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第二話 ―暮れゆく森①―

西の空に日が傾く昼過ぎ頃。森深くにある、木こりが使っていたのであろう古い家屋の前で、スティリアが申し訳なさそうに(うつむ)いていると、ゴンゴンとブーツで木床を叩きながらルエインが現れる。


スティリアはその足音に気付くと、疲れの色あるやるせない顔でルエインへと振り返った。


「わたしが不甲斐無いばかりに……すみませんッ!」

「……別段気にする事もない」


 心底申し訳なさそうに声を張り上げたスティリアに対し、相変わらずルエインは一本調子。スティリアが「でも……!」と続けると、ルエインはその首を振る。


「今日は色々とあって疲れているだろう。それに──」


 ルエインが言いかけたところで、スティリアの腹の虫が鳴る。


「──ッ!」


 反射的に。スティリアは恥ずかしそうに腹を抱えて赤面した。ルエインは呆れたように溜め息を吐くと、担いでいた布袋を木床に置いた。


「もうすぐ暗くなる。この森も西へ……深くまで潜ったから追っ手も少なくなるだろう」

「……はい」


 ルエインの言葉に観念したように頷くスティリア。しかし、その顔はまだ思うところがあるようで、まだ晴れてはない。少しの間、近くを流れる川のせせらぎだけが響いたが、ルエインはしばらくすると、「それに……」と言葉を紡いだ。


「俺も腹は空いている」


 スティリアの様子に見かねたルエインがそう言った。そんな時。ルエインの腰に納まった刀が白く染まると、毛玉となって地面へ降り立つ。テレシアだ。


『ウチもお腹空いたー!』


 朗々とした声でそう声を上げるテレシア。そんな彼女を、ルエインは腰を落として屈むと、その手に神力を集めて優しく撫でた。


『あんっ、もっとぉ……』


 (なま)めかしい甘え声でそういうテレシア。ルエインはその手の動きを止めると、テレシアの頭をパシリと叩いた。


『なにすんねん!』

「それはこっちのセリフだ」

『出るとこ出てもええねんぞ!?』


 一触即発なルエインとテレシア。そんな中スティリアは、顔を赤面させながら二人を指差して、わなわなとその体を震えさせている。


「ふ、ふ……不潔です! な、な、何をしてるんですか!?」


 警戒の表れか、スティリアは左手を握り締めている。


『そりゃあもう、えちえちなえっちぃこ──』


 スティリアの顔が蒸気を吹き上げそうになった時。テレシアの発言はその頭にルエインの平手打ちを受ける事で阻止された。


「エサやりだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 冷静にそう告げるルエイン。スティリアは面食らった表情で固まる。


「え、エサ……?」


 きょとんと硬直するスティリアに、プルプルと震えていたテレシアが、その(おもて)を上げる。


『なんや!? 女の子いるからカッコつけとんのか!? いつもは続けてくれるのに!』


 テレシアはぷんぷんと怒りながら、ルエインに啖呵(たんか)を切った。ギャーギャーと喚き立てるテレシアに、ルエインは小さく呟いた。


「今日は魚が食べたいな」


 その瞬間。テレシアはピクリとその耳を動かすと、川へと振り向いた。


『せや……アイツらには因縁があんねん! 待っとれよおんどりゃああぁぁぁあああ!』


 そう言いながら猪突猛進していくテレシアを見送ったルエインは、小さく「行ったか」と呟いた。


 そして、ポカンと間の抜けた顔で事の顛末(てんまつ)を見届けていたスティリアへと向き直ると、ルエインは語りかける。


「まあ、アレの事は気にするな。いつもの事だ」

「は、はあ……」


 鈍い反応のスティリア。ルエインは頭を掻くと、(きびす)を返した。


「とりあえず、そういう事だ。アレは基本的に固形物を食べない。俺の体に宿る力……神力(しんりょく)を食って生きている」

「わ、わかりました」


 ようやく納得したスティリアに、ルエインは「ふむ」と呟いた。


一先(ひとま)ず、袋の中の食器も俺が洗う。この家がどういう理由で放置されたのかは知らないが、まだ中にテントや調理器具も揃っていた。渡りに船、というやつだ。これからの旅にも役立つだろう。感謝する」


 ルエインはそう告げると、ハッとしたスティリアが「何から何まで……」と申し訳なさそうに言った。するとルエインは、ゆっくりと振り返って告げる。


「まだ気にしているのか。では、こうしよう。保存食や日持ちのする野菜は少しばかりあったが、それだけだ。山菜やキノコなどを後で一緒に取りに行く。どれが食べられるかは俺が教えるから一緒に探してほしい」


