第十五話 ーアイオライト山脈の怪鳥①ー
「それじゃあ、お気をつけて……」
時刻は朝日が昇った頃。小太りした商人は、ゲッソリした顔でルエイン達に別れを告げ、馬車を走らせた。そして、護衛の戦士達だろうか。彼らもまた、どことなく気まずそうな表情のまま、荷台から手を振り返していた。
「いや……レイチェルさんはズルいっスよ」
「情報が得られたんだ、いい事じゃないか」
冷や汗を掻くマルクに、ルエインはしれっとした顔で言い放つ。
「ボードゲームは商人第二の商売道具で、アレで痛い目見たことあったっスけど……さすがにかわいそうっス」
「細かい事を言うな。情報は命を左右する。……確かこの先のアイオライト山脈で二つ名持ちの魔獣を遠目に見たって事だったな」
何故か何もしていなかったはずのマルクが冷や汗を掻いており、そんなマルクを他所にルエインは、目前に迫った青き山脈を見上げながらそう言った。
「……そうっスね、情報は命っス」
それはさておき。と、マルクは続ける。
「二つ名持ちの魔獣は普通の魔獣とは違うっスよ。そもそもオイラ達は今までどうして魔獣が自然に発生してるかは知らなかったっスけど……原因はたぶん、暫定的に考えてあの男だとは思うっス」
あの男。その言葉に、ルエインの耳がピクリと動く。その表情は、どこか複雑な感情が入り混じっている。
「アイツ、か……」
「そっス。まあなんせ魔獣だけでも普通の人では対処できないような奴っスけど、二つ名持ちってなるとドレヴァンほどじゃないにしろ、めんどくさい奴なのは間違いないっスよ」
「……少なくとも同程度に厄介だ、と認識した方が良さそうだな。迂回した方が無難か?」
ルエインの問い掛けに、マルクは「まさか」と返す。
「二つ名持ちを狩ったら報酬がっぽりっスよ? ギルドが長年手を焼いてたドレヴァンもレイチェルとスティアさん、ルエインさんの三人で倒して見せたんス。今度の二つ名持ち……鋼殻桃虫ヲンビルスだったっス? いけるっスよ、余裕綽々……とまではいかないっスかね? でも大きいって話っスけど所詮は虫っス」
「えっ……⁉︎」
スティリアの濁点を含ませたような、嫌悪感たっぷりの声色が響く。見れば普段の黒いドレスと違う、青色のドレスを着ていた。背後にある四本の柱に巻くようにした布の中で、恐らく着替えてきたのだろう。その後ろにはレイチェルが付き従っている。
「虫が、いるの……?」
「…………ああ」
ルエインが頷くと、少し涙目になりながらスティリアは屈み込んだ。
「虫……ダメなの」
「…………そうか」
わなわなと震える声色で、喉の奥から放り出したような涙声のスティリアに、一考する素振りを見せるルエイン。
しかし、苦しげに何かを飲み込むかのようにスティリアは頷くと、そのまま立ち上がって可憐な笑顔でルエインへと向き直る。
「それじゃあ、がんばろっか!」
どう見ても無理して取り繕ったような顔で、スティリアはルエインへ微笑みかけた。口角はヒクつき、瞼も少し痙攣している。その目尻からは涙が溢れてきていた。
「……無理はするな。迂回しよう」
「ううん! わたしの我儘でみんなに迷惑かけたくないから……」
スティリアは顔を左右に振り、必死の視線でルエインへと訴えかけた。ルエインはそんなスティリアをしばらく見つめていたが、やがて目を閉じると、静かに踵を返す。
「分かった。もし見かけたとしても全力を以ってお前を守るとしよう、スティア」
それと……。と、ルエインは続ける。
「そのドレス、似合っているぞ」
「……っ! あ、あぅ……。あ、ありがと。着付けを、レイチェルが手伝ってくれたの」
途端、頰を紅潮させたスティリアがそう言うと、レイチェルはどこか誇らしげな顔をルエインの背へと送った。
それを見届けたテレシアが、肩からルエインへ、
『ほんま、言うようになったやん。どうしたん? ほんまにジゴロでも目指し始めたん?』
「お前はそんなに俺を人でなしにしたいのか、テレシア」
耳打ちをしたテレシアを冷たい声、冷たい視線でギロリと睨みつけるルエイン。テレシアは「おー、怖っ!」と大して恐怖を感じていない声色で、顔の向きをルエインから逸らして明後日の方向を見つめた。
