第二話 ー暮れゆく森②ー
「ルエインって……どんな人なの?」
申し訳なさそうにスティリアがそう尋ねると、テレシアは桜色の瞳を輝かせながら振り返り、ニッと笑いながら振り返った。
『ンッフッフー、気になるぅー? おねえちゃんが相談乗ったろかー?』
嫌らしく笑うテレシア。その真意を理解したのか、一拍置いてスティリアが「ち、ちが……!」と慌てて取り繕った。テレシアはケタケタと笑いながら続けた。
『冗談やん、必死なってもてかーわいー!』
ドレス越しに太ももをスリスリと頬擦りするテレシアに、スティリアは「もう!」とムキになって返す。
「違うの! ……ねえ、テレシア。彼は、何者なの?」
焚き火の緋色とは関係なく、まだ赤みの残る顔でテレシアにそう尋ねるスティリア。
対してテレシアは「なーんや、しょーもないなあ」と吐き捨てるように言ってから続ける。
『ルエインは世界最強の戦闘術……神羅覇導流って武術を使う種族や。飛剣の壱式・神薙、手数で押す弐式・神楽、一撃必殺の参式・神威。この三つの技を中心にして敵をバッサバッサなぎ倒しよる戦闘種族。それが、さっきルエインが言うてた戦神族や』
詰まらなさそうな顔から一転。語りだせば饒舌になったテレシアの言葉に、スティリアは小首を傾げた。
「神羅覇導流……?」
スティリアが疑問に思った単語を口にして尋ねると、テレシアは「せや」と言いながら続けた。
『あんたも見とったやろ? あのバシューンって剣飛ばしとるのが神薙で、火の玉バチコーン! って叩き落としとったのが神威って技や。あともう一個はそのうち見れるやろけど……」
身振り手振りのジェスチャーを交えてルエインの物真似を膝の上でするテレシアだったが、そのクオリティの低さにスティリアは汗を流して苦笑を浮かべてしまう。
そんな事を気にもしていないテレシアは、言葉尻になれば落ち着きを見せて、またちょこんと膝の上に座り直した。
『まあ、魔力は持ってないけど極めたら天災級の強さや。あの子はまだまだやけどな」
「魔力が……ない?」
スティリアが意外そうに尋ね返す。魔力と言えば扱えないただの人間ですら持っているものだ。スティリアは疑問に思った。そんなスティリアの心情など構わずに、テレシアは「せや」と言って続けた。
『戦神族って他の種族と違って魔力がないねん。代わりに神力ってのを武器とか体に纏わせて体強くして戦いよるんよ』
「あっ……」
スティリアは何かに気付いたように声を上げた。
『せやな。あの高っかい壁バビューンって飛んでったのもそれやで』
「あ、あはは……」
擬音が多いテレシアの説明に、スティリアは堪えかねたのか頬を掻く。
テレシアは続ける。
『せやで神力が好物なウチら……幻獣種のアルマは戦乙女の隠れ里にしかおらんねん』
「隠れ里?」
スティリアが再び尋ねる。
『そ、隠れ里や。強いけど、強すぎるせいで色んな国に目ぇ付けられる。せやでほんまはルエインみたいに外に出とる事はないけど……まあ、理由はさっき聞いた通りや』
「……うん」
一瞬暗い表情を見せるスティリア。しかしテレシアは構わず続ける。
『戦神族って元々はこの大陸やない小っちゃい島から移り住んで来よってん。島が沈むー! 言うてね。研究熱心なルエインのおとんがそんなこと言うとったで』
「──それって……」
何かに気付いたスティリアに、テレシアは「せや」と相槌を打つ。
『もう死んでもたけど……ウチはあの人に感謝してるで。おかげでルエインにも会えたしな』
それに……とテレシアの口は止まらない。
『種族として見たら、せっかく違う大陸まで来たのに引きこもったままとかあの子もかわいそうなもんやん? ンフフっ』
そう笑うテレシアの声色は思うところなどないように、焚き火のように明るい。意外そうにパチクリと瞬きをするスティリアの藍色の瞳とテレシアの桜色の視線とがぶつかった。
『なんや? 見惚れた?』
「………うふふ。そうね」
得意げに笑うテレシアに、スティリアはクスリと笑った。そして、その愛らしい小動物は口を開く。
『あんたもあの子も……周りの都合に振り回される事なんてあらへんよ。思うように生きたらええし、ウチもそれを見届けさせてもらう。それが言いたかってん』
テレシアの言葉に面を食らったような表情を浮かべたスティリアだったが、フッと優しい笑みでテレシアの頭を撫でた。
「うん、そうだね。ありがと」
そう言いながら面を上げたスティリアの顔は、テレシア同様に焚き火の黄金色の明かりが照らされ白い肌が輝いていた。
ちょっとイジワルなところもあるけど、テレシアって優しいんだ。と、考えるスティリアが星の瞬き始めた夜空を暫しの間見つめていた。
土を踏みしめながら暗闇から一人の人物が歩み寄ってくる。スティリアがハッと振り返ると、そこにはルエインがいた。その右手には雫の滴る鍋が握られており、左脇には多くの枯れ枝と少し太めの生木の枝が一本抱えられている。
「腹ごなしも済ませたしそろそろ眠ろう。後処理は俺がしておく。お前は……そうだな。名はなんと言う?」
