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小神たちの晩御飯 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 はーい、つぶらやさん。おすそ分けですよ。家でかき揚げを作っていたら、つい作りすぎちゃいましてね。良かったら、おそばとかに乗せて召し上がってください。

 ――ああ、結構大きめでびっくりされました?

 うちの地元では、これくらいの大きさが標準なんですよ。何せ、人だけじゃなくて、神様に捧げるものでもありましたから。

 地元の神様はですねえ、非常に年若いものが多いんです。少食になるのは、本当に長い時間をかけて、お歳を召した方。若いうちにはがつがつ食べることが多いんですって。それでお腹が減ると、たいそうご機嫌を損ねてしまうのだとか。

 ――話をして欲しい? まあ、時間があるから構いませんが、お客さんを引き留めるには、少々、強引すぎやしませんか?


 まだ精巧な時計が伝わるずっと前。人々は、日の出と日の入りを目安として、一日の始まりと終わりを感じ取っていたそうです。

 しかし、知っての通り一年を通して見ると、日が長い日、短い日というのが存在するわけです。私たちの地元では、春分の日と秋分の日を基準にして考えていて、そこから長短を調べるようになったのですね。

 いわく、日が長い日や短い日というのは、いつも昼夜を担当する神様ではなく、新しい若い神様が、昼夜を司る練習をしているのだ、と解釈していたとのこと。安定した時間に太陽を動かすことができていないのは、まだまだ年若いためだと考えられていたそうです。

 そして、若い者は仕事が終わるとたくさんご飯をお召しになる。そのため、一日の終わりの捧げものを用意するというのが、夏と冬の間で行われていたのですね。


 私の地元の村の西端には、橋がかけられています。とはいっても、大掛かりなものじゃなくて、長さ200メートルほどの木製。

 よく舟とかをつなぐ、桟橋がありますよね? あれがずうっと伸びて、道代わりになっているというわけです。結んでいる先には、木が数本と小さな社、そしてそれとは分不相応なほど大きい、十メートルくらいの大きさの鳥居が、島側の橋の終わりに設けられています。

 潮の満ち干の関係で、引き潮の時は土台を含めた橋全体が見えるんですが、満ち潮だと橋ギリギリまで海面が迫ります。歩くところの板なんかは、すっかり濡れてしまいますね。

 けれども、天気の良い日の日暮れ前は、その橋を渡って社に供え物をしにいくことになるんですね。

 お供えは村の世帯ごとに、ローテーションで決まっています。だいたい一ヶ月半に一回くらいのペースで出番がやってきましたね。

 供えるものに関しては、各家庭の手作りであれば何でも構わないということで、我が家では先ほど差し上げたような、大きめのかき揚げを用意するんです。供えに行く神様が若いから、持っていく者も若人の方がよいという考えもあって、その世帯で一番若い人が、決められた日に島へ向かうことが決まっていました。

 

 私も小学生くらいの時に、このお使いを頼まれましたね。

 水の事故は常に警戒されていましたから、大人たちは橋の周りに控えていましたけれど、橋そのものを渡る時には、付き添いなしの一人で渡らなくてはいけません。

 わずか数百メートルとはいっても、海の上を通って島に渡るというのは、何とも不思議な体験。波が橋を揺らしているのか、足下が少しふらつくような錯覚さえ覚えました。

 それでも、抱えているざるからかき揚げを落とさないように、落とさないようにと、半ば祈るような気持ちで、一歩一歩ゆっくり進んでいきましたねえ。

 

 ただ、社に着いてみると、少し困ったことがありました。

 次にやって来た人がお供え物をすると同時に、前の人が置いていったお供え物を下げて、持って帰ってくるように、と仰せつかっていましたが、問題なのはその中身。

 お魚の切り身だったらしいのです。それも生の。

 夏場の日中、ずっと日の当たる場所に置いていた生魚が、惨憺たる有様になってしまうのは想像に難くないでしょう。すっかり身体中を黒くしてしまった魚肉たちは、筋の一本一本からかと思うほどの、強い生臭さを帯びていたのです。

 私は顔をしかめながら、持って来たかき揚げを備えると、予め置かれていた、生魚の入ったざるを手に取ります。

 目のすき間から、「ぼとり」と小さな塊が垂れて、地面に転がったのも、私の不快感をいっそう強くあおりました。

 早く、家に戻ろう。私は踵を返して、橋に向かい、駆け出したのです。

 

 数歩目。勢いが乗り出した時。

 私は何かにつまずきました。石ではありません。ぶつかったのはつま先ではなく、すねあたり。高さのあるものです。

 私はゴロゴロと地面を転がり、遅れてやってきた痛みに、思わず身体を丸め込んでうめいてしまいます。しかし、先ほどぶつかったと思ったすねの部分は、全然痛みがないのです。

