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第十六話 ー砂上の巨艦②ー

 差し迫った竜巻を、蜘蛛の胴体部が食らいつこうとしたが……接触と同時に、鈍い金属音が響く。


「効かない、のか……」


 その体を削る事はなかったが、厳密に言えば効果はあった。しかし、それは一時しのぎに過ぎなかったどころか、ここが砂漠でなければ地形は崩壊していただろう。

 竜巻は遥か彼方まで飛び去り、蜘蛛の体は一瞬アーチを作ったかと思うと、その衝撃で仰け反り、ムカデの体は衝撃を逃す為か、すじもじりにその身を動かし、周囲の砂丘全てを吹き飛ばしていく。


 一方で、ルエイン達の左奥地……爆発にも似た勢いで砂を巻き上げるヲンビルスの背後にいたレイチェルは、髪と瞳を緑色に染め上げながら、俊敏な動きで砂上を駆け抜けている。およそ人間とは思えない速度で疾走していた為、その風圧をまともに受けていたマルクは「アバババババッ⁉︎」と、言葉にならない声を発しながら、その脇に抱えられている。


『……どうすればいいでしょうか、マスター』


 攻めあぐねていたレイチェルは、小さくそう呟いた。もちろん、距離の離れた先にいるそのマスター……スティリアにそんな小さな声など届くはずもない。砂上を跳んで移動を続けるレイチェルは困惑した表情を浮かべていた。


『今は……マスターの命令を遵守じゅんしゅする』


 レイチェルはマルクを抱えて、蠢く砂上を飛び跳ねて、更に大きく巨虫ヲンビルスから距離を離す。

 ヲンビルスはそんなレイチェルに反応する事もなく、その巨大な体で砂と一緒に石畳をまくし上げていき、とうとう砂嵐を巻き起こして倒れ込んだ。


 周囲には砂の雨が降り注ぎ、その怪物は砂塵の中へと姿をくらました。周囲を地震と地響きが支配する中、ルエインは身構えたまま動かない。


『……油断すんなや』

「動けば地を揺らす……そんなもの、しようがない」


 言いながらにしてチラリと、ルエインは視線を背後へ向ける。地震でけたのか、スティリアは四つん這いになりながらも進んでいく。


「……それでいい」


 小さく、ルエインがそう呟いた時。揺れが一層激しくなった。ルエインがハッと振り返ると、巨大なムカデの尾が、無数に存在する節足を忙しなく動かし、ルエイン達へ向けて差し迫って来ていた。


「──ッ! やる、か……?」

『あんた神力どんだけあんの?』


 ルエインが刀を頭上に持ち上げようとした時、テレシアがそう尋ねる。


「以前よりは、ある」

『よっしゃ、ほなやり』

「いけるな?」

『誰に言うてんの』


 テレシアの言葉に「そうだな」と短い返事をしたルエインは、その頭上に刀を持ち上げ、一刀両断をするかのように構えた。

 そして、ゆるりと──。その刀身で斜めに、二つほどの円を描いたかと思うと、ルエインは緩やかに見えるほど……しかし実際には神速を超える剣閃を残して、刃を振るった。


零式ぜろしき神塵万衝こうじんばんしょう


 パックリと開いた傷から血があふれ出るように。青白い軌跡は圧縮した筋肉が膨らむかのように広がり、光の奔流ほんりゅうを生み出した。


「──! あれは……⁉︎」


 突如として砂を打ち払う神々しい光と、ビリビリと肌を刺すようなヲンビルスの振動とは別の微細な揺れに、スティリアは振り返る。そして、ルエインの元へと駆け出す。その顔は不安や悲しみ、様々な感情が複雑に入り混じって、その瞳を揺らしていた。


