第十話 ー闇を引き連れし亡者①ー
ドレヴァンの体に置き去りにされたその男は、ルエインの技によってか。体を袈裟斬りにされており、残っているのは右腕と、左肩のみ。
それより下の部分は、ドレヴァンの体と共に消え去ったのか、どこにも見当たらなかった。
『排除しますか?』
「やめて。……付いてきて」
『イエス、マスター』
レイチェルの質問に、スティリアは小さな声色ながらも力強く。そう告げると、男へと歩みだす。レイチェルもそのまま追従し、マルクも固い表情のまま後を追った。
「そのままだ、テレシア」
『分かってるで安心しぃ』
反対側にいたルエインも、刀を手にしたまま男へと歩み寄る。全員が同時に辿り着いた時、男は血のように紅い瞳をゆっくりと開き、血色の悪い唇を開いた。
「ハァー…………夢を、見ていたようだ……」
掠れた声で、そう呟く男。ルエインは切っ先を男へと向けた。
「何者だ? 敵か?」
「…………君は……? ああ、そうか……。君が、救ってくれたのか……」
ルエインの問いかけに、尋ねてそのままに納得した男は、フッと微笑んで見せた。
「ゴホッ……! 私の名は、ドレヴァン……」
「じゃあ、あなたが……⁉︎」
スティリアの声に、チラリと視線を動かしたその男……ドレヴァンは、やがてその目にレイチェルの姿を映した時、大きく目を見開いた。
「ああ……毛色や目の色がちょっと変わったが…………見間違えるはずが、ない。レイチェル……私のかわいい、娘だ…………これは、夢の続きだろうか?」
満足げな笑みを浮かべるドレヴァン。残った右手をレイチェルへと伸ばし、その頰に触れようとする。しかし、その手が灰色に染まったかと思うと、ボロリと崩れ去り、地面に触れた途端に灰の山を築き上げた。
一瞬。哀しげに紅い瞳を揺らしたが、ドレヴァンは構わずに微笑んだ。
「夢でも、構わないさ。君たちに、感謝する……。そして、我が娘レイチェルよ…………強く、生きな、さ──」
言い終える寸前。ドレヴァンの肉体は灰色に染まり、全身を塵に変えて崩れ去った。
掠れ声が闇に溶け込んだ後には、沈黙だけが残った。
先ほど嬉々とした表情で勝利を祝っていたマルクですら、その表情には翳りが見える。
この中で唯一感情を露わにしてないのはレイチェルだけだった。
ルエインの手から変化を解いて、石畳に舞い降りたテレシアですら、どこか暗い印象がある。
ポタリと。静かにスティリアの頰を伝った涙が、大気に消えゆく灰に落ちた。
「ごめん、なさい……」
ドレヴァンに向けてか。小さく呟かれた謝罪の言葉は、闇へと溶けていった。
「…………行きましょう」
『イエス、マスター』
涙を拭ったスティリアの掛け声に、レイチェルのみが答えた。
先立ったスティリアに、無言のままルエイン、テレシア、マルクは後を追った。
……穴の空いた迷路。当然迷う事なくゴール地点へ辿り着いた一行を迎えたのは岩窟。
微かに残る異臭のせいもあったのかもしれないが、あれから言葉が交わされる事はなかった。
皆、なんとも言えない表情をしていた。水の滴る音と、靴の足音だけが洞窟内に響く。
(トドメを刺させたのは……わたし。あのまま放っておいても、良かった。自己満足、よね。全部わたしが決めた事だから……わたしが受け止めないといけない、のに…………)
その考えを否定するかのように、スティリアの瞳は揺れた。
そしてその涙を振り払うように、スティリアは立ち止まり、首を振った。
『マスター、どこかお体の具合が悪いのですか?』
「…………」
無垢な黒い瞳が、スティリアの心を射抜く。今のスティリアの心の中にあったのは、底知れない闇のような罪悪感だけだった。
無言のまま、スティリアはレイチェルから目を逸らしてしまう。
『…………?』
レイチェルは疑念を抱くかのように首を傾げたが、スティリアが先へ進むと、無言のまま追従した。
『ルエイン……なんか言うたったら?』
「……今はまだ、そっとしておこう」
ルエインの肩に乗り、耳打ちをするテレシア。ルエインは静かに首を振ると、乾いた声でそう返した。
「オイラも、何か言ってあげたいっス……。最初に提案したのはオイラっスから……」
ルエインの背後に付いていたマルクが、申し訳なさそうにボソリと、そう呟く。
先頭を歩くスティリアは、見様によってはレイチェルから逃げているようにさえ見える。それほどに足早だった。
(これから、どうすればいいんだろう……。この子に、親殺しまで手伝わせて。もし亡命できたとしても……わたしはこの子と暮らすの? どんな顔をして?)
