第二十九話 ー竜王と蒼龍②ー
空を蹴り、粉雪舞う中をテレシアは駆けていく。地上から離れると雪の量も少なくなっており、体に降り積もる量も同様に少なくなっていた。
「地上を這い歩くより早いのう。耐寒ポーションが切れたら途端に死にそうじゃが」
『それはウチも同感やわ』
クスクスと笑う一人と一匹。対してルエインは表情を固いままだ。その瞳には……遥か彼方、目の前の粉雪一粒より小さい生物の影が映っていた。
「お迎えが来たようだ」
『んぁ?』
「クッフッフフフ……そのようじゃのう。わっちはいらなんだか?」
鋭い目で遥か彼方を見据えていたルエイン。その言葉に、背後のルエインに視線だけを送ったテレシアと、引きつった笑いを浮かべてヴァレリがそれぞれ反応を見せる。
彼方より此方へ。羽ばたき、猛スピードで周囲の雪を吹き飛ばし、一同の目の前に現れた要塞の如き巨体を持つ竜王。
その身を覆う甲殻は、水が岩を侵食するかの如く……腹部の紫色が白銀へと、血管のような模様となって広がっていた。吐く息は白く、荒い。身体中の金色もどこか黒みを帯びて、燻んでいた。
『えらい仰々しくなっとるやん……。あれ、怒っとるんかな?』
「どうだろうな……」
「そもそも感情があるのじゃろうか?」
ヴァレリが疑問を口にした時──
『グォオオオオオッ‼︎』
竜王は咆哮する。ビリビリと振動する大気の中、舞っていた粉雪がドラキュナムへと吸い込まれるかの如く集まり、その身を包んでいく。
『あれ何してん?』
ジュウウウウウッ……! と蒸気が上がり、音が鳴る。鉄板の上で焼かれたような音が響くと同時に、雪は蒸発していく。その全てが溶けた先──再び姿を現した竜王は紫色を抑えて、再びその身に気高い白銀を取り戻した。
『グルルルルルルゥ……』
「どこか……苦しんでいるようにも見えるな」
唸るドラキュナムに、ルエインがボソリと呟く。するとテレシアがクスリと笑い、
『ルエインって案外ロマンチスト?』
「威嚇しとるようにしか見えんのう」
ヴァレリと二人で茶化す。ルエインはやりづらそうに眉を顰めると、するりとテレシアの背から飛び降り、空を蹴った。
「む?」
金髪の青年の姿を、ヴァレリがチラリと視線で追う。ルエインはその腰元から白金の剣を抜き放ち、青水晶の刃を輝かせた。
「落ちたのかと思ったわい」
『ウチが見逃すわけないやん』
「オヌシもなかなかあの青年に首っ丈じゃのう?」
『当たり前やん?』
笑いながらもその声には雑味がない。やや真剣な声色に、ヴァレリは「クフフッ」と笑い、青年を探す。
そして……人の身でありながら、まるでそこに足場が存在するかの如く自在に空中を駆けるルエインは、ドラキュナムよりも空高くにいた。
「拾式・神葬虎月」
ふわり、とまるで舞うようにして。実際には凄まじい速度で振り払われた無数の剣閃が、三日月状の白い刃となって飛んでいく。虎の牙が回るが如く、周囲に払われた剣圧は竜王へと襲いかかる。無数の刃はバキバキと音を立てて、装甲を砕いていった。
『ルォオオオオオッ⁉︎』
痛みに堪えかねてか、ドラキュナムは声を上げて、反射的な防御体勢を取り、進行を止めた。
「効果はない、か……」
──しかし、それも束の間の事。ルエインの攻撃は、降りかかった火の粉から身を守る程度の防御体勢を取られるだけだった。やがて、竜王は全ての剣圧に堪えきると同時に、その長い尾をルエインへと振り払った。
「む……彼奴、避けぬぞ?」
『あれでええねん』
ヴァレリの動揺に、テレシアが落ち着いて説き伏せる。ルエインは躱すとも受けるともせずに、
「玖式・神影」
果たして、竜の尾はルエインのいた場所を薙ぐ。
「そーら見たことか、やられたぞ!」
『よう見てみぃや』
「うむ? ──あれは……?」
ルエインの体は、竜尾が過ぎてもなお陽炎が如く揺らめき、その場に留まっていたかと思うと、やがて消えた。
「ふむ、残像か」
