第三十五話 ー明日は明日の風が吹く①ー
ルエイン達一行は、帝都から東へと向かっていた。吹雪く事のなくなった山だが、陽光を浴びてもなお雪上の融雪は進まない。時たまガリッと氷が砕けるような音を響かせながら、一同は歩く。
「今から打ち毀しに行く要塞は、幾層にも重なった割れた卵みてェな形をしてるらしいぜェ」
「それはわっちも耳にした。その卵から鬼が出るか蛇が出るか……まあ、いずれにせよ絶対的な力を持ちながらも悪戯に起動させなかった王国の強力な兵器と噂される代物じゃて。碌なものでない事は間違いあるまい」
まるでピクニックに行くかの如く、これから待ち受けるものについて語り出すヴルムとヴァレリ。どこか意気投合をしたのか、二人の会話は止まらない。
「ひょっとすると起動できねェのかもしれねえなァ」
「それは楽観視し過ぎじゃろうて。もしそうであればわっちとレイチェルは楽にこそなるが──戦争に絶対はない。それはオヌシも知っておろう?」
「わァってらァ。ただ希望を持ってなきゃ戦場じゃ真っ先に心がへし折られるぜェ?」
「無論、それは承知しておる。しかし油断はならん。大陸随一の防衛力を誇る王国……軽く捻れるのであれば、ここまで大きな顔で大陸の半分を領土としておらぬわい」
ハッ、違いねェや。と、ヴルムはどこか嬉しそうに笑う。その様子を後方で見ていたルエインとレイチェルは、どこか浮かない表情だった。何も語らない一人と一機を、テレシアは無言のまま青年の肩から見つめている。
「なんじゃー? 後ろは喪に服しておるのかー?」
「やめとけよ大人気ねェ。ああいうモンは答えのない答えを探したがる青臭ェ年頃ってヤツだァ。放っといてや──」
「俺に関わるな」
ルエインはトゲトゲしい声色で突き放すようにして言葉を遮った。ヴルムは「あーはァー……」と白い吐息混じりに笑みを浮かべた。
「嫌われたもんだぜェ。まァ、気にしやしねェがなァ」
ヴルムは胸元から煙草ケースを取り出し、口に咥えた。……しかし、
「禁煙かえ? それが賢明じゃが」
「……フンッ、そんなんじゃあねェよ」
正面から風が吹いたかと思うと、咥えていた煙草をケースへと戻した。ヴァレリの言葉に、不機嫌そうに鼻を鳴らしたヴルムは、紫煙の代わりに白い息を吐くばかりだった。
「もうすぐスヴェグラト湖畔に着く。魚でも釣って焼くかえ?」
「ほォ、そりゃあいいや。なんならオレ様が釣ったなりから一瞬で食えるように焼いてやらァ」
ニヒルに笑って見せるヴルムに、ヴァレリも「ほう」と感心したように声を上げる。
「できるのかえ?」
「ったりめェじゃあねェか。火加減間違えりゃ消し炭だがなァ」
しかと頼むぞ? と念を押すヴァレリに、「へいへい」と軽い返事をするヴルム。
ルエインはそんな二人へ送っていた視線を隣を歩く黒髪の少女へ向ける。
「レイチェル」
『はい、なんでしょうか』
事務的な返答。しかし、ルエインは気にも留めずに更に口を開く。
「スティアは……お前のマスターに、俺はどう声をかければ良かったんだ?」
言葉を理解してか。自分の中でその解を導き出した少女は、しばらく目を閉じたかと思うと、ルエインを見つめた。
『…………分かりません。わたしにも、分からないのです。マスターは、わたしを頼ってはくれません」
『そんな事ないやろ』
テレシアがフォローするもしばらくの間、先行く二人の声と一同の地を蹴る音だけが響く。
少女は少し顔を伏せていたが、意を決したようにして、金髪の青年を見た。
「ココロ……と、皆さんがよく言いますが──それは一体何なのでしょうか? どこにあるのですか?」
「それは……俺にも分からないな」
『えらい難しい質問やな……』
