第十五話 ーアイオライト山脈の怪鳥②ー
白い鷲の頭と足と翼。獅子の体と細長く垂れる尾。巨大な翼に見合う巨体を引っさげて、それは一羽のハーピィと共に。突風を巻き起こしながら舞い降りてきた。
嘴と趾は黄金色に輝き、琥珀色の眼光を光らせながらルエイン達を睨みつけ、それは大きな嘴を開いた。
『我が眷属に危害を加えたな? 人間風情が』
「──! 喋ったっス⁉︎」
マルクは巨大な怪鳥が人語を理解して話した事に、驚きの声を上げる。見慣れないのか、その目は動揺の色を隠せていない。
『お前も喋っている、我が喋って何の不思議があろうか。人間風情にできる事で我にできぬ事など、あるワケがないだろう』
首を持ち上げ、その巨体とは関係なく一同を見下す怪鳥。レイチェルがそれに反応して駆け出す。
「レイチェル!」
『躾のなっておらぬ犬だ、頭が高い』
怪鳥は、スティリアの声にも顔色一つ変えずに、その巨翼をはためかせる。すると、強烈な突風が吹き荒れ、レイチェルの小さく華奢な体は、いとも容易く吹き飛ばされた。
──しかし、先回りしていたルエインが、レイチェルの体をしっかりと受け止める。チラリとルエインの顔を覗き込んだレイチェルは、何も言わずにそのまま起き上がった。
ルエインも、レイチェルを受け止めるべくして岩盤に突き立てていた刀を抜き、怪鳥へと向き直った。
「グリフォン。先に手を出してきたのはお前の眷属達だ。俺たちは自己防衛をしたに過ぎない」
「ぐぐ、ぐ、グリフォンっスか⁉︎」
グリフォン。そう呼ばれた怪鳥は、驚くマルクの声など意にも介さず、不機嫌そうに鼻を鳴らして顎を逸らした。
『我が名を知る者か……。しかし男よ、それは人間が得意とする所の詭弁ではないのか? 我々の餌場に先に足を踏み入れたのは貴様らだ。我らが庭と定めた場所で我らが何をしようが……それは我らの自由ではないか?」
「…………それこそ詭弁だろう」
「何……?」
畳み掛けるようにして言葉を並べ立てたグリフォンに、ルエインは呆れたようにため息をつき、そう言い返す。
すると、グリフォンは鋭く目を光らせた。
「お前たちは一つ処に留まる者達ではない。所謂〝渡り〟と呼ばれる種だ。そして、昨日この峠を無事に渡り終えた者達がいる。襲われた様子もない彼らから察するに、お前達がこの場を訪れたのは昨晩の内か……今日だ。ここはひとつ運がなかったと見逃してはくれまいか?」
『ふむ……少しばかりは知恵が回るようだ。だが……それは我らの領域に踏み入れていい理由には──』
グリフォンがそう言いかけた時……一羽のハーピィが、グリフォンの近くまで舞い降りた。視線をそちらへ向けたグリフォンは、語りかけるハーピィに頭を傾け、少し目を見開く。
その後、耳打ちをしたであろうハーピィは、近くでぐったりと地に伏せたハーピィまで近寄ると、その両肩を趾でガッシリと掴み上げ、そのまま空高くへ舞い上がった。
その様子を見届けたグリフォンは、しばらく目を閉じたかと思うと、ルエインへとその琥珀色の視線を突き刺した。
『貴様、男だが戦神族か。面倒な奴だ。……今回は捨て置く。それに、彼女らからこの地で奇妙な生き物を空より見かけたという話も受けた。我々は早急にこの地を去るとする』
言いながらにして、その獅子の巨体を持つ鷲のは、天を貫くように翼を広げると、そのまま強風を巻き起こしながら羽ばたき始めた。
「えらく親切だな」
『……彼女も命を奪われた訳ではない。そのぶんの礼だと思え』
ここまで強張った顔をしてグリフォンを見つめていたスティリアは、強風で揺れる髪の向こう側……グリフォンのこの言葉でハッとする。
やがて、グリフォンが遙か上空でしばらく滞空したかと思うと、辛そうに滞空をしていた同胞を抱えた一羽のハーピィが、ルエイン達の元へと舞い降りてきた。
「……なんだ?」
『オマエら、メンドウ、ミロ。オトウサマ、アトデ、クル。』
拙い言葉と気絶する仲間だけを残して、童顔の女鳥人はどこか困ったように空を見上げると、グリフォンの元へと飛び立ち、群れに加わると共に去った。
「…………グリフォンって、風を自在に操る伝説級の魔獣っスよ? よく言い合えたっスね……?」
