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刻印の継承者 その3  作者: 神野 碧
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封印帝国

「ただいま……っと……」

「えっと……あの……」

 講義から戻ったナディとライナは、いつもと違う張りつめた空気を敏感に感じ取っていた。

「おかえり……なさい」

 出迎えたティアの表情には翳りがある。

「ねえ、ガーヴ」

「何か、あったんですか?」

 訝るナディとライナに、ガーヴは、

「姫様がザグレスに帰りたいと言っている。事情を話すから何とかして欲しいってことだ」

 唐突なことに、ナディとライナは顔を見合わせ、

「あたしたちに出来ることなら……」

「とにかく話を聞きましょう、ナディさん」

 頷き合った後、ナディはティアに向かい、

「話せること、全て話して。わたしたち、話、聞く。出来ること、する」

「全て、話す。よろしく、お願いする」

 数拍の間が流れる。ナディとライナは息を呑みこんで、ティアの言葉を待っていた。

「わたしは《空を飛ぶ船》で壁を越えてきた。父さん、母さん、一緒に」

「《空飛ぶ船》ですって!」

「壁を……超えたって……」

 ティアの言葉は、ナディとライナの常識を覆すものだった。キルギアには《空飛ぶ船》など存在しない。概念はあるが、実用できる科学技術が確立していないのだ。その存在が事実で、ザグレスが保有しているということになれば、両国の科学技術においてザグレスの優位性を示すものだ。それは、キルギアがザグレスによる空からの脅威に曝されることで、軍事バランスの天秤は一気にザグレスに傾く。劇的にバランスを失った世界で起こるであろうことは想像に難くない。危険な予兆に、二人は表情を曇らせていた。

 二人の表情を意に介することなく、ティアは淡々と続ける。

「父さん、言ってた。キルギアと交渉する、戦争、避けるため」

「それなら好都合。戦争避ける、わたしたち、歓迎。お父さん、お母さん一緒に来た、今どこ、なぜ、あなた一人?」

 ライナの問いに、ティアはこれまでの冷静さを打ち捨てて、表情を歪め、

「分か……らない。父さん、何も言わない。その前に、船、故障、わたしだけ、船、脱出。その後船のこと、不明」

 ティア以外のザグレス人の漂着や、船の難破の噂はこれまで耳にしていない。《空飛ぶ船》は一旦ザグレスに戻ったのか、故障したまま海を漂流しているのか、最悪の事態であれば海の藻屑か。いずれにしても《空飛ぶ船》とティア以外のザグレス人の消息は不明だ。現状、ナディたちだけではどうにもならない。

「わたし、父さん、母さん、会いたい。あなたたち、父さん、母さん探す、なんとか、する」

 ティアの思いはもっともで、無碍にはできない。が、情報が足りない。

「ねえ、ガーヴ、あなた独自の情報はない?」

「そうです、ガーヴさん。ガーヴさんにも情報がないのなら、わたしたちで探してみましょう、手がかりを」

 ナディとライナの提案に、

「おまえたちが望むことなら、俺は協力する」

 感情を交えることなくガーヴは答えていた。

 と、ガーヴの表情がにわかに翳る。同時に、ティアとライナの第六感が、部屋の空気の変化を感じ取っていた。第六感が捉えたのは、皮膚を不快に粟立たせるくらいの邪悪な気配だった。

