第二十話 ー闇の王①ー
──その頃。スティリアはレイチェルを連れて……マルクやレナード、ビル、キャロルと共に馬車から降り立っていた。
フルース=レグヴェルより北西……荒野の先には巨大で縦に長い、原生林のような場所にいる。
「ギルドマスターも気を回さず伝えてくれたら良いものを……」
「ひどい……」
レナードのぼやきを背に、スティリアは口元に手を当て呟いた。その視線の先には、立ち昇る黒い霧があった。空へと舞い上がり、徐々に青空を侵食しながら、黒い雨を降らせている。
そして……その黒い雨は、一瞬にして緑を奪って葉を枯らしていった。天を貫くように立派に生え揃っていた木々は、一瞬にして。見窄らしい枝だけ残して漆黒に染まって立ち尽くす。
「驚いてる場合じゃないっス。マギポーションでお二人の訓練で消耗した魔力を回復させたのはいいっスけど所詮は付け焼き刃っスよ。持久戦になれば泥沼っス──って、んぎゃっ!」
マルクがクギを刺すようにそう言うと、キャロルがその鼻っ柱にデコピンをする。
「運び屋さんがアタシらのリーダーにナマ言ってんじゃないよ!」
「おいおい、落ち着けって」
いつになくキャロルが殺気立っており、ビルがそんなキャロルを宥めている。
「いきなりひどいっす……」
「そうだぞキャロル。どうしたんだ? らしくないぜ、今日のお前」
鼻頭を摩るマルクも涙目になりながら泣き言をこぼす中、ビルがキャロルを問い詰めると……キャロルはフンッと顔を背けてそっぽを向いてしまう。
「本当にどうしたんだ? キャロル」
「レナードさん……」
レナードに尋ねられて急にしおらしさを見せたキャロルは、不安な気持ちいっぱいな顔で顔を伏せた。
「嫌な予感が、するんです。何か、取り返しのつかないような事が起きるような気がして……」
「ふむ……なるほど、な」
キャロルの真剣な口調に、レナードは片腕を組んで顎元の白いヒゲを摩った。
「お前の勘は、存外当たる。今回の標的も伝説級のものだ。多方面から囲んだギルド員による大討伐だから熾烈な戦いが予想されるだろう。……我々も注意深く行くぞ」
「……はい」
キャロルがまだ納得できないと言わんばかりの表情で頷く。するとレナードはぽんっと、キャロルの赤髪の頭に手を置いて、優しく撫でた。
「心配はいらぬ。今回はギルドマスターの采配で多くの仲間達がいる。一人で突っ走らねば勝機は見えるだろう。ヤツがいかに強大な敵でも……過去に、勝っているのだ」
「……えっへへ。はい、レナードさん!」
キャロルは照れるようにして後頭部を掻き、満面の笑みで笑った。すると恨めしそうな視線を送っていたマルクが、
「ちぇっ。オイラは殴られ損っスよ……」
などとぼやくものだから、キャロルは「わりぃわりぃっ」と半笑いで手を合わせて謝る。
「……と、噂をすればなんとやらだ。支援部隊と補給部隊も来たぞ」
レナード達の後方から、馬車が重苦しく車輪を軋ませながらやってきた。その頑丈な鉄製の荷台には、大砲や大型弩砲など、大掛かりな装備が乗せられており、それらが波のように押し寄せていた。
薬瓶を大量に積んだ荷台や、人が箱詰めにされた荷馬車など、この現場だけで総勢三百人あまりがこの戦場に集められていた。
「こんだけ大掛かりな装備で臨む討伐クエストは初めてだなあ……」
うひょーっと言いながら、額に真一文字に手を添えて……ビルは興奮冷めやらぬと言った具合に目を輝かせた。
「そんだけコイツに本気って事っスよ。油断だけはしちゃダメっス」
