第三十六話 ーアルバトログ砦①ー
次の日の朝、一同は凍りついた湖の上を進んでいた。岩場のように高低差のあるそこは、雪がその全てを覆い尽くしていれば誰も湖だなどと思わないだろう。
しかし先頭を歩くヴルムが近寄れば、それらは溶けていき、足を取られる事もない一行の先行く歩調は、次第に早くなっていく。
『便利な能力やけど……これ氷がバリーンッて割れてまうとかあらへん?』
「心配なかろう。理由は定かではないがスヴェグラト湖は中心ほど氷層が分厚いと聞く」
『理由分からへんのかい!』
なんや落ち着かへんな……とこぼしたテレシアに、ヴルムは振り返る事なく、
「心配いらねえよ。足元も岩盤みてえに硬ェ。もしなんかあんなら真っ先にオレ様に来るァ」
「──だ、そうじゃ」
ほーん、と自分が騒いでいた割にはどうでも良さそうに返事をするテレシア。その肩の主である、ルエインは訝しむように眉を顰めると、
「そのもしも、がない保証がない訳だろう? それでもし何かあれば──」
「あー、ウゼェウゼェ。何だってこんな減らず口の多い若造と一緒にいなきゃなんねえんだァ?」
「──!」
心底、うんざりだと言わんばかりに疲れた声を響かせたヴルムの姿は、パキパキと音を立てながら変化していく。
紅蓮の業火を封じ込めたような逆立つ鱗が身を包み、その体躯はバキバキと音を立てて巨大化していく。熱気凄まじく、湖上の氷は音を立てて溶けていく。その身はまさにドラゴンそのものであった。
「待て! オヌシ──んぐっ⁉︎」
言い切るより早く、竜化したヴルムの口がヴァレリの体を咥え上げ、その背に乗せた。
『いいから乗れ乗れ。戦場に着くまでそこのクソガキと同じ空気吸うなんざ、御免だぜ』
「……同感だ」
「この戯け! 身内で争ってなんに──ぬぉおッ⁉︎」
ヴァレリは喋り切ることを許されなかった。凄まじい速度で地を蹴り、蒸気を周囲に撒き散らしながら、ヴルムは空高く飛んだ。
『ほらよォ、これで壊れねえって証明できたぜー? 満足したかァ? 満足できたならオレ様達は先に行ってるぜェ』
愉快そうな笑い声と、ヴァレリの悲鳴を残して、ヴルムは凄まじい速度で飛び去った。
「……テレシア」
『あいな。ほんま、アンタらという奴は……』
呆れたように一息ついたテレシアはその身を大きく巨大化させる。
『ほら、レイチェルも乗りや』
『……イエス』
少女が歩み寄ると、先に跨ったルエインが手を差し伸べる。レイチェルはその手を取り、巨獣の背へと飛び乗った。
『ほんまなんで男の子って喧嘩ばっかするんや?』
「別に俺は──」
『はーい、言い訳は聞きとうなーいっ! なんやかや言いながら男の子は最後には言い訳しよんねん! なんで仲良うでけへんかなあ⁉︎』
「…………」
予めルエインが何と言うかを理解していたかの如く、テレシアはウンザリだと言わんばかりの声で喚き散らす。
するとルエインはバツの悪そうな顔をして、
「悪かったよ……」
小さく、そう呟いた。テレシアがゆっくりと振り返ると、その目を真ん丸になっている。
「ルエインが……謝った……?」
「──ッ! 前を見ろ!」
『──おっと堪忍、堪忍……』
細長く伸びた氷山に接触寸前だったテレシアは、ふわりと空を蹴ってそれを躱す。
ヌフフ……と上機嫌に笑みを浮かべる彼女は、前方に障害がない事を確認すると、再度ニヤリと笑って目線を青年へ寄せた。
『なな、もっぺん言うてみ?』
「……二度は言わない」
『えー! レイチェル、なんか言うたってや!』
『わたしが……ですか?』
唐突に話題を投げかけられた機兵族の少女は、困惑した表情を浮かべる。
「おい、余計な事を──」
『ルエイン、ここは謝るべきです』
「…………」
テレシアに促されたからか、レイチェルは曇りない眼でルエインを凝視する。チラリとレイチェルを見たルエインは、観念したかのようにため息をついた。
「……すまなかった。スティアの心を必要以上に追い込む奴を見ていたら、どうにも許し難くなってしまってな……」
『それはそれで何も感じへんのもどうかと思うけど……今は命を賭けた戦いに臨むわけやでな。必要以上に溝掘ると思わん落とし穴になってまうで』
「……そうだな、心配をかけた」
ほんまやで! と怒気を含ませた声を上げるテレシアに、ルエインの表情もどこか落ち着きを見せた。
「お前は……戦いでも他に於いても、いつも俺を支えてくれるな」
『当たり前やん、不動の相棒はウチやでな!』
相棒という言葉を強調するテレシアはヴルムに張り合っているのだろう。不敵な笑みで、高らかな笑い声を上げた。
それを理解してか、ルエインもまた、フッと笑みをこぼす。久しぶりに笑った顔を見たレイチェルは、小首を傾げる。
『ぼちっと見えてきたでー。アイツ飛ばし過ぎやろ、本気で置いてく気ぃしとったんやな』
「ヴァレリが落ちそうだ」
『……ほんまやな』
風の煽りを一身に受けていたヴァレリは、長い銀髪を揺らしながら、右手を背中の一際大きなトゲに、左手を帽子に掛けていた。そして、
「むっ……!」
ズルリと右手を滑らせた為、慌てて両の手でしがみついたヴァレリの頭から、帽子が吹き飛ぶ。クルクルと回りながら、その帽子はテレシアの背にいたルエインの手元で拾われる。
