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久遠の刻  作者: 犬崎 エイジ
0章 プロローグ
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現実世界(1)

3分割にしました。

「嬢ちゃぁん、今年でいくつになったぁ?」


 喧騒に包まれた食堂で、両手に丸盆を持つ燐奈に無遠慮な声が掛かる。抑揚のつけ方を間違えたような妙なトーンだ。典型的な酔っ払いのそれだ。


「今年で十六ですよ、伊藤おじさん。それに嬢ちゃんはやめてくださいって何度も言っているじゃないですか……ちょっと待ってくださいね後で相手してあげますから」


 燐奈は慣れた調子で受け流すと、別卓の注文を捌いていく。オーダー、空皿の回収、給仕、そのすべてを並列で行っている。とても慣れた調子だ。それだけを取れば、高校入学と同時にこのバイトを始めたと考えても妥当なところかもしれない。だが常連客とアイコンタクトで注文を受けたりするのは、一年やそこらで備わるものではないだろう。


 燐奈は『静かの海』という居酒屋でバイトをしていた。燐奈の身請けとなっている坂上真理沙が経営しているので、バイトと言っても家事手伝いのようなものなのだが……。


「いやぁ、ついこの間まで、こんなだったと思っていたのにもう十六か、そうかそうか」


 伊藤おじさんと呼ばれる男はスキンヘッドの強面を破顔し、両手で大げさなジェスチャーをする。


「そうですねぇ、食堂のマスコットみたいでみんなに可愛がられていたのに今じゃあすっかり看板娘だ。時が経つのは早いというかなんと言うか」


 伊藤と相席している男が答えた。オールバックでガチガチの髪にメガネを掛け、ワイシャツを着ているこのいかにもサラリーマン風の男は赤羽と言う。二人は二周ほど年が離れているというのに、気が合うらしく毎日のようにこの食堂に夕食を食べに来てくれる、この食堂の常連だ。


 赤羽が窓から外の景色に目をやるとため息をつく。視線の先には開発中の宇宙エレベータがあった。着工して数十年が経過し、もう全体の工程の五十%を超えているといわれている。その荘厳な全体像は徐々に姿を現しつつあり、見るものを宇宙旅行の夢想へと誘う。これは現代のバベルの塔だ。


「毎日のように工法や工材が変わっているんですよまったく嘘みたいだ」


「おれは素人だが無茶苦茶な話ってのはわかる。そんなに変更を加えたら破綻しちまうんじゃないか」


「それが設計ソフトも現在の工事進捗を含めた全データを入力すると、工期や耐久性など全ての数値がより良いものになっているんです。十年ほど建築業界で生きてきましたが、こんなことは初めてですよ」


伊藤が質問に赤羽がため息をしながら答えている。


「そもそも、何でお前の会社はそんなことになったんだ。会社が受注しているならそのまま主導権を握ってりゃいいだけの話だろうが――やっぱりあの女社長に篭絡されたって噂は本当なのか?」


 そのベンチャー企業と赤羽の会社が交わしている契約は赤羽の会社が一方的に不利になるものばかりだ。それこそ篭絡されたという伊藤の感想も無理のないものだった。


「TVに出ているのをたまに見るが、確かに清楚な美人だよなぁ。あれならしょうがないか。赤羽は生で見たことあるんだろ? こっちの嬢ちゃんとどっちが上なんだ?」


 伊藤はそんな軽口を半ば真剣な表情で聞いている、彼にとって大事なことなようだ。幸い今日はお客さんも少ないため、しばらくは余裕がある。いい加減、二人の会話に入ることにした。


「ねぇ~私も話しに混ぜてぇ……」


 燐奈はゆっくりと赤羽の後ろに立つと、肩にしな垂れかかり耳に息がかかるように囁いた。


「ひゃうん!」


 赤羽から奇声が上がる。燐奈と伊藤が目が合わせ、ハイタッチ、今日もいつもどおりの反応に二人は大満足だ。


「がははは、最近リアクションが激しくなってないか?いい加減慣れてもいいだろ」


 この赤羽の反応が楽しくて、燐奈はよくこんな事をする。中等部のときはもう少し甘えるような感じで攻めていたが、最近はこんな感じでアダルディだ。そう、燐奈は男を手玉に取る悪い女の子なのだ。伊藤もそのリアクションを見て酔って茹だこのようになった顔で大笑いをしていた。


