第三十七話 ー暗き下流の果てに②ー
足場は溶けがかった少しの石床のみであった。右方向へ伸びた通路の先、下に降りる為の階段は溶解されて溶けて無くなっていた。
「……焼き尽くすかァ?」
「やめんか。このガスじゃぞ、吹き飛ぶわい。別の意味で歩く災害じゃな、オヌシは……」
ヴァレリは鼻に袖元を押し当てながらそう言う。ヴルムはそれを分かっていたようで「冗談に決まってんだろォ」と鼻で笑い飛ばした。
『レイチェルに凍らせてもらうか? どのみちなんかおるならそれで死によるかもしれへんしな』
「むぅ……そうじゃな。これ程の広さを凍らせるとなるとさすがのわっちでも手に余るわい」
ヴァレリはどこか呆れ気味にそう返した。テレシアとその肩に乗るルエインがレイチェルを見て頷くと、その少女もまた頷いた。
『グレイシアル・カノン』
レイチェルの髪と瞳は青白く変色し、肩が持ち上がって開いていく。そこから覗かせた砲身に光の粒子が集まり、白い霧状の靄をふわりと舞い散らせる。
「ううむ、これは……」
「触れたら最後だぞ」
「言われなくても分かってるぜェ。こんなのに触ろうなんて物好きがいるとするなら、そいつァ筋金入りの莫迦だァ」
ガスすらも凍らせて霧に変えながら進むそれに、水面から何かが飛び込んだ。
『見てみぃ!』
「スライム……これ全て、か?」
酸液が触手となり、霧に飛び込んでいった。その努力虚しくも凍りついていったが、それらは津波となって襲いかかってきた。
「む……不味いんじゃないかえ?」
「問題ないだろう」
心配したヴァレリに返されたルエインの言葉通り波はバシュウウウウと、鉄板の上に水を撒いたような音が響きながらも、凍りついた。
「ほほ……これはなかなか痛快よの。初めて見るが其方、これほどの力を隠し持っておったのか」
「ドレヴァン以来か……?」
『ウチらも久々に見るな。何で使わんかったんや?』
テレシアが尋ねかけると、レイチェルは暗い表情で俯いた。
『前回の使用時に不注意でマスター達を危険な目に曝しました。それだけではなく、マスターを悲しませ、叱責を受けたのです。無理はするなと……』
『あぁー、最後に使うたんガディウスの時やっけか。ウチはうろ覚えというか気絶しててほとんど見れへんかったけど』
「それは俺も記憶にな──! 待て。どうやら、本体のお出ましのようだ」
「──!」
ルエインの言葉に、皆一様にその視線の先を追った。凍った波の上に更に酸液を掛けてやり過ごしたソレを。
「ちぃと拍子抜けだが、アイツに違いねェな」
「なんじゃ、あれは……核、か?」
酸液の中を浮上し、一同の目先に現れたのは人の頭ほどの大きさを持つ球状の巨大な細胞。半透明な体をしており、中心の赤い球体から、血管のようなものを伸ばしている。
黄色の海は全てが肉体のようであり、触手を幾本も張り巡らせていた。
「レイチェル、まだいけるか?」
「イエス。魔力残量は残り八六パーセントです、問題ありません」
レイチェルは続けて霧を放つ。パキパキと音を立てながら波が凍っていく中、テレシアは顔を引きつらせた。
『レイチェル頼みやな』
「そうでもねェさ」
『──!』
『ちょ、アンタ⁉︎』
少女の首元をグイッと掴み上げ、標準を上にずらしたヴルムに、テレシアは馬鹿じゃないのかと言わんばかりに唖然とする。
そんな事などお構いなしに、ヴルムは「そのままなァ」と言い残して、凍った酸液の上に飛び乗った。
「核を潰しゃ終いだろうよ! 嬢ちゃんにゃあ潜入の任務もある。言い出した手前だ、残量に上限があんなら手早く済ませるべきだぜェ」
『これ全部本体やろ⁉︎ できんのかいな‼︎』
強気に走り出したヴルムに、やはりと言うべきか。冷気から逸れた場所から触手が襲いかかる。