──そして一行は、マルクが馬を一頻り愛でた後、馬車でアイオライト山脈へと足を踏み入れる。
日は直上に昇っていた。山の麓を越えた先の中腹に当たる。馬が辛そうに呼吸を荒げている様を見たマルクは、荷台へと振り返る。
「ちょっと休憩させるっス、旅慣れしてない若い子みたいなんで登り坂で疲れてるっスよ」
「ふむ……少し休もうか」
マルクの提案はあっさりルエインに承諾され、傾斜のない穴蔵の近くで一同は各々の形で休息を取る。
ルエインはテレシアと、スティリアはレイチェルと、マルクは馬と、それぞれ食事をしながら時間を過ごす。
と言ってもテレシアはルエインから放たれた青白い光の靄を食べ、レイチェルはスティリアの手から溢れる黒い靄を額の宝石で受け止めている。これがテレシアとレイチェルの食事風景なのだ。
そしてルエインは干し肉に噛みちぎり、スティリアは干した果実を瓶の中から取り出して食べている。
「これ、クセになるかも……」
小さく呟きながら、スティリアはもう一粒と口へと放る。すると、
『恐れながらマスターに申し上げます。栄養を過剰に摂取しています。それ以上は肥満や内臓疾患に繋がる恐れがあると申告いたします』
「うっ……あ、あと一粒だけ……」
レイチェルの言葉に、手にしていた三つ目の果実を落としたスティリアは、それを発育しきったふくよかな胸で受け止めてみせた。そして、そう言いながらそのまま口に運ぼうとする。
しかし、レイチェルはそれ以降喋らずに、スティリアに対してジッと熱視線を送り続けていた。やがて……数秒の後、
「……大人しく諦めるわ」
『賢明なご判断だと思われます』
ガックリと肩を落とし、泣く泣く干し果実をビンの中へと戻すスティリア。
レイチェルがふふっと笑いかけ、スティリアがため息をついて俯いた数秒の後。目を丸くしながら、スティリアはレイチェルへと振り返った。
「今、笑ってた⁉︎」
『えっと……どう、でしょう?』
尋ねられた事に気を取られてか、スッと無表情に戻ったレイチェル。小首を傾げ、目は左上へと向かう。
「えー! 絶対笑ってたと思ったのに……。レイチェルの笑ってる顔、見たかったなあ……」
『尽力致します。こうですか?』
「…………絶対違うと思う」
スティリアがレイチェルに苦笑を浮かべている中。ルエインはテレシアの頭を撫でながら干し肉を食らっている。
『撫でてくれるとかえらい久々な事やん? ええ事でもあったんか?』
「どうしてお前はそういう物言いしかできないんだ? テレシア」
遠回しに撫でなくてもいい、という言い回しをしているテレシアだったが、撫でられている顔はとても気持ち良さそうに目を細めている。
ルエインが呆れるようにそう言うと、テレシアは「そら、ウチやし?」と常人には理解し難い返し方をする。
「……その一言でこちらが納得してしまうのが、お前と言うヤツだな」
『まっ⁉︎ えらい失礼な‼︎』
ジロリとルエインを睨みあげるテレシアの表情には、大層ご立腹であると書いてある。
ルエインはフッと微笑をこぼすと、そんなテレシアの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「あまり深く気にするな」
『ふんっ……ほなそうしたろかな』
満更でもなさそうにテレシアは鼻を鳴らしてそう言った。
……しかしその数秒後。瞳を閉じて恍惚としていたテレシアの目が、鋭く見開かれた。
『敵やぞ、ルエイン』
「──!」
言いながらにしてルエインの手にしがみついたテレシアを、ルエインは手首で抱えて立ち上がる。テレシアがその手のひらに収まると、真っ白な獣の体は額の青く短い角に吸い込まれ、内より鉄を溢れさせ、刀身のない刀が出来上がった。柄を巻いた白い毛が余った分だけ垂れ下がり、鎺からは刀身が伸びてくる。
……そしてルエインが周囲を見渡せば、すぐに高速で移動する影がその瞳に映った。
「空か! 敵がいるぞ!」
