第十四話 ー神の悪戯①ー
「ん、お前かわいいっスねぇ。………………! ゴホンッ! そんじゃ、忘れモンはないっスね?」
馬の顔に頬ずりしていたマルクが、一同にそう問いかけた。
買い物を済ませた一同はマルクに声をかけられ、大通りを離れた馬車の元へ案内された訳だが、馬の顔を見るなり頬ずりを始めたマルクに不審者を見る時の視線を送っていたのだ。
「な、なんっスか? 動物はかわいいもんっスよ?」
たじろぐマルクに、レイチェルを除く全員が目を逸らした。
当然、無表情のレイチェルの視線が突き刺さる事になる。マルクは、その目を涙で滲ませながら馬車へと乗り込んだ。
「い、行くっスよ……」
「……ああ」
「……ええ」
一同の気の抜けた返事に、マルクは悲しげにガックリと肩を落とす。そうして全員が馬車の荷台に乗り込んだ時、ルエインが不思議そうな顔をした。
「そういえばどうやってこの山を下るんだ?」
「昇降機みたいなもんがあるんスよ。魔法っス」
「……なるほど」
馬車はマルクの「ほいっ!」という明るい掛け声と共に、進み出した。
行く先は結晶の洞窟。一行は再び青みがかった暗い洞窟へと入ったが、すぐに行き止まりとなる。
「よろしく頼むっスー!」
マルクが洞窟いっぱいに響き渡るような大声でそう言うと、少しの振動と共に、地面が降下していく。光が遠のき、周囲を暗闇が包んでいく風景がしばらく流れていったかと思うと、深淵の中で、地面は降下をやめた。
それから程なくして、前方の鉄の扉が両方に開く。鉄の扉はわずかに水で湿っていた。
「オイラも最初は仕組み分からなかったっスけど、よくよく思い返せば……スティリアさ──」
「スティア」
「……スティアさんがあそこの遺跡で見せたのと同じなんっスよね、これ」
「そうみたいですね」
マルクの言葉の言葉を遮り、ムッとしたような口調で自身の愛称を述べたスティリアの圧に、一瞬で負けたマルク。訂正するや否や、スティリアは満面の笑みになった。
暗い結晶の洞窟を抜けると平原、そして地平線付近には荒野と青みがかった山脈が見えてきた。その山頂は薄い灰色になっている。
「このアイエス平原の先にあるあの山がアイオライト山脈で、あそこまでがアイオライト領内っス。そこから先は目的のフルース=レグヴェル……この国の首都っスよ」
「そうか」
語りかけるマルクに、ルエインは一言返したのみで、そのまま沈黙が続く。テレシアはルエインの膝下で眠っている。
そしてレイチェルはと言えば、三角座りをしながら、スティリアを見つめている。その視線と沈黙に堪えかねると言わんばかりに、スティリアが気まずそうな顔をしている。
「そ、そういえば! マルクさんはどうして旅商人を始めたんですか?」
「ん? オイラっスか?」
突然の質問にやや戸惑いの声色を見せたマルクは、「うーん……」と唸った。
「わりとどうでもいい話っスよ?」
「良かったら、聞かせてほしいです」
焦りからか、やや吃りながらもスティリアが食いつくように言うと、マルクは「そっスねぇー……」と語り出した。
「元々オイラはこの国の人間じゃないっス。フルース=レグヴェル共和国の北に存在する……フォルキマノフ帝国ってとこで、ギルドから派遣されたパーティに保護された孤児だったんスよ」
「フォルキマノフ帝国?」
スティリアが尋ねる。
「寒冷地帯の国っスよ。血鬼族の始祖が女帝として治める国で、周辺諸国を巻き込んで大きくなっていった国っスね。他国と絡む時は戦争関連しかほとんどない国っス。テレシアさんの言葉を借りるなら、しょーもない国ってヤツっスね」
それはさておき……。と、マルクはそのまま続ける。
「その帝国で野垂れ死にしそうなところを助けてくれたのが、現ギルドマスターのお父上に当たる方っス。現ギルドマスターも強いっスけど、アレは正直化け物級っスね」
「……すごい方、なんですね」
スティリアがそう言うと、マルクは「あー……」と、少し言い淀む。
「すごいのは……すごいっス、色んな意味で。引退してからは自由気ままにブラついて生きだしたもんで、今のギルドマスターに建国者としてあるまじき行ってんで国外追放されたくらいには、すごいっスね」
「………………そ、そうなんですね」
スティリアは、笑顔のまま冷や汗を流す。その顔には地雷を踏んでしまったと書いてある。
「まあ、感謝してるっスけどね。思想として、国境の垣根なく人々を助ける組織を立ち上げる……なんて。口で言ったって行動に移すなんてなかなか出来る事じゃないっスからね。それでオイラも助けられたクチなもんで頭が上がらないっスよ」
「それは……そうですね」
マルクのその言葉に、スティリアは笑みをこぼしながら返した。
「まあ、女癖の悪さは変わらず息子も引き継いでるんスけどね」
「…………は、はあ……」
聞きたくない事実だったと言わんばかりに、スティリアは笑顔を固まらせたまま相槌を打つ。額から更に冷や汗が流れる。
