第四十三話 ー疑惑と確信②ー
「慣れたと思っても、やはり酷い臭いじゃな……」
「かなり臭うわね……」
「くっせぇえええ!」
ヴァレリに続いて、初めて下水道独特の臭いを嗅いだスティリアとラシルの二人は、不快そうにその表情を歪める。
「オレ様はもう慣れたが……お嬢はその姿で辛くねェのか?」
『ウチは平気やで。神力でバイーンと弾いたってるからな!』
「俺も、同様だ」
ルエインとテレシアがそう言うと、ヴルムは「あー、そうかい」と後頭部を掻きながら、歩き出した。
「これ、待たんか! ったく……」
先行くヴルムを追って、ヴァレリも暗がりへと進んでいく。
「これは……ラシルくんがいるのに、衛生的にも良くないわね。……聖なる力よ、不浄なる流れを断ち切り、今ここに汚れなき流れを生み出せ……プルムスッ!」
「おお……!」
スティリアが魔法を唱えると、水は一気に澄んだ色に変わる。臭気も無くなったようで、鼻を摘んでいたラシルはその手を離し、スティリアへと憧れの眼差しを向ける。
「すっげー! 魔法だ! ねーちゃんも使えるんだな⁉︎ 俺も使えないかなーって思ってたんだよなあ……」
「えと……そ、そうね。わたしも、大きくなりたいなー、なんて……」
「ねーちゃんが大きくなったら……パンツ丸見えだな! あっはっはっはっは!」
「……‼︎ は、早く行きましょう⁉︎」
取り繕うようにして、足早にヴルムとヴァレリを追ったスティリア。ニヤつくテレシアを肩に乗せたルエインも続き、レイチェルが歩き出せば、ラシルも臭みが無くなった為か、鼻歌を歌いながらそれに続いていく。
そうして一行は、スライムによって溶かされた、階段が溶解してできた坂に着く。
「ロープが切れて戻れなくなった……と、いう事ではないらしい」
「益々怪しいなァ?」
ルエインとヴルムがそう言うと、スティリアは悲しげに俯く。
「ほんとに……何かしてるのかな? マルクさん、もしかしたら疲れて寝ちゃってるだけかもしれないわ……」
「ふむ……ないとは言えん。だが、何の連絡もなく、コソコソと動いておるのは事実じゃて」
「そう、だけど……」
ヴァレリの言葉に、スティリアは歯切れ悪く肯定し、そのまま沈黙が続いた。
「なっ! なっ! 行っていい? っていうか行く!」
「なっ……おい⁉︎ ガキンチョッ!」
ヴルムの制止など聞こうともせずに、少年は「ひゃっほーうっ!」とその声を木霊させながら滑り落ちていった。
「アイツ……」
『まあ、子どもやしな。大目に見たりや?』
「……チッ、クソがァっ‼︎」
ヴルムも怒りの声を上げて滑り出す。それを見たヴァレリがため息をついた。
「やれやれ……これで先走る身勝手さを理解してくれるといいんじゃがの?」
『無理やろ、アイツやぞ』
『同意です。それは不可能かと思われます、ヴァレリ』
「……汚名返上は難しそうじゃな。どら、ヤツが子どもに手を上げる前に、わっちは先に行くぞ」
ヴァレリもそう言い残して、仄明かりに照らされる坂を滑り降りていく。
『ほな、ウチらも行く……前に、やね』
「……スティア。もし本当に、マルクが裏切っているとするならば……どうする?」
「えっ? それは……説得して……」
「説得できなければ、どうする?」
「…………それ、は……」
ルエインが尋ねると、スティリアは言葉を詰まらせた。ルエインは一息つくと、
「今回の戦争が何故起きたか……双方に、譲れないものがあったからだと、俺は思っている。今回だけじゃない。人が争う時というのは、何かを守る為だ。それは、自分の自尊心であったり、財であったり、誰かであったり……。兎角、ヒトは何かを守る為に戦う。それが周りのヒトから見たら、下らないものであっても、だ」
「……うん」
スティリアが頷くのを確認すると、ルエインはその肩に手を置いた。少女の華奢な肩は、驚いたようにビクリと跳ね上がる。
「俺は……お前を守る為に戦っている。それは命だけじゃない、心も守りたいと思っている。もしも、あの国と深く関わっていたマルクが裏切っていた場合……俺達には死ぬ可能性も出てくる。君が付いてくるとなった以上、その結末は防ぎたい。もしそうであった場合、俺は……俺の意思を貫く為に、マルクと戦うだろう。それは、譲れないものがあるからだ。……スティア。君にとって、譲れないものとはなんだ?」
