第十七話 ーギルドマスター①ー
ある一室で、ルエインは目を覚ます。上等な赤を基調としたベッドで寝ていたルエインは、その上体を起こし、周囲の様子を伺う。
白い壁。床は黒い大理石で作られており、ベージュのカーペットが敷かれている。照明の為か、部屋の天井から一つだけ。そのまま天井に口元を取り付けたような丸フラスコの中では、光球がピカピカと光っている。
「ここは……」
光の差している窓の外に視線を向けるルエイン。視線の先には美しい白石の壁。およそ自然にできたとは思えないほど綺麗な正方形や長方形の石がくり抜かれ、そこかしこに窓がある。
その窓下には、高所だと言うのに水路が通っており、窓枠に置かれた植木鉢から咲く黄色や赤い花が、味気ない石造りの景色に彩りを添えていた。
そのままベッドから抜けようと脚を動かしたルエインは、ここでようやく気付いたようだった。視線の行先で考えるならば服が黒いコートから白い白衣に変わっていた事に、ではないだろう。
その目の行く末を辿ると、そこには質素な作りの椅子に座りながらにして、ルエインの体を覆う毛布に突っ伏してやや苦しげに表情を歪めて眠っていた。
「スティア……無事だったか」
どこか安堵したかのように、ルエインは口元を少し綻ばせる。毛布の上に藍色の髪を散らして無防備に眠る少女の頭へ、ルエインは手を伸ばそうとして止めた。
「…………」
無言のままにその手を戻し、自身の手のひらを見つめたルエイン。そして数秒経過したところで、その手を握りしめる。
「……結局、また泣かせてしまったか」
皮膚を突き破りそうな勢いで強く握りしめたルエインは、失意故かその瞳を揺らして、静かに目を閉じる。
「う……ん…………」
その言葉に返事をした訳でもなく、スティリアはこめかみに手を当てて、細目を開けながら頭を振るった。
「……怪我はないか?」
「──ッ! ルエ、イン……⁉︎」
目を丸くしたスティリアは、そのまま固まる。ルエインが数秒スティリアへと視線を送って数秒。ルエインが静かに瞬きをした直後、スティリアの頰を伝った涙が、毛布へ落ちた。
「──!」
ギョッとしたかのように。視線だけを狼狽させながら、今度はルエインが固まった。寸秒の後、ルエインが手を彷徨わせていると、スティリアが飛びつく。ルエインはそれを抱きとめようとして、やめた。
「死んじゃうかと、思った……。一週間も、目を覚まさないから……このまま、死んじゃうのかと思っちゃった……」
「…………すまない」
言葉を探すかのように目を伏せていたルエインだったが、出てきた言葉はたった四文字の謝罪の言葉。会話にならない会話だったが、スティリアは気に留めない。
「治療魔法が効きづらいから長期治療になって……わたしも、覚えて、あなたに施術していたけれど…………」
涙声で、言葉を詰まらせながら話すスティリアに、ルエインは今度こそその手を肩に置く。
「落ち着け。俺も尋ねたい事がある」
「ごめん、なさい……」
……スティリアの謝罪からしばらく。室内に響く嗚咽をしばらく聞いていたルエインと、泣き止んだスティリアとが、静かに言葉を交わし合っていった。
せ
「──そうか、テレシアも無事だったか」
「うん……。ルエインと違って、魔法が少しずつ効くようになって目を覚ましたんだけど……お腹が空いたから、ってずっと眠ってるの」
「……ヤツらしい」
ルエインは、フッと微笑をこぼす。スティリアもふふっと小さく微笑みながら、まだ濡れている目元を人差し指で擦って、涙を拭った。
「連れてこよっか?」
「いや、構わない」
後で行く。と静かに首を横に振ったルエインに、スティリアは「そっか」と小さく笑う。
「そういえば、新しく魔法を覚えたのか?」