「燐奈ちゃんやめてくれよぉ」


 インテリ系の風貌からは想像できないほどの情けない声を出している。


「おう、嬢ちゃんか……そうだ今度赤羽の会社に一緒に行こう。そうすればハッキリするかもしれん」


「な・に・がハッキリするですか。 直接見比べなくたって、そこに映っているのと見比べればいいでしょうに」


 伊藤はそうだなと言うと難しい顔をしてTV奈の顔を見比べてしばらく黙り込んで燐奈に視線を定めた。一言目に出るのは話かけやすい、そんな印象を与えるのは燐奈の表情がコロコロと変わるからだろうか。胸はそこまで大きくないが高校生の平均以上ではあり全体的には均整の取れている。少し癖のある茶髪のショートカットから覗く貌は仕事場にいるということもあり薄化粧をしていた。一時期はセーラー服の上にエプロンをつけて給仕をしてたが、その手の店だと間違えられるおばちゃんにいわれ、最近は普段着の上にエプロンを着ている。この『静かの海』に来たお客は目を引いてしまう程には整った容貌だった。


 ふんと鼻で息をすると次はTVのほうへ向く。TVに映っている妙齢の女性は、社長という肩書きにしては驚くほど若々しい印象を持つ。癖のないスラリと伸びた茶色い髪、TVではわかりにくいが長身で抜群のプロポーションを誇り、見た瞬間にこれが理想の体系だと思うほどだ。きめ細かな肌は程よく血色がありそんな完璧な容姿が生きた人間なのだと感じさせる。

 けれど不思議と近寄りがたい印象はない。これは対話者を気遣う微妙な機微や表情がそうさせるのだろう。そして若々しい容姿に合わせるかのように反応も初々しさが感じられ、見たものを引き寄せて離さないそんな魔性となっていた。インタビュワーも目を離せず少し上気しているように見える。


「うーむ、さすがに比べるまでもないか。この玲姫って女すげえ美女だ。ソレと比べて燐奈の色仕掛けに引っかかるのはそこの童貞アラサーくらいなもんだ」


「言ったわね、この茹だこ!」


「ホント、不気味なくらいに若々しいな。俺より年上なのが信じられん」


『日々の努力と皆さんから情報をいただいてそれを実践することですね、あ、あと理想の自分を確認することでしょうか』


 無邪気な笑みをこぼしながら問いに答えている。キャスターはその表情に酔いしれるような恍惚とした表情をしていた。その様子に赤羽は思い出したように話し始める。童貞アラサーと呼ばれた事は気にもとめていない。


「なんでも彼女、すごく良い匂いがするらしいですよ」


「匂い?」


「彼女の匂いを嗅ぐと男女問わず虜になってしまうとか、すごく高い香水でも使っているんですかねぇ」


 確かにキャスターの様子は異常だ。ずっと惚けた様子で彼女に握手されると感激で涙を流したほどだ。もはや、彼女を崇拝しているとさえ感じてしまう。


「そういえばこんな噂もありましたね。Will To Liveをやっている人がある日突然、格段に技術力の向上が見られたり、新技術を発明するらしいです……そういえば、引き抜かれた社員はやっていた人が多かった気がしますね。あの噂本当なんでしょうか?」


「噂ってあの噂?」


「ええ、このシミュレーター、何でも願いが叶うそうですよ。」


 Will To Liveにまつわる噂は知っていた。実際にプレイしたのだから知っているだろうと思われるかもしれないが、ただ寝ていただけなので、どうにも体験に基づく実感は沸いてこない。だから燐奈の感覚的には噂だけ知っているというのが正しかった。