 青光の波は、砂すらも砕いてその巨虫の尾に迫る。それに気付いたのか気付いていないのか……ヲンビルスは、歩行を開始した。


「──ッ!」

『だい、丈夫……。あの位置なら当たるはず、や』

「フゥ……そうだな」


 砂上に刃を突き立て、刀を杖代わりに片膝をつきながら、肩で呼吸をしていたルエインは苦々しい顔をしていたが、テレシアの言葉に冷静さを取り戻す。


「ルエインッ‼︎」

「スティ……ア?」

『何してん⁉︎』


 声に反応して。ルエインが振り返ると、よろよろと覚束ない足取りで、スティリアは歩み寄ってきていた。


「あぐっ……!」

「グッ……‼︎」


 スティリアがヲンビルスが起こしている振動に足を取られて倒れそうになるのを、ルエインは抱きとめた。しかし、たった一度の大技を放っただけで、ルエインの体は限界だった。

 握った刀は砂から抜けて飛び出し、ルエインはスティリアと共に砂上へと転げる。ルエインは起き上がろうとしたスティリアに、戸惑い半分怒り半分の表情で、


「なぜ戻ってきたッ⁉︎ 死ぬかもしれないんだぞ!」

「だって!」


 叫んだ。しかし、スティリアは動じずに、


「貴方も……死ぬかもしれないじゃないッ‼︎」

「……ッ!」


 起き上がったスティリアに、ルエインは動揺した。その顔は涙で濡れ、声は隠しようがない程に震えつつも……とても、力強かった。

 ルエインは気圧されたのだ。その瞳孔は大きく見開かれ、一目に見てそれが分かるほどに。


『〜〜ッ! ええからはよ起きや! こっち見とるぞ!』


 すすくスティリアをその胸に抱き寄せながら、ルエインは上体を起こした。そして、鎌首をもたげていたヲンビルスへと向き直る。

 以前は巨大に見えたその光の波も、その長大な身躯を前にすれば、同程度の大きさしかない。


 果たして、蜘蛛の体躯から生える八本の脚をギチギチと動かし、やがて波へと飛び込んだ。

 バギバギと。鈍く耳障りの悪い音だけを鳴らし、ムカデの体をくねらせながら、光の奔流ほんりゅうへと潜っていく。やがて──


「──ッ! これも、無傷なのか……」

「そんな……⁉︎」


 その姿を現した。ルエインは思わず苦笑を浮かべ、スティリアは口元に手を当てて、息を飲んだ。

 ヲンビルスは、無傷ではない。極彩色の背中の毛は消え去り、下の体を覆っていた灰色の甲殻が、その姿を現していた。しかし、その巨躯きょくを支えている脚の一本すらげていなかった。そんな中──


『いや、見てみ! 無傷やないぞ!』


 テレシアの叫び。ルエインは目を凝らして、巨虫きょちゅうの体を注視する。すると、ヲンビルスの体躯を覆う装甲は、ボロボロとその破片を撒き散らし、落としていた。巨虫は体中に亀裂を走らせており、動くたびに装甲を崩していた。自身の体が発生させる地震が、ヲンビルスの体を覆う装甲を崩した。すると、その奥から乳白色の体が姿を現わす。

 ……巨虫は、不思議そうに蜘蛛の体を傾けて体を身動ぎさせ、忙しなく脚を動かしたかと思うと、


『ギィィイイイイイイイイイッ‼︎』

「〜〜ッ⁉︎」

『なん⁉︎ やねん……ッ』


 ヲンビルスは、大気を伝って砂地すなじを震わせ、ビリビリと。ルエインとスティリアが苦しげな表情で耳を塞ぎ、ルエインの手からするりと刀として落ちたテレシアが、思わず変化へんげを解くほどに凄まじい超音波を鳴り響かせた。


 その後、ヲンビルスはカチカチと牙を鳴らして後、一度その動きを止める。呆然ぼうぜんとしているのか、ダメージを受けてひるんでいるのか。それは定かではなかったが、その答えはすぐに見つかる。


 今までのような荒々しい動きではなく、ゆっくりと、ヒタリヒタリと動かす巨脚のみが、ヲンビルスの心情を物語っていた。

 恐らく初めてその身を外に晒したであろうヲンビルスは、慎重になっていたのだ。身構え……どこからの攻撃にも備えている。誰の目に見てもそう取れるほど、緩やかで隙のない動きをしている。


