やかなため息と憧憬と畏怖混じりの気配というか空気が漂っていて、後ろにいる私には神子様達の上に花弁が舞っている幻が見えた。
でも不思議なんだけど、私が通ると花弁が枯葉に変わって見えるのはなぜでしょう?これでも乙女の端くれなんですが……。
枯葉の舞い散る乙女って、なんか嫌だ……。
入学式は異様な雰囲気だった。神子様や新入生代表のエドガーの挨拶や、数人の男性教師が舞台に上がる度にざわめいて女生徒の歓声やら悲鳴やら上がるのよ。ここは劇場だったの?神子様はあなた方の押しの役者じゃないですよ。
男子生徒は呆れて苦笑いしてるし、先生方はため息ついている。頭抱えてないで何とかしてくださいよ。
神子様は一見、いつもと同じ表情だけど側付きの私達には解る、神子様は御不快だ。あんまり喜怒哀楽のない神子様を不愉快にさせる程騒ぎ立てるなんて、令嬢教育とかはどうなっているのかしら?
そんな娘に育てた覚えはないって、貴女のお母様が泣くよ、きっと。院長先生ならお説教一時間コース確定だね。
入学前に説明されたけど、此処はあまり勉強に力を入れてはいないみたい。なんか社交界前の練習というか、交流するのが目的の場所なんだって。
皆さん、基礎的な勉強は家庭教師等で済ませているらしい。だから、授業は午前中だけで、午後は週の二日はお茶会で一日はダンス込みの模擬夜会。それで、他の日はサロンで生徒が自分たちでお茶会を開ける日になっている。
一応授業は男女別で男子は、領地経営科、騎士科、文官科。女子は淑女科と侍女科に分かれているけど他の科の授業も受けることは出来るらしい。午後の実技の為にマナーとダンスは教師が受講免除した人以外は必修科目になってるけど、受けるのは数人の下級貴族と庶民だけみたい。私はもちろん受けるよ。
ある程度できないとお茶会とかに参加できないものね。
他の科目は選択式だから、午後だけ来る生徒もいるみたい。入学後は特に試験もないしね。入学試験のために詰め込み勉強させられた私としては、涙が出るほどありがたいことです。
ホント助かった。あれだけ頑張ったのに入学ギリギリの成績だったらしいから……。
辛かった日々を思い出して遠い目しているうちに、式が終わってクラスごとに教室に行くことになった
「学園内で危険な事等ないと思いますが、周りの方たちは貴族子女です。神殿とは違いますから、マルルは不興をかわないように気を付けなさい」
優しく言い含める先輩。
「ほどほどにな……」
エドガーは素っ気無く言い捨て、ついでの様に多分不安そうな顔していた私の頭にポンと手を乗せた。その途端に御令嬢たちの悲鳴上がりギョッとする。
ハインツさんが苦笑いで肩をすくめて、エドガーは顔を顰めるとため息をついた。
そして、神子様達が立ち去り、一人残された私はざわめきの中で項垂れていた。
私、たった今、気づいてしまったの。
講義は科別、つまり男女別で分かれるから私と神子様は別クラスなわけで、同行できないなら私がいる意味ないじゃない?ねぇ、そう思わない?