「ええ、そうね……!」
マルクの言葉に、スティリアも拳を握りしめて──不安げに瞳を揺らしながらも力強く返した。
そんな時、
「──ッ!」
「奴さんのお出まし……っス、ね」
バキバキと木が軋み、倒れる音に一同は音の発生源へと視線を集めた。マルクは冷や汗をこれでもかと言うぐらいに掻きながら、細い目を開かせた。
「あれが、闇膜王ヴォルトプス……⁉︎」
「倒せるのか、あんなヤツ……⁉︎」
不安はキャロルからビル……果ては後方にいた部隊にまで一気に広がった。
現れた生物は白銀の山脈を背負ったが如くトゲトゲしい……亀にも似た甲羅を持ち、前面に黒い八本の足に、二本の長く伸びた腕。後方に緑色のタコの足を二十四本もウネウネと動いている。
頭に当たる部分が甲羅の先からニュッと突き出して伸びてきており、頭部近辺は全体的に青に黄色い水玉模様。アンモナイトのように無数の触手が並び、その中でトカゲの頭のような形をした頭部に、八つの目がビッシリと並び、蟹のような口を、浮遊に合わせてゆっくりと閉じたり開いたりしている。
そして……それは小山ほどの体躯を持っており、宙に浮いていた。体から伸びる触手の間から伸びた複数の管のようなものが、背中の甲羅部分の山の穴と同じようにして、黒い霧を吐き出していた。
薄膜でその生物自身を覆っており、雲の高さまで煙を立ち上らせている。
狼狽する戦士達をチラリと見たレナードは、腰元から細剣を抜き、空飛ぶ巨大な魔獣へと差し向けた。
「皆の者落ち着け! 過去に撃退された者だ! 恐れず作戦通りにやれ!」
レナードの声に、言葉を失っていた一同はハッとした。その様子を見てニッと笑って見せたレナードは、険しい表情に戻ると、
「バリスタ部隊は前へッ! 魔導部隊は各自支援せよ! 大砲部隊は指示まで待機! 大盾部隊は目標の行動があるまで前衛して待機だ!」
「オオォォオオオオッ‼︎」
レナードの的確な指示に、一同は士気を高める。数匹がかりで運ばれた荷馬車は、その砲身を空飛ぶ異形へと構えた。大型弩砲、大砲、大型弩砲……と、交互に、綺麗に並んだ。
その馬車と魔獣との間に割って入るようにして、鋼鉄の重厚な盾を持った屈強な男達が並び立ち、荷台より下で盾を構える。
その馬車の傍らに、胸元で宝石を輝かせた男女が並び立ち、それぞれが魔法の詠唱を始めた。
そこから少し距離を置いた場所に、ひ弱そうな男女が荷馬車の上と下とで待機している。
部隊配置はできたらしく、確認を終えたレナードは、再び空飛ぶ魔獣へと向き直った。
「標的は闇膜王ヴォルトプス! 魔道士部隊、バリスタ部隊へ〝ヴィース〟の魔法を掛け、バリスタ部隊は力を上げられ次第、滑車を回せ!」
各荷馬車へ向けて……既に魔法の詠唱に入っていた魔道士達は、荷馬車の上にいる屈強な男達へと蛇のように畝る赤い光を送った。
光に当たった屈強な男達は、ガリガリと音を鳴らしながら大型弩砲の弦を滑車で引き、巨大な鉄の柱のような弾丸を弦に添えた。
「装填済み次第──放てェッ!」
レナードの号令とほぼ同時に……数十発の鉄の槍が放たれた。そして、それと同じタイミングで。ヴォルトプスを囲うようにして無数の鉄の槍が一斉に、浮遊する闇を纏う王へと襲いかかる。
……しかし。
「なっん……⁉︎」
「そんな……」
「おいおいおい⁉︎ そんなんありかよ‼︎」
鉄の槍は……黒霧に触れた途端、水に投入したドライアイスが如く、じゅわりと溶けた。少しだけ残った小さな鉄の棒が、柔らかい触手に優しく突き立ち、ぶにっとした肉厚な外皮に弾かれた。