「わたしの……譲れないもの……」
スティリアが考え込むや否や、ルエインは数秒の間、沈黙の中で少女を見つめたかと思うと、坂へと向かって、ロープを握りしめた。
「それが分からないのならば……スティア。君は、やはり付いてくるべきではないのかもしれない」
「待っ──!」
スティリアの制止の声も虚しく、ルエインは奥へと進んだ。虚空へ伸びた手の先には何の趣もない壁があるだけで、少女は力無く手を引き戻し、胸元で握りしめる。
『……マスター?』
「わたしの、譲れないもの……」
レイチェルの呼びかけにも答えずに、スティリアは思考を巡らせている。しかし、首を激しく左右に揺さぶると、レイチェルへと向き直る。
「ごめんね、レイチェル。行こっか?」
『イエス、マスター』
一人と一機の少女は、弱々しく笑みを浮かべ合うと、坂を魔法の力で浮遊しながら下っていく。
「遅ェ‼︎ テメェら、前世はカタツムリかなんかかァ⁉︎」
『アンタ、その顔どうしてん?』
テレシアが、話をぶった切ってそう尋ねると、ヴァレリが呆れたように、
「思った通り、子に手を上げようとしておったからの。思わずど突いてしもたわい」
「石突は石砕くもんだろうがよォ。オレ様じゃなきゃア、顎砕いてんぞ?」
「すまぬ。つい……な?」
「ありゃあ、確信犯の動き方だったぜェ? 隊長殿ォ?」
二人がいがみ合っているところへ、スティリアとレイチェルが合流した。
「待たせちゃったかな?」
「……問題ない。来た、のか」
ルエインが尋ねれば、スティリアは小さく頷く。
「まだ、漠然としているけれど……わたしも、夢がないわけじゃないわ。今は……それが、わたしの譲れないもの」
「……そうか。あるのならば、いい」
スティリアがそう告げ終えると、ルエインは背を向ける。そこへ、
「あのオッチャンめっちゃ怖ェ……目ェ合わせたらビビッと飛んできて殴ろうとしてきた……!」
「ふふっ、あんまりはしゃぎ過ぎちゃダメよ?」
スティリアがそう諭せば、ラシルは「はーい!」と力強く答える。
「さて……一応排水路は別で確保してくれていたようだな。レベディオスも、ああ見えて仕事が早いようだ」
現在いる足場からは新しく梯子がかけられており、汚水を吸い上げるポンプと、それらを排水する鉄管とが新たに設置されていた。ただし、尿石やこびりついた汚泥はそのままだった。
『まあ、周りはしゃあないわな。長年かけてついたもんやろしな。取れっちゅう方が酷やわな』
「然もありなん。これを取るとなると削り取るより他はないじゃろうからな」
「任せて。……聖なる力よ──」
スティリアは、再び先ほどと同様の魔法を以ってして、尿石や汚泥を、砂に変えた。
「……便利だねェ、魔法ってモンはよォ」
「オヌシと言う奴は……見下げ果てる程に現金な奴じゃな」
「カネは好きだぜェ? お前もだろうが」
「うむ、そう言う意味合いでは無かったが……それは否定せぬ。わっちも金は好きじゃぞ」
二人はニヤリと笑い合った数秒後、固く握手を交わす。
『何アホやっとんねん……早よ行かんと置いてくでー』
「……ふてぇ野郎共だ」
「女子もおるがの?」
「チッ、テメェはいちいち小うるさェ奴だなァ?」
「オヌシもいちいち突っかかってきて器が小さい奴じゃな」
「んだとテメェ……?」
バチバチと視線を交わして火花を散らせた二人。先ほどの結託が嘘のように再び険悪な雰囲気になると、顔を背けながらルエイン達の後を追う。
梯子を降り、洞窟へ潜り、一行は歩き続けた。洞窟内には……異形な獣達がいた。
「オイオイ、なんでこんなとこに魔獣がいやがるんだァ? 相棒よォ、テメェ前回全部片したっつってたよなァ?」
「前回とタイプが違う。恐らく、新たに入り込んだものだろう。マルクも、もしかするとコイツらに……?」
「今は考えるより手を動かさんか! というかヴルムよ、獣風情など燃やしてしまえんか⁉︎」
「馬鹿言え! もっと広いなら別だが……こんな場所で火なんか、起こした日にゃア……一瞬で、酸欠だぜェ⁉︎」
「珍しくまともな意見を言うで……ない!」
一同がそうこうしている内に、スティリアが魔法の詠唱を終え、襲いかかる獣達を見据えた。
「アンブライトスピナーッ!」