「んっ……うぅ……っ」

「…………クッ……うっ」


 スティリアとルエインは、頭を抱えながらゆっくりと立ち上がろうとするが、フラついて砂上に伏する。

 立ち上がる事が困難な程、三半規管へのダメージによる眩暈めまいを起こしている事は明らかだった。テレシアに至っては身動き一つできずに気絶している。


「テレ、シア……」


 ルエインは近くにいたテレシアを抱き寄せると、その名を呼ぶ。しかし、反応はしない。──テレシアは。

 二人の声に反応してか、ヲンビルスはようやく以って動き出した。体の節々に並ぶようにして生えている脚が、一斉にワラワラと動き出したかと思うと、体表が熱を帯びたように真っ赤に染まり上がり、体中から煙を吹き上げた。

 やがて、赤く染まった体は間も無く黒色へと色を変えていき、新しい甲殻が出来上がった。


「やだ……来ないで……」

「スティ、ア……!」


 先ほどと打って変わって、ゆっくりと距離を詰め出したスティリアは思わず声を上げる。二つの黒が白を抱え、砂上で身を丸めたところへ、白い装甲を見に纏った緑色の髪の少女が舞い降りた。


『マスターッ‼︎』


 レイチェルがそう声を荒げた途端──巨虫はビクりと体を跳ねさせ、動きを止めると、少しずつうねった体を少しだけ後退させた。

 レイチェルは、マルクを砂上に置き捨てると足早にスティリアへと駆け寄った。


『マスター! マスターッ‼︎』

「レイチェル、逃げて……」

『イヤですッ! その命令は……聞けません……! ──! 聴覚を損傷してます、すぐに逃げましょう。今お連れしま──⁉︎」


 レイチェルが、初めて自分の意思で『命令』に逆らい、自らの意思を示そうとした時。……巨虫ヲンビルスは意を決したかのように動き出した。地震と地響き、そして砂塵を巻き上げながら、黒色に染まった甲殻虫は砂上を這う。

 レイチェルはスティリアの肩に回そうとしていた動きを中断して静かに降ろすと、髪と目の色を茶色く変色させた。


『魔装多重展開ッ!』


 いつになく声を荒げているレイチェルが、叫ぶようにしてそう呟くと、鉄のドームが幾数十もの数が重なり、強固な障壁を作った。

 レイチェルの体から溢れた茶色く光る粒子──魔素のみが照らす暗闇の中に、凄まじい揺れと轟音が響く。


『グッ……うぅッ!』


 体が機械とは言え、意思伝達ができるだけの聴力は備わっている。レイチェルが眩暈めまいを起こす事はなかったが、苦しげな表情を浮かべたのは、この先の|顛末をおおよそ理解していたからだろう。


 メキメキと悲鳴を上げている鉄球を、外ではヲンビルスがくわえ上げ、蜘蛛の頭部にある一際大きな大顎の牙で、鉄の塊を噛み砕こうとしている。そして一枚ずつ、バキりと音を立てながら、剥がれ落ちていく。


『……ッ! このままでは、マスターが……‼︎』


 レイチェルは、困惑した。頰に汗を伝わせ、苦悩に満ち足りたその顔は、人間となんら変わりはしなかった。

 しかし、そんなレイチェルの成長を祝う訳でもなく、巨虫は苛立つ為か力を込める為か。忙しなく無数の脚を動かしながら、また一枚と鉄を裂く。

 とうとうレイチェル達を守る障壁に牙が突き刺さり、鉄球は大きく歪んだ。どこかに穴が空いたのか、レイチェル達のいる足場の砂が、微量ながらも減っていく。


『どう、して……ッ‼︎』


 レイチェルが自分の無力さにか、はたまた動く災害に出会った事を嘆いてか。少女さながらに泣き出しそうな顔になった時。


『──ッ!』


 鉄球は、真っ二つに割れた。幸いにして、大顎の内側……ヲンビルスの胴体部の裂けた口元からは離れていたが、中に入っていた砂と共に、レイチェル達はヲンビルスの口先の手前から、砂上へと落下していく。


