第三十四話 ー離別②ー
一同は螺旋階段を昇り、昇降機へと到着した。
「地下に行くほど建物が古くなるとは言ってもよォ。この昇降機から謁見の間までの階段が長くていけねェ。なんとかならねェのかァ?」
「わっちに言われてもどうにもできぬがな」
昇降機の扉が開けば、一同はそこへ乗り込む。扉が閉まった時、「それに──」とヴァレリは言葉を紡いだ。
「この帝都は上層部に行けば行くほど冷え込む。酒を煽って寒さを堪え忍ぶ者ばかりじゃが、未だ凍死する者も少なくはない。住まう者の少ない地下の移動手段よりも、上層部に住まう者達の暖房設備へ優先的な国家予算を投資しておる。陛下の寛大な計らい故に、のう」
「労働者が地表に多いから死なれたら困るだけだろうが。御大層な言い分だねェ。石炭や木炭は貴族連中の、薪木が平民の資源だっけかァ。そりゃあ昨日だかに紛れ込んでた平民も帝国兵に志願する訳だぜェ。戦果を上げられたなら寒さに震える心配が無くなるんだからよォ」
ヴァレリとヴルムは視線を交えた。ヴァレリの鋭く光る視線が射抜く中、ヴルムはヘラヘラと笑みを浮かべていた。
「オヌシは我が国を侮辱しておるのか? 皇帝陛下に対しても数々の無礼があったな?」
「たはァー……事実を言われて侮辱とは恐れ入るぜェ。帝国の奴は気が短くていけねェなあ。その短気で近隣国に戦争仕掛けまくってきたのかァ?」
狭い空間。不毛な言い合いで一触即発の空気が流れる中──
「やめて。不快よ」
スティリアの声がそれを制する。ヴルムは「へェ」と感心した声を上げる。
「ウジウジしてると思ってたが土壇場では物怖じしない。いーい女だなァ、アンタ」
「気に入ってくれたなら結構だわ。それ以上わたしの仲間とその故郷を侮辱しないで」
これまでに発したことのないような少女の乾いた声に、周囲の者も目を丸くする。対して言われた当人であるヴルムは、白けたようにガリガリと後頭部を乱暴に掻くと、胸元から煙草の入ったケースを取り出した。しかし、
「ここで吸うのもやめてくれる? こんな狭い場所で……周囲の人に気を配れない人ってどうかしら?」
「…………あァ、気が回らなくてすまねェなァ」
それは見向きもしなかったスティリアに止められる。どこか不機嫌そうに、ヴルムは胸元に煙草を入れた缶をしまった。
『意外と素直やねんなぁ……』
「だからと言って、いいヤツとは限らない」
テレシアがその肩でボソリと呟いた言葉に、ルエインは小さく答える。
『アンタも大概捻くれとるもんなぁ』
「一緒にするな」
ルエインが不機嫌そうに眉を顰めていると、テレシアは静かに笑う。
『マスター……』
常が優しげである主人の変わりようを見て、レイチェルはどこか不安な表情を浮かべる。しかし、背の小さな少女の顔は、誰に見られる事もなかった。
──しばらくして。沈黙の中、昇降機は止まる。ガリガリと歯車が噛み合う中、金網と鉄扉は開く。開かれた先は下層と違って真新しい石材を使った通路。しかし、霜の立った通路に足跡などは一切ない。通路内の扉はどれも固く閉ざされており、今日人が歩いた形跡は、壁際の松明を交換した役割を持った者であろう足跡以外に一切存在しなかった。
「竜王が討たれたところで、暫しの寒さは残る。詮無き事ではあるが、早く活気溢れる帝都に戻って欲しいものだ……」
「そればっかりはしょうがねェだろうさ。帝国も一般市民はただのヒトだァ。オレ様みたく竜人族でもねェ奴らがポーションも無しにこんな中を出歩くなんざ正気の沙汰じゃあねェ」
むう……と唸りながら、ヴァレリは歩き出す。追従する一同も、どこからか舞う隙間風で石床を転がる微細な雪を目で追う始末であり、この国で華の都であるはずの帝都は、閑古鳥が鳴くような有様である。辺りを漂う寒さと相まってか、ヴァレリの表情は切なげなものとなり、その顔を俯ける。
「きっと……その内戻るわよ」
「む……?」
顔を伏せていたヴァレリの傍らに歩み寄ってきたスティリアの言葉に、ヴァレリはチラリと視線を向けた。