「……そうですか」
レイチェルは、どこか憂いを帯びた瞳で行く末を見る。ルエインもまた、同じくして先を見据えた。
しかし、少女が足を止める。青年もまた、足を止めた。
「ココロというものが分かれば……わたしもマスターの力になれたのでしょうか?」
「……どうだろうな」
皆目検討がつかないと言わんばかりに、ルエインは首を振る。ただ、
「レイチェルは……悩んでいるのだろう? 疑問を感じた事も沢山あったはずだ。物事にはイエスとノー以外にも、沢山の答えがある。それに気付いて、その是非を考えているのならば、やはりレイチェルにも心はあるはずだ。少なくとも、俺はそう思う」
その思いの内を、打ち明ける。レイチェルは虚を衝かれたような表情を浮かべた。
『…………そう、ですか』
どこか難しい表情を浮かべたレイチェルは、しばらく虚空を睨みつける。ルエインが暫しの間、その様子を見ていると──
「置いてくぞー!」
「レイチェル……行こう」
『……イエス』
高らかに声をかけてきたヴァレリに、手だけで先へ行けと合図したルエインは、少女へ呼びかける。レイチェルは小さく首を振ると、すぐさまその足を踏み出した。
『ほんま、たまにええ事言うやんな』
「どうだろうな。正直なところ、俺もレイチェルと変わらず何も分かってなどいないのだろう」
ボソッと呟いたテレシアに、ルエインは小さな声でそう返した。
置いていく、などと言っていたヴァレリだったが、足早に歩いたルエインとレイチェルがすぐに追いつけるほどに、その歩幅は小さくなっていた。ヴルムも同様である。
先頭に立っていた二人は、やがて足を止める。すぐ後ろまで追いついていたルエイン達の視界に映ったものは──
「スヴェグラト湖じゃ。見ての通り、釣りをするにはまず穴を開けねばいかんがのう」
一面に広がる雪と、宝石のように輝く氷塊。ルエインもレイチェルも、思わず目を見開いた。氷は不純物を全く含んでいないのか、内部が透き通って見える。それらを恥ずかしがるようにして、雪の衣で覆い隠したが如くどこまでも広がるそれは、思わずルエインとレイチェルが言葉を失うほどの絶景だった。
「どーうじゃ、恐れいったか! 冷え込むばかりの帝国じゃが、見る場所が変わればまた美しかろうて! クフフッ」
「別にお前さんが威張る事じゃあ、ねえがなァ」
上機嫌だったところに水を差された為か、ヴァレリは即座に振り返り、「うるさいわい!」とヴルムへ噛み付くように吠える。
ルエインは少しばかりも目を離さずに、
「素直に綺麗だとは思った」
その言葉を返した。レイチェルも珍しくその目をパチクリとさせるばかりだった。
『マスターにも、見ていただきたかった……』
「……この戦争が終わればいつでも見れるじゃろうて」
純粋な少女の屈託ない言葉に一同はその顔に少しばかりの翳りを見せたが、ヴァレリがすかさず言葉を紡ぐ。
レイチェルは聞いているのか聞いていないのか、まだ凍りついた湖を見続けていた。
「……ふむ。ここいらの湖畔で野営でもするとしよう。どうせ次期に日が沈む」
「ちなみにオレ様は夜目はてんでからっきしだが耳はいい。見張りなんざ立てる心配しなくていいぜェ」
ヴルムの言葉にルエインはどこか不審な目を向けたが、寸秒の後に「分かった」と告げる。
『ほな、まずは野営地やね』
「ああ」
……程なくして、野営地は決まった。ルエイン達がいた崖下の、抉れた岩場である。ルエインがテントを張り、ヴァレリは槍で開けた穴から餌を刺した釣り針に糸を付けて垂らし、レイチェルへやり方を教えている。
ヴルムはと言えば、それらの様子を岩の上で寝そべって煙草を吸うばかりだった。
