第三十五話 ー明日は明日の風が吹く②ー
「よさぬかッ!」
「……チッ、ウルセェのが来やがった」
ヴルムが手を離せば、その鳥人の女は気道を確保できた途端にカハッと声を出して咳き込むと、すぐさま荒々しい呼吸を繰り返した。
「……大事はないか?」
『ゲホッ、コホッ……ニン、ゲン…………』
ルエインが駆け寄り介抱すると、鳥人の女は咳を繰り返しながらも、辿々しく喋り出した。
「ハーピィか……」
「……グリフォンの、な」
「──! では、あの者の……」
ああ、と答えるルエインの表情は穏やかなものではない。ヴァレリも同じだった。グリフォンという単語のみで、状況を把握したのだ。
『ハラ、減ッタ……』
「……お前らはいつも腹を空かせているな」
腹の虫と同時に、言葉でも意思表明をするハーピィ。ルエインとヴァレリは呆れたように苦笑を浮かべた。
『ほーいえば──』
途端、その右手にあったソレは、言いながらにして、刀から小動物へと姿を変えた。
『ウチのこと握ってくれたん久々やな』
「咄嗟の事だったからな。……体に異常はなかったか?』
ルエインがそう尋ねると、テレシアは首を振る。
『絶頂寸前やったで』
「…………」
ルエインもヴァレリも、その言葉に触れる事はなかった。
「とりあえず食事だが……」
「それなら問題あるまいて。レイチェルが大物を釣ってくれたのでな」
クッカッカ、と笑うヴァレリ達の元へ、
『釣れました、ヴァレリ』
「おお、さすがにわっちの教えを受けただけは──⁉︎」
レイチェルがやってきた。その手には小さな身には有り余るほどに巨大な魚を抱きかかえていた。
「なっ……なん……⁉︎」
『他の魚も後で持ってきますのでご心配には及びません』
「いや……いや、良いわ。オヌシはそうじゃった」
ヴァレリがため息混じりに首を振ると、レイチェルは不思議そうに小首を傾げた。
……程なくして、ヴルムの焼いた魚に一同はあり付いていた。レイチェルはあれから巨大魚に加えて一匹のバリータと自信を除く人数分釣り上げて見せ、一同はそれぞれ一匹ずつ食らっている。
「塩でもあれば最高じゃがなぁ」
「泥吸ってねえだけありがてェ話だと思うがねェ」
「うーむ……」
ヴァレリとヴルムがそうして言葉を交わす中、黙々と食べ続けるルエインと、ガツガツとその身に余る大きさの巨大魚を際限なく平らげていくハーピィ。レイチェルはちょこんと座り込んでそれらの様子を見続けていた。
「なんだァ? まだ怒ってんのか?」
「……何も言ってないだろう」
「顔が口ほどに喋ってんだよなァ?」
ルエインは食事の手を止めて、ヴルムと睨み合う。
「よさんか、みっともない」
「……ヘェヘェ」
「……フンッ」
険悪な空気が流れるも、ヴァレリの一喝で両者目を逸らし、再び食事を始めた。
「ところでヴルムよ。今寒さがなくなっておるのもオヌシがやっておるのか?」
「……炎熱場っつうんだよ。寒さはまずケツに来る。若者が痔になるのはカワイソウだからなァ」
「……その言い方じゃと、お前さんはなっとるようじゃな」
うるへぇ、と魚に食らい付きながらヴルムは言葉を返した。
「ふむ。お前さんの力に詳しくないのじゃが何ができるのだ?」
「まァ、色々だな。竜闘術の得意分野とするのは火、毒、後は──圧倒的な膂力、力そのものだ」
言い終えるや否や、頭と骨だけになった魚を木の枝から抜き取り、その頭から口の奥へと落とし込む。ヴルムは骨を吐き出す事なく、そのままそれらをゴクリと飲み込む。
「ふむ……膂力と言うが、オヌシは体格が良い訳ではなかろう? 背丈は高いが──」
「見かけで侮るなかれってなァ。まさかこのまま戦うとでも思われてんなら心外だぜェ?」
ヴルムは指先を舐め終えると同時に、胸元から煙草ケースを取り出し、煙草を取り出し、燃え盛る薪木で火をつけた。
「オレ様は竜人族だぜェ? 言うなればこの身全てが武器みてェなモンだ」
「──! なるほど、肉体を竜化できるのか」
ビキビキと音を立てながら、腕から紅く鋭い鱗を生やしたヴルムは、その手で煙草をチリチリと吸い上げる。
「まァ、実力のほどは戦場で披露してやるさ。残念ながら見れるのは相棒だけだがなァ?」
「…………」
チラリと視線を送られたルエインは、何の反応もなく魚を平らげると、そのまま骨身を火で炙る。
『アンタらもうちょい仲良くでけへんの?』
「ハッ、こっちは差し伸べた手を払われてんだぜェ? 無理な相談だァ」
「同感だ」
アァン? と凄むヴルムに、ルエインも無言で視線を交わす。
『はい、やめ。アンタらほんまは仲ええやろ?』
「……質の悪い冗談だ」
「こればっかりは同感だぜ」
初めて思いが合致した二人だったが、ヴァレリとテレシアは苦笑を浮かべるばかりだった。
『ブフゥ……ハラ、イッパイ』
『さよか……そら良かった事』
ハーピィの漏らした言葉に、「忘れてた」と言わんばかりにテレシアは呆れたように笑う。
「して……お前さんは何用があって我らに近付いたのだ?」
『──! ニンゲン、オトウサマ、シラナイカ?』