今まで気づかなかった自分の迂闊さにがっかりしながら、トボトボ教室に向かった。だってサボって一人で帰るわけにはいかないもの。
おこがましくも私は淑女科。誰が選んだんだろう?側付きなんだもの侍女科の方がまだ合っているよね。 淑女科は将来、家を取り仕切る女主人になる人向けらしいから、もしかして間違ったのかな。
うん、そうに違いない。後で変更してもらおう。
別行動になる私を、心配そうに振り返りながら去っていった先輩に、口添えしてもらおうと目論む。 だって神子様はいつもの無表情のままで、エドガーはずっと不機嫌そうだったし。
「これは……先行き不安だな」
なんて言ってハインツさんなんか、御令嬢たちの悲鳴に笑ってただけだもん。
頼りになるのはグリード先輩だよね。
色々考えながら教室のドアを開けたとたん、注目を浴びて立ち止まる。えっ、朝の状況再びですか?もう神子様達がいないのにどうしましょう……。
固まりながら内心アワアワしていると、後ろから鈴を転がすような声が聞こえた。でも内容は可愛くなかった。
「そこの貴女、どいて下さらないかしら、邪魔ですわ」
慌てて場所を空けながら振り返ると、青い目で金髪縦ロールの美少女が立っていた。
まるでお話に出て来るような御令嬢はマルルを見て優美な眉を少し寄せると、興味を失くしたように横を通り過ぎた。その後に続く御令嬢方も横目で、ちらりと見ては無言で部屋に入って行った。
一番最後に恐る恐る席に着くと教師がやって来て明日以降の予定を伝えると解散となった。
そして教師がいなくなった途端私は御令嬢たちに囲まれてしまった。
「貴女、今朝神子様と一緒にいた方よね。今までお見かけしたことがないのだけれど、どなたですの?」
「そうよね。わたくしも知りたいわ。お名前は?」
「ええと、マルルと言います」
「どちらの家の方?」
「その、家名はありません」
無邪気そうに小首を傾げたり、口元だけ笑顔の令嬢たちがぐいぐい迫って来て圧倒される。
「家名がない?まあ、それでは特待生の方なのね。その様には見えないけれど、きっと優秀ですのね」
「あら、でも、ここは淑女科でしてよ。庶民がいるのはおかしいわ」
「ええ、庶民が淑女を目指してどうなさるのかしら?」
「あの、それは、私も変だと思って、たぶん間違いじゃないかと……」
おずおずと口を挟んでみるも、マルルの言葉など誰も訊いてはいないようだ。何故か、どんどん人が増えてきた。令嬢ばかりだが。
「そんな事より、まさか庶民をハインツ様がエスコートなされたというの。何てことでしょう」
「信じられませんわ。この方、神子様と同じ馬車から出て来ましたのよ」
「ええ、そうでしたわ。その上ハウザー公爵家のエドガー様とも馴れ馴れしく口をきいていましたわ。どこの令嬢かと思えば庶民だったなんて」
令嬢たちが庶民、庶民と連呼ながら興奮していくのを呆気にとられながら眺める。朝睨まれたのって不作法だったからじゃなくて、私がハインツさんに手を取られたからだったの? エドガーと話したのもダメ?
だって、ハインツさんのは女性に対する騎士の作法なんだし、エドガーは神子様の出迎えだよ。挨拶しただけじゃない。
私悪くないよね?
非難の対象らしい自分を放置して騒いでいる、お嬢様方を虚ろな目で見ながら、どうやってこの場を治めようか悩む。
そして周りに気づかれないように、そっと溜め息をついた。
「失礼、其処を通していただけないかな?御令嬢の皆さん」
良く通る少し低めの声が響いた。その効果は劇的で、ざわめきは一瞬で静まり、令嬢たちはピタリと動きを止めた。令嬢たちの包囲網が開かれた場所にいたのはグリード先輩だ。
「今日の予定は終わったのでしょう?帰りますよマルル」
「は、はい」
救いの主は先輩だった。ああ、後光がさして見える。思わず祈りをささげたい衝動に駆られる。
もちろん私は頷いて、素早く配られた教本をなんかをまとめて持つと立ち上がる。教室の扉の所に、神子様達が待っているのが見えた。
「それでは、皆さまごきげんよう」
「では行きましょうか」
一応、皆に挨拶をした私に、先輩が微笑むとざわめきが起こる。帰ろうとすると声が掛った。私にではなく先輩に。
「あの、貴方はガ—ディ家のグリード様ですよね」
栗色の髪をピンクのリボンでまとめた少女が、両手で胸を押さえながら先輩を見つめて問いかける。
「ええ、そうです。確かに私は、以前はそのように名乗っておりましたね」
「ああ、やっぱり、そうですのね。あの、わたくし、クレンドル家のマリアナと申します。兄クラウスから貴方のお噂を聞いていて、ぜひお会いしたいと思っておりましたの」