過ぎ去った嵐のような一団。マルクは恐る恐ると震える声色で、そう呟いた。ルエインは、冷や汗を搔きながら、小さくため息をつく。
「一度、グリフォンの話を聞いたことがある。いつかに戦乙女の隠れ里に訪れた事があったらしい。知恵の回るヤツ……という話だ。話し合いで押されていたなら、今ここは風と岩の荒れ狂う戦場と化していただろう」
「オイラの愛馬達がミンチになってるとこ想像しちゃったっス……」
マルクが苦い表情でそう言った時、ルエインは「そういえば……」と続けた。
「グリフォンは雄の馬は食い殺し、雌の馬は色事を目的として攫うらしい」
「…………ルエインさんってなんでたまに、こう──配慮に欠けた発言するんスか⁉︎」
涙声になりながら、マルクはそう訴えかけた。ルエインが一言「すまない」と返しているところへ、
「ルエイン、この子……結構衰弱してるみたい」
「…………そういえば、預けられたな」
スティリアが介抱しているハーピィは、痙攣こそしていなかったが、目を閉じてぐったりとしていた。
隣でレイチェルが、やや不服そうに小さく頰を膨らませている。
「そこの穴蔵で休もう。マルク、馬を先に入れてくれ」
「ん? ここで一日過ごすっスか?」
ルエインの提案に、マルクはどこか不満げにそう尋ねてきた。
「もしこの娘に何かあればグリフォンと戦う事は必須。……ヤツも、そのつもりで預けたのだろう」
「やります! やるっス! オイラの馬は渡さないっス! ささっ、行くっスよ。オイラの嫁達……グフッ」
狂気に満ちた目で馬達を小さな洞窟の奥へと連れて行くマルク。もちろん奇妙な動物を見るような視線を一同は送っていた。
***
………それから、しばらく。日が傾き、空が黄昏に染まる頃。女の鳥人は目を覚ました。
それと同時に警戒一色で、介抱していたスティリアからも距離を取る。
『グルルルゥ……』
「怖がらせちゃったかな……?」
「どうだろうな」
ルエインは、言いながらにして焚き火の前で干し肉を食べた。すると、ハーピィはぼたぼたと小さな口元から唾液を垂らしてルエインの傍らに置いてある肉詰めの大瓶を注視する。
「お腹が空いてるのかな? ルエイン、一つもらっても大丈夫?」
「……構わない」
ルエインは、拳大の一際大きな肉を手に取ると、歩み寄ってきたスティリアへと手渡した。
「ほら、食べて?」
『ガゥウッ!』
スティリアが戻り、ハーピィはその口元へ運ばれた燻製肉に食らいつくと、香りなどを味わう事もなく一気に飲み込む。
『ゲッウッ』
肉に押されてか、胃に溜まったガスが逆流して大きな噯気となって大気へ溶け込む。涎を際限なく垂らした事に続いて、ハーピィの品のない行為の連続に、一同苦笑を浮かべた。
……そして、与えれば与えるだけ食べたハーピィは、ついにルエインの所持していた肉類を全て平らげてしまった。
「ご……ごめんね、ルエイン。かわいかったからついついあげちゃって。途中から、おかしいなとは思ってたんだけど、その……」
「……構わない」
ハーピィのお腹は、子でも|孕(はら]んだのかと思える程にぷっくらまん丸に膨らんでいた。
『グゲェッ! ……エゥッ』
座り込みながらだらしなく足を伸ばし、翼で腹を叩き、最初よりもずっと長い噯気をした。その顔の野生の鋭さを忘れており、飼いならされた家畜そのものである。
弛んだ表情と姿勢に、マルクが堪え切れないと言わんばかりにルエインへと歩み寄る。
「これ、どうするんスか……? およそ野生で生きてける姿とは思えないっス」
マルクがそう言うのも無理はない。ハーピィの瞳はトロンと夢見心地に溶け入り、そのまま岩盤に大の字で寝そべると、大きなイビキを掻きはじめた。
「…………なるようになるさ」
「そんな無責任な──⁉︎」
「──ッ⁉︎」
マルクが言いかけた時、大きな地震が発生する。
「グリフォンさん、ルエインさんはどうなってもいいんでオイラの馬だけは助けてください……!」
洞窟の天井へと顔を向け、目を閉じたマルクは膝をついて見えない何かに祈りだした。
初期微動をすっ飛ばした主要動のみの地震に、マルクとハーピィを除く全員が警戒態勢に入る。馬の嘶きが洞窟内に残響を残してしばらく。……やがて、地震は唐突に治まった。