「Will To Liveでしょ? 実は昨夜、私もやったわ。確かに寝て起きたら夏休みの宿題は終わっていた。でもそれだけよ"何でも叶う"というのは大げさじゃない?」


「え、やってしまったんですか」

「おい!、そりゃ本当か?」

 私もやったという言葉に二人は同時に声を上げる。


「体は大丈夫なのか!? やった後で変調はなかったか?」


 伊藤は燐奈の両肩をガシッと掴む。


「え、ええ――大丈夫なんともないわ」


「そうか」


 返事を聞いて安心したようにため息をついた。赤羽も同じように安心したようだった。


「人が死ぬって噂だ――あれは嬢ちゃんが思っている以上に危険なモノだ。もう絶対に手を出しちゃだめだぞ」


 おそらく、[最期の選択]のことを言っているのだろう。[最期の選択]と大仰な名前を冠しているが、その実ただの一択の質問だ。死ぬとされている【はい】は(見た目上)存在しない。何を恐れることがあるのだろうか。確かに人が死んだという噂は聞いたこともあったし、具体的な症状も伝えられているが、直接の関連性は認められていない。誰もが噂に過ぎないと思っている。この時は彼らのいい様は過剰反応だと感じていた。


☆☆


「つかれたぁ」


 家に帰るとすぐにシャワーを浴びて生乾きの髪を拭ききらずに布団へ身を投げた。燐奈は定食屋以外にも五個ほど掛け持ちでアルバイトをしている。今日も定食屋以外に二つほどこなしている。この眠る直前の時間が燐奈のささやかな自由時間だった。突っ伏した姿勢のまま机に置かれた携帯電話を探り当て、チャット機能を備えたアプリを立ち上げて麻菜に話しかけた。


『やっとバイト終わった。疲れたよぉ』


『燐奈、お帰り……』


『そうは言っても、今日もお客さん少なかったんだけどね』


『そう……』


『Will To Live はどうだった?』


『うん、やったわ。でも感想って言われてもわかんない。私はただ寝ていただけだったから……でも目的は達成できたわ。ありがとマナ!』


 確かに私の筆跡で書かれて宿題が出来ていたわ。見返してみても私自身がやったとしか思えないものが……。部屋の片隅に置かれているゴツいヘッドギア型のヘッドマウントディスプレイは麻菜からの贈り物だった。


『それに記録ログが一ヶ月くらいしかなかったわ。本当に百年のときを過ごしているの?』


『燐奈ちゃんの『目的』は短い時間でできることだったから……ログは目的の達成後は残らないの。でも確かにあの世界で百年分の時を過ごしている。それは間違いのない事実よ』


 Will To Liveで過ごしたAIの様子を記録ログという形で読んで楽しむのがこのシミュレータのウリだ。『目的』がもし、何かになりたいというものではなく、何かを作り出したいや何かをしたいだった場合ログのほかに電子情報が残る。そして『目的』には特に制限がない。近年これに目をつけた一部の企業が、これを利用し莫大な富を得ているという噂を耳にしたことがある。


『それで、私はあなたの言っている人に会ったの? 私はちっとも覚えていないし、私の記録ログには何も載っていなかったけど……』


『……会ったわ』


『これってやっぱり意味がないんじゃない。私も麻菜にもその会ったと言う彼にも、実際に会ったわけじゃない。まるで意味がないわ。私はあなたが気になっている彼に合わせてくれるって言うからやったのに……それに私にあなたの記録ログを見せてっていっても見せてくれない……』


『あ! さては、告白して玉砕したとか!? いいからお姉さんに話してみなさい。ほらほら』


『ごめんなさい、もう寝るわ』


『う、うん』


 記録ログをすると麻奈がすぐに会話を切ってしまった。リンナは「うーん」と唸ってから通信アプリを終了して布団に投げおいた。そして、宿題の背表紙のメッセージを聞きそびれた事を思い出した。次にすればいいかと諦めバイトの疲れも手伝ってすぐに眠りについてしまった。


 だが麻菜に質問することはできなかった。

 なぜならこの会話を最後に麻菜と連絡が取れなくなったしまったからだ。

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