「鬼槍術・氷華」
「あァーん?」
ヴァレリが槍を真横に構えて回転させ、凍てつく冷気を送り込むと、その触手はパキパキと凍てつく。
「オヌシほど向こう見ずな輩は初めてじゃ、肝を冷やすわい」
「ハッハァ、飽きねェだろう?」
吐かせ。とヴァレリはピシッと言い放つ。しかし、ヴルムは聞く耳も持たずに一気に核まで詰め寄った。
「ダラァッ‼︎」
「む、そんな芸当もできるのか」
部分的に竜化した巨腕を伸ばし、核まで迫ったヴルムに驚きを見せるヴァレリ。しかし、核はそれを察知してか、ずるりとその場を移動していく。
「チィッ……」
「わっちに酸を散らすなよ?」
腕を戻したヴルムに、ヴァレリは距離を取りながらそう言う。パタリと落ちた雫は、数秒前までヴァレリがいた場所に落ちると、蒸気を噴き上げながら氷の表面を溶かしていく。
「こりゃ! 言わんこったない!」
「うーるせェよォー。それよりもだなァ……」
チラリ、とヴルムは触手から海へ、海から触手へと移りゆく本体を見て、それへ向けて腕先で照準を合わせる。
「竜闘術・玥鱗ッ!」
ヴルムの腕から逆立つ鱗が射出される。抜けては生え変わる鱗は、宛らガトリングガンのようにスライムの本体へ襲いかかるかる。酸にも耐え得る強度を持つ竜鱗であったが、液体に入った事によって今一つ威力は落ちてしまう。
水圧による抵抗を受けて、花びらが舞い落ちるが如く揺らめいて沈んでいく鱗を、まるで嘲笑うかのように核はゆっくりと移動をしだした。
「ケッ、めんどくせェ野郎だなァッ⁉︎ だがなァ──」
ヴルムは放ち以って、チラリと機兵族の少女へ目を遣る。
「今だ、レイチェル!」
『イエス。フリーズ・バルカン!』
レイチェルの指先が開いて手首から高速回転をする。開いた指先からは雹のような氷の礫が飛び出し、スライムの周囲へと襲いかかった。
当然、スライムも反応を見せたが触れた直後から凍りつき、ガリガリと弾丸によって削り飛ばされる。瞬く間に追い詰められたスライムの本体は、先ほどとは比べ物にならない速さで酸液の中を移動する。しかし──
「遊びは終ェだァ」
核部分の動きを先読みして飛ばしていたヴルムの鱗が、薄膜となった部分から本体の半透明な細胞を引き裂いた。途端に触手がバシャリと重力や物理法則に抗う事なく酸の海へと還り、本体の血管部分がゆらゆらと水面を漂った。
当然それをレイチェルが見逃すはずもなく、氷の弾丸は血管や核ごと、その周囲の酸の海を凍らせた。それを確認したレイチェルが弾丸を放つのをやめると、ルエインはその肩に手を置く。
「良くやった、大丈夫か?」
『イエス、問題ありません。魔力残量も七一パーセントです』
「そうか」
ルエインはくしゃりと少女の頭を撫でた。レイチェルは「わっ」と声を上げるも、不快な感情の類を示す事はなかった。
「なかなか楽しませてくれたじゃあねェか。オレ様を揶揄った罪はなかなかでけェが──」
ヴルムは巨大化させた竜の手を以ってして酸液の中からパキりと、本体が氷漬けにされた氷塊を手に取ると、
「生憎テメェには感情の類は無さそうだァ。詰まらねえからこのまま死んでくれや」
パキンッ! と、握力だけでその氷を砕いてみせた。氷片に混ざってパラパラと赤い砂のようなものがその手から氷の床へと落ちていく。──途端に、氷の床に揺れが発生した。
「む……早く戻るぞ! 恐らくこのスライムは全てその核で動いておった、足場が消えるぞ!』
「チッ。めんどくせェなァ、オイ⁉︎」
ヴルムは言いながらにして、ヴァレリと共に狭い足場へと戻ってきた。それと同時に、凍った酸液である黄色の氷は無色透明へと変わったかと思うと、パキリと音を立ててひび割れていく。