「えっと、その……うん。とりあえずは、回復できる魔法を。レイチェルにはマルクさんとポーションだとかの魔道具の作成をお願いしてるわ」
スティリアの言葉に、ルエインはゆっくりと俯く。
「……そうか。迷惑をかけたな」
「ううん、わたしの方こそ。逃げろって言われたのに、戻っちゃって……」
──と、スティリアが顔を伏せたその時。木製扉の奥……。部屋の外からコツコツと石床を靴底で叩くような音に加えて、小声で何かを言い争うような声が響いてくる。それは、ルエイン達のいる部屋の前で止まり、扉のドアノブが乱暴にガチャンと音を立てながら回された。
「おい、待たないか! まだ起きていないんだぞッ」
「あー、うっさいうっさい。邪魔するぞ」
無遠慮に、二人の男女が室内へと入り込む。レナードと、ヴァレリだ。ヴァレリの指先には無抵抗にプラプラと揺れるテレシアが摘み上げられている。
「なんじゃ、起きとるじゃないか」
「ヴァレリウス、か……」
フンッ。と不機嫌そうに鼻を鳴らしたヴァレリは、乱暴にテレシアをルエインへ向けて投げ捨てた。
テレシアは着地の姿勢を取ることもバランスを取ろうとすることもなく、綺麗な放物線を描きながら、慌てていたスティリアの膨よかな胸元で抱きとめられた。
「……おい」
ルエインは自身の相棒を投げられた為だろう。しかし、何故か不機嫌そうなヴァレリの声が、ルエインの声とがほぼ同時に。……乾いた声と嗄れた声が綺麗に重なり、ルエインは思わず面食らったように目を丸くした。対して、ヴァレリは物怖じする事なく、極めて冷静に、
「なんじゃオヌシ、あんなのに苦戦しおってからに。災害級の魔獣とは言えただの虫じゃろ。そこの碌に魔法も使えん小娘に足でも引っ張られたか?」
「……ッ!」
捲し立てるように、言い放つ。その言葉はルエインよりもスティリアに響いたようで、テレシアを捕まえて安堵していたスティリアの瞳は、悲しげに揺れた。
「スティアは……関係ない」
ルエインは静かながらもスティリアの名誉の為か、力強く主張する。……しかし、その視界の外でスティリアが、テレシアの長い毛を強く握りしめている事までは見えていなかった。
「ふむ、そうか。オヌシも……そこの老いぼれも。自分の力が足りぬのを認める訳か。それでいて悔しげもなくベッドでゆっくりとお話ししていたとは余程面の皮が厚いと見えるが」
「……ッ!」
スティリアはもちろん、ルエインも……レナードですら苦々しげにヴァレリから視線を逸らした。そんな中、ヴァレリは「まあ」と小さく呟き、
「一番情けないのはこの国の連中じゃがな。ここにおるのはわっちを含めて皆々が他国から足を運んだ者じゃ。そういう組織とは言えども、自らの手で何とかしてやろうとは思わぬものかね?」
ヴァレリは「それはさておくとして」と続けていく。
「そんな情けないヤツらの元へわっちが何故わざわざ訪ねてきたのか分かるかえ?」
「……なんだ?」
ヴァレリが試すようにしてそう言うと、ルエインは怪訝な表情を浮かべて尋ね返す。銀髪の美女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ルエインが横になっているベッドへとツカツカと歩み寄る。
「なんと、あろう事かッ! ここのギルドマスターは、ワシがあっさりと倒したあの虫ケラの姿が目撃例と色が異なっておるから報酬を払えん、などと抜かしておるのだ! 記憶を覗く魔法は機兵族には効力を発揮せんし、商人は最初から最後まで伸びてた役立たずだと言うではないか! そこの小娘は覚えてはいるがオヌシが目覚めるまで動かぬと言って聞かなかった。わっちも旧知の仲であるルエインの身が心配な気持ちが、塵の山ほどはあったが一週間じゃぞ⁉︎ 我慢ならずに引きずってでも連れて行こうとここへ来た訳じゃ──とどのつまり! わっちは金が欲しい! 手早く!」