ハーピィの純粋な瞳。尋ねられた質問の答えを持ち合わせていたはずのルエインとヴァレリは、思わず目を逸らした。
「知ってんなら教えてやりゃあいいじゃねェか」
「オヌシは黙っとれ」
ヴルムが茶化すようにそう言うと、ヴァレリは圧のある言い方でヴルムを睨みつける。ヴルムは「そりゃあ悪ぅござんした」と空を仰ぎ、煙草を咥えたまま寝そべった。
「……ハーピィよ、オヌシらの父君の事じゃが──』
「俺が、殺した」
「──!」
ヴァレリが言い切るより早く、ルエインがそう切り出した。ハーピィは理解が及ばないと言わんばかりに、その小首を傾げる。
『オトウサマ、シナナイ。ニンゲン、ウソ、ヘタ』
「……すまぬがハーピィよ、事実じゃ。そこの男は弱らせただけでわっちがトドメを──」
『ヤメロッ!』
クァッと喉を鳴らして威嚇をするハーピィ。ヴルムが睨みを利かせると一瞬怯んだが、再び攻撃の姿勢を見せた。
『オトウサマ、ヲ……侮辱スルナぁッ‼︎』
「これは──風が集まっておる、のか……⁉︎」
風一つなかったその空間は、竜巻の如き嵐となる。際限なく周囲の雪を巻き上げていく鳥人に、ヴルムは舌打ちをしてその身を起こした。
「ウゼェったらねえぜ。焼き鳥にしてやろうかァ?」
「よさぬか。……彼奴の怒りも尤もじゃ」
来るべき攻撃に備え、風に抗うようにして腕を翳す一同。しかし、
『我ラは……何をして、生キテいけばイイノダ……』
竜巻は途端に止んだ。バサリと雪が落ちた先──ハーピィは、涙を流しながら力無く座り込んでいた。
「風のように自由に生きろ、と……そう言っていた」
『風ノヨウニ、自由ニ……』
鸚鵡返しをするハーピィだったが、言葉を真似ただけでなく、その意味するところを理解したらしい。虚ろだった目には、生気が宿っていた。
『ニンゲンよ……我々風ノ民は、コノ無念ヲ忘れナイ』
ハーピィが羽撃き、その言葉のみを残して立ち去ろうとした時、ルエインはそれに気付いた。
「翼の、色が……?」
そのハーピィの朱色だった翼は純白に染まっていた。浅黒い褐色の肌と相まって、その姿はどこかグリフォンを連想させる。
果たして、美しきその鳥人は瞬き始めた夜空の中、白き翼をはためかせたかと思うと、やがて闇の中へと溶け込んだ。
「……行ってしもうたか」
『まあ、しゃあないて。ここでやり合わんかっただけでも良しとしとかな』
「あの様子じゃあ、時間の問題かもしれねえがなァ」
一同の白い目を受けたヴルムは、「ハッハァ」と笑いながら顔を逸らし、紫煙を燻らせる。
「……しかしルエインよ、どういうつもりじゃ? 何故あのような事を言うた? トドメを刺したのはわっちじゃろうて」
鋭い視線を続けて向かわせた先は金髪の青年。果たして、その青年は一息つくと、
「どうであれ、奴は致命傷を負っていた。その原因が俺達でないにしろ、お前が実行したにしろ……その判断を下したのは俺だ。体を動かせていたのならば、俺が奴を斃していた」
つらつらと、語り出す。ヴァレリは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「わっちが引き受けると言うた。その言葉の意味するところが分からぬのか?」
「……どういう事だ?」
ルエインが尋ねかけるとヴァレリは暫しの間視線を交わしていたが、やがて呆れたように首を振るう。
「オヌシは……オヌシらは、もう少し人を頼れぃ。手を下したわっちが馬鹿みたいじゃろうが……」
「…………すまない」
何に対しての謝罪なのかは誰にも分からなかったのだろう。その言葉を最後に、一同は無言のまま寝支度を始めていく。
やがて、それぞれが焚き火を囲んで一枚の毛布に包まって横になったところで、ヴァレリは「のう、ルエイン」と声をかけた。
「……なんだ?」
「オヌシは、我が国の窮地を救ってくれたのだ。もう少しその身に背負う業を……わっちらにも預けてほしい。苦楽を共にする旅の仲間として、のう」
「…………すまない」
再度返ってきた謝罪の言葉に、ヴァレリは苛立ちをその顔に露わにして、身を起こす。
「オヌシという奴は──!」
ヴァレリが言いかけた時、ひらりと風に乗って純白の羽が毛布の上に舞い降り、引っかかる。
ヴァレリは無言のままそれを拾い上げると、
「何か言ったか?」
「なんでもないわい……」
ルエインの言葉に力無く答え、再び横になった。羽は、間違いなくハーピィの物だった。どこかの木か岩場に引っかかっていたのか、はたまた凍てついた湖上から風で飛ばされてきたのか。果たして、ヴァレリは──
「すまぬ……この戦が終われば、その爪に我が心の臓を捧げよう」
まだ小さな羽をキュッと握りしめた。懺悔をするかの如く小さく呟いた。
それを、背中で聞いていたヴルムは薄目を開けると、白い煙と同時に小さなため息を吐く。
「辛気臭ェったらねえぜ。ま、明日にゃ明日の風が吹く……ってかァ?」
誰の耳にも届かない程に小さく、ヴルムはぼやいた。ふわりと立ち上る紫煙は、戦火の後に燻る煙の如く、力無いままに風に攫われていくと、やがて世界を覆う満点の星空へ溶け込んでいった。




