第四十八話 ー残滓①ー
「これは……⁉︎」
「ねーちゃんッ⁉︎」
肩で呼吸をしながらゆっくりと立ち上がったスティリアは、目元を擦ると唇を噛み締めてしばらく。ハッと肩の力を抜いて頭を振るったかと思うと、浅く荒く呼吸を整える。
「わたしが……やるわ。ごめんなさい、二人共、その『魔獣』から離れて……」
「ねーちゃん……?」
「いいのか……?」
「…………うん」
二人の問いかけに、スティリアは小さな声で答えた。しかし、その声は届いていなかったのか、二人は少女の頷きを視認してから凍り付く人狼から離れた。
『グァッ……! ウルァアアアッ‼︎』
「だめ……お父さま……ッ! どうか……暴れないで……!」
スティリアがその掌に力を込めれば、人狼の体は凄まじい速度で凍り付いていく。そして、
『グゥ……ルァ……ッ!』
「ごめんなさい……お父さ──」
『あかん! レイチェルッ‼︎』
スティリアがそう言いかけた時。スティリアのすぐ側をすり抜けて、一筋の光線が走った。それは人狼の胸部を抉り抜き、室外まで突き抜けると、やがてか細く消え去っていく。
スティリアがゆっくりと振り返れば、そこにいたのはテレシアと……レイチェルがいた。
『魔素消失確認。脅威の排除を完了致しました』
「レイチェ、ル……?」
震える声も消え去った光線の如くか細く。少女の揺れる瞳の先には、機兵族の少女が、光線を放った腕から煙を噴きながら、昂然と佇んでいた。
『レイチェル……待てって言うたやろ⁉︎』
『申し訳ありません。マスターの脅威と判断しました』
『アンタ……!』
「おい、待て」
ルエインが一触即発になりそうな所で声をかけると、テレシアは鼻を鳴らして見つめ返す。
『なんや? 悪いけど今立て込んどるんや』
「シンはどうした?」
『……逃げよったわ。何考えとるか分からん、食えへん奴やで、ほんま……。街の方も問題ない、ヴァレリとヴルムがやってくれとる』
「……そうか」
吐き捨てるように言い放つテレシアに、ルエインは静かに頷いた。そして、チラリとスティリアを見れば、ルエインは目を逸らす。
「どうして……こんな事に……?」
「ね、ねーちゃん、さ。元気出しなよ、な?」
ラシルはペタリと座り込んで顔を覆うスティリアの肩に手を乗せ、戸惑った表情を浮かべていた。ルエインはその様子を一瞥するだけに留まらせ、魔法が解除されて灰へと還っていく人狼を見守っていた。
「…………あれは……?」
ルエインは何かを見つけたかと思うと、徐に灰に変わる人狼の元へと駆け出した。その中から何かを見つけると、青年はその表情を沈ませ、何かを抱え上げたままに戻ってくる。
「……スティリア」
「……!」
小さな肩を震わせて啜り泣いていた少女は、呼びかけ一つでピクリと肩を跳ね上げさせると、目元を擦って頭を振るう。
「心配かけさせちゃったね、ごめん、ね……ッ⁉︎」
誰の目にも明らかな無理な笑み。そのエミは、ルエインの手の中にいた人物を目にした途端、再び揺れ出す。
「あ……おとう、さま……?」
「まだ……少しの猶予はある。恐らく、最後の会話になるだろう」
ルエインの手の中にいる人物。それは、先ほどマルクに腹部を貫かれていた男性だった。黒く変色した皮膚になったその身は腹部より下は骨のように白色で無機質な物質に変わっていた。……だが、その骨もまた、灰となって消えていく。スティリアは再び呼気を荒くして、一歩、一歩と。ゆっくりと歩み寄っていく。
「……俺達は、上の階にいる。ラシルと共に、後から来てくれ。いいな? ラシル」
「任せてくれよ! ……つったって、何かあれば助けを呼びに行くくらいしかできないと思うけど」
困ったように頰を掻きながら苦笑を浮かべるラシルに、ルエインは頷く。
「……それでいい、任せる。テレシア、行くぞ」
『……おん。レイチェルもはよ』
『イエス』
ルエインはテレシアとレイチェルを連れて先へ行く。後に残されたのは少女と、少年。そして、体が崩壊していく老人のみ。
「グッ……あッ……⁉︎」
「お父様ッ‼︎」
「……クッ、ふっ……スティ、リア……か?」
うめき声に対して呼びかけ、名を呼ばれた事にスティリアは興奮気味に瞳孔を開いた。
「そうです、お父様! わたしはここにいます! 慚愧に堪えない気持ちがありながらも……わたしはここに戻って参りました。王家の血を持つ者として恥と知りながらも──」
「もう、良い。良いのだ、スティリアよ……。見よ、窓の外を。この国は、終わってしまった。奴の策略に乗ってしまったが故に。……彼奴は、わざと捕まり……自らを牢獄へ運ばせ、そこから城を半日足らずで占拠した。それを、余を使って民草に知らしめた挙句に、夜明けと共に帝国軍と共和国の軍隊とで……更にこの国を蹂躙すると言ってのけたのだ……」
「……ッ!」
朽ち果てゆく王は、つらつらと事のあらましを話し出す。スティリアは話の内容を聞く度に、思っていた。……どうして、わたしは彼の正体を見抜けなかったのか、と。