『ウチも見えとる訳やないけど……ロタが教えてくれたから知っとる』
ふふん、と上機嫌に語るテレシア。
『ウチの子はやる時はやんねん!』
「──! なんと……」
ルエインの幻影を基点として大円状に、巨大な剣閃が残っていた。その軌跡内にあった竜尾は……鉈が枝葉を落とすが如く。いとも容易く断たれていた。
『グォオオオオオオオオオッ‼︎』
鮮血を吹き出しながら、ドラキュナムは吠えた。頭を攻撃された蛇の如く、先のなくなったその尾が別の生き物のように畝り、竜王はその身を苦痛で悶えさせた。
──その直後。ズワッと、凄まじい音が響く。
「む──あれは……」
『触れたら熱いでは済まへんな……』
その血液が余程の熱を持っているのか……血の雨が降り注いだ樹木は、その身に纏った白雪の衣を一瞬で溶かされ、熱気で歪みが起きる程の炎に包まれていく。
溶岩の如く煮え滾る血液は、深々と雪の中へと埋もれたかと思うと、一瞬で雪を溶かしていき、空白地帯ができた事によって傾斜になっていた場には雪崩が発生する。……しかし、それもすぐに溶けていく。
「本体に近寄って攻撃するのは危険、か……」
落下していたルエインは、眼下へ送っていた視線をドラキュナムへと戻す。甲殻越しに尾を切られた為か、羽ばたくばかりで様子を伺っていた。しかし、下で燃え盛る炎の如き闘志を失った訳ではない事は、獲物を狩るタイミングを見計らっているようなその琥珀色の瞳からも、ありありと見て取れた。
『はい、お迎えやでー。テレシアさんのお通りや!』
飛来してきたテレシアの背に乗るヴァレリの手が、ルエインの腕を掴んだ。
「見事、切ってみせたな。まあ、読んで字の如くトカゲの尻尾切りじゃがのう」
クッカッカ! と笑うヴァレリに、ルエインは苦笑を浮かべてその背に戻る。そして、ルエインは静かに口を開いた。
「奴は……恐らく知能が高い。帝国兵士が活動しない夜しか動かない事、この間退いた事、今まさに追撃して来なかった事も、そうだ」
「ふむ……じゃからと言って、ただ見ているだけで斃せるならヒトは今頃絶滅しとるわい」
ヴァレリが皮肉たっぷりにそう言った時──
「そうでもないみたいやで……」
──テレシアの、げんなりしたような声が響く。
ルエインとヴァレリはテレシアの視線の先を追った。
「なるほど……。あれなら見ている内に斃せるだろう」
「冗談じゃろ……?」
火に炙られていた尻尾はのたうち回り、ジュルジュルと触手を伸ばして、体を作り上げていく。やがて──それは紫色の装甲を纏った竜となった。散らばった結晶片も翼竜へと姿を変えていく。
『振り出し……とまでは言わんけど、下のも含めてめんどくさいやっちゃなぁ……』
「超再生能力、か……」
同じ頃に……ドラキュナムの尾も復活を遂げていた。鋭利な甲殻を失ってはいたものの、紫色の強靭な尾は、生身の人間が受ければ命が無いと言わんばかりの骨太さのままである。
「うーむ……あれを斃せた時にこの国の国土はどうなっとるんじゃ?」
『火の海、やろなぁ』
他人事のように、テレシアが言う。ヴァレリは「うぬぅ……」と再び唸った。その声を聞いたルエインは、チラリと視線だけをヴァレリへ送り、
「方法が無い訳ではない」
「……ふむ、聞こう」
告げた。ヴァレリは一考の後、反応を見せた。
「……神塵万衝ならば、奴を塵も残さずに討つ事ができるはずだ」
「ほう、それで?」
ルエインのどこか含みのある言い方に、ヴァレリは追求を続ける。
「下の奴らを任せたい。この技を放てば……俺はこの姿を留めるだけの余力を失うだろう」
「ふーむ……簡単に言いおる。要約するとオヌシの後始末じゃぞ? 言うてて恥ずかしくないか?」
ヴァレリはどこかツーンと拗ねたように言い放つ。しかし、ルエインは細く笑む。
「では……お前が先に攻撃していればどうなっていた?」