「誰かいる!」

「誰なの!」

 二人の無意識の叫びに呼応するように、

―探したぞ、お嬢さん。こんな所にいたとはな―

 そんな声とともに、部屋の片隅の空間が凝縮して密度を増し、黒い影を刻む。

「誰なのよ!」

 さらなるナディの叫びに重なって影の輪郭が白く光り、黒い影は濃度を増して形を整え、黒ずくめの服をまとった男の姿になっていた。

「ずいぶん失礼な現れ方ね。ここに何の用?」

「おまえたちに用はない。用があるのはそちらのお嬢さんだ」

ナディの投げかけた言葉にキルギア語で応じると、男は、場の人物を確かめるように一渡りの視線を走らせていた。

 男の視線が、ガーヴのそれと重なる。

「そっちの嬢ちゃんたちが貴様の契約者というわけか」

 男が投げかけた言葉に、ガーヴは表情を変えることなくナディとライナを指し示し、

「こいつらとは対等なパートナーだ」

 とだけ答えていた。

 男はふんと鼻を鳴らし、

「ここで刃を交える気なら容赦はせんぞ」

 男の目が残忍に光る。

「ここであんたとやり合う気はない。いずれは決着をつけねばならんだろうがな」

「ガーヴ、あなた、この男と知り合い……」

「本題に入らせてもらう」

 ナディの言葉を無視するように途中で遮り、男はティアに視線を向ける。ティアはびくりと息を呑み、傍らのライナにしがみついていた。

「怯えることはない。俺はおまえをザグレスに帰すためにここに来た。ザグレスに帰れるんだぜ、お嬢さん」

 ザグレス語で投げかけられた男の言葉にも、ティアの表情は強張ったまま動かない。

「この子はあなたのことを信用していないようですから、引き渡しは拒否します」

 ライナが毅然として男に告げる。

「そうはいかない。お嬢さんを連れ戻すのは国王からの命令なんでな。それに、キルギアでは彼女の安全は保証できないんじゃないのか」

痛いところを突いてくる男に、

「あんたにティアを引き渡しても安全だという保証だってないじゃない。あんたみたいに無礼な奴、あたしたちも信用できないしね」

ナディは啖呵を切っていた。

「ならば、お嬢さんの、キルギアに帰りたいかどうかっていう意志を尊重しようじゃないか」

 そう言うと、男は、ザグレス語に切り替えてティアに向かい、

「おまえの父と母、それに同行者はキルギア人の手によって殺められんだぞ」

 冷酷な言葉を浴びせていた。

「な……何て言ったの、今」

「嘘……」

「そん、な……」

 男の言葉の重要さに虚をつかれ、ティアのみならず、ナディとライナも上ずった声を上げる。が、それは事実ではなく、心理的動揺を誘おうと男が仕掛けた巧みな罠だった。三人はまんまとその術中にはまっていたのだ。

「そういう……ことだったの」

ティアは、怒りに燃えた瞳でナディとライナをねめつける。男の言葉の真偽を確かめる術のないナディとライナには、返すべく言葉が見つからない。

「さて、お嬢さん。両親と同胞を殺めたキルギア人と俺、どっちを信用するんだ」

 ティアは表情を引きつらせて押し黙る。

「ものわかりが悪いお嬢さんだな。ならば」

 男は瞬時に姿を消し、次の刹那、ティアの正面に現れると素早い拳捌きで鳩尾を打っていた。力なく倒れこむティアの体を抱え上げると、男は中空に浮かび、ティアとともにふつりと姿を消していた。

 男のあまりの早業に、ナディ、ライナ、ガーヴすらもその場を一歩も動けず、呆然と立ち尽くしていた。

「いったい……」

「何だったのよ……」

 一瞬にしてティアを連れ去られたという失態に、ナディとライナは掠れた声をあげていた。

「何とかならなかったの、ガーヴ」

「ガーヴさんらしくないです」

 矛先を向けられたガーヴは、表情を変えることなく、

「すまん。俺としたことが迂闊だった」

 ため息のあと、ナディは、

「あなたの口からそんな言葉、聞きたくなかった。それよりもっと重要なこと、聞いてもいいかな」

「何なりと」

「あなた、あの男と知り合いみたいだったわね。どういうことか説明して」

「あの男は、俺と異なる意思を持つ分身だ」

 前置きなしのガーヴの答えに、思考が追いつかず、ナディとライナは黙り込んでガーヴの次の言葉を待つ。

「契約者であるおまえたちが知っての通り、俺の本質は闇を統べる大魔王様の意思の一部だ。俺が具現化しているのは、おまえたちとのパートナー契約の所以だが、魔王様の意思はひとつじゃない。魔王様の意思をつかさどっているのは闇の原理で、奴はその具現者だ」