「冬が来たら、春が来るように。あなたの想いも、努力も……無駄にはなっていないわ」
「──! ……そうじゃのう。そうでなくては」
どこか上の空だったその瞳には、光が戻る。ヴァレリが頰を緩めたかと思うと、少女は歩幅を狭める。自然とヴァレリより遅れ気味になるが、元々スティリアは歩幅が小さかったのだ。
「わざわざ言いにきおったのか。やれやれ……アレは、兎角人の事となると心が強いのう」
その金色の瞳に映らなくなるまで──少女を目で追っていたヴァレリは、前へと向き直ると誰の耳にも届かぬ程に小さな声で、微笑を浮かべながらにしてそう呟いた。
その足取りも自然と軽いものとなる。
──斯くして、一行は石造りの階段を昇り終え、松明の明かりではない地表へと出た。
「お待ちしておりました、皆様!」
「……ヴァニラよ。オヌシ、体調は問題ないか?」
そこにいたのはヴァニラ。ちらちらと微小な雪が舞い散る寒空の下、どこか鼻先の赤いトゥーラと──他の青い軍服を着た者達と共に、ビシッと見事に揃った敬礼をしていた。
姉であるヴァレリの言葉に、ヴァニラは恥ずかしそうに頰を染めた。
「特に異常はありません……陛下の寛大なお計らいにて事無きを得ております、お姉様」
「そうか……オヌシらも、此度の戦に出るのじゃったな」
ヴァレリの問い掛けに、ヴァニラはどこか暗い表情となる。
「我が隊は今回の作戦に於いては戦力外通告を受けた為、補給や支援のみの参戦となります。お力添えできずに皆様をお見送りする事でしか恩義を返せぬ事を恥じるばかりです……」
「よいよい。戦事は敵を叩く事だけが全てではない。わっちと機兵族のレイチェルもどちらかと言えば裏方じゃ。似たようなもんじゃて」
笑うヴァレリに対し、ヴァニラは怪訝な表情を浮かべた。
「お姉様は今回どのような作戦に?」
「わっちとレイチェルは潜入工作員じゃの」
「──!」
驚き、後に浮かない表情となったヴァニラ。
「それって敵の陣営の内部に潜り込むって事ですよね? お姉様、大丈夫なのですか……?」
「ふむ。心配はいらぬぞ、今回は言われた通りに役割をこなすつもりじゃ。撤退も許されとる」
その言葉に、ヴァニラはホッと胸をなでおろす。
「ヘマをするつもりはないわい。何せ今回の戦の要とも言える役割じゃ。失敗が許されとらん」
「余計心配になりました……」
ヴァニラの言葉に、ヴァレリは「言いよるわい」と笑い飛ばす。
「本当に、無茶はしないでね?」
「……心配いらぬよ。仲間が我が子のように可愛がっておる者がおるのじゃからのう」
「──! お姉様が、他人の心配を……⁉︎」
ヴァニラはどこか大袈裟に眩暈を起こし、周囲の部下から「隊長⁉︎」と驚きの声を上げながら支えられた。
「お姉様、熱でもあるのでは……?」
「失礼なやつじゃ。日進月歩、ヒトは日々進化するものじゃぞ」
どこか呆れたようにそう言うヴァレリに、その妹はクスリと笑う。
「良い友を持てたのですね」
「そうじゃのう、クフッ」
久方ぶりに屈託のない笑みを浮かべたヴァレリ。ヴァニラは部下達から離れて、服に付いた雪を払う。
「……ご武運を」
「うむ。オヌシらが出るまでの間でも良い。スティアの事、任せたぞ」
当然です! とやる気に満ちた声で答えたヴァニラに、ヴァレリは笑いながら背を向ける。
「さて──」
視線を送ったのは藍色の髪の少女。肌を触れ合わせる事なく、毅然と立つ少女。
「気をつけてね、みんな」
「……ああ」
『任せとき』
『イエス、マスター』
一同は答える。ヴルムは気を配れと言われた事を気にしてか、風下で煙草の煙を吐いている。外の気温のせいか、紫煙と白い吐息が混ざっており、ヴルムも息を吐く時間がいつもより少しばかり長い。
「スティア、俺は──」
「死なないで。それを約束してくれたら、わたしは他のどんな言葉よりも嬉しいわ」
ルエインの言葉は、強い口調で放たれた少女の声に阻まれた。