どうしてこうなったのか。どうして国が襲われたのか。どうしてマルクが裏切ったのか。どうして、父が死なねばならなかったのか。どうして……わたしは生きているのか。
死んでいた方が幸せだったのかもしれない。……そんな、負の思考がぐるぐるとスティリアの脳内を駆け巡っていた。しかし、王は自らに残された時間を悟ってか。迷いや葛藤を秘めた娘から目を逸らす事なく、再びその口を開いた。
「スティリアよ。
「……は、い……ッ!」
「王家のしきたりとは言え、不憫な思いをさせた。規則とは守る為に存在する。王族であれば、尚更だ。だから余は……いや、儂は、オヌシを救い上げる事が、できなかった。約束された死を迎えるお前を……見る事も憚られた。だからこそ、儂は……お前がこの国を出てくれた時、心の底から安堵をしていたのだ」
「……ッ‼︎ お父様、わたしは……ッ⁉︎」
頰に添えられた手がボソリと崩れ落ちていく。スティリアは思わず語る事をやめてその手を追いかけたが、受け止めると同時にそれは手の中で砕け、指の間からするりと抜け落ちていく。
「いや……こんなのって……‼︎」
「スティ、リア……。お前には、窮屈な思いをさせてしまった……。もう、お前を追う者はない。何者にも囚われる事なく……不羈磊落と生きれば、良い。王族としての責務が気掛かりなのであれば……方々へ散った我らが同族の力となってやって欲しい。数多の民草が向かった先は……ブランハイム皇国だ」
「ブランハイム皇国……」
スティリアがおうむ返しをすれば、王は静かに頷く。その体は既に、胸元まで灰となっていた。
「我らが祖先が残したこの国を、再興して欲しいとまでは言わぬ。どうか、儂の……余の無念を。そして……スファレ=クライ・オーフェンに、気を……付け…………」
「お父、さま……」
サラリと。崩れ去った灰はスティリアの手からすり抜けていくと、凄惨な程に多くの爪痕を残した床に散らばる。
スティリアは慌てて落ちる灰を追いかけたものの、灰はその手の中でくしゃりと固まっていた。しかし、震える手のひらの上でサラリと崩れて、こぼれ落ちていく灰は手の内で留まる事なく床で混じる。
「ねーちゃん……あの、さ」
「ごめんね、行きましょう」
スティリアは上を見たまま立ち上がった、その手を握りしめたままに。声は明るく、震えていた。それは幼いラシルにすら、ああそうかとすぐに納得させないほど顕著に。
少年は、どこか居心地が悪そうに後頭部を掻くも、解決策が見つからないのか部屋の隅へと目を遣る。
「あのさ、ねーちゃん」
「どうしたの?」
振り向かずに立ち上がったスティリアに、ラシルは思わず再度声をかける。直後にしまったと言わんばかりに口に手を添えたラシルだったが、スティリアは背を向けたままに続く言葉を待っている。頰を掻いたラシルは、寸秒の後に両の手で頭を掻き乱した。
「オレは、世間の事なんも分かんないケドさ。ねーちゃんは……強い事と、強がる事とを履き違えてると思う」
「……ッ!」
少年が何気なく言った言葉。それは、一歩だけ前へ踏み出した少女の足を止めさせ、振り向かせた。
「気に障ったなら謝るけどッ! ……そんな顔して、どこ行くのさ?」
「わた、しは……ッ! なんでも、ないわ。ごめんね」
グッと強気に踏み出した一歩も、自分より小さな少年に対してはあまりにも不恰好だった。その事に気付いたのか、スティリアの表情は途端に色褪せていく。
レイチェルの穿った穴から吹き抜ける風が、床の上に広がる灰を攫っていき、絨毯の上に絡みついていった。
ラシルは更に気まずそうに頭を掻くと、
「オレ、さ……。知ってるだろうとは思うけど、人体実験で生まれたんだよね。この体も借り物で、変身する負荷に耐えきれないから長くは生きられないらしくて。実のところ、オレって存在を弄んだ奴らの親玉はどんな奴なんだろう思ってたんだ。……でも、着てるものは立派だけど、普通のおっさんだった。王サマでも誰でも、みんな呆気なく死んじゃうんだ。……そう思うと、さ。なんだか生きてるって分からなくなってくるよね。明日には……死んでるかもしれないしさ」
「…………そう、ね」
語り出したラシルは、言葉を選ぶようにして。訥々と言葉を紡いでいく。スティリアが静かに相槌を打つと、ラシルは首を振って歩き出した。
「ごめん、やっぱなんでもない! 早く行こ! にーちゃんら待たせてるし!」
「ええ。……ありがとう、ラシル」
後半に続く言葉は少年の耳には届かない程にか細かった。手についた灰は歩く振動でパラパラと舞い落ちていき、スティリアは灰で汚れた手の中を見つめると、拳を握りしめる。
王座の裏に隠れた階段を前に、ラシルがコツコツと靴音を立てながら階段を登り出した時、スティリアは王座の隣で振り返る。
荒れた謁見の間。大窓から差し込む月明かりが室内を照らす中、中央の灰がまた静かに風に煽られて転がっていった。
「さようなら、お父様……」
スティリアは浮かない表情のまま、唇を噛みしめると、階段へと向かう。かつて王だったその灰は、また静かに揺れた。




