第八話 ー深淵の先にあるもの①ー
「コイツが……ドレヴァンっスか……?」
マルクが悍ましげにそう呟く。
その生き物には骨や甲殻と言ったものの類はない。筋肉質な繊維でできた巨大な蝦蛄のような生き物だった。その体表は酸の油を吹き出し、ランタンの光を反射して怪しく光っている。
「気持ち、悪い……」
スティリアが思わずそうこぼすのも無理はなかった。
全身を這い回る蛞蝓の隙間から見える赤い筋肉でできた体は、ところどころ腐敗しているのか、黄色や緑色など、およそ生き物の肉の色ではないような色をしている。
威嚇するかのように。怪物は背から伸びた肉付きの良い触手をウネウネと動かし、大きな口の中に所狭しと並べられた牙を剥き出した。
そして、時折歯の奥にある喉が開き、ゴフッと呼吸音を鳴らしたかと思うと、それが一行の嫌悪の表情を更に歪ませていく。
そのグロテスクな生き物……ドレヴァンは節足の代わりに当たる長い触手をビタビタと動かしながら前方の石畳に手を貼り付けると、その膨れ上がった体を引きずり、ルエイン達へと進行を開始した。
「テレシア、いくぞ」
『キモすぎる……なんやねんアイツ……!』
変わらず冷静に告げるルエインだったが、テレシアは毛を逆立てて、言葉と共に不快感を表している。
「壱式・神薙」
フワリと放たれた青い刃はいつもより小さい。洞窟の崩壊を考慮しての事だったのだろう。
『ゴフッ……』
しかし、その配慮も虚しく。その頼りない小さな三日月は、ドレヴァンの体表をズルリと滑っていく。行き場を無くした飛剣はそのまま壁へ接触して、その脆い岩壁を少し削った。
「やりづらい相手だ……」
「効かないの……?」
ルエインが忌々しげにそう呟くと、スティリアは不安げにそう尋ねる。その返答は無言ではあったが、ルエインの頰を流れる冷や汗が「そうだ」と語っていた。
『ゴッフュウウゥゥ……』
体が歪みで体が少し圧迫された事により、ドレヴァンは空気が吸い込まれる音が響く。外圧に逆らうように跳ねた体は、その周囲に蛞蝓を撒き散らた。
『あの柔らかい体と油のせいで滑りよる! スティアに凍らせてもらうかしてもらわんとまるで意味ないで!』
「……そのようだな」
テレシアが状況と情報を周囲へ告げると、マルクは「んんんんんん!」と唸り声を上げ、躊躇いを振り払うかのように手早く、腰元のポーチから茶色い小石を取り出した。
「魔法道具で蛞蝓は追い払うっス! スティアさん頼むっス!」
「わ、わかったわ!」
スティリアはすぐに詠唱へ取り掛かる。そしてマルクはその小石を目前に構え、念じるようにしてから蛞蝓の這い回る地面へとばら撒いた。
瞬間。石畳はドロリと溶け出すように泥化し、抵抗する蛞蝓達を泥の中へと沈めていく。
「……応えて! フリギトゥン!」
パキパキと音を立てながら冷気が広がっていく。量が少ないからか、先ほどよりも素早く表面を伝う油液を凍らせていき、ドレヴァンを捉えた。
『ゴフッ、ゲブッ!』
苦痛からか体を畝らせ、凍りついた表面の蛞蝓をばら撒いていくドレヴァン。
『ゴフッ、ゴフッ……………………』
スティリアが力を込めて更に凍らせると、ドレヴァンは氷に覆われた。
「やったの……?」
「──! いや、まだだ‼︎」
……しかし、それも一時的な話だった。氷は亀裂を走らせ、一瞬で砕けた。
『ゴフッ、ゴフッ、ゴフッ!』
再び滑った体表を露わにしたその怪物は、まるで人が咳き込むかのように痙攣しながら断続的に息を吐き、牙の立ち並ぶ口をスティリアへと向けた。
『ゴブォッ! グボッ、グボッ……』
ドレヴァンはその口から弾丸さながらに粘液を吐き出した。敵がスティリアと判断してか。その痰のような塊は、的確に少女だけを目掛けて襲いかかってきた。
「ああっ……‼︎」
「スティアッ!」
迫り来る脅威に呆然としていたスティリアだったが、ルエインによって危機一髪、回避する事を許された。
粘液は強酸だったのか、焼け石に水を掛けたような音を立てながら、蒸気を吹き上げていく。
寒がるようにして体を丸めたドレヴァンだったが、しばらく悶えたかと思うとゆっくりとその身を伸ばした。
『ヒュッ、ヒュッ、ヒュオォォォォ……』
隙間風にも似た喉音を鳴らしながら。果たしてドレヴァンは体勢を立て直した。再び触手をビタビタと地面に這わせながら、進行を再開する。
「スティア、アイツの足元を軟化させられるか?」
「う、うん。やってみる……。母なる大地よ、今一度、その力をわたしにお貸しください……!」
どろり。とドレヴァンの足元の石畳が溶ける。酸によるものではない、スティリアの魔法でだ。しかしその努力も虚しく。軟化した泥の上に油が広がり、ドレヴァンはその上にプカリと浮かび上がる。
「チッ……ダメか」
「そんな……」
魔法はどれも効果が薄かった。冷や汗を掻くルエインの表情はより苦々しく、スティリアも暗い面持ちとなる。
「火を使ったら爆発するし、氷もあんまり効果がない、泥にも沈まない……。頼みの綱のルエインさんの攻撃も効いてないっス。道理でいつまで経ってもここに居座ってるはずっスよ、コイツ……」
マルクは忌々しげにそう呟く。倒す手立てが見つからないのだ。動き自体に隙がない訳ではないが、その体表を覆う油の鎧が全ての攻撃から守り抜き、それを隙とさせない。
(こんなの……。どう、戦えばいいの?)