先ほどまで自分が座っていた定位置に腰を下ろすと、薪木に使うであろう枝木を置きながら、ルエインはそう尋ねた。
スティリアはキョトンとした顔から一転して「あっはは!」と明るい笑い声を漏らして続けた。
「いまさら、だね。わたしはスティリア……スティアって呼んで」
「そうか。スティア、だな?」
確認するようにそう尋ねるルエインに、スティリアは柔らかい表情で「うん」と言いながら頷く。ルエインは「では」と一拍置いて続ける。
「寝床は空き家かテントだが……先ほど入ったし空き家の方は分かるだろう。老朽化していて埃っぽいしややカビ臭い。王族ならなおさら鼻に衝くだろうし──」
「あら、お姫様にしては逞しいかも?」
ふふふ、と笑って見せるスティリアの余裕に対し、ルエインはたじろぎ戸惑いの色を見せる。やがて、スティリアの膝元でニヤニヤと笑っている小動物を視界に捉えて睨みを利かせた。
お前のせいか。視線でそう語るルエインに、テレシアは小声で「おー、こっわ」と聞こえないように呟くと、明後日の方向を見た。
構ったところで無駄だと悟ったのか、ルエインは小さく溜め息を吐いてから、スティリアへと向き直る。
「まあ、いい……。雨風はしのげる、臭味もないしテントの中で寝るといい。俺とテレシアで見張りと火の番をやるからスティア。おま……スティアもテントの中で眠ってくれ」
お前。そう言いかけたところでスティリアのふくれっ面を見てルエインは訂正をした。
よろしい、と言わんばかりに満足げに。テレシアを抱え上げたまま立ち上がったスティリアは、自身が座っていた石の上にその小動物を乗せてテントへと歩き出したが、ルエインの隣を過ぎようとしたところで「あっ」と小さく声を上げる。
「わたしも見張りとかした方がいい、かな?」
スティリアの問いかけに対して、ルエインは「いや」と小さく返して続ける。
「必要ない。スティアには魔法で助けてもらっている。この焚き火の火もそうだ。あまり気にしなくていい。お互い様、というやつだ」
そう言いながらルエインはテントを指差す。スティリアは少し思うところがあったような顔をしたが、ルエインが言い終える頃にはその顔色も難色が少なくなり、数秒の沈黙の後、スティリアは静かに微笑んだ。
「分かった、ありがと。おやすみ、ルエイン」
「ああ。おやすみ、スティア」
ルエインがそう返した時──
『ウチもおんでー? なあ、忘れてる?』
スティリアが踵を返してテントへ入ろうとした時、ムスっとしたテレシアの声が響く。やっちゃった──顔がそう物語っていたスティリアは、取り繕うようなぎこちない笑顔で言う。
「お……おやすみ、テレシア」
『あーい! おやしゅみー!』
快活にそう返すテレシアに、スティリアは苦笑を浮かべたままテントの中へといそいそと消えていった。
それを見送ったルエインは数本の枯れ枝を炎に突っ込むと、右手に持っていた水気の残る鍋を遠火で炙りだした。そんな中、テレシアがぼそりと呟く。
『ええ子やん、あの子』
「……そうだな」
テレシアの言葉に一つ返事で答えるルエインは、角度を変えながら鍋を熱して乾燥を進めながら言った。
『ほんで。あんたはこれからどうするつもりなん?』
テレシアが耳をぴょこぴょこと跳ねさせながら尋ねると、ルエインは「そうだな……」と呟いて続けた。
「特に決まってはいない。第一の目標としては亡命する事だ。この国の中にいる以上、安全な土地などないだろう」
言いながら、鍋をひっくり返して反対側も遠火で炙るルエイン。テレシアは「ほーん」と、どうでも良さそうに返事をすると、石の上でうずくまり、体を丸めた。
『ま、うまく行くとええけどな』
落ち着いたところでそう言うテレシア。ルエインは鍋を乾かす手を止めて、テレシアを見る。
「含みのある言い方だな」
ルエインがそう言うと、テレシアは「べつにー?」と言いながら尻尾で乗っている岩をパシりと叩いた。ルエインはそれを見て小さく溜め息を吐いた。
「お前も早く寝ろ。月が直上に昇ったら見張りを交代してもらう」
「あいあーい」
気だるげにそう言い残したテレシアは、静かに寝息を立て始めた。ルエインは一息吐くと、焚き火へと視線を戻す。
夕飯前より小さくなった焚き火。緋色と黄金色に輝きながら燃え上がり、一部炭化している木に、ルエインは持ってきた生木を添えるように置く。そして、そこに立てかけるようにして三本の枯れ枝を火の上に落とした。
間もなくして枝木は燻ぶりだし、炎が燃え移る。そこからしばらく、生木もその身に宿す水をグツグツ、ジュウジュウと音を立てながら沸騰を始めた。
蒸気を吹き上げる生木を一瞥したルエインは、紅蓮の炎を瞳に映して小さく呟く。
「……分かっているさ、お人好しな事は」
鬱蒼とした森の中でルエインの口からこぼれた小さな声は、吹き抜ける寒風に攫われていく。
更けゆく森で虫の合唱が響き渡る中、ルエインは青く輝く月を眺めて過ごしたのだった。