その下にあった酸液も全てが全て、蒸発するかの如く消え去っていったかと思うと宙に浮いていた氷は重力に抗えるはずもなく……粉々に砕け散って氷霧のみを無機質な岩の上に散らした。
「……やはり、残したままのが良かったかのう?」
『……まあ、今更やろ』
下は、酸で全てが溶けていた。そこかしこに亀裂が走っており、ただでさえ老朽化していた下水道の風化を手伝っていた。
そんな中、ピクリとヴルムが耳を動かす。
「一つだけ、デケェ空間があるな。ずっと東側に伸びてるぜェ」
「む……それも抜け道かのう?」
さてな。とヴルムは笑う。酸液が無くなったからか、ヴルムは胸元の煙草ケースから煙草を取り出して咥えたかと思うと、紫煙を燻らせる。
「調べるにしても風の反響音からしてなかなか遠いぜェ。もしかしたらマクニールより先に続いてるかもしれねェ」
「ふむ……何処に着くにしても意表を付けるじゃろう。道とは戦争に於いては作戦の幅そのものに直結する。調べる価値はあるじゃろう」
ヴァレリがそう言うと、ルエインは足を前に動かして、崩れた階段へ向かった。
「ならば俺が行こう。一人身であれば一番足が速いだろう」
「む、頼めるか?」
任せておけ。と言うと、ルエインは崩れな階段を飛び降りる。
「気ぃ付けなァ。魔獣も何体かいやがるようだ。まァ、この様子じゃあ弱っちいがなァ。道は一番奥手の亀裂を壊した先だぜェ」
「……そうか」
珍しく心配してきたヴルムに、ルエインは少し驚いた表情を見せるも、抑揚のない声で返事をすると、指定された場所へと向かった。
「ここか……。魔獣も出ると言っていたな」
『怪我すなよー!』
テレシアの声に振り向き、手だけで反応を見せたルエインは、
「神装真器」
光に包まれ、剣を手にした。
「へェ、ありゃあなかなか強そうじゃねェか」
『強そうやなくてほんまに強いぞ』
テレシアの声に「そりゃあ、やり合う日が楽しみだ」と笑った男に、ヴァレリは額に手を当てて呆れるばかりだった。
「さて……神楽」
神速の太刀筋を以ってして、ルエインは壁を切り開いた。ガラガラと崩れた先には、ヴルムの言った通りそこには長い洞窟があった。右手には小さな地下水路があるが、人が通れるほどの大きさではない。
「……何の為に掘られたのか」
風が通った為か、怪物の喉に迷い込んだかのようにゴオオオッと凄まじい低音を鳴らした窟内で、ルエインは静かにそうこぼした。
「いや、いいか。一先ずはどこへ続いているか、だったな」
言いながらにして、ルエインは足に光を集めたかと思うと、
「導ノ型……神走・韋駄天」
その姿を一瞬にして霞ませた。一息にて凄まじい距離を、人知を超えた速度で駆け抜ける最中、異形なる者達を見つけては切り裂いていった。
「今のは──ドレヴァンの……?」
ルエインは切り裂いた生物の姿を思い出していた。ヒルのようなものが重なり合い、一つの生物のように蠢いていた。その赤い体表、色艶。全てがあの異形なる者から生み出された生物の特徴と酷似していたのだ。
「……まあ、いい」
そのまま、普通の人間ならば数日を掛けて歩くであろう距離をルエインはグロテスクな魔獣達を蹴散らしながら突き進む。
そうして先に進んでいたルエインだが、突如として暗闇が出迎えた事により、その勢いを落とす。
「行き止まり……か?」
岩壁に手を触れていたルエインは、手の甲でその場所を叩く。すると、
「……ここか」
明らかに、岩を叩いた音ではないような音が響き渡る。ルエインは再び剣を構えた。
「神楽」
切り刻まれた岩はガランガランと裏側にあった鉄と擦れ、派手な音を鳴らした。それと同時に書類の山がバラバラと舞い散り、洞窟へ向けて舞い散ってきた。
「ここ、は……⁉︎」
ルエインは、瞳孔を大きく見開かせた。