 そう言い残すと、ルエインは再びその身を(ひるがえ)して、今度こそ古家の中へと戻っていった。


「……ありがとう」


 ルエインの耳には届かなかったが、スティリアは確かにそう呟いた。


***


 それからしばらく。時刻は夕刻。世界が茜色(あかねいろ)から藍色に染まりだす黄昏時(たそがれどき)になった。


『とりゃ! とう! うりゃ!』


 テレシアは魚の影を見つけると、その身がずぶ濡れになる事も(いと)わず、手あたり次第に川面へ飛び込む。


『ほう、このウチから逃げるなんて、なかなかやるやないか……!』


 自信たっぷりに。そして好敵手(こうてきしゅ)へ向けて言うが如く。テレシアは逃げ去る魚をそう褒め(たた)えた。


 しかし立派なのは口ぶりだけでその爪や牙が魚に(かす)る事などなく、前脚を持ち上げた時点で既に魚影はその気配を察知し、その場から退散している。


 そんなテレシアを他所(よそ)に、焚き火と鍋の管理を進めるルエイン。黒金の三脚に釣られた鍋の中には、キノコや山菜が詰められており、グツグツと煮えたぎっている。


 ルエインは干し肉と固いチーズ、そしてナイフを手に取ると、手際よくその二つの食材を削って鍋の中へと投入していく。


 それからとろみが出るまで煮込まれたこのスープに、テレシアの追いかける魚が入る余地などなさそうだ。


「慣れてるんだね」


 石の上に座ってその様子をジッと見ていたティリアが、不意にそう呟く。


「旅をしていれば普通だ」


 ルエインは顔色一つ変える事なくそう返すと、余った干し肉とチーズを小さな布袋に詰め、その口を(ひも)しぼった。


 そして、その背後に置かれた大きな布袋へと手を伸ばすと、木製の汁椀(しるわん)を取り出し、ルエインはおたまを使ってそこへスープを(よそ)う。


「食べるといい。一応川で洗ったが嫌なら言ってくれ……」

「あ、うん。その……ありがと」


 ぎこちない返事をするスティリア。日も沈み、火の光を浴びて黄金色に輝くその器をルエインは手渡し、今度は自分のぶんを(よそ)う。


「あ、あの──」


 そんなルエインに、スティリアが語りかけた時だった。


『あっかーん! ルエイン、全然取れへんかったわ! アイツらめっちゃ早いねん、前世がネズミかなんかやで!』


 川から戻ってきたテレシアが、遠方で体を震わせて水気を払ってから二人の元へと歩み寄ってきた。


「……お前が魚を取れた事があったか?」


 ルエインがそう尋ねると、テレシアは「うーん」と一考してみせた。


『ないな! ぬっはっはっはっはっはー!』


 軽快に笑い飛ばすテレシア。ルエインは殊更(ことさら)気にする素振りも見せず、テレシアを無視してスープの入った汁椀を口元で傾ける。


『お? なんや? 無視か? 遅めの思春期か?』


 その光景を苦笑して傍観(ぼうかん)していたスティリアは、ルエインに習ってスープを口へ運ぶ。するとスティリアは、目を輝かせながら驚いた表情を浮かべた。


「これ……すごくおいしいわ!」

「そうか」


 口から白い息を吐き、彼女のやや興奮気味な反応を見せるスティリアに、ルエインは短い相槌(あいづち)で答えると、相も変わらず落ち着き払ったようにスープを飲む。


『えー!』


 だがそこに、テレシアが物申すと言わんばかりに食って掛かった。


『ルエインの料理クッソまずいで! 食べへん方がマシなレベル!』


 気は確かかと続きそうな語気で荒ぶるテレシアにスティリアが(きょ)()かれたように目を丸めていると、ルエインが静かに口を開いた。


「これでお前が味覚音痴だと証明されたな、テレシア」


 かっちーん。とテレシアはわざわざ口で言うと、大袈裟(おおげさ)にその怒りを露わにする。


『ほな食わせてみぃや! 勝負どころやで、料理長どのォ!?』


 直立し、腕を(まく)るテレシアを、めんどくさそうに一瞥(いちべつ)したルエインは、語る事なく布袋から汁椀を取りだすと、おたまに少量(すく)ってテレシアの前へ置く。