「止まった……の?」
『イエス、マスター。現状揺れは観測されません』
スティリアの疑問を、レイチェルが一本調子に答える。ルエインは洞窟の外を警戒しており、我に返ったのか、マルクは馬の元へと駆け出した。
ハーピィはと言えば……変わらず大の字でイビキを掻いて寝ている。
「自然現象でないとは思うが……手負いのじゃじゃ馬を連れて回る方がリスクが高そうだ。みんな、念の為なるべく洞窟の出口付近で寝てくれ」
「うん」
『マスターはお守りします』
「うぃっス!」
『ほな、おやすみさん』
『ンググッ、グガッ』
締まりのないハーピィに、一同は苦笑する。結局持ち上げられなかったスティリアに代わって、レイチェルが丸々と太ったその鳥人を運んだが、起きる気配など微塵も見せなかった。
鋭い視線でルエインが焚き火を見つめる中、スティリアがルエインの元へ歩み寄る。
「レイチェルはどうした?」
「ん? 寝てる……とはまた違うけど、リフレッシュ? だって。動作が重くなったとか言ってたけど、わたしには分からないから任せたよ。すぐ終わるらしいから」
開口一番にレイチェルの事を尋ねたルエインに、スティリアはその隣に腰を落とした。
パチパチと燃える緋色と黄金色の炎が巻き上げる煙が、洞窟の外へと流れていく様を、ルエインとスティリアはしばらく見つめる。
「なんか……」
「ん?」
唐突に、スティリアが語りかける。ルエインは視線だけをスティリアへと向けた。
「懐かしい、ね。最初の夜もこうして焚き火を囲んでた」
ふふっ。と笑いかけるスティリアに、ルエインは顔を向けた。
「そう……だったな。スティアを処刑から救って、王国から引き連れ、追っ手を退けた。マルク達と出会い、その後に向かったオルメラルド領で、君が拐われた」
「そうそう。あの時は……ほんとに、怖かった」
苦笑を浮かべていたスティリアは一転して、寂しげな顔をして、天井を見上げた。
「でも……。絶対にルエインが助けてくれるって。信じてたから、ずっと待てた」
「……結局助けに向かったのはレナード達だが、な」
ルエインがそう言うと、スティリアは顔を横に振る。
「関係ないよ。貴方が来てくれた……。ただ、それだけでわたしは嬉しかったし、助かった。……なんて、思っちゃったもの」
口角を上げ、目を細めて微笑むスティリア。ルエインがしばしその顔を見つめたかと思うと、静かに口を開いた。
「あの魔獣……」
「ドレヴァン、だね」
スティリアは目を細めて、懐かしむようにして小さく笑った。ルエインは、言うのを躊躇うように言いかけて口を閉じたが、再びその口を開いた。
「あの一件の後……俺は君に、無理して笑うな、と。誰も泣く事を咎めやしないと言った」
「……うん」
「だが……」
一考するかのように。ルエインは深い瞬きをした。
「果たして今のスティアは本心から笑えているのか? 俺はそう見えているし、そう信じたいがどうだ?」
「分からないけど、たぶん本心。貴方がいてくれるだけで、わたしは……前に進めてる。そんな気が、する」
スティリアは少し悩んだ顔を見せたが、真剣な眼差しで、焚き火へと視線を落とした。
藍色の瞳が、黄金色に輝く。それを見ていたルエインは、静かにその目を閉じた。
「そうか……」
「うん」
パキッと音を立てて、薪の山が崩れる。ガラガラと音を立てて火の中を転がるが、イビキが少し止まっただけで、目を覚ます者などいなかった。
「──疑問も晴れた。そろそろ寝るといい。二つ名持ちもいるとの事だ、抜かりのないように、な。……頼りにしている」
「……! うん、ありがと」
ルエインの言葉に、スティリアは立ち上がる。光を反射して黄色混じりになっていた青いドレスは、再び暗い色に戻る。
しかし、スティリアがルエインへ送った笑顔は、火の光よりも明るかった。
「おやすみ、ルエイン」
「……おやすみ、スティア」
スティリアが去り、ルエインは一人焚き火を見つめる。
「甘さは残っているが、強くなったの……だな」
ルエインのその呟きは巻き上がる煙と共に、風が外へと運んでいった。