「と、まあ……ジジイの話はさておき、オイラがギルドお抱えの商人になったのは恩返しの意味もあるっス。戦闘向きの種族ならオイラもレナードさんらみたく魔獣だとか、圧制者の調査や拘束だとかしたかったっスけどね」
圧制者。その単語を聞いた途端、スティリアの表情は暗く沈んだ。
「ああ。スティアさんは因縁があったっスもんね」
「自分のいた国で、あんな非道な事をしてた人がいたなんて思ってなかったから……。わたしは、良くも悪くも箱入り娘だったんだって……そんな事を思い知らされたわ」
スティリアは、どこか悲しげに自分の手の中を見つめた。そんな中、マルクが空を見上げながら一考する素振りを見せると、低く唸った。
「うーん……ほんとは守秘義務があるんスけどね。ここだけの話にして欲しいっス。……あの依頼を出したのはアレクサンドル八世の補佐を務める宰相さんなんスよ。たぶん、国王からの密命っス」
「お父様が……⁉︎」
スティリアは、意外そうに目を丸くした。
「そっスよ。仕来りとは言え、処刑されそうになってたスティアさんに言うのもなんスけど、アレクサンドル八世はあれでいて、なかなかの名君らしいっスからね」
「そう、なんだ……」
そう言うスティリアの声色はどこか安心したような感じだった。
「憎くくて嫌いって訳じゃないんスね、意外っス」
「うん。たぶん、国の民人達の反発する様子を見た限り……わたしを成人するまで生かしたのは、かなり特例だったと思うの。あのままいたら刑戮は免れなかったから、結果としてルエインに助けられるまま逃げちゃったけど……。でも、わたしはここまで育ててくれた事、お父様に感謝してない訳じゃないんだ。ルエインにも会えたし、それはそれで良かったかな。……なんて、そう思ってるの」
珍しく饒舌に語るスティリアに、マルクは目を丸くした。
「ほんと……意外っスねぇ」
「そう、かな? わたしも……その場面に直面するまでは死ぬ事を覚悟してたんだよ? それが国の為なんだって。……でも。死を前にして、ルエインに言われて、わたしは死にたくないんだなって。そう思ってからは、ずっと──色々な事に感謝するようになってきたんだ」
でも──と、スティリアは続ける。
「それだけじゃ、ないんだよね。生きるって事は……傷つけ合ったり、時に命を奪ったり──いい事だけじゃないんだって。……それでも、ルエインに救われた命。わたしは……精一杯生きたいなって。そう思ったんだ」
「…………なーるほどっスねえ」
鳥が馬車の真横を過ぎ去っていく中、マルクは意にも介さずにそう言った。
しばらく沈黙が続いたが、各々が語る事を語り終えた後だからか。マルクも、スティリアも、表情は明るくなっていた。
未だに視線を送り続けるレイチェルに、スティリアは気付く。心に余裕ができたからか、スティリアは微笑みかけ、レイチェルの華奢な体を抱き寄せた。
「いつもありがとね」
『マスター……』
レイチェルは気持ち良さそうに目を閉じ、スティリアも微笑んで目を細めた。ルエインの髪やテレシアの毛を風が撫でた時。
──大きな地震が起こった。馬の嘶きと共に動きの止まった馬車はもちろん縦に横に揺れ、地響きに驚いたルエインとテレシアは飛び起き、スティリアとレイチェルが固く身を寄せ合う。
『なんや⁉︎ 何事や!』
「マルク!」
「マ、マズいっスよこれッ⁉︎」
地鳴りが残響として残る中、マルクが焦燥感を隠す事もせずに声を荒立てる。その焦りが伝染し、一同の表情が強張る。
「なんなんだ? これは……」
「たぶんこれは〝タウルスの迷宮〟っス!」
地震が止み、地鳴りが止まった時。マルクは項垂れていた。
「申し訳ないっスけど……馬車から降りて欲しいっス」
マルクは意気消沈とした声で告げた。その様子に一同は冷や汗を流し、真剣な眼差しに変わる。
何が起こったか分からなかったルエインやスティリア、テレシアが御者台から身を乗り出して外の様子を見ると、その目を見開く。
「これは……」
「何が……起こってるの?」
馬車の先、鞍や手綱だけを残して馬は消え去っていた。
しかし、一同が驚愕していたのはそこではない。問題だったのは視線の先だろう。
左右を見渡すと、ちょうど荒野と平原の境目になっている。だがしかし、馬車の前方に広がる景色は異質なものだった。
荒野や、平原。それらが正方形の形に切り取られたかのように、出鱈目な配置で……格子模様のように、不自然に緑と茶が交互に並んでいる。
その奥手……。巨岩の如く聳える、筋骨隆々で長身の、牛の頭をした巨人がその体と同じ長さと、体と同じほどの長さ、幅を持つ両刃の斧を持っている。
その巨人の周りは荒野として纏まっており、馬車の周りも草原として纏まっている。周囲のマス目と比べるのならば、それは九つぶんのマス目が草原や荒野として存在しているのだ。
「全部で八十と一マス。これは迷宮の怪物、ミノタウルスを回避して陣地を奪い合う……神の悪戯とも呼ばれる命を懸けたゲームっスよ…………」
力無く、マルクはその手に握っていた何かを、広げてみせた。どこからそれは黒と白の、石製のサイコロだった。