「彼にもわたしたちのような契約者がいるってことですか?」

 ライナが問いには、

「そういうこと、だ」

 簡潔に応じるガーヴだった。

「それじゃあ、今の一件はその契約者が仕組んだってことね。何の目的でティアを連れ去ったのよ」

 重ねてナディが問う。

「奴の言葉から推測するに、契約者はおそらくザグレス王だ。ティアはザグレスにとって利用価値がある、そう判断したんだろう」

「逆じゃないですか? あの子の存在はザグレスにとって都合が悪い、だから連れ戻したかった」

 異議を唱えたのはライナだ。

「そういうことじゃない。ザグレスにとって都合が悪い、言い換えると、奴の契約者にとって都合が悪いということなら、即刻、この場でティアを殺めていたはずだからな。だが奴は、ご丁寧に生きたままティアを連れ去った」

 穏やかならざるガーヴの言葉に、ナディとライナは、ごくりと喉を鳴らす。

「それで、ティアはどうなっちゃうんですか」

「そこまでは俺も分からん」

「いずれにしても、あたしたちが望むようにはならないでしょうね」

「ティアの身にも望まないことが起こる可能性があるってことですね。それなら……」

「彼女を助けなくちゃ、だわね。《戦争を避けるため》ってあの子は言ってた。彼女自身にもそういう意思があるのならなおのことだわ」

 互いの意思を確認し合って、ナディとライナは頷く。

「あなたも協力してくれるのよね、ガーヴ」

「承知」

 ナディの言に、ガーヴは簡潔に応じる。

「あの、これまで分かったことを整理してみませんか」

 向けられたナディとガーヴの視線に、ライナは緊張をほぐすように身じろぎして、

「ティアさんは《空飛ぶ船》に乗って壁を超えたって言ってた。それって、空の上には結界の効力が及んでいないってことですよね」

「それは考えにくい話ね。あの結界は、単に物理的接触を遮断しているだけじゃなくて、魔法の思念波も封じ込めているのよ。思念波を封じているのなら空間は閉ざされていなければならない」

 あっさりと自分の意見を否定されたライナは不機嫌そうに頬を膨らませ、

「ティアさんは現実に結界を超えているんですよ。彼女が嘘をついていたとは思えませんけど」

「あたしも、彼女が嘘をついていたとは思ってない。《空飛ぶ船》で結界を超えたのは確かね。おそらく、中空に存在する結界の作用軸をすり抜けたんだわ。力の作用軸には空白が存在するでしょ、渦を巻く嵐の雲の中心みたいにね。それは、結界の規模からするとごくわずかだから思念派の封じ込めには影響はないはずだから」

ナディの意見の整合性を認めて、ライナは渋々、頷く。

「それじゃあ次。ティアさんを連れ去った男とその契約者は、わたしたちの敵と認識していいんですよね。ガーヴさんは、契約者はザグレスの王だって言った。ということは、わたしたちは、ザグレスを敵にまわすってことになる、それって、相当に危険なことじゃないですか」

 ライナの憂いに呼応するように、ナディは硬い声で、

「そうね。あたしたちだけでザグレスに敵対するなんてとても無理。だけど」言葉を切り、視線をひたとガーヴに向けてナディは続ける。

「あなたはこの一件の事情、分かってるんでしょ。あの男とあなたは意思を共有してるって言ってたんだから。あたしたちは、ザグレスと敵対することは避けたい、平和的な解決を願ってる。そのためにはどうしたらいいのか、あなたの意見を聞かせて」

「あの男と対決して勝つこと、それが全てだ。それは俺自身の存在の問題でもある。負ければ、俺は大王様の意思としての意味を失う、そういうことだ」

「それってあんたのことでしょ。あたしが聞いたのは、あたしたちがどうすればいいかってことなんだけど」

「俺の契約者、パートナーといった方がいいのかな、であるなら奴の契約者と戦ってもらう。契約している以上それは義務だ」

 ガーヴの鋭い眼差しがナディとライナを射抜く。

「勝ち目は、あるんですか」

 恐る恐るライナが問う。

「さあな。それは大王様の匙加減しだいってことで」

「わかった。要はあいつに勝てばいいってことよね」

 ナディが決然とした声をあげる。

「あたしたちは、あなたと契約して《聖魔の刻印》を授かった身、いいわ、あたしたちの命、あなたに託す。ライナもいいわよね」

「あ、は……はい、も、もちろん……よろこんで……とは言えないですけど、わたしもガーヴさんを信じます!」

「それでこそおまえたち、だ。俺が見込んだだけのことはあるな」

 不敵な笑みで、ガーヴが場を締めくくる。




                                  続く

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