言葉を紡ごうとしていた口は一瞬力無く閉じかけたが、一息ついて後。
「ああ、約束する。俺は必ず戻ってくる」
『せやな』
『イエス、マスター』
微笑を浮かべた三人に、スティリアもまた笑い返した。
「わたしの魔力をあなたにあげる事……それが唯一手伝える事ね」
『……マスターには、色々と貰っています』
レイチェルがそう言うと、スティリアは言葉に困ったようにして笑みを浮かべる。黒髪の少女の胸元に添えられた宝石は、淡い光が放たれた。
『……エネルギー残量が一〇〇パーセントとなりました。ありがとうございます、マスター』
「ううん。わたしこそ……わたしの一部を連れて行ってくれてありがとう、レイチェル」
ギュッとその小さな体を抱きしめる少女。レイチェルは不思議そうな表情を浮かべていたが、スティリアがその身を離すとすぐに無表情に戻った。
果たして、藍色の髪の少女は出立する面々をそれぞれ見流していく。
「それじゃあ、行ってらっしゃい。それと──ヴルムさん」
「あァーん?」
吸い殻を炎の息吹で燃やしたヴルムへとスティリアは呼びかけた。どこか不機嫌そうに声を上げたヴルムに……スティリアは、
「皆の事を、よろしくお願いします」
頭を下げて、お願いをした。折り目正しく、深々と。肩に乗っていた髪がするりと落ちて揺れる中、ヴルムは寸秒見つめた。
「……顔上げな、女がするこったねェ」
フゥ……と一息ついたヴルムの言葉に、スティリアがその|面(おもて』を上げる。ヴルムはどこかやりづらそうに後ろ髪を掻き乱した。
「アンタ、お姫さんだったなァ? 相手に対して頭を垂れるっつうのはそもそも格式高ェ……ハッ、やんごとなき方に対してするモンだァ」
自身が皇帝相手に礼節を弁えていないからか、鼻で笑い飛ばして皮肉交じりに言うヴルム。腰に手を添え、説教するかのように、前のめりになる。
「オレ様はしがない傭兵止まり。金回りがいい奴に取っ付くしか能のねェ、つまんねェ野郎さ。繰り返し言うが、女に媚び売る男の会釈ならまだしも、それは女が……況してや王族のする事じゃあねェ。それとも分かっててやってんのか?」
問いかけられた少女はやや長めの瞬きをし、その炯眼を以ってヴルムを射抜く。
「……ええ。今のわたしは王族でもなんでもない、スティリア……いいえ、ただのスティアだから」
正面切って真っ直ぐと、揺らぎない眼光でヴルムを見据えるスティリアに……果たして、桃色の髪の男はその後頭部をガシガシと掻くと、
「ハァ……何にしてもさっきみたいな真似は二度と御免だ。みっともねぇ上に女に頭下げさせるなんざ男の名折れってヤツだ、やめてくれ」
「……はい」
ため息を吐き、腕を組み、そっぽを向く。ヴルムは顔を逸らしながら「あー」とどこかやるせないといった声をあげる。
「まァ、なんだァ。オレ様は今ここで生きてる。戦場じゃあ負け知らずで通ってんだ。云わば、常勝無敗の男ってヤツだァ。お嬢ちゃんは安心してこっちでお留守番してるこったァ」
「……ありがとう、ございます」
ヴルムなりの優しさだったのだろう。少女の礼を背中で受けながら、挙げた左手だけで反応を見せた男は、しばらく歩いて距離を置くと、胸元から煙草ケースから煙草を取り出した。
葉先に火を点けた男はどこか焦点の合わない瞳で、果てない空を流れる雲をボーッと眺めます。
「……では、行ってくる」
「ええ。約束、忘れないでね」
「ああ」
ルエインと少女が言葉を交わし終えると同時に、一同はヴルムと合流して帝都の外へと向かう。その背が晴れた空の下、風に舞う雪粒と蒸発による水蒸気で霞んだ時──
「スティアさん……」
スティリア、糸が切れたように雪上に座り込んでしまい、一言も発さずに嗚咽した。言いたい事の全てを飲み込んだ少女の華奢な体はあまりにも小さく見え、ヴァニラはその名を呼ぶ事しかできなかった。
声を押し殺し、反射的に啜る呼吸音を不定期に響かせたスティリアの泣き声の中、音を発するのは忙しなく雪を運ぶ旋風だけだった。




