第四話 ー胎動と旅商人①ー
その夜のこと。腰まで伸びる白い髪。血のように紅い瞳を持つ男。その男は、白昼あった激戦の跡地へ、ふわりと舞い降りた。
身に纏う黒いスーツを夜風にたなびかせ、ニコニコと胡散臭そうな笑みを浮かべる。
岩のような灰色の肌をしたその男は、細い笑みを浮かべると、斯くしてその青い唇を開いた。
「夜の散歩をしていたら面白いものを見つけられましたねえ。これはひどい怨み溜まりだ」
物腰柔らかな声。乾いた血痕を見下ろしているその男は、やや嬉しそうに呟く。
「この『シン』めが……あなたにささやかな贈り物をして差し上げましょう。二度目の人生、大いにお楽しみください」
そう言いながら軽々と人一人を潰した巨岩を押し退けると、指を噛み、血を数滴垂らした。
「フ、フフフフフ……あなたにケイオスの加護があらん事を」
言うや否や、男は闇夜の中へと消え去った。後に残ったのは、再び潤いを取り戻した血溜まり。そして、それはやがてゆっくりと脈動を繰り返し、周囲の血痕を手当たり次第回収していくのだった──
「──うっ……」
その同時刻。スティリアが目を覚ましたのはテントの中。寝ぼけた眼で、周囲を見回す。
「起きたか」
その様子に気付いたルエインが、読んでいた古本を閉じてそう声をかけた。
スティリアは、その声に反応してルエインの方へと向くが、焦点は合っていなかった。しばらくルエインの胸元との間の虚空を見つめたかと思うと、その顔はすぐに青ざめた。
「わたしが……あの人を…………?」
ハッとしたように、わなわなと震える自身の手を見つめるスティリア。ルエインは「それは違う」と言い、続けた。
「アイツが死んだのは事故以外の何ものでもない。結果として見れば……ヤツはヤツの魔法で死んでいる。スティア、君が何かをした訳じゃないだろう」
ルエインがそう言うと、スティリアは左右に首を振った。
「たぶん、わたしなの……騎士にまでなった人で、魔法の扱いを間違える人なんていない、から……」
ポタポタとその頰から涙が流れる。悔しげに下唇を噛むスティリアに、ルエインは別段気にする素振りもなく、「そうか」と一言こぼし、そのまま続けた。
「別段気にする事はないだろうがな。君がどうしようとも、あそこで俺が殺していた。それに──」
「そんな風に割り切れないよッ‼︎」
スティリアの悲痛な叫び。ルエインは言いかけていた言葉を紡ぐ事なく、静かに口を噤む。
……すると、そのテントの中へ。悠然と歩くテレシアが闊歩して現れた。
『なんや? 痴話喧嘩か? 外まで丸聞こえやで』
現れるなり場を乱す発言をするテレシアに、ルエインは小さく溜め息を吐く。
「……テレシア、少し黙っていてくれ」
『ほーか、お邪魔虫かいな』
テレシアは言いながらにしてスティリアの元へと歩み寄ると、真下から顔を見上げてスティリアを凝視した。
スティリアはその迷いもない真っ直ぐな瞳に、一瞬肩がびくりと跳ね上がる。やがて、揺れる藍色の瞳を見つめながら、テレシアは意を決するように口を開く。
『お邪魔虫ついでに言うといたる。外で生きるってのはこういう事や。切った張った、取った取られたの命の生存競争やで。少なくともウチらはそうやって生きてきてる。それが嫌ならここで帰るかどっかで野垂れ死ぬだけや』
「…………」
スティリアは、何も言い返せずに黙り込んでしまった。
テレシアはふう、と一息つく。そして、言い切るや否やテントの入り口へと向かうと、「ほな、見張りに戻るわ」とだけ言い残して消え去った。
沈黙が再びその狭い空間を支配する。スティリアが呆然とテレシアのいた場所を見つめていると、ルエインが堪えかねたように重い口を開く。
「ヒトは、生きているだけで何かを奪って生きている。食べる事も、戦う事も、守る事も。それが命である時もあれば、そうでない場合もある」