『マスター……すみません……ごめん、なさい……』


 レイチェルは泣いていた。悔しげに下唇を噛み、大粒の涙を空中へ置き去りにして。届かない手をスティリアへと伸ばした。

 気絶しているのか、スティリアはもちろんルエインやテレシア、マルク達全員が、無抵抗に落ちていく。


「アエルレクトゥスッ!」


 ──その時、掠れ気味の老人の声が響いた。落下していたルエイン達はふわりと見えない水に落ちたかのように落下の勢いを殺し、レイチェルは驚愕の表情を浮かべた。

 レイチェルが周囲を見回すと、そこにいたのは白髪に燕尾服姿の老人と……赤いコートを纏う銀髪の女がいた。


「貴殿と組むとは思いもよりませんでしたが……後はお頼みしますぞ、ヴァレリウス殿!」

「クフッ。昼間でなければお主みたいな戦力の低い老いぼれもいらんかったがなあ……。レナード殿」


 そこにいたのは……青水晶の槍を携えたヴァレリとレナードという、異色の組み合わせだった。


「さて、動けん其奴そやつらは邪魔じゃ。今回は運び屋らしく齷齪あくせくと、隅っこで働いておれ」

「……ッ! 感謝致しますぞ!」


 魔法の力を使い、そのままレイチェル達一同とヴァレリから離れるレナード。その表情はどこか悔しげだった。


「さて」


 ヴァレリはこの巨大な黒色の甲殻虫を、恐れる事もなく冷ややかな視線で見据える。


「オイタが過ぎたみたいじゃて、わっちのようなもんに狩られるんじゃよ」


 ヴァレリは、カチカチと牙を鳴らして異変を察知したヴァレリへと顔を向けた。これにも動じないヴァレリは「まあ、儲け話は嬉しいがの」と小さく呟くと、


「では……参ろうか」


 と続け、槍を投擲とうてきする構えを取った。


「散り行け、インフィニティ」


 言葉と、共に。ヴァレリは襲いかかってきたヲンビルスの開いた口へ向けて、果たしてその槍を投げ付けた。

 槍は寸分の狂いもなくヲンビルスの口内へ向かい、途中で粉々に砕け散ってその中へと入り込んだ。……その刹那。ヲンビルスの動きがピタリと止まったかと思った次の瞬間──


またたけ、刀膨大星とうぼうたいせい……」


 ヴァレリの呟きが静かに響いた。直後、ヲンビルスの口内からは無数の巨大な棘が飛び出してきた。それは、ヲンビルスの固い甲殻を割って突き出し、まるで伝染していくかのように蜘蛛の体だけでなく、その巨虫のムカデの体まで突き破って凄まじい勢いで青い血飛沫が舞い、花開くように青水晶の刃が飛び出していった。

 やがて、砂丘が崩れた事によって見えていた尾までそのトゲが突き破ると、ヲンビルスは力無くこうべを垂れ、そのままヴァレリの目前で砂に頭を突っ込んだ。


「ブフッ! ぺっ、ぺっ。……だからこの国は嫌いなんじゃ……」


 規格外の巨虫が舞い上げた砂をもろにかぶったヴァレリは、忌々しげにそう呟いた。ヲンビルスの体は砂に変わっていき、崩れ去った後には金平糖にも似た、巨大でトゲトゲしい青水晶だけが残った。

 しかし、その青水晶もパキりと音を立てて、目に見えないほど微細な結晶へと姿を変えて、消え去っていく。

 身体中の砂を払い終えたヴァレリは、最後に取っていた帽子を被り、ヲンビルスの頭部があった場所へと手を伸ばす。


「戻れ、インフィニティ」


 スイッと。浮かび上がった青く半透明な三叉槍さんさそうは、乗っていた砂を払い落とすように水平に動き、ヴァレリの手中へと収まった。


「ふむ。やはり虫ケラの相手は好かん。心無しか青臭く感じるわい」


 クルクルと槍を回し、ヴァレリは振るう。風圧に負けるかのように粉々に散った槍は、欠片かけら残さず……まるで手品のように消え去った。

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