クレンドル家?確か、伯爵家だったような……。
頭に詰め込まれた貴族名鑑をめくって思い出す。何故だか日々ページが抜け落ちているような気がするけど、何とか在学中は残っているといいな……。
そんな事を思っている間にも若い二人の話は続いていて、目を輝かせ頬を赤らめている少女にグリード先輩は穏やかに対応している。
「ああ、クラウス殿のお身内の方でしたか」
「はい、兄が在学の折は御世話になったとか。学園での貴方様のお話をよく聞かされておりましたので、こうしてお目に掛かれて、わたくし胸がいっぱいです」
周りの御令嬢方も興味深々と言った様子で、見守っている。恋バナとか好きだもんね女の子は。
だけど一部の方は、そんな桃色な空気がお気に召さないのか、不満気な顔をしている。
「私もあなたの兄上と過ごしたのは良い思い出ですよ」
「そう言っていただけると、兄も喜ぶと思います。それで、わたくし……」
「あら、マリアナ様にはもうお兄様はいませんでしょう?」
「ゾフィー様……」
ブルネットの巻き毛の気の強そうな容貌の少女が、取り巻きらしい少女たちを連れて、そこに割って入る。そして苛立たし気に長いまつげを瞬かせマリアナを見つめた。
「クラウス様は御家を出られたのでしょう?ですから、あなたは伯爵家の一人娘つまり総領娘になったのです。それにわたくしの義姉になられる方が身内でもない殿方と、そのように親し気にしているのは見過ごせませんわ」
「そんな、そのような仰り方あんまりです。それに、ガイル様とのお話は、まだ正式に決まったわけではありません」
「まあ、バーガン家からの縁組を断るつもりですの。随分と強気ですこと」
「信じられませんわ。ガイル様を袖になさるなんて、何様のつもりですの」
「ホントですわ」
大人しそうに見えていた少女が果敢に三人相手に言い返す。
これが話に聞いた女の戦いってヤツ?実際見ると迫力あってチョット怖い。でも私関係ないよね、もう帰っていいかな……。
こっそり抜けだそうかと様子を窺う。そんな私に気づいたようで先輩が視線で頷いた。
「お話がはずんでいるようなので、私達は失敬しますね。ではマルル行きますよ」
礼儀正しい先輩には珍しく言い捨てると、返事も待たずに私の手を引いて部屋を出ようとした。
「あっ、お待ちください」
またしても、止められてしまった私達を見かねたのか、教室の中に入ってきたエドガーが社交用の似非笑顔を浮かべて声を掛けてきた。
「急に割り込んで失礼。ですがお話は明日でもよろしいのでは?これ以上お待たせするのは神子様に不敬な事になるかと」
エドガーの参入に御令嬢たちの目の色が変わったが、戸口に立っている神子様を目にして、ハッとしたように口を噤んだ。騒ぎの中心にいた少女たちの顔からは血の気が失せて青白くなってしまった。
それらを全部無視して私達は教室を脱出し帰路についたのだった。
朝は、あれほど躊躇った豪華馬車に乗り込み座席に背を預けると、安堵の吐息がもれた。何故か一緒に乗っているエドガーが、呆れた様な顔で見ている。
「何よ、いいじゃない。すごく疲れた一日だったんだもの」
「神子様の御前だぞ。気を抜き過ぎだ。不敬だろう」
思わず口を尖らせ文句を言えば、そんな答えが返ってきた。
「あっ、私ったら、申し訳ありません神子様」
「構わない。慣れぬ場所故、気苦労が多かったのだろう?我も少しばかり消耗した気がする」
「神子様もマルルも一日お疲れ様でした」
「うむ。市井の者も賑やかだと思っていたが、あの者たちはその上を行くようだ。あれこそ姦しいというのだな。
神殿住まいの我には、いささか堪えるな。同じ喧噪でも、孤児院の子らの声はさして気にならぬのにな」
「それは神子様が子供たちを大事に思って下さるからでしょう。ありがたいことです。ねぇ、マルル」
「はい、御心に留めていただいて嬉しいです。院長先生も喜びます」
「そうか」
私と先輩の言葉に神子様は目を細めた。そうするといつもの極薄笑顔もすごく優しい表情に見えるのよね。やっぱり子供が好きらしい。
神様ってそういうものなのかな。何かを創ったり育んだりするのが好きそうな気がする。私の想像だけど。
「邪気がないですからね。変な欲も持ってないでしょうし」
「うん、あの子達は精々美味しい物が食べたいってくらいしか考えてないと思う」
「そこまで単純ではないと思うぞ。お前じゃあるまいし」
エドガーに鼻で笑われてムッとした。