一つ一つ。言葉を選ぶように慎重にそう語るルエインは、昨晩のスープを詰めた小瓶とパンを、未だに咽び泣くスティリアの手元に置いた。
「スティア。お前がまだ生きたいと思うのならば、俺はこれからもお前を守る剣となるだろう。そしてこれはあの騎士が所持していた食料だ。生きたいなら食べればいいし、そうでないなら食べなくていい。生きるか、死ぬか……最後に選ぶのはお前自身だ」
落ち着いた口調でそう告げたルエインは、そう言い残すとそのまま出口へと向かって歩き出す。
……その足はスティリアが啜り泣いて崩れ去っても止まる事はなかった。
昨晩と同じ光景。違うのはスティリアがいるかいないかと、今夜の夕飯がスープでない事ぐらいだ。
焚き火を背にしてテレシアがドン、と石の上で胸を張っているところに、ルエインが歩み寄っていく。
彼がその近くで腰を落とすと、テレシアは一瞥して後、再び夜空を眺めだした。
「……キツい役を押し付けたな」
『フンッ、二人のおねえちゃんやからな』
ルエインの言葉に、テレシアは鼻息荒くして尻尾を二、三振ると、そう答える。
そうか。とだけ溢したルエインは、テレシアの近くで腰を落として座り込むと、腰袋から木の実を取り出し、カリッと小気味良い音を立てて噛み砕いた。
そうして二人で欠けだした月を眺めて少しばかりの時間が経過した。そんな時、不意にテレシアがボソリと小さく呟く。
『……ええ子ちゃん過ぎんねんなあ』
彼女の声に、ルエインはもう一つ口に運ぼうとしていた手を止めた。
『ウチは嫌いやないけど……やっぱ箱入りのお姫さんなんかねえ』
ポツリとそう溢すテレシアに、ルエインは少しの間を置いて答える。
「生まれが違えば物の見方も変わってくる。俺たちはそうするしかなかっただけだが……スティアは違うだろう」
『ほーん……そんなもんかいな』
月明かりと焚き火だけが世界を照らす中、薪木のしばらくして、テレシアが「たはーッ!」と息を吹き出す。ルエインは項垂れるテレシアに怪訝な顔を向けた。
『言い過ぎたかなあ……ガラにもない事するもんやないで……』
「……俺も言ったし気にするな」
ルエインがそう言いながら木の実を口へと放り込む。テレシアは「そっかぁ……」と呟きしばらく止まると、鬼のような形相で振り返ってみせた。
『え⁉︎ まさかあんた余計なこと言うたんやないなろな!?』
「……生きるか死ぬかはお前が選べと言った」
ルエインがそう答えた刹那。テレシアは大きく跳躍し、彼の頭を細腕でパコリと叩いた。
「何をする」
着地するよりも早く。ルエインはテレシアの後脚を掴んで、彼女は逆さ吊りにする。
『アンタ真性のアホか⁉︎ ウチが小言を言うたんやからアンタはなんも言わんで良かってん! はよ謝りに行かんかいスカタン!!』
「む……」
その体勢を意に介する事なく喚き立てるテレシアに、やや気圧されるルエイン。
テレシアはぴょんとルエインの手元を離れて着地すると、その前脚でテントを勢いよく指差す。
『ほらはよ行くで!』
「あ、ああ……」
ルエインは珍しくたじろぎながら、立ち上がって先行くテレシアの後を追う。
ルエインがテントへ入ろうと足を踏み入れた時、テレシアが小さく「待った!」と声を上げた。
「……なるほど」
テレシアが指差す先では泣き疲れたのか、スティリアが目元を濡らしたまま静かに寝息を立てている。
状況を飲み込んだルエインは、そのままテレシアとテントを後にすると、定位置に戻ってふう、と一息吐く。
『ま、明日謝っときや』
「……そうだな」
そのままボーッとする二人。しばらく間を開けて、テレシアはボソリと呟く。
『かわいい寝顔やったな』
「……そうだ──」
言いかけたところで、ルエインは口をつぐむ。その目でキッとテレシアを睨み付けると、テレシアはニターッと口を歪めて笑っている。