「……最初から手伝う気は無いようだな」
「オレ様はやるんならなんでも全力でやらなきゃ気が済まねェ性質でなァ。先に日が沈むのがお望みならやってやるぜェ」
「…………結構だ」
ルエインはため息混じりにそう返した。ヴルムも満足そうに煙草を口に咥えたまま、腕を組んで枕を作りら空を仰ぐ。
「水気がヒデェもんだなァ……」
ヴルムの衣類は、雪解けして染み出した水を多分に含み、ビショビショになっていた。
言い終えると同時に、男は短くなった煙草をチリチリと音を鳴らしながら吸い込む。そして──
「──ッ⁉︎」
「何事じゃ⁉︎」
『…………』
ボシュっと音を立てて、ルエインとヴァレリが視線を送った時には既に、ヴルムは水蒸気に包まれて見えなくなっていた。
「ウゼェから蒸発させただけだろうがァ。いちいち気にしてんじゃあねェよ」
霧の晴れた先にいたのは、カラカラに乾いた服を身に纏ったヴルム。その周囲の雪も全て無くなり、水気は一切なかった。
「……そんな術を持つなら何故ここでやらなかった?」
「頼まれちゃいねえからなァ」
新しく煙草を取り出してフゥ、と吸い出したヴルムに、ルエインは眉間に皺を寄せたが、数秒の後には呆れたように一息ついて、作業へと戻った。
ヴァレリも同様であり、再びレイチェルの方へと向き直る。
「お? 引いておるのじゃないかえ?」
『引き上げれば良いのですか?』
「うむ」
ピクピクと動きを見せていた枝先を見たヴァレリの言葉に、レイチェルはスイッと腕を持ち上げる。糸巻きに巻かれた糸に食い込む程に重みのある獲物がかかっていた。
「よいよい。そのまま手繰り寄せるのじゃ」
『イエス』
ヴァレリの言葉に、冷静に持ち上げてはグルグルと糸巻きを回して獲物を手繰り寄せるレイチェル。やがて、不恰好に糸巻きの糸が太りだした時、大きな魚が姿を現した。
「おお、バリータじゃ。淡白じゃがなかなかイケるやつじゃぞ」
『これは良いものですか?』
「うむ、大物じゃて」
ヴァレリの指示のもと、レイチェルは魚を雪の上へと置き、すぐに外した針へ餌の虫を突き刺して、水へと投入する。すると再び糸が一人でに動き出した。
「さすがザハジューク。刺した時に出てくる体液は臭いが、ほとんど入れ食いじゃな」
『釣り上げます』
「うむ、今宵は大漁じゃて」
クフフ、と笑うヴァレリ。レイチェルはどこか夢中になりながら糸巻きでクルクルと巻き取っていく。
──結果として、時刻は黄昏時になったが、釣れたのは二匹目が最後だった。
「むぅ……餌は問題なかったが、数が多くはなかったみたいじゃ。次の穴で最後にするかえ?」
『わたしはどちらでも構いません』
ヴァレリが穴を穿った場所へ、レイチェルは追従して針を垂らした。
「クフフ……そう言いながらも、大方釣りの魅力にハマったんじゃろう?」
『…………』
戦闘している時のように真剣な眼差しで釣り糸を見つめるレイチェル。ヴァレリの声も届いていないのか、少女は瞬き一つせずに凝視していた。
「わっちは先に戻っとるぞ。帰る時は足場に気をつけるんじゃぞ」
『…………』
レイチェルはやはり返事をしなかった。ヴァレリはどこか満足げに微笑み、踵を返した。
「──む? あれは……‼︎」
そんな彼女の瞳に、奇妙な光景が映る。鳥の翼と羽を持つ女の首を絞めて、地に伏せさせていたヴルムと、その喉元に刃を突き立てていたルエインだった。
「その手を離せ、ヴルム」
「おいおい、コイツは魔獣だぜェ? 刃を向ける相手を間違えてやしねえかァ?」
「何をやっとるんじゃオヌシらはッ⁉︎」
ヴァレリの声など聞こえていないのか、その現場は一触即発の空気でピリピリとしていた。