スティリアの心の中には、未来への懐疑心と自己嫌悪だけがぐるぐると渦巻いていた。しかし、行き着く答えは一行の後ろから付いて回る闇の中だ。
皆が皆、先へ先へと進む。全てが消える事のない過去と共に置き去られていく。
……それから、どれほど歩いたか。左側に大きく開けた空間へ踏み入れた時。一同は足を止めた。
視線を移せば、左手は崖だ。その眼下にはその先には降り注ぐ光の筋が八本。上に小さな円錐、下に大きな円錐とを合わせたような光線が洞窟内を照らし上げ、底が見えない程に深い巨大な水溜りに吸い込まれていた。
「……グリクトフルク地底湖っスね」
普段の様子なら饒舌に語ってくれそうなマルクだったが、名前を教えるだけ教えてだんまりを決め込んだ。
強く眩い光は、洞窟の壁面を照らし上げ、どこか神々しさまである。光が吸い込まれた先の湖面は水色に輝いている。底と端に向かうにつれて深い青へ変色し、深部と縁は暗く黒い。
しばらく見惚れていた一行だったが、スティリアが崩れ落ちるように膝をついて座り込み、静かに泣き出した。
『マスター、痛いのですか? 大丈夫ですか?』
「…………少し、休憩をしよう」
嗚咽するスティリアを心配するレイチェル。それを見かねたルエインが、小さくそう提案した。
……しばらく。一行はそれぞれの形で休息を取った。泣き疲れたスティリアは胡座をかくルエインの足元で眠っている。その隣で、レイチェルは綺麗な三角座りをしている。
「……綺麗っス、ね」
『せやなあ……』
ボーッと地底湖を眺めるマルクの言葉に、その隣に座るテレシアが答えた。もちろん、いい雰囲気とは言えず気まずさのみが漂っている。
「……なんでもかんでも責任を背負い込んでしまう。その癖はまだ直ってないんだ、な」
暗がり故か。普段は藍色の髪も、今では黒く染まって見えるスティリアの長い髪。その髪越しに、ルエインは優しくスティリアの頭を撫でた。
『マスターはどこか具合が悪かったのですか?』
不意に。レイチェルはルエインに尋ねた。ルエインは、初めてレイチェルから言葉をかけられた事に驚き目を丸くしたが、すぐに冷静な表情に戻った。
「強いて言うならば……『こころ』だろうな」
『心? 思考能力が落ちているのでしょうか?』
遠回しな讒謗にも似たレイチェルの発言に、ルエインは首を横に振る。
「そうじゃないさ。俺も人の心に聡い訳ではないが……たぶん、心の中で思う事があるのだろう」
『…………⁇ それは解析できますか?』
一考していたのか、数秒の間沈黙していたレイチェルが出した疑問に、ルエインはまた首を横に振る。
「人の心を読める者などいない。俺も、彼女の事を深くまで理解できてはいないのだろうからな」
『…………?』
より疑問が深まったのか。レイチェルは俯いて黙り込んだ。
「おかあ……さま……」
ルエインはスティリアの小さな声に気付くと、そのまま視線を落とす。見れば目尻から涙が溢れてきていた。
「…………」
ルエインは無言のまま、人差し指の甲でその涙を拭い去った。その直後に、スティリアは静かに瞼を持ち上げた。
「わたし、寝ちゃってた……?」
「……まだそんなに経っていない」
そう言ったルエインだったが、すぐに失敗したと言わんばかりに目を伏せた。
洞窟に差し込んでいた光線は最初と比べると弱々しく、少し赤みを帯びていた。
ムクリと起き上がったスティリアが湖面へと視線を向け、少しの間眺めたかと思うと、ルエインへと振り返った。その顔はどこか貼り付けたような笑顔だった。
「ごめんね、行こっか」
立ち上がったスティリアだったが、ルエインは依然座ったままだった。
「今は……そうだな」
「……? 今は?」
まだ目の周りに赤みが残るスティリアが、疑問に思って尋ねると、ルエインは寸秒黙った。そして、立ち上がる。
「……無理して笑わなくてもいい。先へ進む事は優先すべき事だが……無事に亡命を果たした後なら思う存分に泣いても構わないだろう。誰も咎めやしない。そして必要ならば……その後も、俺はスティアの剣で在り続ける。乗りかかった舟、と言うやつだ。その思いの全てを受け止めてみせる。信じて付いてきてほしい」
「……! うん。ありがと」
スティリアは出だしの言葉に目を見開き驚きを見せて、気まずそうに聞いていたが、ルエインが言い終えると、その瞳に悲哀の色を残したまま、やはり力無く笑った。
そこへ、立ち上がったテレシアとマルクが近付いてきた。
『ほな、行こか』
「グリクトフルク洞窟を抜けた先は断崖に囲まれてるっス。その先の細道を抜けてアイオライト平原に出るんスけど、そこを更に西に進めばいよいよ都市アイオライトに到着っスよ。都市って言っても小さいっスけど」
テレシアの声に、マルクが出口近辺の地形とその進み方を説明する。その全てを静聴したスティリアは、小さく頷いた。
「ありがとうございます、マルクさん」
「あー……」
スティリアが礼を述べると視線を彷徨せながら、マルクは後頭部を掻いた。
「マルクでいいっスよ。言葉遣いも砕けさせてもらって構わないっス。あと……ドレヴァンさんの件はオイラにも責任があるっス。スティアさんだけで抱え込まないで欲しいっスよ……」
申し訳なさそうにマルクが言い終えると、スティリアは首を横に振った。
「マルクさんはマルクさんで最善の案を出してくれました。とても合理的だと思います。結果みんな無事でしたし」
「そうじゃなくてっス、ねえ……」
思い通りにいかないせいか。マルクが忙しなく頰を掻きだしていると、テレシアがスティリアの足に肉球を押し当てた。
『なんでもかんでも背負い込み過ぎやで。もっとウチら頼ってや』
小さな小動物から放たれた言葉はどれほど少女の心を揺らしたのか。スティリア目はまた滲みだしたが、すぐに目を瞑って洞窟の天井を仰ぐ。
そして、数秒の後。やはり、また笑った。
「ありがとね、二人とも」
やや上擦った声だったが、スティリアの目から涙は流れなかった。
『マスター、大丈夫ですか?』
「うん、大丈夫だよ。ありがとね」
ようやくレイチェルと目を合わせたスティリアは、その頭を優しく撫でる。
しかし、レイチェルは無表情のまま首を傾げたのだった。