ルエインが声を荒だててスティリアやレイチェル、マルクに視線を送る。見れば既にレイチェルは臨戦態勢に入っており、スティリアはレイチェルの後ろに隠れている。
マルクはと言えば……未だに馬に頬ずりをしていた。
「お前はやればできる子っスよ、ウヘヘ……」
「何をしているんだ、アイツは……」
呆れながらにして、ルエインはマルクの元へ駆け出す。走りながらにしてルエインが上空を見上げると、そこにいたのはの雌の鳥人が五羽ほど。
髪は緋色で長く、肌は浅黒い褐色。肌の露出が激しいが大きく膨らんだ胸元と、腰回りから太ももにかけてが羽毛に覆われている。
しかし中でもやはり特徴的なのが腕の代わりに生えた巨大な翼と、臀部から伸びる三本の細長い尾、肉付きの良い太ももから細くなった足先を包む鱗と、その先の四本の趾だろう。
『ハーピィ、やろなあ』
風に煽られて毛が揺れ動くその刀から、テレシアの声が響く。
「という事は〝アイツ〟がいる可能性も……」
『考えとかんとあかんやろね』
マルクの元へと辿り着いたルエインはその場で立ち止まり、空を見上げて鳥人達へ刀を向ける。
「なな、なんスか──⁉︎ って、ハーピィッ⁉︎」
「ようやく気付いたか」
その内の一羽と目があった。顎元に生える羽毛が歪み、愛らしい童顔に似合わない下卑た笑みを浮かべた。
獲物を見定めたかのように、ハーピィはその場で滞空をしつつ三、四回羽ばたいたかと思うと、一気に急降下を始める。
「壱式・神薙」
ふわりと、緩やかな軌跡を描いてルエインの刀身が、その虚空を斬り払う。斬り払われた軌跡上に青い三日月の刃が現れ、ハーピィへ向かって飛翔する。
『……ッ!』
ハーピィは驚いたかのように、急ぎ羽ばたく事で滑空の勢いを殺し、空高く舞い上がる。
『クォォォォォー‼︎』
刃を避けながらにして、ハーピィは耳を劈くような高い声を、山脈内に木霊させる。反響し合って響き渡る声に、四羽のハーピィ達は顔を見合わせて距離を取る。
「一羽いない……?」
『あそこや』
テレシアの声に、ルエインは周囲へ視線を送る。そして、それはあっさりと見つかる。
スティリアとレイチェルの近くで、その身を覆う電流で麻痺してか、痙攣を繰り返すハーピィが岩盤の上で地に平伏していた。
『そういえばルエイン』
「ん?」
安堵したかのように微笑を浮かべていたルエインに、テレシアが言う。
『基本技の神薙、神楽、神威は言わんでもええわ。この間の負荷のお陰か全然こっちに負担ないでな』
「そうか、分かった」
この間の負荷……とは、飛剣の『神薙』、神速の斬撃『神楽』、全てを断つ『神威』の全てを合わせた奥義である『零式・神塵万衝』の事だろう。
塵も残さず全てを喰らう衝撃波を放ち、それに耐えたテレシアは、より頑丈になっていたようだ。ルエインはフッとほくそ笑む。
『なにわろとんねん』
「いいや、なんでもないさ」
金色の髪を振り、ハーピィへと向き直ろうとした時、
「ルエイン!」
スティリアが合流してくる。その背後には以前ハーピィを警戒しているレイチェルもいた。
「無事か?」
「うん、そっちは?」
「こちらは問題ない」
「馬も無事っス!」
「良かった……」
スティリアはホッと胸を撫で下ろす。一同が再び空を仰ぐと、ハーピィ達は攻めあぐねたかのように空を旋回して様子を伺っていた。その数は一、二、三……。
「……あとの一羽はどこへ行った?」
「ンァッ! もしかしてってヤツっス?」
ルエインの声に、マルクが反応する。苦虫を噛み潰したかのような顔をしたルエインは、再度痙攣を繰り返すハーピィへと視線を送った。
「倒してはいないのか」
「ごめん、人の見た目に似てるからわたしがレイチェルを止めちゃって……」
「あの様子ならどの道戦闘不能だろう、構わない」
申し訳なさげに目を伏せたスティリアに、ルエインは落ち着いた口調でそう言い放つ。
──その時。ハーピィの小さな羽音とは違う、大気を巻き込んで振り払う音を鳴る。遠方からそれほど時間を掛かる事もなく羽ばたく音を大きくしていき、山に点々と生える木々を揺らしながら。それは巨大な影を落として現れた。