それを確認したヴァレリは満足気に微笑むと、しがみつく事を優先したのかしっかりと体を引き寄せ、足をつけた。
その一連の流れを見ていたテレシアは、「うーん」と唸り声を上げる。
『女の子には優しいんかと思ったら、意固地になったら別にどうでもよくなるタイプなんやな。変化したんも横着したいだけに見えてきたわ』
「奴に人に対する配慮など……」
言いかけてしばらくの沈黙の後、ルエインは首を左右に振った。
『ルエイン……?』
「なんでもないさ、レイチェル」
『…………そうですか』
レイチェルは何かを言おうとしてやめた。俯く少女に気付いたルエインは、「どうした?」と声をかける。
『……なんでもありません』
「そうか……。何か思う事があれば、なんでも言って欲しい」
『…………あの』
数秒の沈黙の後に声をかけられたルエインは、再び機兵族の少女へ振り返る。
「何かあったか?」
『……漠然としています。当てはまる言葉が見つかりません。ただ──』
『それ何か分かったで、レイチェル。ウチもや。なんか、胸騒ぎがする』
テレシアが引き継いだ言葉が正しかったのかは分からない。ただ、少女は静かに頷いた。
「スティア、か……?」
『確証がない為、お答えしかねます』
ルエインの問いかけに、レイチェルはその首を横に振った。ルエインが表情を引き締めた時、テレシアは目線を寄せる為か顎を上げた。
『そんなもんやで、何が起こるか分からん。ウチらになんかあるんかもしれへん。……どのみち、やる事やってとっとと帰るしかあらへんやろ!』
「ああ、そうだな」
テレシアの言葉に、ルエインも鋭い声色で答える。レイチェルもまた、自身の主人の名前が挙がった事によって鋭い目付きとなった。
『──! アイツ山頂に降りよった!』
テレシアの言葉で、先を凝視したルエイン。山は城塞となっており、その山の中腹には石を切り出して作られた簡易な家屋があった。
「……砦、だな」
『イエス。情報を照らし合わせた結果、帝国国境の街であるアルバトログと推測します』
テレシアの言葉を訂正したルエインに、更にレイチェルが情報を付け加える。
「では、あの地平に見えているのが……」
『公国マクニール、やろなあ……。こんだけ離れててあの大きさて。あれも国って言うよりかは完全に要塞やな』
「違いない」
地平線にて大樹の如く佇む鉄の城。晴れ渡る空に溶け込むような青みのある銀色の建物は、あちらこちらに攻撃用のものと思われる砲身が見える。
『国そのものが兵器って言うてたけど……納得やな』
「機兵族の技術の粋を集めたものだろう。しかし、あれは……」
ルエインはその城の周囲を巨大な戦艦が飛び回り、地上には蜘蛛のような機械生物が這い回っている。
『なかなかに厄介そうやな……。詳しい事は砦の人に聞こや。あとアイツしばくのと』
「……ああ」
砦の城壁へ、ふわりと舞い降りたテレシア。同時に兵士達が駆け寄ってくる。
「話は聞いている。詳しい事柄は砦内の作戦会議室で先の二人も行っている」
『出迎えご苦労さん。ほなささっと案内したってや』
どこかトゲのある物言いに、テレシアもその身を小さくしてから、どこか不満げにそう返した。兵士は鼻を鳴らして塔に入ると、その階段を降り始める。ルエイン達もやや遅れてその後を追った。
石造りの螺旋階段を降り、一同は洞窟内を進む。松明に挟まれた道の先行く兵士の横顔は、どこか不満そうである。
『なんやどっか感じ悪いな……』
「元は帝国とは別の国だったのだろう。その場合、今回は帝国の都合で戦地にされた事になる。彼らの不満も尤もなところだろう」
『まあ、確かになあ……しゃあなしやな』
テレシアとルエインが小さく言葉を交わす中、兵士は扉を開く。
「ここだ、さっさと行け」
『……ピリピリしとんなあ』
「戦時中だからな」
苛立ちを隠そうともしない兵士に、テレシアはげんなりとした声を上げた。兵士の隣を過ぎて室内へ入ると、ヴァレリと……左の頬を腫れさせて不貞腐れた顔をしているヴルム。更に──
「やあやあ、息子が世話になっているようだね」
鼻っ柱を折られた獅子顔の男。笑顔で鼻血を垂らしながら、やや掠れ気味のアルトボイスで笑いかけてきた。
『その雰囲気……アンタもしかしてレオニールのおとんか⁉︎』
「いやっはははは、何があったのとかそういう事は聞いてくれないんだね……」
『いや、そらなあ……?』
額に青筋を浮かべていたヴァレリを見て、一同は苦笑を浮かべた。
『何があったかなんて一目瞭然やん……?』
「考えるまでもない」
言いながらにして、ルエインはヴァレリへ向かって帽子を投げた。ヴァレリはそれを受け取ると、強張っていた表情を緩めて被った。
「む、やはり落ち着くわい。すまぬの」
「いいさ、妹からもらったものだったろう?」
うむ。と嬉しそうに笑うヴァレリの機嫌が直ったところで、ルエイン達は簡素な作りの椅子に腰を掛ける。
「ゴホンッ、あんまり驚いてくれなくて非常に悲しいが……私がレベディオス・ド・ハルマイン・アイオライトだ。息子と良くしてくれる君達とは無礼講といこ──グブッ‼︎」
「気安く触るな、痴れ者が」
ヴァレリの脚部へ手を忍び寄らせたレベディオスの頰に、裏拳が炸裂する。スリスリと鼻を摩る老いた獅子は、涙目になりながらも満更ではない様子であり、どこか満足気に笑っていた。