その焦りはスティリアの中にもあった。火をガスで封じ、氷もその場しのぎにしかならない。土ですら持ち前の油で無効化してしまう。他の魔法も似たような結果になるだろう。況してやいつも自分を守ってくれるルエインの攻撃すら弾き飛ばす。
洞窟という最悪の環境が、ドレヴァンの鉄壁の牙城と化していた。
戦うべき相手ではない。そんな考えがスティリアの頭を過ぎっていた。そんな時──
「ンァッ! アイツの後ろに通路が見えるっス!」
突然。マルクがそんな声を上げた。スティリアもルエインも、ドレヴァンの奥手の通路を発見した。
「出口にしろ遺跡にしろ、この際構わないっス! 図体がデカイからか幸い動きは鈍いっス! 通り抜けるっスよ!」
マルクの提案。それは強行突破による撤退だった。苦虫を噛んだような表情のルエインだったが、次第に落ち着く。
「……相手にするだけ無駄、か」
「わたしも、魔力がもうあんまり……」
『他にええ案もないやろ、行くで!」
斯くして、一同は同時に壁の両端へと駆け抜けた。ドレヴァンは一度動きを止めると、その体から蛞蝓達を生み出し始めた。
「──ッ! たぶんこんなの気休めっスけど……金の重さを思い知るっスよ!」
言いながらにして、マルクは腰のポーチから、透明な液体の入ったガラス玉を取り出し、それを無防備なドレヴァンの腹下へと投げつけた。
『ブゴッ、ブゴッ、グボッ……』
ガラス玉は割れると同時に、白い煙を吹き上げると、そのままドレヴァンの腹下からパキパキと音を鳴らしながら、その怪物の腹部を迅速に凍らせていく。ドレヴァンは丸まりながら苦悶の声にも似た喉音を響かせた。
「高級品の魔力冷却水サヨナラっス……」
涙を流しながら、マルクは腹部を気にして丸まるドレヴァンの脇を通り抜けた。同時にルエインも、スティリアの手を取りながら異形の怪物の真横を突破した。しかし──
『ゴブォッ』
『ルエインきとる!』
「──!」
突然。ドレヴァンの一声と共にバネのように跳ねた尾が、ルエイン達の眼前へと差し迫っていた。
「グッ……‼︎」
テレシアの言葉で気付いたルエインが、刀を振るってこれを食い止めた。しかし、尾の勢いに負けたルエインの刀は、そのまま弾かれて吹き飛ばされる。
「キャッ……⁈」
「テレシアッ!」
ルエインの手から離れた刀は、スティリアの真横を過ぎ去り、小さな金属音を立てながら転がっていく。ルエインがスティリアを先へ行くように手で促し、戻ろうとした時──
『ええからはよ行き! ウチならすぐ追いつく!』
「テレシアさん⁉︎」
変身を解いたテレシアにそう言われ、駆け出したルエインとスティリアだったが、マルクの言葉に心配したスティリアが振り返った。
「ルエイン! テレシアが‼︎」
「……!」
テレシアは苦しげな表情で、弱り切った動物のようにヨタヨタと。その小さな手足を震わせながら歩いていた。
「……酸か!」
正解を導き出したルエインだったが、理解しただけで現実が変わる事などない。二人で駆け出そうとした時、テレシアに影が迫った。
「テレシアさん! いま助けるっスよ!」
『む、無茶すなや‼︎』
マルクだった。触手を湾曲状に曲げながらビタビタと音を鳴らし、腹部を支点に回転を加えるて体の向きを変えていくドレヴァン。その近くを通り抜け、一直線にテレシアの元へ向かったマルクは向かっていた。
『あうっ……!』
声を荒げたテレシアは、勢い余ってその場で足を滑らせて転けてしまう。そして、その触手がテレシアの真横に迫った時。
「テレシアさん‼︎」
『あんた…………』
マルクはテレシアを抱え上げ、救出してみせた。テレシアの毛に染みた油が、蒸気を上げながらマルクの腕を焼いているが、マルクは構わずにとんぼ返りを始める。そこへ──
「よくやってくれた、感謝する」
ルエインが現れた。歯を食いしばって痛みに堪えるマルクの体を抱えたかと思うと、神力を用いた跳躍によって大きす後退をしてみせた。
『ヒュッ』
ルエイン達へ向けて放たれた、超高速の触手による一撃は、その触手の形そのままに石床に穴を穿った。
『ヒュッ、ヒュッ……』
ドレヴァンは外したと認識するや否や、再び触手による方向転換をして眼前にルエイン達を見据えると、進行を再開した。
『ゴフッ、ゴフッ……』
獲物を逃すまいとしてか。その身を引き摺るドレヴァンの動きは必死に吐息を漏らさせるほどに先ほどよりも足早だ。
ルエインはマルクからテレシアを受け取り、そのまま刀化させる。そして、そのままスティリアとマルクの殿を務めながら、通路の先へと向かう。
『酸も取り除けたみたいや。おおきに』
「よせ、気色悪い。礼ならマルクに言っておけ」
『マルクに言ったつもりやけど?』
グッと言葉を詰まらせたルエイン。マルクは照れ臭そうに冷や汗を流しながら「へへっ……」と力無く微笑んで見せた。
『ブゴッ……ゴビュウッ……ヒュッ、ヒュッ』
完全なる闇の中。ドレヴァンの呼吸音だけを置き去りにして。一行はそのまま言葉を紡ぐ事もなく、深淵の先を照らして奥へ奥へと進んで行くのだった。