金髪の青年の言葉に、ヴァレリは「ふんっ」と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……相変わらず嫌味なやつじゃ。言わんでも分かっとるわ。ワシの攻撃では恐らく彼奴を悪戯に傷つけるだけで、仕留めるには至らぬと言う事。それが我が故郷を火の海へと変えてしまう事も」
ヴァレリはふわりと靡く髪を後方へ流し、
「……頼むぞ、我が国を」
「ああ」
故郷を、託す。ルエインはたった二文字の短い相槌を打つと、再びドラキュナムへ向き直る。
『グルォオオオオオッ‼︎』
ザワザワと腹部から紫色の模様が血管の如く広がっていく。脈打つようにして、広がっていく。やがて──白銀の装甲は、ルエインから受けた衝撃による亀裂を中心として、全身に亀裂が走った。
……その内側から、碧色の結晶体が現れる。竜王の背に、翡翠の如き山脈が現れるのと同時に、紫色の侵食は止まった。
『ごっつぅキモなっとんねんけど……』
「もしあれを仕留め損なえば、アレの破片から生まれた竜によってこの国は疎か、周辺諸国にまで甚大な被害が及ぶ事となろう。先に言うておいてなんだが、本当にできるんじゃろうな?」
ほぼ全身が、竜の眷属を生み出す卵塊となったドラキュナムに、ヴァレリは嗄れた声を強張らせてそう尋ねる。
ルエインは……冷や汗を流しながらも、小さく。不敵な笑みを浮かべた。
「やるしかあるまい。いや……俺達がやらねばならない。明日を掴むためにも」
言い終えると同時に、ルエインはテレシアの背から降りた。
「鍵嵌解錠」
そして、そう呟く。ルエインの手に持つ剣に白い光が纏わりつくと、蒼く変色して蛇の如く畝り……龍の形を象っていく。
「零式・神塵万衝──」
ルエインが頭上で剣を逆円錐状に振るえば、龍は蜷局を巻き、その龍頭が竜王を見据えるが如く輝いた。
「蒼龍の章」
──そして、それは解き放たれた。蒼龍は獲物を見定めたようにして、碧色と紫色の入り混じる竜王へと向かっていく。
『グルォオオオオオッ‼︎』
竜王も負けじと、その鋭い顎を開いた。
「なんと、いう……」
ビリビリと伝わる衝撃に、ヴァレリは思わず声を上げる。ドラキュナムはその剛腕を振るい、吹雪を操り龍へと向かわせる。しかし──
『無駄やわなあ……焼け石に水、やで』
テレシアは、ニヤリと笑う。果たして……苦し紛れの吹雪は、蒼き龍の体に飲み込まれた。瑣末な攻撃などモノともせずに、龍は捩り捩りに螺旋を描き、竜王へと迫る。
『クァッ‼︎』
竜王は吠えた。それと同時に、パキりと音を立てて竜王の向かう先の全てが凍てつく。粉雪すらもピタリと止まって落ちていき、翼竜すらも巻き込んで──ドラキュナムの視線の先にある全ては凍りついた。
ただ一つ……その蒼龍を除いて。
『グルォッ……オオォォオオッ‼︎』
竜王の口の中へと、蒼龍が入り込む。ドラキュナムの体に蒼い亀裂を走らせ、その隙間からパリパリと蒼い雷を迸らせていった。
竜王の背にある碧色の結晶体から、サファイアの如き蒼い光が溢れ出る。激しい閃光の中、その肉体はボロボロと崩壊を始めた。塵も残さず、全身へと広がる雷轟はその全てを喰らい尽くさんと広がり、その体内でゴロゴロと音を鳴り響かせてドラキュナムの体を蝕んでいく。
やがて……竜王の体は蒼い光に飲み込まれた。
「ムゥ……‼︎ なんという、威力かッ⁉︎」
『めっちゃ眩しいやんッ⁉︎ これは聞いてない‼︎』
そして……数秒の後、光は収まった。その閃光が収まった先に残っていたのは、煙を噴き上げる黒い消し炭の如き竜王の外殻。それがボソボソと崩れていく中、翼竜達も失速して墜落しだした。
それと同時に──ルエインから光の粒子が剥離していく。いつも通りの黒いコートを纏いながら、金髪の青年もまたなす術なく自由落下を始めた。
「結局、一人でやりおったか……」
『ほな、あの子を回収して終いやね』
テレシアは、「うむ!」とやる気十分なヴァレリを背に乗せたまま駆けていった。