 どうにか起き上がった時には、ざるこそ手元に残っていましたが、中身であるあのお魚たちは、まったく残っていませんでした。

 橋を渡ってきた時よりも、空は暗くなってきています。ふと橋の先を見ると、海岸沿いの民家では、すでに黄色い明かりが、ぽつぽつとともり始めているのが分かりました。

 あれに背を向けて、ひとり、ばらまいてしまった腐りかけの魚を、律義に拾い集めていく。そんなのはごめんだと、私はとっさに思ったのです。

 私はざるを抱えたまま、一目散に橋を渡って帰ってしまいました。ざるの中身に関しては、行った時には、もう無くなっていた。鳥さんとかが食べてしまったのかも知れない、とうそをついたのです。

 大人たちは、特に疑い様子を見せませんでしたが、私としては話が終わった後も、いつ怒られるのではないかと、どきどきしっぱなしでしたね。

 

 その夜のこと。私の家は海から少し離れたところにあるので、波が高かったり、風が強かったりしない限り、潮騒というのはかすかに聞こえる程度、といったところでした。

 目がはっと覚めてしまったのは、いつもよりも波の音が大きく聞こえたような、そんな気がしたからです。

「ザザア……」と浜に海水が押し寄せる時に出す、耳の芯からm何かに抱かれて沈んでしまいそうな、深い水音。それが一回響くたび、かすかに音量を増しているように感じたのです。

 父母が起きてくる気配はありません。波音は一定の間隔を置いて、「ザザア……」と繰り返し訪れてくるようなのです。

 訪れる。そう表現して、私ははっとしました。人間の足音も、近づいてくるたび大きくなり、その気配を周囲に振りまく。私たちはそれによって安心を得たり、警戒を強めたりできる。

 この波は、足をつけることができない者たちの、歩みのさざめき……そう考えると、私はもぐっている布団をひっつかんで、じっと息を殺しながら震えざるを得ませんでした。


 ザザア……ザザア……。

 音はますます迫ります。ひと寄せ、ひと寄せ確実に。

 一回。家の玄関先へつきました。

 一回。戸の前まで、足が伸びています。

 一回。下駄箱いっぱいに、お越しになられました……。

 分かるんです。聞いているだけでも。じわじわと迫ってくる潮のあぶくが、床を伝って私の身体中を揺らし、響かせるんです。

 ここまで来たらどうしよう。私はひたすらにそんなことを考えながら、目をつぶりました。

 波は今、台所のあたり。そこから洗面所を挟んだすぐ奥が、私の部屋です。もうヘタに逃げ出すことなど考えず、嵐が過ぎ去るのをただ待つのみ。

 ザザア……ザザア……。

 波の音は大きくなりません。ずっと台所でとどまっています。

 緊張しっぱなしで頭が回らない私は、ただただ「こちらに来るな、こちらに来るな」と祈るばかりでした。


 何度目からだったでしょうか。

 潮の音が引いていきます。今までとは逆に、一回ごとに遠ざかっていくのです。

 ザザア……ザザア……。

 何とも現金な感覚だと思います。

 近い間は、胸が痛いほどドキドキする不安と緊張の塊。その気配が遠のいていくにつれて、漏れ出す安堵感とともに、小さくなっていく潮騒が、子守歌のように眠りへといざない始めるのですから。

 翌日。朝一番に起きて、朝食を用意しようとした母は、驚きの悲鳴をあげました。

 台所の床一面が、湿り気のある塩で、いっぱいになっていたのです。食用に使うにはべとべとしすぎていて、一家総出でバケツを使い、外へと追い出す羽目になりました。

 そして取っておいたかき揚げは、そのほとんどが無くなっています。当時の私は食べ盛りでしたから、真っ先に疑われましたが、もちろん否定。かといって、違うという証拠も出ず、家庭裁判は保留になり、そのまま無期限延期です。

 

 その日に私がやらかしたことは、なかなか話をする勇気が出ず、白状したのはこちらに移り住む直前でした。

 すでに老いていた両親から、きついお咎めを受けることはされませんでしたが、それでも怒られましたね。


「お前は、あの時ざるを下げるべきじゃなかったかもしれない。神様たちがまだお食事中だったのだろうね。それを取られたとあっては、お代わりを探しに来てしまうものよ」


 久しく地元には帰っていませんが、きっと今年も毎日、腹を空かせた新たな子供たちが、一日の終わりにあの島へ戻り、お供え物を召しあがっていると、私は思っているのです。



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