「一筋縄ではいかないか……。魔道士部隊、各自最大限の魔法を! 急げッ!」
攻撃を受けたなどと微塵も思っていないのか、ドレヴァンは進行する速度を緩めない。魔道士達は冷や汗を流しながら魔法の言霊を並べ立てていく。
「バリスタ部隊、次弾装填急げ! 無駄と決まった訳ではない! 霧を越えてはいるんだ、霧さえ払えば有効打となる!」
「い、イエスサーッ‼︎」
レナードの言葉に、引きつっていた表情を引き締めた戦士達は、再び滑車をガリガリと回して弓弦を引く。
「我が魔法に続けェ! サイクロンッ!」
「フレイマッ!」
レナードがそう叫ぶと同時に──スティリアの手からは炎が、そして各方面からは一斉に複数の魔法が放たれた。
最初に、大竜巻がヴォルトプスの全身を覆った。黒霧を巻き込み舞い上げていった。
「うへぇ……無詠唱魔法っスか。詠唱分を魔力で肩代わりとかなかなか短期決戦したがってるみたいっスけど──」
竜巻が窄み、山から根のように垂れた触手が不自然な形で歪み、捻れ、荒々しく揺らめく。魔獣は、前進する事を止め、甲羅の中へと触手をしまい出した。
「──効果はあったみたいっスね」
果たして……霧は晴れた。空に山脈だけを残したその怪物に──最初に大岩が複数、怪物の甲羅である銀の山に当たる。岩はガラス玉の如くあっさりと砕け散ったが、次いでそこに水がかかり、更に追い打ちをかけるように雷が走る。
『フシュゥ……』
初めて、息つくように……濡れた外殻を走る雷がバチバチと音を鳴らす中、呼吸音をその甲羅の中から響かせた。
同時に──甲羅の山と、触手をしまったその裏手から、再び黒い霧を吹き出した。黒霧は……再びヴォルトプスの周囲に渦巻きだす。
そこへ風が炎を運び、そのまま怪物の甲羅の裏手に渦巻いて集まりだす。そして──真紅に染まった炎が、チカリと小さな明かりを放った時、
「グッヌゥ……⁉︎」
「きゃあッ⁉︎」
「うぉおっ⁉︎」
大爆発が発生した。怪物の体を飲み込み、その姿を紅蓮の炎で覆った。周囲は爆風を伴った灼熱の大熱波に襲われ、一同ジワリと額から汗を流した。
「やった、の……?」
手で押さえていた、バタバタと揺れる髪が落ち着きを見せた頃……スティリアはそう呟きながらにして、爆煙の残る空を見つめる全ての者が固唾を飲んだ時──それは姿を現した。
「そんな……⁉︎」
「無傷かよ……⁉︎」
結論から言えば、ヴォルトプスは無傷だった。再び黒い霧を球状に纏った闇の王は、傷一つない黒と緑の触手を捩り捩りと動かし、悠然と王者の如き冷静さを見せ、再び進軍を開始した。
「どうしろって言うのさ……」
「逃げるっスか……?」
「アンタじゃないけど……できるなら、そうしたいね」
マルクの現実逃避な提案をあっさりと承諾しようとする程に、キャロルは珍しく気弱だった。レナードがキャロルの肩をガッシリと掴むと、その肩はビクリと跳ね上がった。
「しっかりしろ! コイツを放っておけばどのみち人の住まう場所などなくなるッ!」
「…………無理だよ、あんなの……」
鋭いレナードの眼差しから目を逸らしたキャロルは、怪物の通った道を見る。
黒い霧は逃げようとした動物達を麻痺させ、降り注ぐ黒い雨は岩すらも溶かしていっている。
「キャロ──」
スティリアが声をかけようとした時……レナードの手のひらがキャロルの頰を叩き、乾いた音を響かせた。