『イッヒッヒ、どらどら……年貢の納め時やで』


 鬼の首を取ったかのように不気味な笑みを溢しながら、小さな舌先でチロリとスープを舐めるテレシア。

 直後、その小さな体はプルプルと震えだし、そのまま硬直した。


『け、結構なお手前で……』


 絞りだすような声でそう言うテレシアに、ルエインは呆れたように溜め息を吐く。


「無理はするな」


 ルエインがそう言うと、テレシアは満足気な笑みでそのままパタリと倒れ込んだ。

 そんな二人のやり取りを見ていたスティリアは、困惑した表情を浮かべている。


「こんなにおいしいのに、どうしてかしら?」


 言いながら口へ運ぶスティリア。ルエインは食べ終えた汁椀を傍らに置いて口元を布で拭うと、その口を開いた。


「それはテレシアが幻獣種アルマの中でも特に好き者だからだ。死んだ父がそう言っていた」

「──ッ! そう……なんです、ね」


 パチッと弾けた音と共に、焚き火から火の粉が飛ぶ。

 まずい事聞いちゃったかな。スティリアはそう思った。突然肉親の死を打ち明けられるとは思っていなかったスティリアの視線は(より)り所を無くして次第に地面へと向かう。


 沈黙の中、ルエインは傍らに置いていた最後の枯れ枝を焚き火へと投げ込んだ。炎が風に煽られて音を立てる中、スティリアは「あの……」小さな声で切り出した。


「どうして、助けてくれたのですか?」


 スティリアの問いかけに「ん?」と小さな反応を見せたルエインは、寸秒(すんびょう)ほど一考する素振(そぶ)りを見せる。


「そうだな。なぜ、か。強いて言うならば……」


 慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと語るルエインを、スティリアは固唾を飲んで見つめ、その次の言葉を待った。

 ──やがて、ルエインは間もなく語りだした。


「お前が俺と同じ忌み子だったから、だろうな」

「えっ……?」


 衝撃を受けたかのようにスティリアはその目を見開く。視線を落とす彼女を他所に、ルエインは三脚に吊るされた鍋の取っ手を手にとると、熱せられた鉄を熱がる事もなく、おたまを使って取り出した瓶に詰めていく。


 後に語るのは虫たちの声と、ルエインがカチャカチャと作業をこなす音だけだ。事実上の沈黙の中、スティリアは自分を落ち着かせ、静かに目を閉じた。


 思えばわたしは彼に何も話してない。ちゃんと言おう……そう思考を纏めたスティリアは、小さく長い深呼吸をして、意を決するようにその沈黙を破った。


「わたしは天宝族(ジェンマー)の中でも、黒い宝石を持って生まれたのが忌み子とされた理由です。ルエイン……で、いいかしら?」


 スティリアの言葉に、ルエインは「ああ」と短い相槌(あいづち)を打ちながら、瓶詰したスープに蓋をかぶせる。


「あなたは……どうして忌み子なの?」


 スティリアが強い眼差しでそう尋ねると、ルエインが蓋を閉めようとするその手は一瞬だけ止まり、彼は彼女へと視線を向けた。しかし、構わずに蓋をキュッと閉めると、ルエインは一息吐いてから答えた。


「俺の種族は戦神族(ワルキューレ)という。別名が……戦乙女(いくさおとめ)の一族だ」

「あっ……」


 ルエインの言葉に何かを察したかのように口に手を当てるスティリア。虚をかれた彼女の眼の中で火の光が揺らめく。


「男……」

「そうだ」


 パキッと音を立てた焚き火の山が、ガラガラと音を立てて崩れた。風の煽りを受けた炎が音を立てて燃え盛る中、暗い表情になったスティリアに対し、ルエインは続ける。


「まあ、なんだ」


 言いながら、彼は鍋を手にして立ち上がる。


「俺も、お前も。ただ、生まれた。それだけだ。それが罪であるはずなど、ある訳がない。そうだろう?」


 バッと顔を見上げたスティリアは、驚いた表情をしている。しかし、ルエインはそれだけ言い残すと、一人と一匹を残してその場を立ち去ってしまう。

 残されたスティリアは静かに(うつむ)いたが、その表情に先ほどまでの鬱屈(うっくつ)な雰囲気はない。

 そこから物思いに(ふけ)るように、スティリアは膝に肘を突いてボーっと焚き火を眺めだす。

そこへ黙って毛づくろいをしていたテレシアがとてとてと小さな歩幅で歩みより、スティリアの膝の上に飛びかかる。


「わっ……!」

『まだ湿っとるでもっと火に当たらせてや』


反射的に身を引いて抱きかかえたスティリアの腕の中で、テレシアはもぞもぞと動きながらそう言う。


『はぁーん、あったかくて気持ちええわあ』


 やがて、落ち着きを見せて丸まったテレシアは湯船に使った年寄りのようにしみじみとそう言う。


「そ、そうですね」


 相変わらずマイペースな彼女に、スティリアは少し戸惑いながら相槌を打った。すると、太ももの上で落ち着いていたテレシアはその顔を持ち上げると、スティリアをジト目で睨みつける。


『えらい他人行儀やん? もっと普通に話してくれてもええんやで?』

「えっ! あっ、うん」


 テレシアの言葉に一瞬ピシりと姿勢を正して言葉を詰まらせながらそう返事をした。

 一息()いたテレシアは「ま、及第点やな」と小さくこぼしてから、その視線を黄金色に輝く焚き火へと戻す。


 緋色の炎が風に揺られる中、スティリアが「あの」と申し訳なさそうに小さく語りかけると、テレシアは「なんや?」と短い返事をした。スティリアは続ける。

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