あっという間に神殿についた。入学初日ということもあり、筆頭側付きの司祭様を交えて、お茶を飲みながら伝達報告をする事になった。
入学式の事や、神子様のクラスの事等の話がされ老司祭はニコニコと話を聞いていた。神子様のクラスはそう問題は無かった様だ。
私が自分のクラスの様子を話すとエドガーは呆れ、先輩とハインツさんは困った顔をして、神子様と司祭様は表情を変えなかった。うん、いつも通りだね。
「でも結局、帰り際のあの揉め事は何だったのかな。先輩の知り合いの方だったんですか」
「ええ、と言っても私が知己なのは彼女の兄の方ですよ」
「あの令嬢の兄は元大公子息の側近で、先の事件で廃嫡になったのだよ。彼自身はほぼ無関係なのでとばっちりというヤツだね」
「ハインツさんもご存知の方なのですか?」
「彼は護衛騎士だから、仕事上で何度か一緒になったことがある。真面目ないい男でしたよ。あの家も立場上仕方が無いとはいえ勿体ないことをしたものだ」
「本当に、御当主はさぞ気落ちしたでしょう」
ヤレヤレというように首を振るハインツさんに、グリード先輩も沈痛な面持ちで頷く。どう話が繋がるのかわからない私は首を傾げた。
そんな私を見てエドガーは何時ものように溜め息をつくと、解りやすく説明してくれる。
「いいかマルル、嫡男が廃嫡になってあの令嬢が後継になった。つまり、婿を取らねばならなくなったわけだ。そこに目を付けた相手の令嬢の家が縁談を持ちかけている。子息が二人いるから次男が相手だろう」
「ふーん、でも、あの子はあまり乗り気じゃなかったみたいだったよ。まだ決まってないって言ってたもん」
「だろうな。伯爵家同士のだがら普通は悪い縁組じゃないが、彼女の家は武門の家系なんだ。当主は王家の騎士が多い。
それなのに婿入り希望の令息は、文官専攻だからな。彼を婿にするくらいなら分家から養子をとった方がいいというのがあの家の本音だろう」
「ふんふん、じゃぁ、サッサと断ればいいのにね」
「色々柵があって簡単にいかないんだよ。婿入りさせたい家は最近経済状況が思わしくないらしい。だから、なんとしても次男を婿入りさせたいわけだ。
妹の令嬢にしても今後の自分の事もあるから必死なんだろう。
他所の男が近づかないように牽制するのは良いが、それで彼女との関係が悪くなるのでは浅慮としか言いようが無いな」
「なるほどね。やっとわかった」
そう頷くとエドガーは苦笑した。他の皆は二人の言い合いを聞きながら穏やかにお茶を飲んでいる。
こういう休憩時は神子様がいても無礼講だから、好きな事を言ってもいいって言われてるんだ。言葉使いなんかも雑でも叱られないの。
神子様なんか、却って面白がっているみたい。だから、結構気楽におしゃべりしちゃう。で、あんまりひどい時は後でお小言をもらうけど……。
「でも、エドガーったら、すごく詳しいね」
「これでも公爵家嫡男だからな。貴族間の情報収集は当然のことだ」
「へぇー、貴族って大変なんだね。私庶民で良かったよ。おまけに孤児だから、どっかに嫁に行けなんて言う人いないしね。
それよりも縁談を断ったらあの子、いじめられ無いかな。相手のお嬢様すっごい迫力だったもん。
あっ、そうだ。エドガーが婿に行く……のは無理だからお嫁さんにしたら、どう?なかなか可愛い子だったよ」
「はぁ?なぜお前にオレの嫁の心配をしてもらわねばならないんだ?」
エドガーが器用に肩眉だけ上げて、低い声で答える。
あれ、まずい、本気で怒ってるよ。不機嫌そうなエドガーに慌てて謝ると、目を逸らす。
「ああ、ごめんなさい。大きな御世話よね。ええと……そう、ハインさんはどうかな。可愛いお嫁さん欲しくない?」
「いや、流石に十歳以上年下ではね。私にはそんな趣味はありませんよ」
「ええ、そうなの。じゃあ先輩はどうですか?わざわざ声かけられてたし、あの子も気があるんじゃないかな」
「私も歳はハインツ殿とさして変わりませんよ。それに神子様の側付きという栄誉を手放すような愚かな真似は出来ません。私には還俗希望はありませんね」
二人にも断られてしまった。まさか、神子様にお声がけするのもな……。
チラリと盗み見たのに気づいたのか神子様が顔をこちらに向けた。
「まさかお前、神子様にも勧める気か?」
神子様の代わりとばかりにエドガーが問いかけるが、まだ口調が冷たい。愛想笑いで誤魔化し目を泳がす。すると思いがけず神子様がお答えくださった。
「我は女人の伴侶を得ようとは思わない」
そうか、独り身の神子様も多いしね、と納得しかけてお言葉の何かが気にかかる。女人の伴侶?じゃあ、もしかして男子の伴侶ならいいの?