スティリアの声に反応して……闇が蠢き、ズルリと獣達を捉えると同時に、影は形を持って明確に異形な動物の体に無数の穴を開けるトゲを伸ばした。魔獣達が灰になると同時に、その影もまた、消えていく。
「……ふう。助かったわいスティアよ」
「ううん、時間かかっちゃってごめんね。ちゃんと詠唱しないとダメみたいで……」
スティリアがそう言うと、ヴァレリは「気にするでない」と首を振る。
「しかし……大して強くはないが、キリがない。じゃが……マルクなら苦戦するのかの?」
「奴は……魔道具に頼る戦い方をする。あまり、戦闘がデキるタイプではない。もしかすると……」
「ふむ……何か遺品でもあれば確実じゃがな?」
ヴァレリが大空洞に到着し、そう言葉を返した時──
「んなモン、どこ探したってあるワケないっスよ」
「──!」
暗闇の中、ランタンも点けずに。話題の渦中にいたその人物……マルクは現れた。一同驚きを露わにして振り返ると、その業突く張りの商人、マルクは気怠そうに後頭部を掻くと、帽子をかぶる。
「来ちゃったんスね……」
「ふむ。弁明なら手身近に頼むぞ? わっちは兎も角、この男は気が短いからのう」
「オレ様のせいにしてんじゃあねェよ。テメェも気に食わねえって、ツラしてんぜ?」
ヴルムがそう言うと、ヴァレリは不機嫌そうに鼻を鳴らした。二人のやり取りを見たマルクは、どうでも良さそうにあくびをした。
「まあ、どうでもいいっス。それで……スティリアさん。あの指輪……どこっスか?」
「えっ……?」
唐突に話題を振られた事で、スティリアは思わずルエインへ視線を移した。すると、マルクは察したように鼻で笑う。
「ああ、まだルエインさんが持ってたんスか。じゃあ、悪いっスけど……ソレ、渡してもらえないっスか?」
「……断る、と言ったら?」
ルエインがそう言うと、マルクは呆れたようにため息をつく。
「……殺してでも、奪い取るに決まってるじゃないっスか」
軽い口調とは裏腹に……低く、ドスの利いた声。ルエイン達は一様に冷や汗を掻き、その表情は一気に引き締まると、顔には緊張が走る。
「マルク……さん?」
「今から殺される相手に、なんて顔してんスか。やっぱりお姫さんは甘々っスね」
「……やはり、本気か?」
「狂言ならオイラのセンスもなかなかクールっスね? でも、違うっスよ」
あっさりと。マルクは否定する。その言葉に、スティリアはその表情を悲しげに歪ませた。
「てんでお話にならないっスね……。殺すと言った相手に何の構えもしないなんて……オイラならいつでも倒せるなんて勘違いしてないっスか? 前線で戦わない人間が、なんでこんな魔獣だらけの場所にいられたか……今来に至るまで、オイラの戦い方を見といて……なんの疑問もないんスか? オイラは……いつだってスマートに立ち回ってきたつもりっスよ?」
「──! みんな、退がれッ‼︎」
ルエインが叫ぶと同時に……青年の胸元から、巨大な影が飛び出した。
「ルエイン⁉︎」
「問題……ないッ……!」
スティリアが、間髪入れずに名を叫ぶ。ルエインは片膝を突きながらも、駆け寄ろうとした仲間達を手で制する。
グルグルと回転しながらルエインの胸元を引き裂いたその異形な生物は、マルクの眼前に舞い戻ると同時に、口に咥えていた指輪をマルクへと差し出す。
「はい、終わりっス。チョロいもんっスね? ……後は任せるっスよ、シン」
「シン、だと……⁉︎」
ルエインは、その瞳を揺らした。他の面々も同様に、動揺する。
蝙蝠の翼、狼の体から亀の頭のように伸びた人間の顔。その耳に当たる部分からは、不釣り合いな程に巨大で筋肉質な赤い手が、第三の足として伸びて地を踏みしだいており、胸部のような部分には、不気味で巨大な口が、血のように赤い口内と、剣のように鋭く輝く歯をむき出しにしていた。
『ウッフフフフフフフ……』
その異形な生物は、不気味な笑い声を上げると同時に……体を構成していた動物の体の全てを真っ赤な筋繊維へと変化させると、羽織り布のように部分的に分かれさせ、背中へと吸い込んでいく。
「フフフ……。そんな、ゲテモノを見るみたいな目で見ないでください……私、思わず高揚してしまいますよ」
現れたその優男……シンは、ペロリと舌舐めずりをしながら現れると、妖艶に微笑んだ。