言葉を並べ立てるように饒舌に。思いの内を全て語り尽くしたのか、ヴァレリは最後に隠す気もないと言わんばかりに、建前から一転して明け透けと欲望のまま……その心の内にしまっていた本音を曝け出した。
スティリア以上に豊満な胸を張り、ムスーッと頰を膨らませている。不機嫌な理由はこれだったようだ。
「……やはりお前は相変わらずだな」
「当然じゃッ。わっちは祖国であるフォルキマノフ帝国の資金繰りに忙しいからの!」
グッと握りしめた拳を目の高さまで持ち上げたヴァレリの瞳は、従来の紅い色とは別の意味で真っ赤な炎のように揺れていた。
「それもこれも愚妹の為……! 当の本人に嫌われておっても仕送りをする健気な乙女……可哀想じゃと思わんかッ⁉︎」
腕を振るい、一同に問いかけたヴァレリだったが、レナードですら目を逸らした。冷や汗を流す全員の表情は、「お前のそういうところが嫌われてる理由だろ」と書かれている。
「なんじゃオヌシらその顔は」
「い、いえ……」
「別に」
「何でもないですぞ」
考えている事が同じだった為だろうか。スティリア、ルエイン、レナードは見事に言葉を紡ぎ合わせて答えた。
「心なしか動揺の色が見て取れるな? ……まあ良い」
「良いんだ……」
呆れ気味に冷や汗を流したスティリアの言葉はヴァレリに届かなかったのか、ヴァレリはその身を翻して、ルエイン達へと背を向けた。
「行くぞ!」
「……藪から棒になんだ?」
脈絡のない言動の数々に、ルエインもウンザリだと言わんばかりに呆れた声を上げる。
対するヴァレリは「お前は馬鹿か」と言いたげな表情のまま振り返ると、その視線をルエインへと向けた。
「無論の事……今こそ、ギルドマスターに直談判の時! さーあ、参ろうぞ皆の者! いざぁ……出陣の時ィーッ!」
「お、おー……」
「…………」
一人だけ温度差の違う状況に一同苦笑を浮かべていたが、元々生真面目な一面のあるスティリアだけがテレシアを片手に静かに右腕を上げた後、ルエインとレナードが無反応だった事に気付いて、恥ずかしそうにサッと手を下ろした。しかし──
「おーう、ノリが良いのうオヌシはッ。ほれほれ、わっちが頭を撫でてやるぞ?」
「け、結構です……」
目の端でそれを捉えたのか、ズカズカと歩み寄ってきたヴァレリに対して、スティリアは顔をサッと背ける。
「遠慮するでない……わっちと、愛を育まぬか?」
スティリアの顎に指を掛け、クイッとその顔を上げさせたヴァレリに、
「いいです」
心底冷めた表情で。スティリアはテレシアを抱える力をギュッと強めて、ヴァレリへと拒絶の視線を送っていた。
「なんと……オヌシもわっちを嫌うと言うのか? わっちはなんて可哀想な乙女なんじゃろうか……」
よよよ。と、言いながら横に脚を揃えて座り込み、片腕で上体を支えてつつもう片方の手で流れてもいない涙を拭う仕草をしてみせるヴァレリに、一同は小さくため息をついた。
(疲れる……)
スティリアは、心底うんざりしたようにそう思った。
そんな彼女が見回してみれば、全員似たような顔をしている。そんな中、
「スティア」
「えっ⁉︎ う、うん。どうしたの?」
声を掛けられると思っていなかったのか。思わず声高い返事をしたスティリアが、ビクりと肩を跳ね上げて、声の主であるルエインへと向き直る。
「テレシアを。神力を食わせる。戦うのも話すのも……コイツの相手をするのは疲れる」
言わんとする事の全てを感じ取ったのか、スティリアは苦笑を浮かべながら、ルエインへとテレシアを花束の渡すが如く差し伸べたのだった。