とんでもない思い付きに頭が混乱する。いくら何でもそんなはずは……でも神様のお考えになる事だし、ひょっとしたら……。
考え込んでいた私の頭を、目をすがめたエドガーが軽く叩いた。
「馬鹿そんなわけあるか、不敬だ」
「ええ、考えすぎですよ、マルル」
頭を押さえた私を先輩まで窘める。何だか皆に呆れらているような気がする。というか私の考えていること、なんで皆分かるの?
「別に女人以外の伴侶が欲しいわけではない。今生は男として生まれた故、伴侶とするなら女人になるであろう。だが我らは老いても容姿が変わらぬため伴侶だけが老いていくことになる。
そのことで精神が傷つけられ病む者もいて、それは女人において著しいと先代らの記憶が我に伝えている。
我は自ら選んだ者を好んで苦しめようとは思わぬ。それ故に伴侶を持つつもりはないのだ」
そうなのか……。神子様はお優しいんだね。うん、旦那さんだけが若いままだと奥さん寂しくなるかもね。小じわ一本で大騒ぎしてるもん。
それに比べて男は奥さんがいつまでも若いと喜びそうだよね。いくつになっても若い娘が好きで困るって、肉屋のおかみさんも旦那さんの愚痴を言ってた。
んー、だけど、服地屋のおばあちゃんみたいな人ならどうだろう。
「若い男は良いねー」ってペタペタ触りまくってサイズ図ってるもんね。みんな引いてるけど、営業妨害じゃないのかな。自分の店だからいいのか。
しんみりしちゃった雰囲気がイヤで、何時ものように取り留めの無い事を考えてたから、つい口に出してしまった。
「神子様も探したらいいんですよ」
皆の目が私に集まった。
「自分がおばあちゃんになっても『若い旦那さん最高』とか言っちゃう人。何処かに一人くらいいますよ。きっと」
「そんな女がいるか?」
「おや、そんな前向きで、鋼の精神をお持ちのご婦人がいるのかい」
「私一人知ってるよ。服地屋のおばあちゃん。神子様のお相手には無理だけど」
「その方なら私も存じていますよ。ですが男性諸氏にはあまり評判がよろしくないようですよ」
笑いがこぼれた。やはり触りまくる接客は不評らしい。そして私は閃いた。
「それに御神力で、どうにかならないですかね。もいだモノが生えるなら皺の一つや二つ伸ばせませんか?何なら若く見える幻を掛けるとか?奥さんの気持ちの問題なんでしょうから」
神子様は目を見開いて絶句しているようだった。二三度瞬きしてからフワッと笑った。
うわぁ、笑ってる。見たの二度目だよ。珍しい神子様の笑顔に感動する。
「そのような事は考えもしなかった。其方は面白いこと言う。そうだな、探すにも、試すにも、まだ十分時間はあるのだ。
父上は我が下界で様々な事を経験して知ることをお望みなのだから」
何だか神子様の御機嫌も麗しくなったし、部屋の雰囲気も良くなったし、でかしたね私。これで神子様も伴侶探しに前向きになったみたいだから、御令嬢たちも喜ぶでしょう。
あれ、ちょっと待って。という事は令嬢たちの女の戦いが激化するという事?もしかして私、やらかしちゃったのかな……。どうしよう。
蒼褪める私をよそに、和やかな談笑は続いた。
その後、私の学園に通う必要性について相談してみた。
「ダンスの授業があるでしょう?流石に私たちが相手をするわけにはいきませんからね」
「他所の令嬢をパートナーにするのは色々問題になりそうだから、護衛としては認められないよ。公式の宴でなら兎も角、相手をした令嬢にその後学園の中で何かあったら困る。 全ての生徒を管理なんてできないしね」
などと先輩たちに言われてしまった。
それじゃあクラスの変更はどうだろうと聞いてみた。
「侍女科の内容は側付きをしていくうちに身に付けられることです。むしろ他の分野の知識を得る良い機会でしょう。
何時も言っているように学べる機会を逃してはいけませんよ、マルル」
笑顔で司祭様に駄目だしされてしまったよ。なんてこった。
そういう訳で、現状維持のまま私は学園に通う事になりそうです。そして午後のお茶会とか模擬夜会のダンスに参加しなくてはならないようです。
そんな所にはすごーく行きたくないけど、所詮私は神子様の鎧、には役不足だから雨よけコートのようなモノ。彼のお方が行くところには付いて行くのが使命。ああ、せつない。
神様、哀れな私に救いの手を……。今日もお掃除の合間に祈ってしまうマルルです。
雑草がありましたら教えていただけると嬉しいです。直ぐ生えるんですもの。
読んで下さって有り難うございました。
よろしければ続けて次話もお読みください。