『あー、惜しい惜しい。クッヒッヒッ』
「お前な……」
呆れ半分に、ルエインはそう言う。テレシアは、自分がからかった事は棚に上げ、「まあまあ」と宥める。しかし、その手は対して構うなと言わんばかりのルエインに、払い除けられる。
そんなじゃれ合いをしていると不意に目を細めたテレシアが、ルエインへと向き直った。
『ま、あの子も一回起きたしぼちぼち寝ときや。昨日はルエインやったし今日はウチがやる』
「む……」
テレシアのその言葉に、動きを止めて小さく反応を示したルエイン。テレシアはルエインの袖元にそっと、手を置いた。
「傷は大丈夫なんやもんね。神力は回復したんか? 限界超えたら技使えんどころか反動くるんやししっかり回復しときや』
「ああ……」
ルエインは小さな返事を返した。するとテレシアは「よっしゃ」と言いながら、ルエインの脇腹を叩く。
『ほな、はよ寝いや』
「……では、そうさせてもらおう」
『ほいほい、安心して任しとき。なんもなかったらいつもの時間や』
お互いに「おやすみ」と言葉を交わすと、ルエインは今朝方使っていた、およそ掛け布団とは呼べないような薄手のボロきれにくるまる。
それを遠目に見ていたテレシアは、ホーっ少し深めの溜め息をつく。
『毎度思うけど乙女に見張りさせるなんてどんな神経やねん。……まあ、ウチはおねーさんやしな。しゃあないな』
沈黙に耐えかねるように、その後もぶつくさと独り言を喋り続けるテレシアだった。
──やがて、朝が来た。ルエイン朝の陽光を感じると、怪訝な表情を浮かべて目を覚ました。
ボロ切れを投げ捨てるように取り払い、飛び上がったルエイン。陽光にまだ目が慣れていない為か、額に手を翳しながら周囲を見回している。
すると、ある一点で止まったルエインの視線の先では楽しそうに語らうテレシアと──スティリアがいた。
『ほーかいな! 物騒な魔法もあんねんなあ』
「ふふふ、わたしは生活魔法しかまだ使えないけど、魔法も色々できるんだよ」
ボーッとその様子を見ていたルエインだったが、目が慣れてきたのか遮る手を下ろし、二人の元へと歩み寄った。
「おはよう、スティア。ついでにテレシア。」
「あっ……ふふふ、おはようルエイン!」
『んぁー、おはようさーん……ってついでかーい!』
昨日のスティリアに対しての挨拶よりも気怠げに返すテレシアと、花開くような笑顔でそう返すスティリア。
「もう決めたのか?」
「うん。心配かけてごめんね」
スティリアはどこか物寂しげな顔でそう言う。まだどこか思うところはあると言った感じが残っているが、その目は一皮剥けたように輝きが戻っていた。
ルエインが「そうか」と小さく返事をすると、「顔を洗ってくる」と川へ向かった。
昨日の位置から少しも動いていない機兵族を確認したルエインは、顔を洗ってそのまま二人の元へと戻ってきた。
「さて……食料問題もだがスティア。その服は寝苦しいだろう。人のいる場所で何か服を見繕うとしよう」
「うん。ありがとう、ルエイン!」
日に日に明るくなっていくスティリアに、ルエインは戸惑いの色を見せるばかりだった。
──そんな時。テレシアがルエインの裾元をクイクイと引っ張った。
「なんだ?」
『見てみ』
テレシアが顎で示す方向へ、ルエインとスティリアはその視線を送ると……そこにはイノシシがいた。
「ほう、食料はなんとかなりそうだな」
『まった! ここはスティア。さっき言ってたの試してみ?』
「う、うん」
テレシアの突拍子もない提案に、スティリアは戸惑い、ルエインは目を丸くする。
「……なんだ、それは」
『えーからえーから』
テレシアはルエインをそう諌める。スティリアは既に集中して目を閉じ、間も無く小さく呟きだした。
「母なる大地よ……。天翔ける雷よ……。少しだけ、私に力を貸して……!」